モンテッソーリ教育について
ホームズの『緋色の研究』を原文で読もうと図書館に行ったら置いてありませんでした。英字新聞のニューヨークタイムズもなかったです。
英文法の勉強に使おうと思ったのですが…
モンテッソーリ教育とは、子どもが興味を持ったことを、好きなだけ学ばせるという教育方法です。例えば、電車が好きな子どもには、鉄道の写真や鉄道の歴史を学ばせたり、動物が好きな子どもには図鑑を読ませたりします。
そうやって自主性を尊重することで、子どもの能力を上げていこうという取り組みです。日本ではあまり馴染みがありませんが、海外でも取り入れられている学習方法らしいですよ。
国際化が進む日本でも、この学習方法が見直されつつあるので、ちょっとだけ語ろうかなと思います。本当にちょっとだけですよ?(その割には前置きが長い)
個人的な話ですが、ぼくは保育園児の頃に哲学を勉強したがっていたそうです。
ですが、両親にはそこまでの教養がなかったので、「自分で勉強しろ」というだけで何も教えてはくれませんでした。
そうして子どものぼくは、知的好奇心が退化していったのだと思うのですが、ここでもしも図書館に連れていってくれたなら、書店に連れていってくれたなら、また別の人生を歩んでいたかもしれませんし、何も変わらなかったかもしれません。
つまりはそういうことで、子どもは自分の興味のあることであれば、自主的に学びますし、必死に覚えようとします。そうすることで、各分野に特化した人物が生まれるというのがまずひとつの利点。
2つ目は、ひとつの学問はすべての学問に通じているからです。
こじつけに聞こえるかもしれませんが、栄養学の特殊飢餓状態に似ています。これはある一定の栄養だけを摂取する、例えば、ハンバーガーだけを食べていると不足する栄養価が出てきますよね。そうなるとどれだけハンバーガーを食べても栄養価は不足するので、ある意味で飢餓状態であると言えるのです。
そしてこの特殊飢餓状態が続くと、不足した栄養価を本能的に求めるようになります。これをネズミのカフェテリア実験と言います。
要するに、文学が好きだから文学だけを勉強する。
そうすると日本語も勉強するようになる。
日本語を勉強していると、古典文学も読めるようになる。
古典文学を勉強していると日本史を勉強し、世界史を学び始める。
歴史とは、政治(支配)の系譜なので、政治を学び、経済を学ぶ。
世界を知れば外国語を勉強するようになる。
経済を知れば数学を勉強するようになる。
このようにして、学問は連鎖反応的に繋がっていきます。
なぜなら学問とは脳の栄養だから、不足した栄養価(学問)を補おうとするためです。
この『ひとつの学問はすべての学問に通じている』という考え方は、ぼくが高校生のときに酸化還元反応式にハマっていて、化学の先生と話をしまくってたときに言われた言葉なんですよ。
蛇足ですが、熱心に話を聞くぼくの姿を見た先生が、定期テストの70%を酸化還元反応式にしてくれたのですが、そのときにはすでに熱意は冷めていて、全然点数が取れませんでした!(笑)
あとで、「あれだけ教えたのに何でだー!」とどやされましたが、「飽きたから勉強するのをやめました」と答えたところ悲しそうな目をされたというオチがあります。
好きなことを勉強していても、飽きたら忘れるんですね。
それはさておき、モンテッソーリ教育についてでした。
もしも勉強を教える立場の人や、勉強をしている学生の方は、頭のすみに入れておくと便利かもしれません。
教育及び勉強は楽しみながらやるのが理想ですからね。
イギリス在住のおばさんから、時々英語の手紙が届くのですが、海外に行ったこともなく、高校までしか英語を勉強してなかったので、英語を勉強し直します!