9 賊に追われて
アランは仕事で商家を訪れていた。売り上げ金の運搬、その護衛が今日の仕事だ。
袋が乗せられた馬車に、アランも同乗する。荷台には重そうな壺も置いてある。
「なんだ、酒か?」
「ちがうっすよ。種からとったオイルっす。大きな籠いっぱいの実から、コップ一杯しかとれない貴重なオイルなんすよ。これが高値で売れるんっす」
商家の若旦那であるカスパルが、大事そうに壺を抱えた。彼の父親が急に成り上がったせいだろう。若旦那という立場と言葉遣いが、噛みあっていない。
この町は治安がいいが、プーマラを出れば賊が出ることもある。中でも馬賊は厄介だ。平原を縦横に馬で駆け、強盗を働く。平和ボケしたプーマラの人間など、奴らの格好の餌食となるだろう。
今日はアランも剣の他に、弓矢を装備している。
「馬賊は元は、騎士だったというな」
「へー、そうなんっすか」
カスパルは暢気そうに馬車の御者席に座った。経費削減で、若旦那が自ら手綱を握るらしい。
なるほど。金を使わないから金持ちになるのだな、とアランは納得した。
「軍人とは違うんっすかね。騎士さまってのは」
「他国のことは知らんが、ウェドでは国や王に仕えるのが軍人。貴族の私兵を騎士と呼んでいるな」
「うちにも欲しいっすね。騎士さま」
確かに馬にまたがった騎士に守られる貴族は、前時代的ではあるが華やかだ。ただ商人を守る騎士がいるかどうか。
プーマラを過ぎると丘陵地帯が見えてきた。今日も雲を地上に降ろしたような羊の群れが、草を食べている。黒と白の毛並みを持つ牧羊犬が、地面に伏してあくびをしている。
「見晴らしがいい場所は安心っすよね。賊が隠れる場所もないっすからね」
「ああ。だが、見慣れない小屋があるな。以前通った時には、建ってなかったはずだが」
アランは真新しい木の小屋に目を向けた。羊小屋かと思ったが、窓には覆いが掛けられている。
それに風に乗ってくるにおいが、羊とは違う。
腰に佩びた剣にアランは手をかける。若旦那の鼻歌の向こうに、かすかに聞こえる音を拾おうと耳を澄ませた。
「急げ。若旦那。馬を走らせるんだ」
「えっ? なんで」
「いいから、早く」
アランは立ち上がり、バランスを取りながら鞘からすらりと剣を抜いた。同時に、小屋の引き戸が開き、馬が飛び出してきた。
馬賊だ。
ウェドでいうところの馬賊は、騎馬の盗賊だ。こちらも馬だが荷が重い分、機動力で劣る。
追いつかれるのは時間の問題だろう。
馬は三頭。どれも乗っているのは屈強な男たちだ。
予想通りアラン達の馬車はすぐに囲まれた。カスパルは声にならない悲鳴を上げて、馬を急がせている。
「こ、怖いっすよ」
「あんたのことも売上金も、俺が守る。馬車が脱輪しないように気を付けろ」
馬賊が走りながら矢を射かけてくる。荷は重いはずなのに、なぜか若旦那はひょいひょいと矢を避けながら馬を走らせた。
アランが見下ろすと、それまでのんびりとしていた若旦那の目が血走っていた。白い歯を見せて、にやりと不敵に微笑んでいる。
「脱輪? 誰に言ってるんっすか。峠のカスパルとは俺のことっす。振り落とされないでくださいよ」
「お、おい」
「しゃべると舌を噛むっすよ」
馬車は一気に速度を上げた。しかも飛んでくる矢を左右に器用に避けながら。
「峠のヘアピンカーブで鍛えた腕を、見せつけてやるっす」
「……馬でなく、馬車で鍛えたのか?」
そういえば峠の急峻なカーブを猛スピードで走る馬車を見かけたことがあるが。あれは暇を持て余したお坊ちゃんたちの遊びなのか。
放たれる矢を、アランは剣で叩き落とした。カスパルの技術は確かだ。速度は増しているのに、安定感がある。
「きっついカーブ、来るっすよ」
アランはうなずき、両足に力をこめた。馬車が斜めに傾く。片方の車輪は完全に地面から浮き、荷がガタガタと派手な音を立てる。それでも馬は荒い走りに慣れているようだ。
「奴ら、撒けたっしょ。俺、すごいっすよね」
「……まだだ」
急カーブのため、後方の視界は良くないが。蹄の音はまだ聞こえる。
「若旦那。あんたは先に進め。狙いは売上金じゃない」
「どういうことっすか?」
カスパルは声が上ずっている。手綱さばきは素晴らしいが、所詮は遊びで磨かれた技術だ。賊相手に通用するはずがない。
なのに、奴らは本気で襲ってはこない。
「こっちが囮ってことだろ。俺が奴らを引き付ける」
「え?」
「奴らは必ず俺を追ってくる。あんたはこのまま進むんだ。いいな」
「え、え? ええー? でも、もしこっちに来たら」
「案ずるな」
アランは馬車から飛び降りた。同時に荷台の壺を引き倒す。
ガシャン! 地面に落ちた壺が割れ、辺りに油が散乱した。
ねっとりとした油は、すぐには地面に染み込まず油膜となって浮いている。
牧草地の脇に続く低い石垣を走るアランの横で、馬が立ち往生する。
「お、おい。あいつを追いかけるぞ」
賊は馬の向きを変えようとするが、蹄がまき散らす油に気を取られた馬は、言うことを聞かない。
やはり追われていたのは自分のようだ。用心棒の仕事を妨害することで、アランがプーマラに帰るのを遅らせるつもりだったのだろう。
「目的は……あの子か」
どこで自分がソフィの保護者であると知られたのか。
「まぁ、馬鹿な地主の坊ちゃんのせいだろうな」
アランは、一気にプーマラに向かって駆けだした。
馬賊は騎士のなれの果て。こいつらが忠誠を誓った有力な貴族が没落した、またはいなくなったと考えるのが妥当だ。
「辺境伯の騎士か」
キルナ一族は滅亡した。残されたのはエルヴェーラと、辺境伯に仕える騎士だ。
馬賊の狙いは、エルヴェーラ。あの貼り紙もこいつらの仕業に違いない。
「俺が行くまで捕まるなよ」
アランは唇を噛みしめた。