7 自覚してしまった
夕食を取りながら、ソフィは向かいの席に座るアランをちらっと見た。視線を感じたのか、アランが顔を向けたのですぐに目を逸らしたけれど。
でも魚のスープを食べていると、ソフィもまっすぐに見つめてくる視線に気づいた。
スプーンを置いて顔を上げると、今度はアランが目を逸らしている。
普段と違い会話が少ない。どうしたんだろう。
アランが作ったスープは、いつもよりもハーブのディルがたっぷりで。というか大量にディルが入りすぎて、味が変わってしまっている。
「わ、わたし。パンを切るね」
全粒粉の入ったざっくりとした酸味のある丸いパンを抱え、ナイフを入れる。力が入ってしまったせいか、なぜか薄く切ったパンが、ぴょーんと飛んでアランの頭に落ちた。
「ご、ごめん」
「いや、構わないが。上の空だな」
ソフィは「うん」と短く答えた。伯父と姪は恋人にもなれないし、結婚もできないという事実が心に深く突き刺さっている。
アランはウェドの法律くらい知っているだろう。だからずっと好きだと言い続けても、本気にしてもらえなかったんだ。
(わたしが姪じゃなかったら、ちゃんと応えてくれたのかな)
そう考えて、ソフィは首を振った。姪じゃなかったら一緒に暮らしてもいないし、そもそも年の差がありすぎるからアランの視界にも入らないだろう。
けれど誰よりも近くにいられるのに、彼の一番になることはできない。その現実に心がじくじくと痛む。
「ごちそうさま……」
「おい、ソフィ。スープしか食べてないじゃないか」
「いらない。お風呂に入る」
「じゃあ、髪を……」
背中にかかるアランの声を振り切るように、ソフィは皿を手早く洗って、部屋の端に衝立を立てた。適温まで沸かした湯を楕円形の風呂桶に入れると、もうもうと湯気が立った。
食堂にカニを売りに行った時の、肉を焼いたにおいや野菜を炒めたにおいが、今も髪に残っている気がする。
それが鼻をかすめるたびに「叔父と姪とは結婚できないんだよ」というハンナの言葉が甦る。
ばさばさと乱暴に服を脱ぎ、石鹸を手にして風呂に入る。さらりとした髪に湯をかけ、石鹸を泡立てて洗う……のだが、なぜか指に髪が絡まってしまった。
「いたたっ。なんで?」
「どうしてちゃんとブラッシングしてから洗わないんだ? ソフィの髪は細いんだ。乱暴に扱ったら絡んだり、切れたりするぞ」
いつの間にか衝立のこちら側にアランが立っていた。ソフィは短い悲鳴を上げて、アランに背中を向けた。両肩を腕で抱いて、体を隠しながら。
「な、なんで入ってくるのよ」
「なんでって。普段から髪を洗ってやってるだろ。せっかくのきれいな髪なのに、お前に任せていたら傷むぞ」
「わたしだってもう大人だし、一人でできるもん」
「ふーん」
アランは冷めた目つきで、ぼさぼさになった銀髪を見据えた。
うう、視線が痛い。
「自分で扱えない髪なんて、もう切っちゃおうかな」
「ダメだ」
「だって人に髪を洗ってもらうのなんて、貴族の令嬢だけでしょ。わたしは庶民だもん、おかしいよ」
「令嬢扱いされていなさい」
アランはソフィの背後にひざまずくと、指で絡まった髪をほどいていった。濡れた髪をブラッシングするのも、よくないらしい。
「変なの。アランは自分の髪には無頓着じゃない」
「俺のは、ソフィみたいに綺麗じゃないからな」
「どうせ綺麗なのは、髪だけですよ」
「そんなことないぞ。ソフィは美しい」
ぱしゃん、と水音が立った。
ソフィは知らぬ間に体を隠す両腕を外していた。両ひざを抱えてうつむく。
「褒めてもらっても、意味ないもん」
アランに美しいなんて言われたら、昨日までの自分なら舞いあがっていただろう。でも、今は違う。美しいと褒めながら、アランはその手を離すに違いない。他の男子にソフィを託すために。
ひんやりとした泡を地肌に感じたと思うと、大きな手がソフィの頭の上で動いた。頭を洗っているのに、まるで撫でられているような心地になる。
ソフィの髪は長いから、洗ってもらう間にもアランの手が荒れるんじゃないかと心配になる。
何度も自分で洗髪するといっても、アランは絶対に聞き入れてくれない。これから冬に向かうのに。
「……本格的に寒くなる前に、プレゼントを買いに行かなくちゃ」
ぽつりと呟いた時、アランの手の動きが止まった。
◇◇◇
プレゼントって、誰のだ?
アランは思わずソフィの細い肩を掴んでいた。
驚いたように目を見開いて、ソフィが見上げてくる。額から流れた泡が、今にも蒼い瞳に入りそうだ。
慌てて指でその泡を押さえたが、それが間違いだった。
髪を洗っていたアランの指の方が、泡まみれだったから。ソフィは短い悲鳴を上げて、うつむいてしまった。
「す、済まない」
小さな桶に汲んである清潔な湯にタオルを浸し、ソフィの顔を拭いてやる。
「大丈夫。びっくりしただけ、そんなに痛くないから」
答える声はか弱い。まだ風邪が治り切っていないのだろう。なのにカニを売りたいからと、外出を認めてしまった。風呂だって今日は入らない方が、よかったのではないか?
温かな湯を頭からかけてやり、泡を洗い流す。驚いて言葉もないソフィには構わず、アランは大きなタオルでソフィに体を包んで抱き上げた。
「ア、アラン?」
「もう寝なさい。明日は学校を休むといい」
「平気だよ。熱もないし」
ソフィはアランの腕の中で暴れるが、二十歳も下の華奢な少女の抵抗など非力なものだ。
そうだ。ソフィはいつまでも幼い子どもなんだ。ずっとこの木々に囲まれた家の中にいればいい。令嬢に戻りたいなら、この俺がレディとして扱ってやる。
他の誰にも、ソフィをそんな風には……。
自分の考えに、はっとした。
(俺は何を?)
身の内で燃え盛る醜い感情の名前を知っている。嫉妬だ。
恋愛絵物語を愛読しているから分かる。
これは恋だ。
ヒーロー達がヒロインに対して余裕や冷静さを失う、あれだ。
タオルで包んだソフィを抱えたまま、アランは廊下で立ち止まった。
この先は寝室。素っ裸のソフィに寝間着を着せて、髪を乾かして寝かしつける。それは保護者が子どもにするのなら、問題はないが。
(今の俺がしたら、大問題なんじゃないか?)
窓の外から、風に揺れる木々の葉擦れの音が聞こえる。お前はどうするのだと問われているような気になった。
「アラン?」
湖のように深く蒼いソフィの瞳は、潤んでいる。
(この瞳に映るのは、俺だけでいい)
唐突に浮かんできた考えに、アランは自分でも驚いた。よく腕の中のソフィを落とさなかったものだ。
(唐突、なのか?)
いや、違う。認めていなかっただけだ。いつまでも子どもだ、この気持ちは家族愛なのだと感情に蓋をしていた。なのにソフィは他の男のために川に入り、熱を出したことで、蓋が外れてしまったんだ。
「どうしたの? アラン」
ソフィがアランに手を伸ばしてくる。薄暗い廊下でも、彼女の腕が仄白く見える。
どんなに鍛えてもアランのような筋肉は、ソフィにはつかない。しなやかな指がアランの頬に触れそうになった。
その時、アランはびくっと身をすくませた。
駄目だ。感情を押し殺せなくなる。
これまで自由に触れさせていた顔を横に向け、無言のままで寝室へと向かう。
「着替えが済んだら、呼びなさい。髪を拭いて乾かそう」
ソフィの返事を待たぬままに、アランは扉を閉めた。だから見えなかった。彼女が傷ついた表情を浮かべていたことに。
「……何なんだよ、これ。情けねぇ」
両手で顔を押さえて、ずるずると扉を背にしゃがみこむ。両手からはソフィと同じ石鹸の香りがする。
自覚なんかするんじゃなかった。
エルヴェーラをソフィとして育て、彼女が幸福を掴んだ時には笑顔で送り出す。
それがマクシミリアンの名を捨てた時に、選んだ道だ。
なのに……なんで彼女を手放したくないなんて思うんだ。