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5 伯父と姪

 いけない。早くカニを売らないと、鮮度が悪くなっちゃう。

 ソフィは、使命感に駆られて目を覚ました。


「あれ? なんでベッドで寝てないの?」


 枕が妙にごつごつしている。仰向けになった視界に映るのは天井じゃなくて、顎だ。それもひげの伸びかけた。


(待って、待って。落ち着こうか、わたし)


 自分に言い聞かせるが、心臓がうるさいくらいに脈打っている。

 ゆうべは熱を出して寝込んでいたはずだ。暖炉の前に布団を用意してもらって。で、水を飲んで、そのまま眠ったはずなのに。

 アランに膝枕をしてもらっていたなんて。しかもそれを覚えていないなんて。


「もったいなさすぎるっ!」


 自分でも気づかぬ内に声を出してしまった。いけない、いけない。静かにしないとアランが起きちゃう。


(ま、いいか。今から甘えればいいんだもんね)


 ソフィは、アランの太腿にそっと触れた。引き締まった筋肉が布越しでも分かる。


 うん、理解してる。こういうのにどきどきするのって、レディとして良くないって。よく説教されてるもの。

 でもね、アランは間違ってる。


(わたしは令嬢でも何でもないんだから。男性にときめいても、問題ないのよ)


 ふふふ、となれば……触りたい放題だ。

 笑いを噛み殺して、ソフィは体を起こした。アランの目が覚めないように、そーっと。

 指先で頬に触れてみる。まだひげを剃ってないから、ざりっとしている。母親のお兄さんだっていうのに、顔立ちも髪や瞳の色も自分とはまったく似ていない。

 きっとわたしは父親似なんだろう、とソフィは納得した。


 起きないよね、大丈夫だよね。

 息をひそめて身を乗りだして、ソフィは細いあごを上げた。


 小さい時は、たくさんキスしてくれたのに。もう大きくなったからと言って、いくらソフィがせがんでも、アランはなかなかキスしてくれない。

 起きてる時が無理なら、寝ているところを襲うしかないじゃない。そして今がその時。まさにチャンス到来。


(んー、あとちょっと。届かないー)


 首を伸ばしすぎて、亀になりそうだ。きっとあんまり美しい絵面じゃない。でも、こんなアランが無防備な機会を逃してなるものですか。

 アランの頬に唇が届くまで、あと少し。やっぱり瞼を閉じた方が、いいのかな。

 その時。いきなり、がしっと頭を掴まれた。


「何をしている?」

「あら」


 左手だけでソフィの頭を鷲掴みにしたアランが、呆れたような顔で見下ろしてくる。

 ああ、そんな蔑みの瞳も素敵。アランはどんな表情も絵になるわ、と思わず言いそうになってソフィは口を噤んだ。

 これじゃ、ただの変態だ。


「どうして病人が、伯父を襲おうとしているんだ? これが俺じゃなかったら、犯罪だぞ」

「犯罪じゃないもん。朝の挨拶をしようと思っただけだもん」

「じゃあ、おはよう」


 アランがにこやかな笑顔を浮かべた。早朝の木々の緑に染まった森の大気のような、清々しい表情だ。突然のことに、ソフィもつられて「おはよう」と返してしまう。

 すると、さっきまで爽やかだったアランの笑顔が一転、無表情になってしまった。


「ほら、朝の挨拶は済んだ。これで満足だろ。さっさと膝から降りろ」

「えー、なにそれ」


 離されるものかと、ソフィはアランにしがみつく。


「まぁ、元気になったのは分かった。それは良しとしよう。だがな、ソフィももう十三歳だ。いつまでも子どもみたいに甘えるものではない」

「子どもじゃないわ。恋だって知ってるもの」

「はは、どうせ恋をしてみたいって思ってるだけだろ」

「ちゃんと好きな人がいるわ」

「え?」


 アランの顔がこわばった。声も上ずっている。どうしたのだろう。ソフィがアランのことを好きなことくらい、重々承知しているはずなのに。


「テオドル……では、ないよな」


 何を当たり前のことを、と思ったから、ソフィはアランを睨み返した。アランは思いつく限りの学校の男子生徒の名前を挙げている。だが、ソフィがうなずかないので腕を組んでうつむいた。


 アランにしがみついたままの位置からは、彼が眉間にしわを寄せて考え込んでいる顔がよく見える。アランは笑顔も素敵だけど、苦渋を滲ませた表情も色っぽくてぞくぞくするのだ。


「保護者に言いたくない気持ちは分からないでもない。だがな、初恋というのは大抵叶わないものだ。だからな、深入りしない方がいい。あ、いや……すまん、言い過ぎだな」


 アランはため息交じりに首を振った。


「好きな奴にプレゼントを買うために、カニを捕って熱を出したのか。そんなにも好きなのか」

「うん」


 アランのことが大好き。初恋が叶わないなんて、そんなのはただの通説だから、自分に当てはまるとは限らない。


 ソフィは両親のことをまったく覚えていない。親がいなくて可哀想と言われることも多いけど、アランがいてくれるから全然寂しくなんかない。


 でもたった一つ、不安なことがある。

 アランがソフィを手放してしまうことだ。子どもはいつか自立しないといけないって知ってる。ふつうの親子ならそうだろう。


(でも、アランとわたしはおじさんと姪だもの。恋人同士にもなれるし、結婚だってできるんだから)


 ソフィの熱い決意に気づかぬアランは、なぜか顔を青くしている。

 しかも「……それほど……なのか」と、意味の分からないことをぶつぶつと呟きながら。

 アランは天井を仰ぎ、肩を落とした。


「あのな、ソフィ。最近、体を鍛えていないよな。それは好きな奴よりも強くなると困るからか?」

「え? 面倒なだけよ。それにアランより強い人なんて、そうそういないわ。安心して」

「いや、安心とかじゃないだろ。俺は仕事があるから、常にソフィの側にいて守ってやれるわけじゃないぞ」


 うーん、なんだか話が噛みあっていない気がするけど。でも、こんなにぴったりとアランにくっついても「離れろ」って言われないなんて珍しいから。このままでいいや。

 ソフィはアランの胸に頬を寄せた。


「俺は、お前に強くなってほしいんだ。誰が襲ってきても逃げ切れるくらいにな」

「アランって、昔からそればっかりね。まるでわたしが襲われることが前提みたい。プーマラにいれば問題ないわよ」


 地方都市のプーマラは落とした財布が中身もそのままに戻ってくると言われるほど、治安がいい。王都や辺境の地には軍隊が常駐しているけれど、プーマラで軍人を見かけたことはない。

 牧羊が盛んで、川や湖では高価なカニや魚、ベリーやキノコがたくさん採れる。ウェド王国の中でも豊かな地だ。

 しかもそのキノコが、これまた高く売れる。

 秋が深まれば、森に入ってキノコを大量に採って来ようとソフィは計画を立てた。


「俺だって、いつまでもこのままでいたいさ」

「え?」

「いや、なんでもない」


 アランが、ソフィを布団ごとぎゅっと抱きしめた。

 珍しすぎる行動に、ソフィは驚いて身じろぎしたが。アランは腕の力を緩めようとはしない。

 だから、深く考えないことにした。


 ◇◇◇


 午後になり、もう外出してもいいと許可をもらったソフィは、さっそくカニを売りに行った。

 バケツの取っ手は壊れてしまったから、両腕で抱えながら足早に進む。

 家を取り囲む木々を抜けると、突然視界が開けた。眩しさにソフィは目を細める。のんびりと羊が草をむ丘を横目に、町の中へと入る。


 プーマラの町で一番高級な食堂にカニを持ち込むと、希望通りの値段で買い取ってくれた。これで手袋が買える。もうアランの手がかさついたり、荒れたりしない。

 そう考えると、思わず笑みが洩れてしまった。


 厨房からは野菜を炒めた甘い匂いと、肉を焼く香ばしいかおりが漂っている。そのにおいをまとわせながら、たゆんと胸と腹を揺らしながら女性が現れた。


「おや、ソフィじゃないか。なんだい、カニを売りに来たのかい」

「ハンナ」


 ちょうど卵の納品の時間だったのだろう。卵売りのハンナが、窮屈そうに体をひねって戸口から表へ出た。

 手には空の木箱を持っている。


「なんだい、機嫌よさそうだね。いいことでもあったのかい」

「アランのプレゼントのお金が貯まったの。ね、ハンナ。これでもっとアランはわたしのことを好きになってくれるかしら」


 勢いこんで問いかけると、ハンナは首を傾げた。その表情は明るくない。どうしたんだろう。


「まぁアランは関係ないだろうけどね。プレゼントで男の気を引くのは、あたしゃ感心しないね。女は男に尽くしすぎちゃいけないんだよ。あたしの若い頃なんざ、男の方が贈り物を持って列になっていたもんさ」

「すっごーい。さすがハンナね」


 腹回りにたっぷりと肉のついた今の姿からは想像できないが、ハンナは娘時代は相当もてたのだと聞いたことがある。もちろん、ハンナ自身から。


「でも、どうしてアランは関係ないの?」

「んー、あんたにとっちゃ家族であって、男じゃないからさ」

「……男性だよ?」

「そういう意味じゃなくってさ。ほら、伯父と姪だから恋人にもならないし、結婚もすることがない関係ってことさ」

「えっ?」


 ハンナの言っていることが、理解できなかった。彼女はまだ若かりし頃の栄光を語り続けているが。ソフィの耳をただ滑っていくだけで、どんな言葉も頭の中に入ってこない。


(待って、違うよ。わたしはアランの恋人にしてもらうの、お嫁さんになるの。小さい頃から、ずっとそう決めてたんだもん。アラン以外に好きな人なんていないもの)


 確かめなくちゃ、きっとハンナは勘違いをしているんだ。

 コインをじゃらじゃらと鳴らしながら、ソフィは家へと急いだ。

 だから気づかなかった。店の壁に貼られた一枚の紙に。


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