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2 そもそも付き合ってないし

 十三歳になったソフィはスカートをたくし上げて、川に入っていた。川といっても清流ではない、茶色く濁った泥の川だ。

 ソフィは流れに沈めたかごを、そーっと引き上げた。丁寧に、獲物を驚かさないように。


「ふふふ、大漁、大漁」


 かごの中には大きな泥ガニが二匹入っている。名前はひどいけれど、泥を抜いて赤くなるくらいまで茹で、バターとレモンをかけて食べると、身が詰まってしっとりとした爪の肉は極上の美味なのだ。

 ああ、考えただけでよだれが……。


「いけない。自分で食べちゃ、儲けが出ないじゃない。高級なお店に売ってこそなのよ」


 アランとの生活は決して裕福ではない。なのに彼はお給料が入るとソフィに勉強の道具や服を買ってくれる。

 自分の妹の娘だという理由で、アランはソフィにとても良くしてくれる。

 三十三歳でもかっこよくて、もてるのに。本人にその自覚がなくて無防備だから、本当に困る。


 ――俺なんか、むさくるしいおっさんだぞ。


 なんて言ってるけど。無精ひげも剃って、寝ぐせのついたままじゃなくて、ちゃんと髪を整えたら、艶のある黒髪だって映える。

 アランは「おっさん」じゃなくて「おじさま」なのだ。本人は分かってないけど。


「おーい、ソフィ」


 泥カニをかごから出していると、岸から声をかけられた。

 同じ学校に通う――といっても教会の柱廊や空いた部屋が校舎代わりだ――テオドルが立っていた。


 たくましいアランと違い、ひょろとしたテオドル。用心棒なんて物騒な仕事をしているから、体中傷だらけのアランと違い、お坊ちゃん育ちのテオドルは肌もすべすべ。

 ふん、男の色気っていうのは、そういう繊細さじゃないんだからね。


「はっきり言うぞ! 今後ぼくにつきまとうなよ。ぼくは君との交際を解消する!」

「はぁぁ?」


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。テオドルと付き合ったことなんて一度もない。っていうか、こっちから願い下げだ。


「ちょっと銀髪がきれいだからとか、色白だからとかって思い上がらないでくれよ。あとな、逆恨みしてアランに言いつけるなよ」

「わたし、あんたと付き合った記憶はこれっぽっちもないけど」

「知ってるんだからな。店で、俺のためのプレゼントの品を選んでいただろ。それも何日も通って吟味して」


 なに言ってんだ? この坊ちゃん。

 確かにプレゼントを捜してはいるけど。それはアランのためであって、決してテオドルのためではない。


 ソフィの暮らすプーマラは地方都市で、野菜や果物はよく店に並んでいるが、贈り物によさそうな洒落た品物は数が多くない。だから新商品が入荷しないかと、毎日店に通っているのだ。


「まったく困るんだよ。誰からぼくの誕生日を探りだしたのさ。そもそもこんな田舎町に、ぼくに似合う品があるわけないだろ。それもはした金程度でプレゼントを買おうだなんて、おこがましいよ」

「……あんた、誕生日が近いの?」


 初耳だ。ソフィが覚えているのはアランと、友人の誕生日だけだ。自分の誕生日は、まぁ別にどうでもいい。


「白々しい。どれほどぼくのことを好きかしれないが、しつこくされるのは嫌いなんだ」

「いや、だから。わたしもあんたのこと嫌いだから、お互い様でしょ」

「君は素直じゃないからね。すぐにぼくのことを嫌いって言って、気を引こうとする。そんなところも、あざといよ」

「本当に嫌いなんだって。交際していた事実なんてないでしょ」

「この間、一緒に図書館に行ったじゃないか」


 そりゃ行くよ。学校の課題を仕上げるために、班の皆で資料を借りに行ったよね。


「それに登下校も一緒だ。偶然にしては毎日、ぼくのことを追いかけてるだろ」


 そりゃ道と時間が同じなら、たいていの生徒と毎日一緒になるよね。あんたの方が朝も帰りも少しだけ早いから、わたしの前を歩いてるだけじゃん。

 それだけのことで付き合ってるってなるなら。


 訳分かんねぇーーー!


「まぁでも、ぼくは紳士だからね。川に落ちた君を嘲笑うことはしないであげよう」

「別に落ちてないし」

「そんな強がりを言って。ああ、ぼくが君を嘲らないくらい優しいからって、付きまとわないでくれよ。本当に困ってるんだから」


 テオドルの頭の中には、どうやら格段にポンコツの翻訳機能が備わっているらしい。だから、こいつ成績がひどいんだ。家庭教師も教育に手こずっているだろう。というか家庭教師をつけてるのなら、学校に来る必要もないのに。人の倍は勉強しているはずなのに、なんでいっつも成績が最下位なのか理解した。


 テオドルを無視して、ソフィは岸に上がる。泥水のついた足を、どこかで洗わないと。このままではサンダルも履けない。


「それにしても汚いものを拾って」


 テオドルは顔をしかめると、貴重な泥ガニのかごを足で蹴って川に落とした。

 かごは、とぷんと澱みに沈んでいく。


「なっ! なんてことを。なんで蹴るのよ」

「だって掴んだら、手が汚れるだろ」


 あの二匹が売れれば、アランのプレゼントを買うことができるのに。罠を仕掛けてから十日間、泥だらけになりながらも川に入って餌を何度も入れ直したのに。


 あったまきた! 許せない。

 ソフィはテオドルに体当たりした。力任せに彼を突き飛ばし、かごを拾うために川へと向かう。だがすぐに銀色の髪を引っぱられた。


「生意気な女だ!」

「触らないでよ。汚らわしい」

「汚らわしいのはお前の方だ。ぼくは地主の息子なんだぞ」


 知るか、そんなもん。

 テオドルに回し蹴りをお見舞いする。驚いたテオドルが手を離し、ソフィの銀の髪が光に煌めきながら、なびいた。

 泥水が跳ね上がり、テオドルの白いシャツにしみを作った。


「男に襲われそうになったら、相手が油断している内に攻撃するんだぞ」と、アランから習った技だ。日々、藁をぎゅうぎゅうに詰め込んだ袋を木の枝に下げ、特訓した甲斐があった。


「うぐっ……ぐふぅ」


 地面に倒れ込んだテオドル。でも、そんなのどうでもいい。大事なのはカニよ、カニ。

 茶色く濁った川に手を突っ込み、かごの在処を探る。


「あった」


 よかった。蓋は開いているけれど、かろうじてカニは中に留まっている。これでプレゼントが買える。アランの喜ぶ顔を見ることができる。

 このプーマラの冬は厳しいから、秋の内に手袋を買いたいのだ。


 アランは毎年、ソフィのマントと手袋を買ってくれる。彼自身は鍛えているから平気だと言って、冬でも手袋をはめないけれど。

 手を繋げば、とても冷えきっているのを知っている。

 だから仕事用に革手袋と、普段用に毛糸の手袋が必要なのだ。


「よかった。ね、アラン」


 もはや二匹のカニは、二種類の手袋にしか見えない。


「ソフィ、このままで終わると思うなよ。おい、お前」


 びっくりするくらい陳腐な悪役のセリフを吐きながら、テオドルが立ち上がった。誰かを呼ぶように顎をしゃくると、茂みから一人の男性が立ち上がった。


「なんで……ここに」


 ソフィは目を丸くした。仕事に行っているはずのアランが、テオドルの横に立ったからだ。


「今日は俺の護衛が、お前の伯父なんだよ。こんな木偶でくの坊を雇ってやってるんだ。ありがたく思え。おい、木偶の坊。その娘をやっつけろ」


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