14 恥ずかしさで
ソフィたちの暮らす家は小さく、二人とも持ち物が少ないから狭さを気にしたことはないが。さすがにグンネルに泊まってもらうための部屋はない。
「んー、しょうがないわね。町で宿をとるしかないかな。明日お邪魔させてもらうわね」
カスパルに途中で馬車を停めてもらい、不本意そうにグンネルは宿に入っていった。
背筋の伸びた彼女の後ろ姿が扉の向こうに消えて、ソフィは安堵の息をついた。彼女のおかげで助かったのは事実だけれど。一緒にいると息が詰まってしまう。
アランもそうなのか、肩を落としてうなだれている。
「嵐みたいな奴だったな」
昔と変わらずに? そう尋ねてしまいそうになって、ソフィは慌てて口を噤んだ。
――あんたに妹や姪がいたなんて。
グンネルの言葉が、いつまでも耳から離れてくれない。
(ねぇ、わたしはアランの姪じゃないの? アランは本当はマクシミリアンって人なの? もし……他人なのだとしたら、どうしてわたしを育てたの?)
尋ねたいことはたくさんある。なのに、口にするのが怖い。
家を取り囲む木々の前で、ソフィたちはカスパルの馬車を降りた。
アランの熱は下がったようだが、足取りはまだふらついている。落ちた枯葉を踏む音が、やたらと大きく聞こえる。いつものように規則正しい足音ではなく、よろけない様に一歩一歩地面を踏みしめる歩き方だ。
ソフィは慌てて彼の体を支えた。
「俺は平気だぞ」
「平気じゃないもん。また倒れるかもしれないもん。グンネルさんに襲われちゃう」
「襲う? なんであいつ……いや、あの人が?」
きょとんとした表情を浮かべるアランを、ソフィは唇を引き結んで見上げた。
「……キスさせて」
自分でも唐突なお願いだと思う。でも、不安でしょうがないのだ。
「は? なんで?」
「だってグンネルさんは吸引力の強そうなキスをするもの」
アランは目を丸くしている。
あれが瞼へのキスだから、ふわっとしていたんだろうけど。もし口へのキスだったら、アランの唇は腫れ上がるに違いない。
「だーかーら、わたしもキスするの」
「わたしも、ってのが訳分からんが。また、ソフィからなのか?」
「え?」
尋ねられた言葉の意味は、一拍遅れてソフィの頭に届いた。
まさか、まさか。この間、アランにキスをしたのがばれていたの? 起きてたの?
ソフィは顔を真っ赤にした。首も耳も赤く染まっている。
「どうした? するのか、しないのか?」
真顔でアランが覗きこんでくるけど。これは絶対に面白がっている。
「あ、あの」
「なんでこんなおっさんにキスしたいかなー」
「だって、好きなんだもん! 毎朝、毎晩抱きついて、キスしたいんだもん」
大声で告げると、今度はアランの頬が染まった。「お、おう……そうか」という声が上ずっている。
琥珀色の瞳は揺れ、ソフィと目を合わせようとしない。
「まぁ、その、なんだ。やはり男手一つで育てたせいかな。普通恋愛小説のヒロインは、自分から男を押し倒したりしないぞ。もっとこう……レディとして然るべき振る舞いをだな……」
「じゃあ、アランからして。レディなら自分からしないんでしょ」
思わぬ方向転換だったらしい。アランは「ぐっ」と息を呑んだ。
「……どうすりゃいいんだよ」
「アランがしゃがむの! わたしが背伸びしても届かないんだもん」
「頬でいいよな。それともおでこか?」
「唇一択で!」
こっそりとキスしたのがばれたことが、あまりにも恥ずかしすぎて。ソフィは普段以上に大胆な行動に出た。そうでもしないと、恥ずかしさで死んでしまいそうだ。
もう心臓はばくばくで、頭に血が上りそうで、耳は千切れそうに熱いし、暴走する自分を止めることができない。
アランは深いため息をつくと、ソフィの前にひざまずいた。同じ高さになる顔。疲労のせいで、少しこけた頬が妙に色っぽい。
アランが身を乗りだす。ソフィは思わず後ろに下がった。背中が木の幹にあたり、そこからは動けない。
枝から葉がひらひらと落ちてくる。その葉が肩に触れただけで、ソフィはびくっと身をすくませた。
「困ったお姫さまだな。怖いんなら、やめておくぞ」
「や、やめない。ここで逃げたら、一生後悔するもん」
「……声が震えてるぞ」
「寒いだけだもん」
自分がせがんだのが、家族としてのキスじゃなくて男性からのキスであることを自覚して、ソフィはアランの顔を見ることができなかった。
強く瞼を閉じて、拳を握りしめる。
「自分から言いだしておいて、馬鹿だな」
髪に触れられたのが分かった。ソフィが目を開くと、アランは手にしたソフィの髪にくちづけていた。
伏せた瞼、意外と長い睫毛。ソフィの視線に気づいたのか、アランが膝をついた状態で見つめてくる。
「今はこれで許して頂けますか? 俺だけのお姫さま」
しっとりとした声で囁かれ、ソフィは頭が沸騰したような気がした。きっと両方の耳から湯気が出ていることだろう。
「今は……」って、それって。
くらくらと眩暈を起こしたソフィは、その場にしゃがみ込んだ。
アランは軽々とソフィを横抱きにすると、木々の間を抜けて家へと向かった。
まるで髪に神経が通っているかのように、キスされた場所を過剰に意識してしまう。
逞しい彼の首にしがみつくと、薬草のにおいを感じた。
(アランは怪我したばかりなのに……わたしの馬鹿)
いたたまれなくなったソフィは、アランの胸に顔を埋めた。
そういえば、まだ手袋を買っていない。




