13 不信感
「ありがとう、ソフィ。手当てを……してくれたんだな」
胸から胴にかけて包帯を巻き、肩からシャツを羽織ったアランは、ベッドで上体を起こした。
傷が痛むのだろう。声がかすれている。
無力な自分ではアランを救うことができない。ソフィは唇を噛みしめ、瞼を閉じた。
だがすぐに明るい笑顔を浮かべてみせる。アランに心配も迷惑もかけたくないから。
「アラン、守ってくれてありがとう。それに手当てをしたのは、わたしじゃなくて通りがかりの女の人なの」
「じゃあ、礼を言わないとな。でもその女性がたまたま教会を訪れたってわけではないんだろ。ソフィが外に出て医者を呼びに行ってくれたんじゃないのか? この時間ならあの医者は往診中だろうが」
「お見通しね」
へらっと力なく笑ったソフィの頬を、アランの大きな右手が包む。ソフィは自分の小さな手を添えた。
もっと大人になりたい。人生経験も積んで、アランの支えになりたい。グンネルのように、怪我を見ても動じることなく人を助けられるようになりたい。
「……ごめんね、子どもで。わたし、守られてばかりだね」
「俺がいる時くらいは、守られていなさい」
優しい命令だった。
(でも、いない時だって飛んできてくれたじゃないの)
頬に触れていたアランの手が、ソフィの後頭部に回された。愛おしむように銀髪を指ですくい、そのままゆっくりと引き寄せられた。
アランの胸にもたれかかると、薬草のにおいとざらついた包帯の感触がした。グンネルのキスが脳裏から消えてくれない。今すぐにも消してしまいたいのに。
ベッドに座った状態で、ソフィはアランにしがみつく。背中に手を回さないように気を付けながら。
その時、アランが小さく笑みをこぼした。
「な、なに?」
「俺にもしものことがあったらって、怖くなったのか? まぁ、普段よりはおとなしいけどな。これまでなら『アラン、死なないでー』と大騒ぎしながら、包帯の上から怪我を力任せに押さえつけてただろ。あれは二重に痛いんだぞ」
うっ、そんなことしてたかな。いや、それ以上のこともしてたかも。風邪をひいて熱のあるアランの額に、びしょ濡れの布を載せたことがあるような、ないような。
過去を振り返ると、ろくなことがなさそうだ。
風に乗って、窓から枯葉が舞い込んだ。カサカサと乾いた音を立てながら、茶色い葉が床を滑る。床に落としたはずの薬草の袋は消えていた。グンネルの姿もない。
「いつまでも、このままでいたいな」
「……俺は家に帰りたいぞ。教会のベッドは硬い」
「そうじゃなくて」
アランの腕の中にいるのが当たり前であってほしい。もし彼の瞳がグンネルだけを映すようになったら、もうソフィにはあの家に居場所がない。
「わたしは、アランの……」
「ははーん、腹が減ったのか。ソフィは大食いだからな。俺の分の飯も寄越せとか言うなよ」
からかう口調で、アランは言葉を被せてきた。なのに彼の胸に押し付けられたソフィの耳は、その鼓動の速さを聞き取っていた。
まるでソフィがその先を話すことを恐れているみたいだ。
コンコンと開いたままの扉をノックして、グンネルが室内に入ってきた。手には薬湯の入った器を持っている。流れてくる湯気の匂いは、甘苦い。
「お久しぶりね、マクシミリアン」
一瞬にして、アランの体がこわばるのが伝わってきた。ソフィが顔を上げると、彼の琥珀の瞳は凍ったように冷たい。
「元気とは言い難いけど、無事でいてくれて嬉しいわ」
「人違いなのでは? 俺はアランだ」
「そうね、アランって呼ばせてるのね。そちらのお嬢さんは姪だと聞いたわ。私、知らなかったわ、あんたに妹や姪がいたなんて」
「あなたが手当てをしてくれたのか。ありがとう。だが初対面のあなたが、俺の何を知っているというんだ」
険悪な雰囲気に、ソフィはおろおろとアランとグンネルの両者を見遣った。
アランはぶっきらぼうだし、粗雑なところがあるけど。初対面で親切にしてくれた人に、こんな無礼な態度をとるとは思えない。
キスのこといい、二人ともとても不自然だ。それに薬湯は長時間煎じないといけないと聞いたのに。グンネルはたいして時間をかけていない。
(邪魔なんだ、わたし)
居たたまれなくなったソフィは「外に出てるから」と立ち上がった。
「ここにいてくれ」
だが腕をアランに掴まれ、立つことも叶わない。指先が肌に食い込むほどの力強さだ。
「でも……わたしがいたら、話ができないでしょ」
「たとえソフィを邪魔者扱いする奴がいたとしても、俺にとってのソフィはそうじゃない」
部屋から出ていくつもりだったのに、ソフィは結局アランの腕の中に閉じ込められてしまった。まるでそこが彼女の居場所であると、アランはグンネルに示しているかのようだ。
(おかしいよ、アラン)
仲の良い伯父と姪であることを見せつけるような態度を、アランは滅多にとらない。普段は、むしろソフィが甘えすぎることを嫌がるほどなのに。
「ご両親が知ったら驚くでしょうね。あんたに妹と姪がいたってことと。別人になって生活してるってこと。もうずっと実家に帰ってないんでしょ。顔を見せてあげなさいよ」
「妙なことを言わないで頂きたい」
グンネルの言葉に、アランは眉間に深い皺を刻む。そしてソフィを抱きしめる腕の力も、ますます強くなる。
「あれから十三年か。あんたも誰かを育てるくらいには大人になったってことよね。木の蔓にぶら下がって湖に落っこちたり、積もった雪の中をざかざかと歩いて迷子になってたのが、遠い昔のことみたいだわ。あんたが熱を出すたびに、この薬湯を煎じてあげたっけ」
「……勘違いではないですか」
取りつく島のないアランに、グンネルは肩をすくめた。それでもその瞳の鋭さは、アランから真実を引き出そうと画策しているようだ。
怖い。有無を言わせない彼女の迫力が。年の差もあるけれど、それだけじゃない。クラーラのお母さんや、卵売りのハンナとは明らかに違う凄みが、グンネルにはある。
「まぁいいわ。あんたも家に帰って休みなさいよ。私もついていくわ。姪御さんからお招きを受けたからね」
「は?」
「ちゃんと馬車もあるのよ。カスパルと言ったかしら、彼が送ってくれるらしいわ」
「待て、何を勝手に。カスパルは関係ないだろ」
身を乗りだすアランに向かって、グンネルは「ふふん」と顎を上げて笑った。
「それでいいのよ。他人行儀なあんたなんて、気持ち悪いものね」




