1 アランとソフィ
「一人残らず殺しなさい。子どもであっても容赦してはならない」
血まみれの女王との異名を持つグンネルが、血と脂でてらてらと光る剣を掲げた。
すでに何人の命を奪ったのか、彼女の剣は刃こぼれしている。顔にも体にも返り血を浴びて赤く染まっているが、豪奢なシャンデリアの下に凛と立つ短い金髪を輝かせるグンネルは、まるで戦女神だ。
その凄惨な美しさに、黒髪のマクシミリアンは思わず立ち止まってしまった。
今夜は、ウェド王国に対し造反の気配がある辺境伯一族の討伐が任務だ。辺境伯に仕える騎士の多くは、祝典に出席するためにこの地を離れている。無論、軍が仕組んだことだ。
「マクシミリアン。なにをぼうっとしているの。二階をもう一度確認しなさい。誰か隠れているかもしれない」
「ですが、グンネル。もう上の階には誰も」
「数が足りないのよ」
マクシミリアンの答えに、グンネルは血がこびりついた指を折って数を数えて見せた。辺境伯であるキルナ夫妻に息子が二人、そして生まれたばかりの娘と乳母。キルナ伯爵の弟とその妻。
「こいつは違う。こいつもね」
グンネルは床に転がった護衛や使用人の体を、足でどけた。面倒くさそうに眉間を寄せながら。
「ここに集めたキルナ一族は七体。ほらね、赤子が足りない」
「エルヴェーラ嬢、ですか」
「令嬢っていっても、まだ一歳にも満たないけどね。でも、赤子だって自分の親兄弟の命を奪われたと知れば、長じてから厄介な存在になる。親族に担ぎ上げられて、我らが仕えるウェド王に反旗を翻すかもしれない。禍根を残すわけにはいかないのよ。乳母が守っているだろうから、決して逃がしてはならないわ。伯爵の妻の一族、それに弟の妻の一族も、子どもも含めてきっちり殺しておくべきね」
「……ですね」
「一人罪あれば、三族に及ぶ。当たり前のことよね」
マクシミリアンは、うなずくしかなかった。同じ二十歳で同期のグンネルの出世が早いのは、容赦がないからだ。
マクシミリアンの上官である小隊長がグンネル。かつては彼女に敬語を使うことなどなかったのに。
そう遠くない未来に、二人の差はもっと大きく開くだろう。先に進んでいく彼女の背中を追いかけようとは思わない……などと言ったら、怠慢だと叱られるだろうか。
階段を上がったマクシミリアンは、部屋の一つ一つを確認していった。どの部屋も棚などの戸は壊して開けられ、床には調度品の破片が散乱している。寝台には剣を突き刺した跡があり、破れた枕から白い羽毛が散っている。
「ひでぇもんだな」
マクシミリアンが聞いた情報では、キルナ辺境伯はウェド王国の機密を隣国カシアに洩らし、かの国の侵入を手引きしようと画策していたらしい。
扉が蹴破られた部屋に入る。床の血だまりに顔をしかめながら、せめて臭いを逃そうと窓を開く。
戦いは好きじゃない。はっきり言えば大嫌いだ。軍の人間が発していい言葉ではないが。
その時、誰かがドアの陰から駆けだした。
「おいっ!」
声をかけると、そいつは立ち止まった。女だ。マクシミリアンをじっと見据えたかと思うと、黒いスカートを翻し、廊下を駆け抜ける。銀の髪と黒い服の対比が目に焼きついた。
「待てって。そっちに行ったら……」
伸ばしかけた手を、マクシミリアンは止めた。
(そっちに行ったらって、なんだ? 殺されちまうから、ここに残れって俺は言いたいのか? 任務で来ているっていうのに、小隊長の命令を無視するのか)
女は一気に階段を駆け降りる。
「ダメだ、行くな」
そんな目立つ逃げ方をしては、生き延びることなんかできるはずもない。
考えはすぐに的中した。階下から聞こえる絶叫、それも何度も何度も。マクシミリアンは耳を塞ぎたくなった。
王を、王国を守るためとはいえ、人を殺せば殺すほど地位が上がっていく。
別に軍人になりたかったわけじゃない。体格が良く、力が強くて子どもの頃から剣を習っていた。ただ己の能力を生かせる場が、他になかっただけだ。
ドアが開いたままの部屋のカーテンが、夜風に揺れた。
「おい、嘘だろ。なんてモンを残してくんだよ」
マクシミリアンは呆然と立ち尽くした。自分が目にしているものが、信じられなかった。
カーテンの陰にひっそりと置かれたゆりかごの中では、赤子がすやすやと眠っていた。銀色の髪に、ふくふくした血色のいい頬。
赤子の体にかけられた柔らかな布に、エルヴェーラとの縫い取りが見て取れた。
そして「どうかお嬢さまをお助け下さい」との走り書きのメモも、布と一緒に置かれている。
よほど慌てて書いたのだろう。その字は乱れ、机にはインク瓶が倒れて、青い液体が床にしたたり落ちている。ぽとり、ぽとりと音を立てる雫が、女の涙のように思えた。
「あいつ、乳母だったのか」
乳母ならば、実の赤子がいるはずだ。なのに彼女は仕えるお嬢さまを守るために、あえて目立つように駆けだした。自分に目を引き付けるように。一緒にいても守り切れないから。
マクシミリアンは頭を抱えた。
メモを掴んだ時にインクに触れてしまったのだろう。革手袋には青い色が染みついていた。
感傷的なのは嫌いだ。赤ん坊の扱いなんて分かりゃしない。それにこんなモンを抱え込んだら、とんだ裏切り者扱いだ。自分の首が刎ねられても文句も言えない。
「ただの赤ん坊だぞ。しかも国に謀反を起こそうとした裏切り者の娘だ。いくら乳を与えていたからといって、そこまで忠義を尽くす理由が分かんねぇ」
分からないのは、自分が父になったことがないからなのか。兄はいるが弟妹のいないマクシミリアンには、幼い者を守ろうという気持ちが理解できない。
「……ふっ?」
突然、エルヴェーラが瞼を開いた。空を映した湖のような清らかな蒼い瞳。その澄んだ目に、戸惑うマクシミリアンの姿が映っていた。
エルヴェーラの顔が歪む。次の瞬間、彼女は目に涙をためた。慌ててその小さな口を、マクシミリアンは手で押さえる。
「泣かない、泣くんじゃないぞ。いい子だからな」
怖い顔をしたらきっと大声で泣くだろう。これまでの二十年で、一番優しい表情を顔に張り付けてみる。
にこにこにこ。さらに、にこにこ。もう一つにこにこ。笑顔は無料だ。いくらでも与えてやる。
顔がこわばるが、しょうがない。常に笑顔でいるヤツってのは、顔の筋肉が鍛えられてんだなと実感した。
泣くなと何度も念じながら微笑み続けると、エルヴェーラもつられたのか、ふわっと笑みを浮かべた。
「よし、上出来だ」
「何が上出来なんだ?」
突然背後から声をかけられ、心臓が止まりそうになった。カーテンを元に戻して、ゆりかごを背後に隠しマクシミリアンはふり返る。
入り口には隊の仲間が立っていた。
泣くなよ、絶対に泣くなよ。ここがお前の運命の岐路なんだ、っつってもそんな難しいこと分かりゃしないだろうけど。
生きたいなら、静かにしてやがれ。
心の中で必死に念じつつも、仲間には素知らぬ顔をする。
「乳母が見つかったんだと。辺境伯の娘の居所を吐かないから、グンネルが殺しちまった」
「……そうか」
「小隊長のことをあれこれ言うのは、どうかと思うんだが。グンネルは躊躇がないのな。娘の情報を出さないなら、まずは乳母の指、そして腕を……な」
顔を歪ませながら言葉を濁す彼の様子に、マクシミリアンは心をざらついたヤスリで擦られたような気持になった。これを胸糞悪いというのだろうか。
「この部屋には、娘はいないようだ」
「そうか。じゃあ、俺は別の場所を捜すな」
仲間が確実に遠くに行くのを確認してから、マクシミリアンはそーっとカーテンをめくった。
エルヴェーラは眠っていた。思わず安堵の息がこぼれる。
乳母の名前をマクシミリアンは知らない。この子の記憶にも残らないだろう。
だが、このエルヴェーラは乳母が命を賭けても守ろうとした存在なのだ。辺境伯が裏切り者とか乳母にとっては関係なかったのだろう。このお嬢さまこそが、大事だったのだ。
ならばその遺志は受け継ぐべきではないか。
「しょうがない。誰か次の奴がこのレディを引き取ってくれるまで、俺が面倒みてやるよ」
白くてふっくらとしたその頬に触れようとしたが、マクシミリアンは手を止めた。
こんなにも薄汚れて、血にまみれた手で触れていいとは思えなかったからだ。ふいにエルヴェーラが瞼を開いた。深い蒼の瞳に、とまどったマクシミリアンの顔が映っている。
柔らかな穢れのない指が、マクシミリアンの長い指を掴む。だから慌てて手を引いた。自分の手は汚れ、爪の間まで血がこびりついている。
その血は、エルヴェーラの親族のものだ。
「俺なんかに守られるのも、嫌だろうけどな。我慢してくれよ」
ゆりかごからエルヴェーラを抱き上げ、マクシミリアンは窓枠を乗り越えた。木の枝と幹を伝い、下まで降りる。庭には茂みがあり柔らかな下草も生えている。
しばらくなら夜露もしのげるだろう。
屋敷の中では、まだエルヴェーラを捜す声が聞こえている。
こんなことをして、いいはずがない。自分の生活、いや人生そのものを投げ出すようなものだ。けど、乳母はこいつに人生を捧げたんだ。
「覚悟……か」
マクシミリアンは今出てきたばかりの、カーテンのはためく窓を見上げた。
二度とあの場所には戻れない。俺もお前も。
腕の中の小さくて温かなエルヴェーラを、きゅっと抱きしめる。
その夜の任務を最後に、マクシミリアンは軍を辞めた。住処と仕事、そして名前を変えて。
存在しない妹の遺児ソフィを育てる、用心棒のアランとして生きることを決意した。