夏のあたしと、夏の君
ピピピピッ、ピピピピッ________、
高校生になってから買った薄い水色の目覚まし時計で目を覚ます___、
「日茉梨ー!?おきてるー?」
わけもなく、今日も母の声で飛び起きた。
「ハルは?」
階段を降りでリビングに入ればパンが焦げた匂いがした。
「朝練だからもう出たわよ。朝ごはん早く食べちゃってよ。」
テレビからお天気お姉さんの明るい声が聞こえる。
窓からは明るい日差しが差し込んでいた。
顔を洗って鏡を見ればいつもと変わらない自分の顔がうつっていた。
歯を磨いて、髪をといた。
胸あたりまで伸びた髪の毛先が、痛んで茶色くなっている事には気づかないふりをした。
「いってきます。」
マンションの7階からエレベーターで降りる。
外へでれば太陽の光がアスファルトに反射して、その眩しさに目を閉じた。
最寄りの駅まで15分。
いつもと変わらないその道を、1人で歩く。
電車に揺られながら窓の外をぼーっと眺めていた。
初めの頃は少しワクワクした電車通学も2年生になれば、そんな初々しい気持ちもすっかりなくなっていた。
◇
「_____、それじゃあ次の問いを…、綾瀬ー。前に答え書いてくれー。」
先生のゆったりとした声が耳を抜けた。
席を立ちゆっくりと歩を進める。
クラスメイトの話し声を背に、答えを書く。
誰かのイビキが聞こえた気がした。
「はい、正解だな。それじゃあ次______、」
ここ加賀見北高校は県内の、ごくごく普通の公立高校。
あたし綾瀬日茉梨は、ここの2年生。
成績は普通。運動神経も普通。
クラスでも目立つわけでも地味なわけでもない、普通の女子生徒。
今日もいつものように授業が終わるのを、ただただ待っていた。
◇
帰りの電車の中で、ブレザーのポケットに入れていたケータイが揺れた。
ブーッ、ブーッ、と響くケータイは弟である春斗からのメッセージを受信していた。
牛乳きれてた
買ってきて
絵文字もなにもない、そっけないメッセージ。
「可愛げない…。」
あたしは思わず声をもらした。
幸いにも、帰宅する学生で賑わう車内で、あたしの声は誰の耳にも届いてはいなかった。
近頃反抗期の弟はそっけない。
でも身長を伸ばすために毎日牛乳を飲む姿は、昔から変わらない。
命令口調なところに少しだけイラッとしたから、いつもと違うメーカーの牛乳でも買っていってやろうか。
特に返信もせずケータイをポケットにしまった。
「帰りにコンビニ寄るか…。」
車内に最寄りの駅に着いたことを示すアナウンスが響いた。
色々な制服を着た学生が、次々と改札を抜けていく。
これから家に帰る人もいれば、遊びに行く人もいるのだろう。
あたしは近くのコンビニへと足を向けた。
空はすっかりオレンジ色に染まっている。
西日が眩しい。
前から楽しそうな小学生の笑い声が聞こえた。
「こんにちは!」
先頭を歩いていた元気な男の子が、あたしの目を見ていた。
後ろにいた子達もその子に続くように、こんにちはと笑顔を向けた。
「こんにちは。」
あたしはそう言って手を振った。
小さな手が振り返してくれる。
あたしも被った黄色い帽子がひどく懐かしく思えた。
ランドセルの色、増えたなぁ。
「ねぇ、あれ近くの近くの工業高校の生徒じゃない?」
あたしが振り返って、先ほどの小学生のランドセルの色を見ていれば、前からそんな声が聞こえた。
「あぁ、ガラの悪い子が多いとこね。あんなところに座り込んで…。」
近所のおばさん達…、だろうか。
2人の女の人が同じ方を見て、怪訝そうな顔をしていた。
その視線の先を見てみれば、あたしが目的地としていたコンビニだった。
その前に座り込む男子高校生達。
おそらくこの近くにある笠原工業高校の生徒だろう。
見た目が派手な人が多いと、地元では不良高として名が通っている、らしい。
「人の迷惑を考えないのねぇ。」
そんなおばさま達の声の横を通り抜け、コンビニを目指した。
そしてそのままコンビニに入る、はずだった。
男子高校生の集団の中で、一際目立つ金髪の男子。
あたしは彼に見覚えがあった。
その瞬間彼と目が合い、思わず足が止まりそうになった。
彼の目が少し、見開いた気がした。
あたしはすぐ目をそらし足を進める。
「ん、どうした?湊、知り合い?」
"ミナト"
その名前に心臓が跳ねた気がした。
「いや、知らねぇ。」
その声はあたしがよく知っている彼のものだった。
でも彼の左耳に光るピアス、腕で揺れるブレスレット。
彼の隣で笑う友人らしい人達。
それらはあたしのよく知る彼ではなかった。
胸がぎゅーっ、と締め付けられる。
コンビニの自動ドアが開いた。
涼しい風が首をかすめる。
「そんなとこでたむろしてるから後ろ指刺されるんだよ…。」
あたしのそんな声は店員の明るい声でかき消された。
「いらっしゃいませー!」
あたしはまっすぐと牛乳を探しに向かった。
ついでに新発売のチョコレートを手にして、会計を済ませた。
店員のありがとうございました、という言葉に軽く頭を下げ背を向けた。
あたしに反応した自動ドアがゆっくりと開き、それに合わせて先ほどの男子高校生集団の横を通り抜けた。
ローファーがアスファルトを叩いて、コツコツと音を立てた。
紺色に赤とグレーのチェックの入ったスカートが歩くたびに揺れる。
西日によって作られたあたしの影が、長く道路を跨いでいた。
昔はこの影があと4つあった。
この道も、毎日5人で歩いた。
さっきの金髪の彼も、そのうちの1人だった…。