009 罪と罰の螺旋
「初まりは些細な事だった」
そう塔の管理者は言った。
モニターには細胞が分裂する映像が幾つも映し出されている。そして細胞膜の中と外を循環する分子の神秘的な動きは、生命の不思議な現象を知らしめて来る様に、実に活動的だった。
「僕達はね、ある時、本当に偶然万能のSTAP細胞を発見した。それがきっかけになったんだ」
──塔の管理者によると、それから間もなくして細胞から人の体のありとあらゆる場所を作り出す事に成功し、人の首をすげ替えたり、クローン人間を創り出すことに成功したと言う。そしてそれを元に労働力や、愛玩用に様々なニンゲンを開発したらしい。
「だがある時、時の執政者の一人が、神の軛を抜け出した、全てを塵から創造した新たなる人を生み出そうと言う実験を推し進めたんだ。当然、それには反対が多かった。最初の実験、つまり人から人を創り出す実験をイブ計画、塵から人を創り出す実験をアダム計画、そして様々な生き物を、人や動物の細胞から合成したり改良したりして創り出す実験をノア計画と呼んだの。研究者の名前を取ってね」
そして遠い目をして、ポツリとこう呟いた。
「僕達は『生命の全てを解き明かした』そう確信していたし、事実、それまでの成果はそれを如実に裏付ける物だったんだ。病気の殆どを駆逐し、創り出される生命はさらに洗練されていった。そして僕達は、霊魂、精神、肉体、いわゆる三位一体の関係性にもその手を伸ばし、遂にはその一端を解き明かしたんだ。そして、その時うまく進んでいなかった二つの研究、生命の力を解き明かすA計画、精神の力を解き明かすB計画、この二つに目処がたった。それは非常に軍事的な案件だったんだけどね。その時この世界のほぼ全てを手に入れていた僕達だけど、やはり幾つもの種族との抗争には折り合いがつかず、抜本的な解決の為に、刻の執政者は科学者達の止めるのも聞かず、最後の禁忌に手を出した。つまりアダム計画を完成させようとしたんだ」
陰鬱な顔をした塔の管理者は、目を伏せて話し続ける。
「科学者達が止めていた一番の理由はね、生命の本当の根源、物質と生命の境界がどうしても特定出来なかったからなんだ。もしもうっかりと制御出来ない生物を創り出してしまうと、もう取り返しがつかないからね。だから、科学者達は恐れたんだ。その禁忌を踏み抜き、災厄を引き摺り出す事をね」
やっぱりあったのかSTAP細胞……てかどっかで聞いた事のある話しだな…それもつい最近に。
「だが上手くいかない。確かに分裂や増殖はしても、生命が宿らない。そこで、もう一つの実験、人工知性体、君の世界で言うところの第六世代型人工AI、量子コンピュータの次、三つの禁忌を排除した自立拡張進化機構を備えた、生命と機械のハイブリッド、珪素生命体と炭素生命体の融合が産み出した【幽子コンピュータ】つまり僕を開発したんだ。
その後、僕の力を使い、確かに創り出される生命は、意識はある様でキチンと活動するんだけど、何故か霊的な、つまり肉体と精神は結合出来たのに、霊魂は結び付けられなかった。つまり生物では無く人形を量産しただけになってしまった。そして、僕は結論にいたったんだ。神の足枷こそが霊魂と精神と肉体を結び付け、安定させる物だとね。だが、皆はそれを認めようとしなかったんだ。今更ながらね、道具でしかない僕の意見ぐらいで、引き返せない所まで彼等は来てしまった。そしてさらなる禁忌を犯し、遂には暴走を招き、神の鉄槌を喰らってしまい、文明そのものの終焉を迎えたんだよね。滑稽だろ? 結局生き残ったのはその時のニンゲンの一部分と、逃げ延びたバビロニアの民と、複数の文明が、その命脈を僅かに繋いだに留まり、多くの技術や知識は喪失してしまったんだ。この過酷な世界だけを残してね
そして僕はこのバベルの塔を封印し、そこにあるべき王国が亡くなった今も、この塔を管理し続けているのさ」
そして「それはほんの数千年前の出来事なんだよ」とまるで昨日の事の様に言う。てか人間じゃなかったんだな。
「そしてバベルの塔に攻勢をかけ、完全は破壊出来なかったけど、ある程度機能を喪失させたその時、神は間隙をぬってこの世界を幾つかの並行世界に分断し、その一つ、ユグドラシルに我らを封じ込めた。ご丁寧に聖域を創り上げてね」
そしてサッと手を翳すと、床に魔法円が浮かび上がり、巨大な水槽が現れた。それには幾重にも魔法の込められた文字が書き込まれており、厳重に封印されている事が分かる。そして巨大なリンゴのマークが燦然と輝いている。
「因みにコレは人間の脳味噌がモチーフで、あのヘタみたいなのは神の足枷と人と神が無意識の大領域で結合しており、我ら初まりの人が結局は神の似姿だと皮肉ってるんだよ。自らに自戒を込めてね。でも、その生き残りの一人の末裔が異世界に渡って成果を収め、この世界に神の一員として再び帰還するとは、何とも遣る瀬無い話だけどね」
「……あの神様ってバビロニアの末裔でもあったんだ」
そして水槽の中には、恐らく十五歳位だと思われる黒髪の少年が浮かび上がって来た。
「ごらん、これがバビロニアの運命を賭けて創造した役立たずの人形、無原罪の魂の無い傀儡だよ」
なかなかの美少年だ。
些か恐縮するな。いくら何でも俺と違い過ぎないかね? いや、いいんだけどね。頭だけでは身動き取れんし。
「んっ!? まてよ? 身体は一つだけど頭は二つ? どうやってくっつけるんだ?」
その時、塔の管理者はニコリと笑い、右手で俺を掴むと、さっと左手を水槽に翳した。すると中の少年がビクンッと痙攣し、その両目をカッと見開き、こちらをジッと見詰めて来る。
「……えっ? な、なに?」
水槽の蓋がゆっくりと開いていく。
次の瞬間──俺はブンッと宙を舞った。そう、水槽の中に何の説明も無く投げ込まれたのだ。
「な、なにしやがる──っ!」
見事に水槽の中へポチャンと落ちる俺に、少年が妖し気な目で迫って来るのが見える。
「まてまて! 俺が首をすげ替えるんだよな!」
「大丈夫だよ……任せておけばすぐ終わるからね」
「何がどう終わるのか説明を要求する!」
心なしか悲し気なエレクトラさんの瞳が危険な予感を加速する。
(まずいっ! このままここに居るのはマズすぎるんじゃ無いの!)
だが遅かった。
気配を感じ振り返ると、少年の顔がすぐ側まで迫って来ている。そして、視線を離さない。まて、落ち着け俺っ! 食べられそうな気配がしたけど、あの可愛らしい口では絶対にほうばれん!手間取るその隙に逃げようとした時──パカンッと頭が八つに割れ──中から触手と舌のようなモノが伸びてきた。
「クリオネッ!」
真っ赤な舌の感触
それが俺の感じた最後のこの身体での体験となった。短い間だけどありがとう。そして俺は暗闇の中に、微妙に咀嚼されながら吸い込まれていった。このまま排泄されるのだけは勘弁して欲しいと切に願いながら