三話 『家』
都内某所。駅から少し離れた場所にある、庭付き一戸建ての中古物件。
外壁は白く美しく塗られており、中古というよりはほとんど新築のように見える。
「ふむ、遅い帰りじゃのう、清明」
長い銀髪をたなびかせ、黒を基調とした意匠の服をまとった美女が、気だるそうに俺を出迎えた。
「なんじゃ、その娘っこは?」
「ああ、学校で拾った」
「くくく、また愛人を侍らせるつもりか?」
「そんなわけあるか」
からかうような笑みを浮かべて俺のことを呼ぶこの美女は、俺の同居人だ。
まあ、もう察していると思うが、彼女も人間ではない。
「初めまして〜。今日からこちらの家にお世話になります。自縛霊の『幸代』です」
――名前、あったんかい。いや、まあそうだよな。元は人間なんだから名前くらいあるよな。
「自縛霊? ああ、祥子と同じか。しかしええのか? また妙な噂が立つぞ?」
何がそんなに面白いのか、薄ら笑いを浮かべながら呟く。
「へえ〜、いい家に住んでるんだ。なんだろう、なんか……居心地がいいというか」
……自縛霊に“居心地がいい”とか言われても全然うれしくない。
「でも、すごいよね。学生なんでしょ? それでこんな大きな家に住んでるなんて」
道すがら、俺が一人暮らしをしていることや、同居人がいることも説明済みだった。
「ああ、一学生が持つには、やたらと立派な家だよな」
庭付き一戸建て、しかも離れまである広い物件。
なぜ俺がこんな家を手に入れられたかというと――
「ただいま、祥子さん」
出迎えてくれたのは、白いエプロンをつけた、恐らく妙齢の美人――ただし彼女には、頭部が無い。
「すみません、また同居人を増やしてしまって」
俺が頭を下げると、祥子さんは手を振って応えてくれる。
本当に良い人……いや、良い霊だ。
そろそろ察しがついたと思うが、俺がこの家を手に入れられたのは――
この家が“事故物件”だったからである。
今から3年前、この家で惨殺された女性の遺体が発見された。
当時住んでいた男が女性を連れ込み、殺害。その後、バラバラにして敷地内に埋めたのだという。
犯人の男は後に逮捕され、家族も離縁。この家は売りに出されることとなった。
だが殺人現場、しかも遺体がバラバラに埋められていたということで、かなりの破格で手に入れることができたのだ。
噂が噂を呼び、一時は心霊スポットとして雑誌にも掲載されたほどである。
「つまり、その彼女が殺された女性ってこと?」
「そう。どうやら頭部だけは粉々にされて、原型を留めることができなかったらしい。まだこの敷地のどこかに残ってるかもな」
「あー、それで首から上が無いんだ」
警察も必死に捜索したらしいが、頭部の一部と見られる骨を見つけただけだったそうだ。
「でも、そのままだと不便じゃない?」
すると祥子さんは左右に手を振り、続けて中空に指で文字を書いた。
<大丈夫ですよ。それに、私ちょっと口下手なところがあるので、このほうが気が楽なんです>
「へえ、そうなんだ。これからよろしくね」
幸代がにこやかに挨拶し、祥子さんも小さく会釈を返す。
お互いがっちりと握手を交わす。
見た目だけで言えばどう考えても幸代の方が“下”に見えるのだが、自縛霊歴五十年というキャリアがあるためか、どこか偉そうな態度である。
「まあ、あんまり上下関係とか苦手だし、タメ口でいいよ」
年功序列なんて古いわよ、と笑いながら言う幸代に、少し戸惑いながらも頷く祥子さん。
「ああ、それから、あちらが陽子さん」
「えらく他人行儀な紹介じゃの。素直に“姉さん”と呼ばんか」
「……姉さん? え、姉弟いたの? てかなんかおかしいと思ってたけど……やっぱ、あんた妖怪?」
――誰が妖怪だ、誰が。
「違う。俺は妖怪じゃない」
「似たようなもんじゃろう」
「断じて違う」
ケラケラと楽しげに笑う彼女は、俺の保護者(仮)兼――
「将来を誓った伴侶じゃの」
「違います」
「まったく、照れよってからに」
――話が逸れたが、彼女は俺の保護者兼、守護者。安倍陽子さん。
お察しの通り、人間ではない。遥か昔、大陸を滅ぼしかけたとされる伝説の大妖怪……らしい。
「“らしい”とはなんじゃ、“らしい”とは。よいか? 我は天界より遣わされた“神獣”じゃぞ?」
「その割には“殷”を滅ぼしたって記録がありますけど?」
「ちょっとした悪戯じゃないか。それに、我の油揚げを勝手に食した帝辛が悪い」
――滅ぼそうとした理由、それかよ。聞きたくなかったそんな事実。
「あー、それから、うちのトイレには花子さんが住んでるから」
「……あんたんちって、なに? 妖怪マンション? それともゲ○ゲ○の鬼○族?」
「断じて違います。ただの一般人です」
「“ただの一般人”の家にしては、ちと異常じゃがのう」
否定はできない。心霊現象や怪奇現象が日常的に発生し、同居人は自縛霊に大妖怪。
そのせいか、ご近所との付き合いどころか、目すら合わされない有様である。
「ま、霊的磁場は異常なくらい安定しとるから、住みやすいと思うぞ」
「ん〜、確かにここに来てから、肩が軽くなった気がする」
そんな効能があるとは聞いたことがないが……。
「まあ、我がいるからの。そこらの雑魚の縄張りとは格が違う」
確かに陽子さんと一緒に暮らすようになってから、厄介ごとは激減した。
昔は本当にひどかった。
夜道を歩けば何かに追われるわ、追い越されたと思ったら全方位から何かが迫ってくるわ、挙げ句の果てに“贄”にされそうになるわで、まあ、生きた心地がしなかった。
「よく今まで生きてこられたわね」
「俺もそう思う」
運が良かったのか、悪かったのかは今も分からない。けれど、助けてくれる存在も確かにいた。
「我がそうじゃの」
「出会いは最悪でしたけどね」
「そうか? 我は愉快な出会いじゃったと思うがのう」
「へえ、どんな?」
幸代が興味深そうにこちらを見る。
「……別に、面白くもなんともない話だけどな」
俺は、陽子さんと出会ったあの日のことを思い出す。
そういえば――あのときも、今と同じく、春の陽気が感じられる、あたたかな季節だった。