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二話 『花子さん』

 物心がつく前から、俺には“他人には視えないもの”が視えていた。

 父が霊能者だったとか、母が巫女の家系だったとか、そんな特別な血筋でもなかった。

 俺自身、何かを「受け継いだ者」なんかじゃない。ただ、たまたま生まれつき、そういう体質だっただけだ。


 ――確かに、多少変わった両親ではあったけど。


 俺が「変なものが視える」とわかったときも、彼らはまったく驚かなかった。

 むしろ面白がっていた。

 物心ついた頃には、どんなふうに見えるのか、楽しそうに質問してきたくらいだ。


 そんな両親が、死んだ。


 旅行中の交通事故だった。

 でも――なぜだろう、俺は不思議と悲しくなかった。


 なぜかって?


 それは、あの日。事故の知らせを受けるよりも先に――


 親父もお袋も、俺の目の前に、当たり前のように現れたからだ。


 ――へえ? 晴明が見えてるもんって、こんな感じだったんだね


 ――なるほど。晴明には、ちゃんと父さんたちが見えてるんだな


 ……悲しむ暇なんて、無かったよ。

 まるでいつも通りの調子で、事故死したその日のうちに半透明の姿で現れてくるんだから。


 ――ごめんね。父さんと母さん、ちょっと死んじゃった


 そう言って、母さんは舌を出して笑った。

 「てへっ」じゃないだろ。全然シャレになってない。

 ……なのに、まるで生きていたときのまま。なんにも変わらない。


 しかもそのまま、当然のように俺について学校まで来る始末。


 ――あっ、あの娘。絶対、うちの子に気があるわよ?


 ――ほう、確かに聡明な娘だな。よし、あの娘を――


 ……やめろ。余計なことするな。

 「何が霊の特権」だ、バカ親父。


 ――あ、そうだ。父さんと母さんの遺産があるから、それでこれから生活しなさい。

  多分、大学卒業まで遊んで暮らせるくらいはあるからね


 そんなことを言いながら、誇らしげに胸を張る親父の姿に、俺は少しだけ救われた気がした。

 “億”ってなんだよ。そんな額、一学生が管理できるわけないだろ。


 ……まあ、そのへんは、祖母と親父の親友だった真崎さんが色々と手続きしてくれたから助かったけど。


 ――じゃあ、母さんたちは先に逝くけど、寂しくなったらここに来るんだよ?


 ああ、わかってる。大丈夫だよ、母さん。


 ――いつか、綺麗なお嫁さん連れて、墓参りに来てくれると嬉しいな


 ……うるせえ、バカ親父。


 ――それじゃあ、これからの息子の人生に、幸あらんことを


 ああ、大丈夫だよ。母さん。

 ……もうこれ以上の不幸なんて、そうそう起こりっこないさ。


 ――強く生きるんだぞ?


 任せとけ。

 あんたらのおかげで、俺はちゃんと強くなれた。


 だから――


 ――最後くらい、笑って送ってほしいねえ


 ……駄目だよ。そんな顔されたら、もう泣くしかないじゃないか。

 これが最後だから……だから、許してくれよ? 母さん。


 ――急にいなくなってすまない。でも、父さんも母さんも、お前のことをいつまでも愛してるよ


 ……当たり前だ。

 親を愛さない子どもなんて、いるもんか。


 それじゃあ、またな。

 毎年、ちゃんと墓参りには行くからさ。


 ――うん、待ってるよ。


 


 そうして、両親の霊との短くも特別な日々は、静かに幕を下ろした。











「……うむぅ」


 どうやら寝てしまっていたようだ。

 それにしても――懐かしい夢だったな。


「げっ……もしかして、もう夕方かよ」


 窓の外を見れば、オレンジ色に染まったグラウンドが広がっていた。

 反対側の教室を見回せば、誰もいない。

 ……って、誰も起こしてくれなかったのかよ。


 一人きりの静まり返った教室で、俺は思わず項垂れる。

 初日からこれだよ。やっちまったな……。

 まったく、いつものことだけど――

 俺って、やっぱりコミュニケーション能力が足りないのかもしれない。


 今朝、ひょんなことから自縛霊を“拾って”しまったのはいい。

 だが、そのやり取りをどうやら見られていたようで、クラスからは完全に浮いた存在になってしまった。


 そりゃそうだ。

 一般人から見たら、桜の木に向かって真顔で会話してるヤツなんて、怖くて近寄りたくもないだろう。


「ん、もう帰るの?」


 俺がクラスでぼっちになった原因が、つまらなそうに言いながら、肩におぶさってくる。


「ああ……てか、起こしてくれてもよかっただろ」


「うーん、それ無理。私が貴方を起こそうとしたら、この教室に新たな怪談が追加されちゃうよ?」


 それは困る。

 なにせ中学のときは“七不思議”どころか、“不思議”が100を超えてたんだからな。

 ――主に俺のせいで。


「……とにかく、帰るか」


「ええ、それじゃ、案内よろしく」


 そう言って、彼女はそのまま俺の肩におぶさったまま、腕に力を込めてくる。

 放課後の、誰もいない教室。

 異性と二人きり――


 男子なら誰もが憧れるようなシチュエーションのはずなのに、まったく嬉しくない。

 背中越しに伝わる胸の感触も、うなじに感じる吐息も、全部――


 全部、幻なんだ。



「はあ……」


 煩わしそうにため息を吐く。

 その原因は、俺の後ろで鼻歌を歌いながら浮かれている自縛霊だった。


 教室を出ると、廊下には誰もいない。

 昼間あれほど騒がしかった校舎は、今ではしんと静まり返っている。

 夕日でオレンジ色に染まった廊下のあちこちには、陽の光が届かず、ぽっかりと影の塊ができていた。


 なんとも言えない哀愁を感じながら、玄関へと向かって歩く。

 道すがら、ふと“所用”を思い出す。所謂、生理現象というやつだ。


「……あー、すまないが、ちょっと待っててもらえるか」


「ん? どうしたの?」


「トイレ」


「うん、どうぞー」


 まるで関係ないとでも言わんばかりの軽い返事をする自縛霊。

 ……“どうぞ”じゃねぇよ。


「だから、トイレ行くから離れてくれ」


「え? なんで?」


 いやいやいや、そこは疑問に思うところじゃないだろ。


「お前は女子、俺は男子、OK?」


「んー、知ってるよ? 私は別に構わないわよ? むしろ見慣れてるし?」


 酔っ払いのおっさんが、夜中に私のまわりで立ちションしていくから――と、カラカラと笑う。

 大きさとか、被ってるとか、そういう問題じゃねえんだよな……


「こっちが構うんだよ。いいから、離れてくれ」


 仕方がないので、強引に引き剥がす。


「もう、恥ずかしがり屋なんだから」


「そういう問題じゃない、このビッチが」


「誰がビッチよ!? 私は死ぬまで処女だったわよ! 処女のまま下半身を変質者に食われたから、永遠に処女よ!」


「意味わからんし、怖いわ! ……とにかく、すぐ済ませるから、静かに待っててくれ」


 殺されてから何十年も経ってるせいか、あまりに達観しすぎていて逆に怖い。

 まあ、本人が気にしていないなら構わないけど、下半身食われた話を誇らしげに語るヤツは珍しい。


 非難の視線を背中に感じながら、トイレに入る。

 この時間帯では誰も使っていないのか、照明が落とされていた。


「ん? あれ? 壊れてるのか?」


 スイッチを押しても明かりが点かない。

 だが、窓から差し込む薄明かりで足元は見える。

 用を足すだけだからと、気にせず奥へと進む。


 小便器の前に立ち、チャックに手をかけた――そのとき。


 ふと、背後に気配を感じた。

 ……まあ、いつものことだ。気にせずそのままでいると、個室のドアがギィ……と開く音がした。


「赤い紙が欲しいか? 青い紙が欲しいか?」


 おっと、こっちにもいたのか。「赤い紙・青い紙」の噂ってやつか。

 たしか、赤を選べば血まみれ、青なら血を抜かれて死ぬ。

 どっちを選んでも死ぬという、理不尽極まりない怪異。


「おーい、すまないけど、また今度で頼むわ」


 前を向いたまま、誰もいない空間に声をかける。


 トイレ内にしばし静寂が戻る――が、再び同じ声が響く。


「赤い紙が欲しいか? 青い紙が欲しいか?」


「どちらもいりませんので、おかえりくださいです」


 誰も返事をしない代わりに、どこか幼い少女の声がした。


「赤い……」


「だから、同じことばっかり言ってんじゃないよ、帰れって言ってるの!」


「青い……」


「死ね」


 ピタッと、静かになった。


 用を済ませて振り返ると――


「助かった」


「いえ、どういたしましてです。しかし最近の学校のトイレって、綺麗でいいですね。おや? ウォシュレットですか? 生意気ですねぇ」


 赤いワンピース姿の少女が、個室の中をじろじろ眺めながら感想を漏らしている。

 しばらくして、便器から何かがニュッと出てきた。


「紙を……」


「……あげませんよ?」


 そのまま“ぽっこん”――トイレの詰まりを直すアレ――で、便器から伸びた手を押し戻していた。

 「ギィィ……」と、断末魔のような声を上げながら消えていく腕。

 その様子を見て、少しだけ哀れに思えてくる。


 目の前でぽっこん片手に怪異と戦うこの幼女こそ――

 何を隠そう、花子さん本人であった。


 彼女との出会いは、俺が小学生の頃。

 この体質のせいでいじめられていた俺は、教室にいたくなくて、よく休み時間にトイレの個室へ逃げていた。

 そこで出会ったのが、花子さんだった。

 それからは、休み時間の良き話し相手になってくれた。


 あまりにも仲良くなりすぎて、小学校卒業のときには「最後にお別れを」と言いに行ったのだけれど――そのときにはもう姿がなかった。

 てっきり成仏したか、別のトイレに引っ越したのかと思っていた。だが――


 ――おや? なかなかに清潔なトイレですね。感心、感心。


 なぜか、俺の家のトイレに住み着いてしまったのである。

 曰く、「トイレさえあれば次元を超えてどこにでも行ける」とのこと。


「せいめい、こんなところで油売ってないで、さっさと帰ってくるですよ!」


 ぽっこんを肩に担ぎながら、花子さんが腰に手を当てて言う。


「あー悪い。つか、よく俺がトイレにいたってわかったな」


「ふふん、私には何でもお見通しなんですよ?」


 ……見た目に反して、やたら偉そうだ。

 俺より遥かに年上であることは確かなんだが。


「そうか。……なにはともあれ、助かった。ありがとう」


 頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。


「では、私は先に帰りますので、寄り道せずにまっすぐ帰ってくるのですよ?」


「ん、わかった」


「よろしい!」


 大げさに頷いたかと思うと、便座のフタを開け、足からズボッと便器の中へと消えていった。


「しかし、何度見てもシュールな移動方法だな……」


 まさか下水を通ってるわけじゃないよな? そんな疑問を抱きつつ、俺はトイレを後にした。


「遅い! いつまで待たせるのよ!」


 まるで幼なじみのような台詞を吐く自縛霊。

 さっきから俺の憧れるシチュエーションをいちいちぶち壊してくれる。


「あー、悪かった。とりあえず帰るか」


 そう言うと、気だるそうな表情で、彼女は再び後ろから抱きついてきた。


 ――全く、嬉しくないけどな。








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