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一話 『安倍 晴明』

 怪奇現象――それは人間の理解を超えた、奇妙で異常な出来事。あるいは、そうした現象を引き起こす、非日常的で非科学的な存在のことを指す。


 幽霊や妖怪をいつまで信じていたか? あるいは、実際に見たことがあるか?

 そんな話を、一度くらいはしたことがあるだろう。年齢や性別を問わず、古今東西で語り継がれる怪談は、人々の好奇心を刺激してやまない。


 さて、「いつまで信じていたか?」と問われれば、俺はこう答える。今でも信じていると。


 いや、信じているどころではない。俺は実際に見てきた。黒い影、意味不明な声、そして正体不明の女に追いかけられたことすらある。


 「これは、友達の友達から聞いた話で……」

 そんな怪談の定番の出だしがあるだろう? あれに出てくる“友達”ってのは、大抵、俺自身のことだ。


 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」――人は恐怖に囚われていると、何でもないものが恐ろしく見えるというが、俺には当てはまらない。

 なぜなら、俺は見えすぎてしまうからだ。幼い頃から、嫌になるほど。


 最初こそ怖かった。でも、毎日のように見ていれば、次第に慣れてしまう。何度か本気で殺されかけたこともあるが、まあ……交通事故に遭う確率に比べれば、大したことじゃない。


 そんな体質のせいで、俺には昔から友達がいなかった。


 中学生の頃、両親が事故で亡くなってしまってからは、なおさら一人でいる時間が増えた。でも、不思議と寂しいと思ったことはない。

 俺の周りは、いつだって賑やかだったからだ。――たとえ、それが“この世のものではない存在”であっても。


 しばらくは祖母の家で世話になっていたが、高校進学を機に、都内の学校への進学が決まり、一人暮らしをすることになった。


 最初は祖母も驚いていたし、反対するかと思っていた。だが、「いつまでも甘えてはいられない」と正直な気持ちを伝えると、しばらく複雑な顔をしていたものの――最後には笑顔で送り出してくれた。


 こうして俺は、新しい土地で、新しい生活を始めることになった。


 ――もっとも、普通の一人暮らしになるとは、最初から思っていなかったけれど。







  新学期、桜が舞う暖かな日和の中、まだ初々しい表情を浮かべた学生たちが、学生服に身を包んで歩いている。

 彼らの姿は希望に満ちあふれ、これから始まる学園生活を心から楽しみにしている様子だ。まるで、桜花道のように温かく華やかな色彩で満ちていた。


 ――まあ、かく言う俺もそのうちの一人ではあるのだが。


 ここは私立清澄高等学園。学業はもちろん、部活動も盛んな、いわゆる文武両道の進学校だ。

 その証拠に、校門前は朝から部活の勧誘戦で大混乱。先輩たちが垂れ幕やビラを手に、声を張り上げて新入生を取り囲んでいる。


「ふふ、この時期は毎年慌ただしいわねえ。……貴方はどうするの?」


 前髪を真っすぐに切り揃えた黒髪の少女が、微笑みを浮かべながら話しかけてきた。

 制服は、今どき誰も着ないような古風なセーラー服。どこか現実味に欠けた雰囲気をまとっている。


「ちょっと、聞いてるの? ねえ?」


 なおもしつこく話しかけてくる少女。俺はそれを無視して歩き続ける。


「ねえ? 本当は見えてるんでしょ? ねえ?」


 耳元で「ねえねえ」としつこく囁く声が鬱陶しい。


「……ああ、見えている」


 最低限の言葉で返すと、少女は少し驚いたような表情を見せた。

 あれだけ必死に気づいてもらおうとしていたくせに、実際に返事された途端、面食らったような顔をするとはどういうことだ。


「どうした?」


 あまりにも滑稽だったので、今度はこちらから逆に声をかける。


「貴方……変わってるのね」


 最初は唖然としていたが、何かがおかしかったのか、急に笑い出しながら俺の肩をポンと叩く。


「よく言われる。それで、用件は?」


 初対面の相手に妙になれなれしく接する彼女に対して、俺はやや憮然とした態度で応じる。

 新学期早々、美少女に声をかけられるという、誰もが夢見るシチュエーションのはずなのに、まったく嬉しくない。

 むしろ、そろそろ遅刻しそうなことのほうが気がかりだ。初登校で目立つなんて、真っ平ごめんだ。


 できることなら穏便に、そして迅速に、この状況から脱したい。


「あはは、貴方って本当におもしろい。こんなの、初めてよ?」


 俺の内心の焦りなどおかまいなしに、少女は嬉しそうにはしゃぎながら、唐突に抱きついてきた。


「人と喋ったのも久しぶりだけど……こんな風に触れ合ったの、何十年ぶりかしら」


 ……もう、ここまでくればお分かりいただけるだろう。

 彼女は俺の同級生でも、先輩でもない。というより、そもそも人間ですらない。


 彼女の正体は――数十年前にこの場所で命を落とした地縛霊。

 よく目を凝らせば、その身体はうっすら透けているし、何より下半身が存在しない。


 つまり俺は今、下半身のない黒髪美少女に後ろから抱きしめられているという、極めて猟奇的な状況にいるわけだ。


 だが、この異常な光景を認識できるのは、俺だけ。

 もし周囲の生徒たちにこの姿が見えたら、大パニックどころの騒ぎではないだろう。


 ――登校時に美少女に後ろから抱きつかれてイチャついている、なんてリア充じみた行為。

 普通なら羨ましがられるかもしれないが、今の俺にとっては、まったくもって嬉しくない話だった。


「それでね、私の遺体って、バラバラにされたの。そこと、あそこと、それから……あっちに埋められたんだって。それで、下半身は――」


 まるで恋人同士の他愛ない会話のように、彼女は猟奇的な話を平然と語ってくる。


「すまないが、手短に頼む」


「あら? 興味ないの? 美少女の“下半身”よ? どうなったと思う?」


 ――男の子なら、大好きでしょ? なんて言われても、さすがに返答に困る。


 いや、そりゃ興味があるかもしれないが、それは“全身”を伴って初めて成り立つ話であって……ごほん、まあ、そんなことはどうでもいい。


 ただ、下手に無視すると一生つきまとわれそうだ。それはそれで困る。


 さて――俺がもし、猟奇的殺人犯だったとしたら?

 少女を殺してバラバラにしたとして、下半身をどうするか?

 もしその部位に異常な執着や独占欲があったとしたら……?


「……ああ、なるほど。下半身は“犯人が食べた”ってやつか」


「……正解」


 正解なのに、彼女はどこか不服そうな表情を浮かべた。


「ねえ? 貴方、本当に人間? っていうか、犯人なんじゃないの?」


「失礼な奴だな。それに、犯人だったらとっくに呪い殺されてるだろう」


 まったく、この手の霊は冗談が過ぎる。


「残念ながら、俺はただの人間だ。それに、犯人でもない。それで――いつまで憑いてくる気だ?」


「“追いてくる”の間違いじゃない?」


 楽しげに笑う彼女に、俺は思わずため息をついた。


「……どっちでもいい」


 もう、諦めた。

 俺が降参の意を示すと、彼女は勝ち誇ったようにケラケラと笑った。


「あはは……ほんと、久しぶり。こんなに笑ったの、何十年ぶりかしら。いつもは、ただ皆がここを通り過ぎていくのを黙って見ているだけだったのに」


 ふと、彼女は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。


「ねえ……私、いつまで……」


 その先の言葉は、聞き取れなかった。

 だが、その瞳には確かに、深い絶望の色があった。


 どれほど無残に殺されたのか?

 どれほどの恐怖と痛みにさらされたのか?


 俺には理解できないし、それを共有することも、軽々しく同情することもできない。


 ――それは別に、薄情だからではない。

 哀れみや同情は、ときに霊を傷つけることもある。

 中にはそうした感情に反応して、永遠につきまとい、やがて取り込んで殺すような霊もいる。


 だから、俺はその続きを聞かず、代わりに提案した。


「そうか……なら、どうする? 成仏したいか?」


 少女はしばらく黙ってから、ゆっくりと首を横に振った。

 未練があるのか、恨みが残っているのか、その表情からは何も読み取れない。


「そうか。……なら、俺の家に来るか?」


 突然の申し出に、彼女はぽかんとした顔を見せる。


 ふむ。自縛霊が呆けた顔をするなんて、なかなか見られるもんじゃないな。

 俺はひとり、にやりとほくそ笑んだ。


 少女は一瞬、俯いた。

 何かを思い詰めたように地面をじっと見つめる。

 そして――しばらくして顔を上げたときには、そこに迷いはなかった。


 満面の笑みで俺を見つめ、


「……うん」


 小さく頷いた。


 俺は彼女の手を取って言う。


「じゃあ、成仏するまでよろしく頼むよ。自縛霊さん」


「ふふ……こちらこそ、よろしくね」


 


 俺の名前は――安倍あべ 晴明はるあき

 あの有名な陰陽師と同じ名前を持つ、ただの学生である。

2019/07/02 修正

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