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6 潜むもの

 イサムが異変に気付いたのは、ユーラ達の元へ後退していく最中のことだった。


 草原の中を蠢くもの、その数が明らかに増えていた。暗く、正確な数は把握できていない。だが遠くにも近くにも見えるそれらは、武装した男達よりもその存在をイサムに多く感じさせてくる。


 近くで草の揺れる音が聞こえる度に、イサムは背筋を凍らせた。震えながら足を止め、短剣を構えて、草の陰に隠れたものが襲い掛かってくるのを待ち受ける。瞬きを我慢し、隙を見せぬようじっと草原に目を凝らす。しかしいくら待っても相手は姿を見せてこない。そしてしばらく経つと、そのまま姿を見せずにイサムから遠く離れていく。


 当初は危難が去っていくことに安堵して、状況を何ら疑問に思うことはなかった。だがそれが三回、四回と続けば、イサムでもさすがにおかしいと思い始める。

 何もせず去っていくそれは、あの武装した者達とは全く関係のない別の、獣か何かなのかもしれない。離れていく音にそう想像してみるが、目視できなければ敵対者と区別をつけることは不可能で、結局イサムがどれもこれも警戒することに変わりはなかった。


 そうして頭の隅でその存在を気にしつつも、先を急ぐイサムは考えることを止め、引き続き警戒に集中しながら後退を続けた。



 イサムがユーラ達の元へ戻った時には、既にナリアによる手当は終わっていた。


 手当を受けていたユーラは、ポールを支えに上体を起こして地面に座っている。その傍で蛇はとぐろを巻いて佇み、ナリアはユーラと辺りの様子を交互に窺っていた。


 二人と一匹のそんな様子を見て、イサムは彼女らの無事と自身が無事に戻って来れたことに胸を撫で下ろした。

 けれど脳裏に想起される法術の光が、イサムに休み暇を与えない。


「ラーメンさん! 何処に行ってたんですか!?」

 足早に近付いてくるイサムに気が付いたナリアが声を上げた。

「ユーラ、いや、エビチリの容態は?」

 ナリアの問いに答えることなく、イサムは早い口調で言葉を吐き出した。ユーラを偽名で呼ぶことも一瞬忘れ、自身の焦りが相当だと自覚させられる。

「……血は止まりました」

 ナリアはイサムの言い間違いには一切言及せず、「けれど」と続けたそうに言葉の語尾を濁した。


 イサムとナリアが会話をしている間も、ユーラは終始俯いたままだった。

 ナリアの言葉にイサムがユーラの顔を覗き込めば、眉間に皺を寄せて荒く呼吸をしているのが見える。イサムの視線に気付いても、そのまま視線をちらりと返すだけで言葉は発しない。


「ここを離れよう」

 ユーラの状態に迷いを生じながらも、イサムは口を開いた。

「今からですか?」

「法術師がいた。直にまた奴らが襲ってくる。今ならまだここから逃げられるはず」

 ナリアが言外に無理だと告げるのを遮って、言葉を続ける。


 言葉にすると改めて今の状況が理解できる。願望を込めた言葉を口にしながら、イサムは自身の顔が強張るのを感じた。本当に逃げれるのだろうかと不安が頭をもたげてくるが、それには気が付かない振りをした。


「逃げるって、何処へですか?」

 ナリアも状況を理解して青い顔をしながら、ちらりとユーラを見てから問いを重ねてきた。

「今なら森へ引き返せるかもしれない」

「森……」


 イサムとナリアは二人して、森のある方に目をやった。

 夜空よりも深い闇が遠くに見える。森を抜けて歩いた距離を思えば、そこに辿り着くのは簡単なことではない。


「逃げても無駄よ」


 聞こえた声に二人が虚を衝かれて振り返れば、そこにはポールを支えに立ち上がるユーラがいた。

 ナリアは慌ててユーラの横に付くと、自身の肩を貸して支えた。


「それに、もう逃げるのは嫌」

 イサムに目を合わせてそれだけ言うと、ユーラは口を閉ざした。


 ユーラの顔色は相変わらず悪く、立っているのも辛そうに見える。だがその目に湛えた光は強く、イサムはその意思を曲げるのは一苦労だと思った。

 イサム自身、自分の考えが一番正しいと思っているわけではない。こんな状況を経験したことは生きてきて今までなかった。そんな中で、とにかく一番生き残る確率の高い行動を選択しようと頭を働かせれば、ユーラの様子が戦えるようには決して見えない。


「そんな状態で何言ってんだ」

「大丈夫よ」


 反駁するユーラに、何が大丈夫なのかと問い詰めたくなるのをイサムはぐっと堪えた。言い合いで時間を浪費する余裕など今は存在しない。ユーラの変わらない強い視線にたじろきながらも、焦る頭で必死に説得する言葉を探し続ける。

 しかし焦った状態で口説き文句を思い付けるほどの、優れた働きまではイサムの頭もしてくれない。口を開けはしたものの、その行動が思考の後押しをすることもなく、やはり言葉は出てこなかった。


 イサムの半開きの口からは、「あー」だの、「うー」だの意味のない言葉が漏れては夜に溶けていく。

 そんなイサムにユーラが苛立ちを見せた時だった。


 がさりと草むらから音が聞こえた。途端、イサム達は話を中断する。

 イサムはそれまでの思考を素早く閉じて、短剣の鞘に手を掛けると、今度は綺麗にそれを抜き放って構えを取った。

 ユーラはその音に反応するも体を動かそうとしてふらつき、ナリアによってその体を支えられていた。


 音の聞こえてきた方に体を向けて、イサムは気付く。視線の先、そこはユーラの左腕が落ちている場所だった。その場所とイサム達との間は大体三メートルほど。人ならば一足飛びの距離のそこを、隙のない目で見詰め続ける。


 だがいくら待っても飛び出してくるものは何もなく、焦れた空気が次第に漂い始めてくる。


 イサムは視線を動かさないものの、その思考は目の前の光景から先ほどの、後退の最中に出くわした光景へと移っていた。

 草むらに潜むものが襲ってこない様子は、後退の最中に遭遇した得体の知れない何かと共通していた。しかし一点違うのは、この場に留まり続けて一向に去る気配がないことだ。


 しばらくすると、そこから新たな音が聞こえてきた。


 最初に聞こえたのは、ぴちゃりと水気のある音だった。そして続けて荒い呼吸と、何かを食らう咀嚼音が耳に届く。それはまるで大きな肉に齧り付くような音だった。

 夜に響くその音に、想像を膨らますことは容易だった。

 ユーラの腕を食っている。一瞬、武装した男が口を真っ赤に染めながら人の腕に齧り付いている姿を想像して、イサムの体に怖気が走った。


 その音を耳に、イサムは構えを続けながらも動けなくなる。それはナリアも同様のようだった。しかし、ユーラだけは違った。

 まだ音の止まぬ何かが潜む草むらへ、突如としてユーラの魔術が殺到した。


 風切り音が、耳に届く音をかき消していく。


 イサムが我に返ると、怒りに震えるユーラの姿が目に入った。自分の腕が食われていることに耐えられなかったのだろう。その怒りの篭もった攻撃は、この夜に行使された魔術の中で一番の威力だとイサムには思えた。


 風の塊が辺りの草をかき分けて、目標地点へ直撃する。

 同時に、イサム達の前に飛び込んでくる影があった。案の定、それは人ではなかった。


 素早い動きで魔術を避けて現れたそれの体長は、イサムの膝下に届くかといった程度。大きな口で息を溢しながら、ぎょろりとした目がイサム達を捉えていた。


 動きを止めたそれを目に映して、イサムは最初、蜥蜴か鰐かと思った。

 面長な特徴的な頭と、そこに備わった口に視線が引き寄せられる。そこがてらてらと濡れているのは、恐らく食らい付いていたユーラの腕の血によるものだろう。

 そして頭から全身へと視線を移せば、それがイサムの最初に思ったものとは違うことがわかる。


「竜……」

 誰かの呟きが、イサムの耳に聞こえた。


 それは大きく発達した二本の後ろ足で立ち、体を持ち上げていた。前傾に取った姿勢を、大きい尻尾で調整して崩すことがない。後ろ足に比べて小さい前足には鋭い爪が備わっている。その姿はイサムが映画や図鑑などで知る、恐竜そのものだった。

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