2 問答無用
夕日を背に現れた集団がイサム達の前に到着する頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
イサム達は集団を前にするまでに、その対応を決めることができなかった。
森へ引き返して遣り過ごそうと思えば、きっとできた。けれどそうなるとシーナやペルトの住む村はどうなるのか。村での出来事をなかったことにするのは、自身で積み上げてきたものを否定するようなものだった。
あの村の時のように、ナリアの口先でこの事態を打開できるとはさすがに思えない。だが危機が近付いていると感じながらも逃げることを選べず、イサムは半ば思考を放棄して、ユーラとナリアと共に言葉を発さず道を進んだ。
両者が歩みを進め、その距離はどんどんと縮まっていく。
近付く集団、その陣容がイサムの目にもはっきりと映った。
集団は二十人ばかりで、全て男のようだ。後方に馬に騎乗した者と、それとは別の馬車の御者がいて、その二人以外は皆が徒歩で進んでいる。
徒歩で進む者達は一様に武装しており、腰に剣を備えていた。四、五人は騎士なのだろう、村で会ったアルド達と同じ格好をしている。残りの者は革の鎧らしきものを着込んでおり、装備に差があった。またその者達は騎士に比べて、歩き方からして粗野に見えた。
また後方の二人、御者は村で見た人々の服装と大差ないように見えるが、馬に騎乗した者は白を基調とした服を纏い、聖教会の関係者だと察せられた。
両者はそれぞれ相手を前にして、歩みを止めた。
いまだ対応が決まらない中で、イサムはどうするのかを窺おうと両脇のユーラとナリアの顔に視線を走らせる。
ユーラは緊張の色を浮かべながらも、値踏みするかのように集団の一人ひとりを確認していた。頭を隠すフードは森の道中から外していて、ユーラが獣化病だということは彼らに気付かれているだろう。
そしてナリアは再び話し合いに挑もうとしているのか、集団に目を向けながら一歩前へ進み出たところだった。
イサムはナリアの視線を追うように、集団へと顔を向けた。
集団の中に獣化病の者は一人もいない。騎士達はその表情を表に出さず、何を考えているのか窺い知ることはできなかった。その一方で、革鎧を着込んだ者達はユーラやナリアへ視線を向けながら、嫌らしい笑みを浮かべている。
そんな武装した者達をかき分けて、後方から進み出る男がいた。先ほどまで一人、馬に騎乗していた者だ。白を基調とした服に、重ねるように白い外套を羽織っている。青糸で縁取られた衣服は手の込んだものだと、イサムが遠目に見てもわかった。
白い服を着た男が集団の先頭に立つと、ナリアは歩み寄ろうとさらに足を踏み出そうとする。
「止まれ」
厳かな声で、男はそう言い放った。
ナリアの足がすぐに止まる。
イサム達と集団の間には、十メートルほどの距離が取られた。
「その道を来たということは騎士に会ったはずだ。それなのに、どういうつもりだ?」
挨拶も抜きにそう続けて、睨むような男の視線がユーラを見る。
男の年齢はわからない。その声は若々しいものではなかった。夕闇に隠れて、イサムの目には短く切られた暗色の髪以外、確認することはできない。
「私がカラトペまで連れて行くことで、了承は取れております」
「……その恰好、修道士と見受けるが」
男はユーラからナリアへ視線を移すと、まるで今初めてナリアの存在に気が付いたかのように振る舞ってくる。
男の身長はイサムやユーラと同じほどで、ナリアとは頭一つ分違う。自然とその視線は見下ろすものとなっていた。
「クエンタから参りましたナリアと申します」
「クエンタ……、あの修道院か。そんな遠くから来たならば、さぞお疲れだろう」
発せられたのは労いの言葉だが、聞こえてくる声の調子からは言葉通りの気遣いが感じられない。
「余計な罪人の面倒は我々が見よう。旅の負担を減らして、先へ進むがいい」
そして男が一方的に言葉を続けて、ユーラは不快そうに目を細めた。
男はナリアの名乗りに対して、名乗り返そうという素振りを一切見せずにいる。
煽られているのか、自然なのか。言葉の端々からも感じられる自分達を見下す態度に、イサムもまた不快感を覚えた。
「道中の村でしっかり休息致しましたので、ご心配には及びません」
けれどナリアは男の態度に顔色一つ変えず、恭しく礼を返すと男の申し出を断った。
「……カラトペまではまだ遠いぞ」
男の声はナリアの態度を確認するかのように、ゆっくりとした口調だった。その表情を窺うことはできないが、声には不機嫌そうなものが混ざっている。
「いえ。本当に、お手を煩わせることはありません」
それでも構わずナリアがそう口にすると、不意に集団から場違いな短い口笛が飛んできた。
その音に、イサムだけでなくユーラやナリアも集団へと目を向けた。
そこには先ほどと変わらず、表情のない騎士達と嫌らしい笑みを浮かべた武装した男達が誰一人悪びれた様子もなく立ち、イサム達へ視線を向けていた。
武装した男達はイサム達と視線が合うと、何がおかしいのか笑い声を上げた。
「厚意は素直に受け取っておくべきだったな」
武装した男達を一瞥して、男は呆れた様子を見せながらイサム達に向き直る。
「どういう意味ですか?」
男達の笑い声に反発してか、ナリアは声を張り上げた。
「ここに神の加護はない」
ナリアの目が大きく見開かれる。一拍遅れて言葉を返そうとして、それは男の言葉に遮られた。
「腑抜けの、カレプの犬が。こちらでも大きな顔ができるとは思わないことだ」
「なっ!?」
ナリアの発した声は言葉になっていなかった。
イサムは男の言葉の意味するところを完全には理解できていない。けれど怒りで顔を赤くしたナリアを見て、それが侮蔑的な言葉で、聖職者の口から発せられるべきものでないことだけはわかった。
男の言葉に呼応するように、武装した男達が腰の剣に手を伸ばす。
やはり駄目だった。予想できていたこととはいえ、イサムは自身の血の気が引いていくのを感じた。
「……左へ逃げるわよ」
今まで静かに様子を窺っていたユーラの囁き声が、イサムの耳に届く。
不安からか、無意識に腰に伸びた右手で短剣の感触を確かめながら、イサムは横目で自身の左を確認する。
道を外れたそこは、腰まで伸びた草の生い茂る草原が広がっていた。
想像を超えた最悪の事態だった。集団へと近付く中で、イサムは戦いになる可能性も当然考えていた。けれどこうも躊躇なく、同業者を始末しようとするとは思ってもいなかった。
武装した男達の浮かべる笑みが、イサムに苛立ちを募らせる。一体、この集団は何なのだろうか。聖教会という組織がわからない。そんなことを思うよりも前に、この人数を相手に何とかすることはできるのか。
イサムは不安と緊張で苦しくなる胸を、男達に対する嫌悪感で塗り潰していく。
覚悟は既に決めていた。首元の蛇は自身の存在を隠すかのように動かない。何処かで不意打ちを仕掛けるつもりなのかもしれない。脳裏にはガフの村の光景と、シーナとペルトの顔がちらついていく。何もせずに逃げることはできなかった。
「よろしいのですか?」
「死体は残すな。あの女は捕らえろ」
脇に控えた騎士に男が言葉を返すと、騎士達が一歩前に出た。
日はすっかりと落ち、辺りは闇に包まれている。星明かりの淡い光だけがイサム達を照らしていた。
闇夜の中、騎士達の抜いた剣が鈍く輝くのがイサムの目に映った。




