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7 聖教会

 事態が収束してからいくらか道を進んだものの、日は既に沈みかけていた。

 ユーラが少女に村までの距離を確認し、日が沈み切る前には辿り着かないと判断すると、道沿いに野営をすることが決まった。


 野営の準備を進めながら、イサムは準備に動く他の者の姿を目にして、大所帯になったものだと感慨に耽っていた。この世界に来た当初は、こんな状況になるとは想像もしていなかった。そもそも異界で最初に何を思ったのか、それ自体をよく覚えていないのだけれど。


 過去の自分を思い返しながら、イサムは自身の背中から降ろした荷物を漁る。その中から就職活動の時から使っている手帳を取り出すと、それを開いて今日の日付に丸を付けた。


 それは異界に来てから始めた、一種の儀式だった。毎日の、日の経過を記録する。一日を構成する時間が異界も同じなのかはわからず、この行為に意味はないのかもしれない。だがこうして一日に一度、手帳を開いて日本での日付を確認することで、日本との繋がりが保たれて無事に帰れるような気がしていた。


 イサムが手帳をぱらぱらと捲れば、年始からびっしりと企業の説明会や面接を受けた記録が残されている。この頃は、夏には内定を得ていると思っていた。手帳に埋められていた予定は途中で空白に変わると、その次にはこの世界で記し始めた丸印と覚え書きに変化する。それももうすぐ一ヶ月になろうとしていた。


「ラーメンさん、何を見て笑っているんですか?」

 そう声が掛かり、手元の手帳に影が落ちる。


 影の持ち主、少女は助けた後に改めてシーナと名乗った。

 シーナは手帳をちらりと見ると、そちらには興味を失ったようで、イサムに目を合わせてくる。


 イサムはシーナの言葉に、初めて自分が笑みを浮かべていることに気付いた。手帳の記録に、就職活動に動き回っていたことが頭によぎったからかもしれない。あの時は焦り、必死だった。けれど今を思えば、それでものん気な状況だった。


「あの、蛇ちゃんにお肉あげてもいいですか?」

「ああ、構わない」


 イサムが答えるや否や、首元にいた蛇が素早く動いてシーナににじり寄る。

 そんな蛇を恐れることなく、シーナは笑顔で餌をやり始めた。


 助けてもらったからか、シーナの蛇に対する印象は随分良いようだ。蛇の名前を聞かれたが、飼っているのとは少し違うのでイサムは名付けていなかった。言葉を理解できるのだ。もしかしたら既に名前を持っているのかもしれない。只、それを知ることはあるのだろうかと、そんなことをふと思った。


「そういえば、ペルトは?」

 手帳を閉じながら、イサムはシーナに問い掛ける。


 シーナが面白くなさそうに蛇を見ていた顔を上げると、その視線の先にはナリアと負傷していた少年、ペルトの姿があった。


 ペルトはナリアの法術が効いたのか、鼠を撃退した後の休憩中にはもう目を覚ましていた。しかし傷はナリアによって完治したが、その体調は依然万全ではない。自力で歩こうとしてふらつき、移動の際は無理をさせまいと背負われて運ばれていた。

 ペルトの運び役は、最初はイサムが、今はシーナが担っている。初めは唯一の男手だからと、イサムが自ら引き受けた。けれどいざ運び始めると、荷物と合わせての負担から頻繁に休憩を求め、なかなか距離を進むことができなかった。そこでシーナが交代を申し出た。当然周りはそれを止めたのだが、本人の強い希望とシーナがこの中で一番力があること、そして足を挫いたのも大したことがないとわかると、それを止める理由もなくなったのだ。

 十代前半の少女に力で負けるという事実に、イサムは自身の非力さを思って情けなくなった。シーナの獣化した姿にオルモルを重ねて、獣化病の者は力が強いのだろうと自身を慰めてみたが、それも空しいだけだった。

 その代わりではないのだが、イサムはシーナとペルトの荷物である大きな卵を、ユーラと一つずつ手に抱えて運んでいた。またナリアだけは命の恩人に荷運びなどさせられないと、その手にはナリア自身の荷物しかない。

 そうしてシーナとペルトの暮らす村を目指し、イサム達は道を進んだ。只、ペルトの道中の様子からは、背負われて運ばれても負担が大きいことは察せられた。その無理を避ける意味もあって、今日は野営をすることになったのだった。


「先生は何歳の頃に教会へ入られたんですか?」

 ペルトがナリアに尋ねる声が、イサムの耳にも聞こえてくる。


 目覚めたペルトはまずナリアに感謝の言葉を述べた。そしてその後はシーナの背で運ばれる最中でも、ナリアから聖教会や法術の話をいろいろと聞いていた。


「私は十二歳の頃で、周りと比べると遅い方でしたね」

 先生と呼ばれたナリアは、ペルトの質問に一つ一つ丁寧に答えていく。


 二人の会話から情報を得ようと、イサムは道中も聞き耳を立てていた。聖教会のことをユーラに聞くことは憚られ、さりとてユーラが嫌っている理由も気になれば、知る機会を逃すことはできない。

 だがこの地域では他の宗教もなく、聖教会は一般的で教義も周知されているらしい。聖教会のことでも基本的なところは話題に上らず、国での役割、立場などが話の中心だった。

 そんな話からイサムがわかったことは、聖教会が強大な権威を持つということだった。


 聖教会は単に布教を行う宗教団体というわけではなく、この地域の教育と医療を司っている。

 平野部にある街では学校を設置、運営しており、そこでは未来の聖職者だけでなく、一般市民の子供にも宗教教育を中心に学問を教えているらしい。この世界では市民の識字率もそれなりにあるようだ。

 また医療の知識や技術がこの世界では乏しく、法術が重宝されていた。唯一といっても過言ではない医療技術のそれは、神に仕える者にしか扱うことができない。聖教会は誰にでも門戸を開いている。だがそれでも法術を身に付けるには一朝一夕とはいかず、術者は少ない。現在その少ない恩恵に与れるのは、貴族が中心となっているとのことだった。


 自らの教えを幼い頃から教え込み、さらには医療技術を押さえていれば、聖教会に強く出られるものなどいないだろう。神性だけでなく実利に裏打ちされた権威の強大さは、聖教会に無知なイサムでも想像に難くなかった。


 聖教会の法術は、神が、神の身に近しい人間にのみ与えた奇跡だとされている。聖教会が神からその術を授かり、聖職者、修道士が実践している。基本的な効力としては怪我や病気の治癒が挙げられ、特殊なものとして術者の身体能力が向上することもあるらしい。

 また法術は万能ではなく、誰にでも効果があるわけではない。獣化病を患っている人間には効果が薄く、全く効果がない場合も珍しくないとのことだった。当然効果がないのだから、獣化病の者が法術師になることもない。ナリアは今だから言えると前置きをして、シーナではなくペルトが怪我をしていて良かったと語り、その言葉には聞いていた皆は苦笑するより他なかった。イサムも苦笑しながら、ナリアとユーラの間で一悶着あった原因に見当が付き、ようやく腑に落ちたのだった。


 シーナとペルトの住む村に学校はないらしい。先ほどシーナはイサムの手帳を覗いてきたが、あの反応を見るに仮に書かれていたのが日本語でなくとも、内容は読めなかっただろう。森で生活をする彼らには、文字の読み書きは必須ではないのかもしれない。

 だがペルトはどうだろうか。そんな疑問を覚えたのは、ナリアとの会話の端々に理知的な印象を与えられたからだ。巡礼路沿いの村には商人や巡礼者が訪れて、文字も全く不要というわけにもいかないだろう。そうなれば文字を学ぶ機会はあって、独学で読み書きが出来ても不思議ではなかった。

 もしかしたらペルトは聖教会に入りたいのかもしれない。会ったばかりでペルトのことを深く知るわけではない。しかしナリアに熱心に聖教会のことを聞いているペルトを見て、イサムは自分の想像がそう外れたものではないと思った。


「そもそも、ペルトくんは教会の教えをご存知ですか?」

「あの、人を教えて、導くということは……」


 ナリアの言葉で、二人の会話の様相が変わる。

 それは知りたいことでもあって、イサムはより耳をそばだてた。


「そうです。だけど、それだと正確じゃないですね。教会は人々を教え、聖地に導くんです」

「聖地ですか?」

「……やがて天が落ちてくる。それが神様の、最初のお告げでした」


 神は最初に天地を創り、次に棲まうものを創った。獣や魔物、自らを模した人、そして三人の巨人。

 三人の巨人は創世の時から、この世界の天を支えていた。雌雄同体の巨人はそのためだけに生まれ、順に子を成すと自らの役目を子に引き継ぐ。そして自身はその功績を以って、神々の住まう天上へ至った。

 巨人が子を成すには人と同じく、二人での行為を必要とした。千の年に一度だけ巨人には機会が与えられ、その日は世界の果てに別れる二人が逢瀬に役目を離れて、残りの一人が天を支えていた。

 だがそれがある時、唐突に崩れた。

 天を支える力を持つ巨人であっても、万里を見通す目は持たない。千年に一度の逢瀬を待って、孤独と苦役に耐える巨人。その巨人の一人に、誰かが囁いたのだ。常に天を支えているのはお前だけ、お前に隠れて二人は逢瀬を重ねている、と。

 孤独は毒だ。巨人はその毒に少しずつ蝕まれた。そして訪れた千年に一度の日、巨人は与えられた機会に逢瀬の相手を糾弾した。溜まった毒を吐き出すかのようなそれは苛烈で、空には雷鳴が如く巨人の咆哮が響いた。その後、糾弾はやがて闘いに、闘いは一方が倒れるまで続いた。


「巡礼してる人から聞いたことがあります。戦いに敗れた巨人が倒れて新たな大地が生まれ、その血で海が赤くなった」

「そうです」


 巨人から流れ出た血は海を赤く染め、旧き大地の多くを海に沈めた。また倒れ伏した体は山となり、全くの新しい大地にもなった。

 そしてそれは、天が支えを一つ失ったことも意味していた。


「本来ならば三人で支えるべきものを二人で支え、子を成すこともできない。やがて巨人が限界を迎え、その時にこの世界は終わりを迎える。

 そう告げた神様は人々を救うため、天上へ至る道をお示しになりました。それが聖地。聖地にある天上へ昇る階梯を目指して、教会は人を導くんです」

「……じゃあ、もしも聖地に行けなかったら、皆死んじゃうんですか?」

「いえ、天が落ちるのはまだまだ先の話です。千年後とも、二千年後とも言われてます。だからもしも亡くなるとしたら、ペルトくんのお孫さんのお孫さんの、ずっと遠い子孫になるでしょうね。でも教会はそれを防ごうと、今から遠い未来の人々をも救おうとしているんです」

「そうなんですか。すごいなぁ……」


 二人の会話を聞きながら、イサムは空を見上げてみる。日の沈みかけた空は暗くなり、いくつかの煌めく星が見えた。


 もしも天が落ちてくるというのならば、あの星々は一体どうなるというのか。そんなことをふと考えたが、野暮に思えてナリアへ問おうとはしなかった。


「あなた達、話ばかりしてないで、ちゃんと手を動かしなさいよ」

 会話が一段落したのを見計らってか、ユーラの大きな声が辺りに響く。


 その声に促され、皆は会話で止めていた準備の手を慌てて動かし始めた。

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