10 事の始まりは(3)
リタメロに対する聞き取りを終えた後でも、クルフントにはティルミカと話をする機会と時間が山ほどあった。
何しろ夫婦だ。城の三階にはクルフントとティルミカが、夫婦で過ごす部屋がある。診てもらう機会が多いティルミカのために寝室は別となっているが、それぞれの寝室に入るには夫婦部屋を経由する必要がある。いずれにしても、夫婦部屋で二人の時間を作るのは容易なはずだった。
それが翌日となっても、さらに朝を過ぎて昼を迎えても、なかなか話を切り出せなかったのは、クルフントに確信めいた嫌な予感があったからだ。
只、ティルミカはそんな伴侶の不調を見過ごす愚鈍ではなかった。
昨日は話し合いと聞き取りでそれどころではなかったが、本来客を持て成すのが主人の務め。クルフントが今日の晩餐を豪勢なものにするべく指示していると、ティルミカから時間が欲しいと求められた。
そうして二人は今、夫婦部屋で向かい合っていた。
「あの、何かお話があるのではありませんか?」
「え、ああ……」
ティルミカがそう問い掛けてきて、クルフントは戸惑った。
向こうが機会を求めてきたのに、どうしてそのまま自分に振るのか。何も知らないでいて欲しいのに、その思いすら見透かしているようだった。普段ならば心強く感じる彼女の深い思慮、それが今ここでは憎らしく思えてしまう。
クルフントの反応に話が長くなりそうだと思ったのか、ティルミカが椅子を促して、二人は小さな机を挟んで座った。
「ボゴデ様と、ユーラさんの件ですか?」
着席すると、再びティルミカから話を切り出される。
当たりを付けられたのは、状況から察するのが容易いからか。むしろそうであって欲しいと思いながら、クルフントは遂に問い質さざるを得なくなる。
「……あの手紙は、ティルミカ、君なのか?」
それでも問いをぼかしたのは最後の抵抗だった。顔に疑問を浮かべて問い返してくることを期待して、クルフントはティルミカを見た。
だがその目は、クルフントの意に反して真っ直ぐに見詰め返してきた。
「ええ。私が留守を任されていましたから」
「一体、どうしてそんなことを……」
ティルミカの目は、手紙の内容まで承知していたことを察させた。無駄な抵抗だったのだ。そもそも同時にあった馬車の行き先を変えることは、リタメロかティルミカ以外できないのだから。
クルフントが狼狽えると、ティルミカは驚いた顔をした。
「落ち着いてください。何をそんなに慌てているんですか?」
「君が、なぜ、父上の指示を」
机の上に置かれたクルフントの手に、ティルミカの手が重なった。
「何を仰っているんですか。当主はクルフント、あなたでしょう? そのあなたに私は任されていました。あなたも、私だって誰にも責められる謂れはないはずです」
「それは、そう、だけど」
二人はお互いの手を重ね、目を合わせながら言葉を交わしていく。
動揺を見せず、こちらを気遣うばかりのティルミカの態度に、その言葉が取り繕ったものではないことがわかる。しかしそれはボゴデの指示を無視したことへの、正当性の主張でしかなかった。そこに指示を無視した理由の説明はなく、クルフントは困惑を消すことができなかった。
「そもそも、亜人狩りという響きで誤解しているのではないですか?」
「誤解?」
「単に彼らの仕事場を変えるだけです。その選別を教会が差配するだけなんですから」
ベイロン家は開拓地から大して利益を得ていない。よって介入されたとて領地経営に痛手はない。けれど領地の主権を聖教会に侵されるのだから、取るに足らない話では決してなかった。聖令の発布に今後の聖教会との関係を考えれば、貴族といえどもその要求を飲まざるを得ないだけで、配慮しなければならない現状すら本意ではない。
聖教会に近しいティルミカにはそれがわからないのか、それとも別の何かが見えているのか。只、そのことを詰めるよりも、クルフントには問い質すべきことが別にあった。
「それで、ユーラは?」
亜人狩りは仕事場を変えるだけ。仮にそうだとしても、それから逃すために父や自分は動いたのだ。それを、ティルミカは何のために引っくり返したのか。
「ユーラさんにも、彼女に相応しい場所に向かってもらっていました。残念ながら、ならずと既に連絡がありましたが。なんとお詫びすればいいのか……」
「詫びる?」
相応しい場所、そしてならずという言葉の響きがやけに耳に付いて、問いを重ねるクルフントの口調は強くなる。
「ええ、もっと早く送り出せてたなら」
「……始末できたとでも?」
そしてクルフントがそう遮ると、ティルミカは初めて疑問の表情を見せた。
「君の用意した馬車で向かった先で、ユーラは襲われた。運良く、あのイサムという客人に助けられたが、死に掛けたらしい。君は、僕は君が何をしたかったのか、わからない」
「あの……、いえ、ちょっと待ってください」
制止の言葉が聞こえても、クルフントの口は止まらなかった。
「実家に、ポダ家に頼まれたのか? ユーラを始末するように。それが失敗した。でもそれでユーラに、彼女に何を詫びるつもりなんだ?」
重なるティルミカの手が強張った。それでもその目だけは決してクルフントから逸らされない。
「だから、あの、待ってください。違います」
「違う?」
「話が、先ほどから私は、仕事場を変えるだけだと。始末とか襲われたとか、話がよく……」
そこまで言うと、ティルミカは目を伏せた。
その様子に、クルフントは自然と高まっていた熱が急速に冷め、自分の勘違いを悟った。つい煽られたと思ってしまったのだ。幼い頃のユーラを知るティルミカが、そんなことをするわけがないのに。
「……ユーラを何処に連れていくつもりだったんだ?」
少し間を置いて、今度はクルフントからそう問い掛けた。
「王都です」
「王都!?」
その答えは、先ほどまでの想像とまるで真逆だった。
「ミエンタ様の薦めで、ポダ家にも掛け合い、選定に参加させようと。ですが選定は終わってしまったと、それでならずと連絡があったんです」
選定と聞いて、クルフントは眩暈を感じた。それは亜人狩り以上に手に負えない、聖教会の専権事項だった。
「……君が嘘をついてるとは思わない。けれどミエンタ様にも話を聞かないと。話を通してくれ。そこにはユーラも同席させる。いいね?」
「はい……」
ティルミカの返事は当初に比べて弱々しかった。
話を終えるとティルミカが先に部屋を出て、しばらくしてからクルフントは部屋を出た。足取りの重さは話を始める前と変わらない。けれど重かった胸の内は幾分か軽くなっていた。
執務室へ戻る途中、廊下の先にリタメロを見つけた。
リタメロもクルフントを探していたようで、目が合うと小走りに近寄ってくる。
「リタメロか。ちょうどよかった」
「クルフント様、ユーラ様がお時間を頂戴したいと」
ユーラが何を求めているのか、クルフントはすぐに察しがついた。
「それはこちらもだ。ティルミカがミエンタ様に、ご都合伺いに行っている。そこにユーラも参加させるから、時間が決まったら教えてやってくれ」
「わかりました」
リタメロはそう言うと、一礼して踵を返した。
その背中を見ながら、クルフントは気を取り直そうと一つ大きく息を吐く。その胸中では予想外の方向へ動いた話にまだまだ終わりが見えなくて、今夜の晩餐への指示は失敗だった気がしていた。




