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6 城へ

 早朝に出立したイサム達が目的地に到着した頃には、辺りは夕焼けにすっかり赤く染まっていた。


 移動の手段は一台の箱馬車。イサムもボゴデと同乗することになり、そうなるとそれなりの恰好をする必要も生まれて、小奇麗な服が用意された。清潔感のあるその服は着込めば町人か商人か、少なくとも身元を怪しまれることはなさそうな代物だった。

 道中の馬車の乗り心地は快適ではなかったものの、整備された道を進むからか、耐えられないものではなかった。只、その中に満ちた空気は終始重かった。ボゴデとユーラの間には事務的な会話しかなく、馬の駆ける音と馬車の揺れる音ばかりが馬車内には響いていた。当然、イサムやイサムの首元の蛇が場を和ませるなんてことは不可能で、蛇は黙して動かず、イサムは窓から外の景色をずっと眺めて、それに気付かない振りをする他なかった。


 只々草原ばかりの広がる平野を抜けて目的の街に辿り着くと、馬車はそのまま街中をゆったりと進み、街の奥に伸びる緩やかな坂を上っていく。坂の上に、目指す城があった。その城門をくぐって、馬車はようやく止まる。


 御者に促されて最初にボゴデが、そしてユーラ、イサムの順に下車していく。


 イサムの視線の先には石造りの城がそびえている。後方には先ほど抜けた城門と城郭をぐるりと囲む城壁がある。四方を囲まれた空間は初めて訪れる場所なのもあってか、圧迫感があった。


 ボゴデが城に向かって歩き始め、ユーラがその後ろを付いていく。二人が動き出すと、御者は馬車を動かして城の脇へ消えていった。

 その場に自分だけ残されて、イサムは慌てて二人の後を追った。

 イサムが追い付けば、ちょうど正面に見える城の大きな扉が開かれて、そこから一人の男が姿を見せた。


「お待ちしておりました、ボゴデ様」

「うむ」


 扉まで歩いてきたボゴデに、男は深々と頭を下げた。それからボゴデの返事に頭を上げて、次にユーラへと視線を向ける。


「ユーラ様も、お久しぶりです」

「ええ、リタメロも」


 リタメロと呼ばれた男は黒い短髪に黒い肌で、その上背はイサムよりも頭半分ほど大きい。がっしりとした体格に、夜の闇に溶け込みそうな深い青地の服を着ていた。


 ユーラと目礼し合うと、リタメロの視線が次はイサムへと向けられる。イサムがそれに会釈で返せば、ちらりとイサムの首元の蛇を見てから、リタメロは愛想よく笑みを浮かべた。そしてイサムよりも深く頭を下げて、視線をボゴデに戻していく。


「荷物は先に部屋へお運びしておきますので。では、ご案内いたします」

 リタメロはそう言うと、城の扉を押し開いた。


 荷物を馬車に置きっ放しだった。リタメロの言葉で、そのことに気付かされる。思っている以上に、目の前の城はイサムを圧倒しているようだった。


 そのままリタメロが城の中に進み、イサム達も続いて城の中へ足を踏み入れた。



 石造りの城内は外と比べれば幾分か暖かい。だが空気はやはりひんやりとしていて、冬にはさらに寒くなるだろうことが察せられた。寒さばかりをイサムが意識させられるのは、城内が全体的に薄暗いからかもしれない。日が沈み、採光用だろう窓から光が入ってこなくなると、光源は所々に設置された燭台で灯る蝋燭だけだった。


 リタメロを先頭に、イサム達は城内の廊下を進んでいく。


 薄暗い廊下は何処までも伸びているようで、リタメロの歩みもずっと続くように思えた。

 そもそも城の案内が必要なのだろうか。終わらない案内に、ふと考えたイサムがそう思うのは自然なことだった。ボゴデは前当主でユーラもこの城に住んでいたことがあるならば、案内を必要としているのはイサムだけなのだ。事実、ボゴデとユーラはリタメロの向かう先がわかっているようで、その足取りに迷いがない。イサムだけは物珍しさから城内に視線を走らせて、時折歩みが遅れていた。


 しばらく歩き続けていると、リタメロの歩みが唐突に止まる。それを察していたのか、ボゴデやユーラはすぐに足を止めて、イサムはそれから一、二歩遅れて止まった。


「こちらで当主代行の、ティルミカ様が皆様をお待ちしております」

 そう言って、リタメロはボゴデを見る。


 足を止めたのは閉じられた扉の前だった。

 リタメロはそのまま扉を軽く叩き、「お着きになりました」と部屋の中に声を掛けた。


「どうぞ」

 部屋の中から小さく声が聞こえた。


 リタメロは扉を内に開けて押さえると、入室を促してくる。

 ボゴデとユーラは躊躇なく部屋の中に進み、イサムもそれに続いた。


 入った部屋は書斎といった体で、大きな机と壁沿いに書架があった。机の上にはランプがある。廊下よりも暗い部屋の中で、この部屋唯一の光源であるそれが壁に大きな影を映していた。


「お養父様、お待ちしておりました」

 その言葉と同時に、壁の影が動く。


 机を挟んだ向こう側で、椅子に座っていた者が立ち上がっていた。この者がティルミカなのだろう。灯りに照らされているのは、ほっそりとした体躯と白い肌。暗い部屋に浮かぶ姿はまるで幽霊のようで、イサムは一瞬どきりとした。


 立ち上がったティルミカの顔には薄い笑みが浮かんでいる。そしてボゴデをじっと見詰めていたかと思うと、その視線をユーラへと向けた。


「ユーラさん、お久しぶりね。何年振りかしら?」

「十年振りになります。ティルミカ様もお元気そうで」

「様だなんて、そんな他人行儀は寂しいわ」

 ティルミカはそう言うと、浮かべた笑みを深くした。


 久々の対面だからなのか、何処か硬い様子のユーラがティルミカの言葉にぎこちない笑みを返す。


 友好的ではあるようだが、親しくはないのかもしれない。ユーラにとって、ティルミカは義理の叔母だ。その程度の間柄ならば、これぐらいが普通のようにもイサムには思えた。


「それで……」

「クルフントは何処だ?」

 ティルミカが言葉を続けようとして、それを遮る声がした。


 その声はボゴデの発したものだった。決して大きい声ではなく、むしろ穏やかで落ち着いた声だ。けれどその声が響くと、部屋の温度がぐっと下がった気がした。


 ボゴデはティルミカを見ていた。

 ティルミカもボゴデに視線を向けて、その顔から笑みを消した。


「主人は巡察に出ています。明日には戻る予定です」

「そうか。なら、今日はもう部屋で休ませてもらう」

 そう言うなり、ボゴデはすぐに踵を返して部屋を出ていってしまう。


 ボゴデの行動は一瞬のことだった。

 イサムは見送ることしかできず、それから同じように動かなかったユーラを見れば、ユーラはティルミカに頭を下げていた。

 ティルミカは苦笑しながら、そんなユーラへ首を横に振っていた。


「まだ夕食の準備をしているところなの。準備が終わったら呼びに行かせるから、それまで部屋でお休みになって」

「わかりました」


 ユーラの言葉で、会談は終わった。

 ティルミカに部屋の入口まで見送られて、イサムとユーラは退室する。


 出てきた廊下でボゴデが待っているわけもなく、そこには先ほど案内役を務めたリタメロが立っていた。


 リタメロはイサム達に軽く頭を下げて、それから「お部屋までご案内します」と一言口にすると先導に歩き始める。

 イサム達はリタメロに続いて、夜の闇が深くなった城内を黙って進んだ。


 目に入る城内の光景は石壁と木の扉、それに燭台。いくら進んでも変化のないものに、イサムの関心は既にそれらから薄れていた。ユーラの背中を追いながら、今考えているのは先ほどの会談のことだった。

 ボゴデの行動もあってか、ティルミカとの会談は短い時間で終わった。その間、イサムは一言も喋ることなく、もしかしたら首元の蛇は気付かれてさえいなかったかもしれない。自己紹介すら求められなかったのは先触れによるものか、それとも自身の存在がおまけでしかないからか。恐らく後者だろうと察するには、案内に歩く時間は十分なものだった。

 会談の内容は挨拶のみで、そもそも当主が不在ではそれ以上の話をしようがない。だが少ないやり取りの中、ボゴデ家の人間関係の悪さが垣間見えて、イサムはこれからのことに不安も覚えていた。


 階段に差し掛かり、三人は上る。


「先にお客様をご案内します」

「私は?」

「ユーラ様は、以前お使いの部屋へお通しするようにと」


 二階まで上がると、再び廊下へ出た。一階と変化のないその廊下を、イサムは前を歩く二人の会話を耳にしながら進んでいく。

 しかし二階を歩き出してすぐにリタメロの足は止まった。

 リタメロは廊下の中央を空けるように壁際へ動き、手でイサム達にも促してくる。

 何事かと思いつつも動いてみれば、イサムの目に廊下の先からこちらへ歩いてくる人の姿が映った。


 暗い廊下に溶け込むような、黒い服を着込んだ者が歩いてくる。廊下の中央を真っ直ぐに進んでくる姿は、他の者が自身に道を譲ることを当然に思っているかのようだった。


 こちらが客の立場ではないのか。自分の存在がおまけだということを棚に上げて、イサムはそんなことをちらりと思った。けれど近付いてくる者の服装が徐々にわかってくると、自身の中で納得が生まれた。


 黒い服は外衣だった。歩みに合わせて手が動き、外衣がなびくと、その下の服装がちらつく。それは白い服に意匠が縁取りされた、聖教会特有の服装だ。


 リタメロとユーラは俯くように頭を下げていて、イサムも二人に倣いつつ、近付いてくる者の姿を上目で盗み見る。


 イサム達が頭を下げていても、会釈をする素振りすらない。聖教会の関係者だろう、その者は長い茶色い髪を持つ中年の女性だった。女の歩みは止まらず、リタメロの横を通り過ぎる。そのままユーラとイサムの横も通り過ぎるかと思われたが、そうはならなかった。


 女は足を止めると、ユーラをその横で見下ろしていた。


「……ユーラ様?」

「ご無沙汰しております、ミエンタ様」

 頭を下げたユーラが呼び掛けられて、それに応える。


 ミエンタと呼ばれた女はさらに歩み寄り、ユーラの両手を取って胸の高さに抱くように掲げた。


「まぁ、やっぱり! いつ、こちらへお戻りになられたのですか?」

「つい先ほどです。ミエンタ様はお変わりなく」


 ユーラは話し掛けられて顔を上げたものの、イサムの位置からはその表情を窺うことができない。


「はい。ユーラ様は、その、お疲れのようですね」

「いえ」


 ミエンタは朗らかに喋り、ユーラもそれに合わせた声の調子だ。

 しかしイサムはそんなユーラの声に、何処か会話を拒絶しているような印象を受けた。


「ミエンタ様、お客様方はこれからお食事なのですが、いかがなさいましょう?」

「ええ、私はいつものようにお願いします」


 リタメロが二人の会話に割って入ると、ミエンタは掴んでいたユーラの手を離した。


「かしこまりました」

「足を止めさせて失礼しました。ユーラ様、また後ほど」

 その言葉と共に、ミエンタの頭が初めて下がる。


 会釈程度のそれの後、ミエンタはさっさと歩き出して、その姿は暗い廊下に溶け込み、すぐに見えなくなった。


 まるで嵐のようだった。イサム自身は改めて部外者だということを実感させられて、一抹の空しさがある。またミエンタのことを思うと、不遜な態度とユーラへの応対の差にわけがわからなかった。


「行きましょう」

 リタメロがそう言って、イサム達も再び足を動かし始める。


 ユーラは先ほどと同じく、イサムの前を歩いている。その背中が意識せずともイサムの目には映っている。それがどうにも、イサムには今までで一番小さく見えていた。

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