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43 脱出

 大階段を下り終えて、イサムはヒュイジ達と共に下層へ戻ってきた。


 下り立って最初に意識させられたのは、下層の住民達から向けられる視線だ。その視線は困惑の色を隠さず、また周囲の至るところから向けられて、イサムは漂う異様な雰囲気に一瞬気圧されてしまった。


 その困惑の原因は、イサム達の後に続いて下層へやって来た中層の住民の存在だった。多くの視線を集める彼らは混乱する中層から逃れて、勢いだけで大階段を下ってきた。そして今、初めて訪れた下層に彼らも戸惑い、下層の住民はそんな彼らにどう対応すればいいのかわからずにいるようだった。


 この状況が生まれた責任の一端は、自分達にあるのかもしれない。只、そう思いはしても、イサムは勿論のこと、ヒュイジやゴルンにも他者を気に掛ける余裕はなかった。

 両者が牽制している中で、イサム達は我関せずと大階段から離れて、逃げるように下層の街中へ入った。


「このまま俺達は洞窟へ向かう。あそこから上層へ出るんだ」

 街を進む中、ヒュイジはこれからのことをそう伝えてきた。


 言外にお前はどうするのかと問われて、イサムは歩きながら考えを巡らせていく。

 ユーラを連れてこの街から出るのに、今は絶好の機会に思える。けれどそれは自分一人で、この場では決められなかった。また街を出るならば荷物をまとめなければならず、いずれにしても一度は宿泊所へ戻る必要がある。


「一旦、宿泊所に戻ろうと」

「イサム!」

 言葉を返そうとしたその時、遠くから誰かの呼ぶ声がした。


 全員の足が止まり、声のした方へ顔が向く。

 すると視界に入ってきたのは、小走りにイサム達へ駆け寄ってくるユーラの姿だった。


 住民の関心は中層や大階段へ向けられているようで、走るユーラを注視する者は誰もいない。

 ユーラはイサム達が気付いても走ることを止めず、傍まで来てようやく止まった。そしてイサムの無事を確かめてか、その顔にほっとした表情を浮かべてくる。


 だが次の瞬間、ユーラの表情は険しいものへと変化した。


「やってくれたわね」

 ヒュイジ達へ向きながら、険しい顔に見合った声色でユーラは言葉を吐いた。


 その声は大きいものではなかったが、はっきりとした響きがイサムの耳には残った。

 他の二人も聞き逃しはしなかったようで、ヒュイジはばつが悪そうな顔を、ゴルンは面倒そうな顔をした。


「パルツィラはどうしたの?」

 そんな二人の表情の変化にも態度を変えず、ユーラは言葉を続けてくる。

「……戻ってないなら、多分、まだ中層にいる」

 その問いに、渋々といった様子でヒュイジが答えた。

「私は、あの子にこんなことをさせるために魔術を教えたんじゃないわ」

「パルツィラが自分で、あいつ自身で決めたことだ」

 ヒュイジはユーラの顔を見ずにそう言った。


 その言葉は、中層でイサムがぶつけた問いに対する答えと同じものだ。

 だがそれを口にしたヒュイジの顔が、イサムにはあの時よりも苦しそうに見えた。


「あの子が本当に自分のしたいことをするだけなら、こんなこと必要なかった。それがわからないとでも思ってるの?」

「それは……」

 またイサムと違い、ユーラの糾弾はヒュイジの言葉を聞いても緩まず、ヒュイジは言葉を詰まらせてしまう。

「あなた達がこれを、あの子にやらせたのよ」

 そしてユーラが静かにそう言うと、ヒュイジやゴルンはもう何も言おうとはしなくなった。


 会話が途切れ、辺りの騒々しい音だけが聞こえてくる。やけに耳に付くその音は、中層の混乱が下層にも波及し始めていることを窺わせた。


「……時間がない」

 じんわりと焦燥感が募る中、気まずい沈黙を破ったのはゴルンだった。

「皆が騒ぎ出すと却って動き辛くなる。それに、竜の話も気になる」

「竜?」

「とにかく、話は後だ」


 ユーラの問いには答える気がないようで、強引に会話を切り上げるとゴルンは一人で先に歩き出す。

 イサム達はゴルンの行動に一瞬固まってしまったものの、その背中が遠くなるとヒュイジが慌ててそれに続き、イサムとユーラも歩き出す他なかった。



 道中、イサムが代官のパラレタに目を付けられたことをユーラに伝えれば、ダムティルを出ることはすぐに決まった。

 二人は一旦ヒュイジ達と別れ、宿泊所へ戻って荷物をまとめた。それぞれ背中にはリュックサックを背負い、イサムの手には杖代わりのトレッキングポールが握られている。

 また下層に混乱が波及し始めている影響か、街中に人の姿はあまりなかった。戻った宿泊所もそれは同じで、二人は別れの挨拶や世話になった礼など言えずに宿泊所を後にした。



 イサム達がヒュイジ達と合流したのは、塩の川が流れる洞窟の手前だった。

 ユーラとヒュイジ達の間にある気まずい空気は払拭されないまま、四人は洞窟の中へ入っていく。


 下層を脱出する手段は洞窟の中にある通路らしい。それは以前からモスフ達によって塩の採掘の傍ら上層へ向かって掘削され、昨今、遂に開通したものだった。

 なぜその通路にイサム達が案内されたかといえば、イサムがパルツィラを介して果物を融通したことで、モスフ達の体調がここ最近著しく改善したから。そのおかげで通路の掘削が進み、掘り終えられた。そうであったからこそ、イサムはヒュイジ達から通路の存在を教えられ、案内してもらえたのだ。


「イサム、大丈夫?」

「……なんとか」

 無理という言葉を飲み込んで、イサムはユーラに言葉を返していく。


 訪れるのが二回目となる洞窟はやはり暗く、イサムの目には何も映らなかった。

 何処を歩いているのか、方向感覚が働かない。そんな暗闇に、目の利くユーラがイサムに肩を貸して、二人は並んで洞窟を進んでいた。


 だが洞窟へ入ってから幾許もせず、イサム達は突如として大きな振動に襲われて足を止めた。


 イサムはユーラに促されるままに、その場に屈み込んでいた。

 洞窟全体が揺れているようで、イサムの頭の上にはぱらぱらと砂や土くれが落ちてくる。


 前からは悲鳴が聞こえた。洞窟で採掘に励んでいる者がいるのか、またはイサム達の他にも上層へ行こうとしている者がいるのかもしれない。誰かの落ち着きを促す大きな声が飛ぶと、それはすぐに収まった。

 その後は誰も言葉を発することなく、イサムの耳には揺れる洞窟の地鳴りと緊張で高鳴る自分の心音、隣でユーラが息を呑む音だけが聞こえていた。


「よし、いくぞ」

 揺れは数秒程度で収まり、それと同時にモスフのものと思える声がした。


 イサムの知らない内にモスフとも合流したのだろう。その声にユーラは驚いた様子を見せず、立ち上がった。

 そしてユーラに続いてイサムも立ち上がると、手に持ったトレッキングポールで体を支えながら、再び暗闇に足を進め始める。


「……さっきのは?」

「外で何かあったみたい。それよりほら、急ぐわよ」

 それだけ言うと、ユーラの歩く速度が上がった。


 それからは何事もなく、イサム達の歩みは止まらなかった。

 しばらく経てば件の通路に差し掛かり、モスフらを先頭にその通路を奥へと進んでいく。


 通路は上り坂となっており、上層を目指すのならば当然の造りだった。

 ユーラの先導で、イサムはその上り坂を淀みなく歩いていく。けれど当初緩やかだった傾斜は進んでいくと徐々にきつくなり、それが当然なのだとしても、一歩一歩踏み出す足は次第に重くなっていた。


『下ったと思ったら、また上るとか……』

 誰に聞かせるでもない愚痴が、イサムの口からはこぼれた。


 暗闇に時間の感覚が曖昧で、坂を上り始めてから随分と経った気がする。中層から下層へと一旦戻り、さらにそこから上層を目指している現状には、状況が長引けば長引くほど徒労を感じずにはいられなかった。

 疲弊した体にそんな徒労感が重なって、イサムの背中のリュックサックはまるで鉄や鉛に変わってしまったかのようだった。


 前からは先を歩く者の足音と息遣いが聞こえてくる。伝わってくる気配は一緒に洞窟へ入ったヒュイジ達やモスフだけでなく、恐らく他にも逃げる者が数人いるだろうことを察させた。獣化病らしい、暗い中でも迷いのない彼らの機敏な足音が、イサムは少し妬ましかった。


 通路の傾斜はきつくなる一方で、いくら進んでもイサムの歩みが楽になることはない。

 そしてイサムの足取りが変化しないように、獣化病の者達の足音もまた軽やかなままで変わらずにいた。


 ユーラは文句一つ言わず、ずっとイサムに肩を貸して歩いている。

 その存在に支えられ、イサムは自身の重い足を必死に動かしていた。けれどそれがいつまでも続くわけはなく、やがてイサムの頭には限界の二文字がちらついていく。


 状況の変化は、そんなイサムの限界よりも前に訪れた。

 イサム達の歩く通路の先で、歓声にも似た声が上がったのだ。


「出口?」

 近くの足音が駆け足に変化するのを耳にして、イサムの隣でユーラが呟いた。


 その呟きと遠くなる足音に、重さを増すばかりだったイサムの足もわずかに軽くなる。それは暗闇が薄まり、遠くに出口の光が見えてくると尚更のことだった。

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