幸之助 ー 白狐 ②
白狐が現れてから、長州藩の活動は活発になった。始め、新撰組は長州藩邸から七条にかけての河原町界隈の警備を強化したが、ほぼ毎晩死傷者が出たこともあり、数日でその地域の夜の警備を打ち切らざるを得なくなった。
十二月の半ばのある日、久々の非番だった幸之助は、白く雪をまとった市街へ足を踏み出した。
堺の漁師の家で育った彼は、どうも壬生の泥臭い、落ち着いた雰囲気が合わなかった。そのため彼は、非番になる度に河原町に繰り出し、ガヤガヤとした雑踏に身を任せていた。斬死体がいつどこに転がっていてもおかしくない幕末の京都とはいえ、民衆の暮らしだけを見れば、故郷と同じだな、と幸之助は思った。
ある茶屋で一服しつつ、雪を背景に人の行きかう姿を眺めていると、ふと周りの民衆とは違う雰囲気を漂わして歩く少年が目に止まった。身長は五尺程で、服装は華々しくは無いがこぎれいで、墓参りのためか右手に水桶を持っていた。元服を迎えていそうな年齢であるにも拘らず帯刀していない。何処かの町人の息子であろう。
そのような少年が、このような雪の日にわざわざ墓参りに行くとは、故人とはどのような関係であったのだろうか。意地悪い興味を覚えた幸之助は茶屋の女将に代金を払い、その少年の後をつけた。
祇園を通り、八坂神社の横の道を東山に向けて登る。何の変哲もない坂道ではあるが、雪が積もっているため歩きにくい。少年もしんどそうに登っているだろう、と思い上を見上げたときである。
「頑張ってくださーい、もうすぐですよー。」
幸之助は驚き、足を滑らせた。うわっと情けない声を出して尻餅をつく。
「はははは、大丈夫ですかー?」真っ白な世界を、足取り軽く少年が降りて来る。幸之助は、どうすればいいのかわからず、呆然としていた。
「ほら、お兄さん、立って立って!もうすぐ着くから!」
少年は幸之助に手を差し出した。幸之助は手助けに甘んじて立ち上がった。
少年は自らを優作と名乗った。齢十六で、京の町の酒屋の息子であったが、禁門の変で焼け出されてから両親が相次いで亡くなり、以前からお世話になっていた家で住み込みで働かせてもらっているという。
「で、今日がその両親の月命日なんですよ。」
優作は明るく言った。気丈な少年である。
幸之助が次の言葉を探していると、
「あ、ここです。ここ。」
と優作が指し示す。小さな石が二つ、ちょこんと並んでいる。名前は無い。
「本当は、もっと立派なお墓に入れてあげたかったんですけど、なんせ家を焼け出された後だったんで・・・。」
優作は苦笑いをしてみせた。
二人並んで手を合わせた後、幸之助が尋ねた。
「その、俺が聞いてもいいのがわからないんだが、ご両親様は、その・・・なんで・・・。」
「え〜、幸之助さんそこまで聞きますか〜?僕をつけてきただけなのに〜??」
意地悪く優作が笑う。その作り笑顔(幸之助にはそう見てとれた)が、幸之助の良心を痛ませる。
「いや、言いたく無かったら、別に、」
「病気です。二人とも。最初に父上が倒れて、それでその看病をしていた母上も・・・。」
優作の笑顔が苦笑に変わり、そして顔から表情が消えた。
「幸之助さん、なんで、人は人を殺すのでしょうか?」
突拍子もない質問に幸之助はたじろぐ。
「なんで、そんなことを俺に聞くんだ・・・?」
「幸之助さんって、お侍さんでしょ?帯刀してるし。人を斬り殺したことだってあるんでしょ?」
優作は、顔に表情を見せないまま、幸之助に尋ねた。
「いや、実は俺、人を斬ったこと無いんだ。」
優作は一瞬えっと驚いた様子であったが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「・・:そうなんですか、不思議なお侍さんだなぁ。」
「そんなに不思議か?この徳川のご時世、人を斬ったことのない武士なんて沢山いるだろ?」
「へえ、そうなんですか。少なくとも僕の知り合いのお侍さんはみんな人を斬ったことがある人ばかりだったので。」
幸之助は、ガラガラと自らの常識が崩されていくのを感じた。幕末の京都とは、一体どのような世界なのであろうか。幸之助は、この時初めて恐怖を覚えた。
「さぁ、幸之助さん。そろそろ帰らないと、凍えちゃいますよ。」
優作の顔には、笑顔が戻っていた。
それから一週間程した頃のことである。
白狐によって大嶽剛とその一派が斬殺された。白狐の刀を真っ二つにしてやる、と言っていた大嶽は逆に刀ごと真っ二つにされていた。
大嶽一味は非番の日の夜、祇園の料亭でたらふく飲み食いした後、壬生の屯所に帰る途中、襲撃されたようである。新撰組が夜間見廻りを断念してから初めての死者であり、またこれは白狐が、大嶽を待ち伏せたことも意味していた。
「今回の件は、白狐が新撰組を消極的に敵対視しているのではなく、積極的に敵対視しているということを示す証拠です。これは一大事です。」
惣右衛門が他の検分役の隊士と議論を交わしている間、幸之助は大嶽の骸と正対した。
大嶽の目はくわっと見開き、無精髭を生やした口は真一文字に閉じている。いつも通りの、憎たらしい顔である。しかし、いつもと違うのは、大嶽の首から下が二寸程離れていて、その間の地面が、赤茶けていることである。
そのような姿の大嶽を幸之助は無表情で見つめていた。目の上の瘤が取れて嬉しい気持ちも無い訳では無い。しかし、手放しで喜ぶことはできなかった。
それは大嶽への情によるものだろうか。いや、違う。こいつにかける情などない。喜べないのは、白狐が、いつ自らに襲いかかってくるかわからない恐怖があるからだ。そうだ、それに違いない。
幸之助は自らを納得させたが、不意に
「なんで、人は人を殺すのでしょうか?」
と、優作の声が幸之助の頭の中をグルグル駆け回りだした。
お時間いただき、ありがとうございました。
続編も、ゆるゆると書いていきます。