ゼロ──呪いの報酬──
ゼロは、始まりであり、終わりでもあった。ひとすじの光が瞳に落ちれば、数は減り、命は削れていく。数字が尽きる時、人は死ぬ。
鬼頭仁は、それを見届けるために生まれた。ゼロ回路──呪いの光。代々伝えられ、代々命を蝕んできた血の遺産。
彼は孤独だった。呪いを生業とし、呪いに囲まれ、呪いに食われる運命にあった。
灰色の煙が夜空に溶ける。やがて消えるそれを、仁は目で追うことさえしない。命もまた、数字と同じく消え去るだけだと知っていたから。
──呪いの報酬は、ゼロ。
第一章 依頼
鬼頭仁の血筋は、一子相伝の呪いに縛られてきた。父も母も、若くして死んだ。祖父も曾祖父も同じだ。
鬼頭の血を継ぐ者は例外なく、力に喰われて命を落とす。仁は子どもの頃からそれを知っていた。──長生きはできない。だから情も要らない。
ゼロ回路は光。相手の眉間に直接投げ込まねばならない。瞳に侵入した光は最小の数字を探し出し、淡く輝きながら減っていく。ゼロに至った時、依頼人が思い描いた通りの死が訪れる。
その夜。酒臭い息を吐きながら、男が仁の前に現れた。
「……あんたが鬼頭仁か」
男の手には濡れた封筒。中には大金が詰まっている。
「女だ。俺が一生をかけて愛した女だ。 あいつは俺を笑って捨てた。……木島聡子を殺してくれ」
仁は封筒を受け取り、無言で歩き出した。
翌日。木島聡子は繁華街のビルから出てきた。派手な化粧に高いヒール。笑顔で連れの男に腕を絡ませている。
仁は雑踏に紛れ、彼女の前に立ちはだかった。
「……どなた?」怪訝そうに眉を寄せる聡子。
その瞬間、仁の右目に光が灯った。ゼロ回路が、一直線に彼女の眉間へと走る。
瞳の奥に、小さな数字が浮かんだ。光は沈み、数字は静かに減り始める。
聡子は何が起きたのか分からず、ただ仁を睨み返した。「……変な人。通して」
そのまま歩き去ったが、カウントは止まらない。
夜。聡子はベッドの上で絶叫し、ゼロに至って息絶えた。
仁は煙草に火を点け、ただ夜空を見上げる。──またひとつ、ゼロ。報酬は確かに受け取った。そして寿命は、またひとつ削られていく。
数日後、新たな依頼が舞い込んだ。相手は裏社会を牛耳る大財閥の会長。屋敷を丸ごと炎に呑ませてほしいという。
仁は短く呟いた。「……火か」
そして、その夜に出会った一人の少女が、彼の運命を変えていくことになる──。
第二章 絵理乃
会長の屋敷は炎に呑まれた。ゼロ回路が導いたのは、火による死。
だが誤算がひとつあった。
廊下の奥。煙に咽びながら立ち尽くす小さな影。怯えた瞳で仁を見上げる少女。
助ける理由はなかった。依頼には含まれていない。
──なのに、仁は手を伸ばした。
抱きかかえて外に引きずり出したその少女が、絵理乃だった。
祖父を炎で失った衝撃と、命を拾われた記憶。その夜が彼女の心を幼いまま縫い止めた。体は大人になっても、心はあの夜の少女のまま。
そして彼女は仁を慕った。炎の中から救い出してくれた唯一の人として。
昼下がりの街角。猫のようにまとわりつき、仁の袖を掴む女がいた。
「仁さん……さがした。やっと、また会えた」
舌足らずな声。身体は成熟した大人の女、だが仕草は幼子のまま。
仁は煙を吐き出し、冷たく視線を逸らした。「離せ」
「やだ。もう離れないよ」
──けれど、利用できる。
「この仕事が成功したら、一緒になろう」
その言葉に絵理乃の顔がぱっと明るくなる。信じ切った者だけが浮かべる笑みだった。
「あのね……ほんとに? 仁さん……」
「ああ。だから──祖父を旅行に連れ出せ」
絵理乃は頬を赤らめ、何度も頷いた。「……うん。仁さんのためなら、なんでもする」
その夜。仁は絵理乃を自室に呼び寄せた。成熟した女の身体をした絵理乃を抱くことに、なんの躊躇いもなかった。だがその瞬間、胸元で淡く光るものに気づく。
小さな硝子のペンダント。あの時から身に付けていた、母の形見。
「……それを外せ」
「やだ。これだけは外せないの」
仁は舌打ちし、背を向けた。硝子の奥で揺れる光が、一瞬だけ彼の胸をざわつかせる。
その光が、やがて彼を滅ぼすとは知らずに。
第三章 財閥の影
財閥は血を啜ってのし上がった。取引先を騙し、工場を潰し、裏金を操って権利を奪う。
仁のもとを訪れたのは、小さな工場の社長の妻だった。痩せた頬に怨嗟を滲ませ、封筒を差し出す。
「……あの会長を……殺してください」
仁は黙って頷いた。この街では金よりも、恨みの方が重い。
会長一族は次々とゼロ回路に呑まれた。「呪われた一族」と記事が踊り、裏通りには噂が広がる。
──鬼頭仁。依頼を必ず果たす男。
恐怖と畏怖が入り混じり、その名は広まった。報酬は増え、依頼は途切れなかった。
酒場の奥。仁は唯一の手下、情報屋と向かい合っていた。
「……どうだ、今の気分は」にやつく情報屋に、仁は短く笑った。
「悪くない。……俺はもう、誰にも出し抜けない」
「ゼロ回路を知ってるのはお前だけだ。 裏切らなければ、一生食わせてやる」
情報屋は笑った。だが、その目に揺れた濁りを、仁は見落としていた。
第4章 仮装の夜
大晦日の夜、街は祝祭に包まれていた。 豪奢なホテルの大広間では、越年の仮装パーティが開かれている。 光と音楽、仮面をまとった群衆の笑い声。 その熱気の中で、仁は冷たく立っていた。
隣には車椅子の依頼人。 全身を包帯で覆い、顔の大半すら見えない。 低い声が囁く。
「標的はここに来る。……だが、姿は明かせない」
仁は短く頷いた。
だが、どれほど目を凝らしても標的は見つからない。 仮面と仮装に覆われた群衆は、誰もが眉間を隠していた。
そのとき──仁の右目に淡い光が灯った。 ゼロ回路が勝手に始動する。 視界に数字が浮かぶ。
十。
冷たい衝撃が胸を走る。 カウントダウンが始まった。
──二年前。 「この仕事が成功したら、一緒になろう」 仁の言葉を信じて、絵理乃は祖父と共に旅に出た。
九。
山道で車は炎に包まれた。 祖父は即死。 絵理乃は炎に焼かれ、手足も顔も奪われた。
八。
目覚めた病室。 胸元に、母の形見の硝子のペンダントだけが残っていた。 ひび割れ、煤に汚れながらも、わずかに光を返していた。
七。
「……仁さん……助けに来てくれるよね」 誰も来なかった。
六。
やがて耳にした。 祖父を旅に誘ったのが、仁であったことを。 ──利用されていたのだ、と。
五。
恋は砕け散り、憎悪が残った。 その時、現れたのが情報屋。
「ゼロ回路は光だ。……なら、返せばいい」
ペンダントがふと揺れ、光を跳ね返した。 絵理乃の胸に、その言葉は突き刺さった。
四。 仁は人混みをかき分ける。 心臓の鼓動が、数字の減少と重なって響いた。
ついに、その姿を見つけた。 黒い目出しマスクの仮装。
猶予は、もう残されていなかった。
仁は眉間を狙い、ゼロ回路を放った。光はなにかに弾かれ、返ってきた。
「……ぐ、あ……っ」
三。
とつぜんの激しい頭痛に悶絶する。滲む視界が捉えた。
二。
仮装の男の指先が、硝子を外す仕草を。その奥に、車椅子の女。
一。
包帯の隙間からのぞく見覚えのある瞳が、まっすぐに仁を射抜いた。
「……絵理乃…か……」
ゼロ。
仁は崩れ落ちた。笑い声と音楽の渦の中、その死を知る者は誰もいなかった。
エピローグ 呪いの報酬
裏路地。情報屋は札束を抱えて笑っていた。
「へへっ……見たかよ。あの仁の野郎も所詮は俺の手のひらさ。 光だか呪いだか知らねえが、最後に笑うのは俺だ」
札束を口に咥え、にやける。
その瞬間、視界の奥に淡い光が灯った。
「……あ?」
瞳の奥に、小さな数字が浮かんだ。減っていく。無情に。
「ちょ、待て……俺は依頼してねえ! やめろ……!」
三。不意に、仁の声が頭に響き渡る。──裏切らなければ、一生食わせてやる──二。
「あ……あの時」震える手からこぼれ落ちた紙幣が、路地に散らばり、酒瓶が転がる。絶叫は降り出した豪雨にかき消された。
一。
「やめ──」
ゼロ。
主をなくした濡れた紙幣だけが、にぶく光を反射していた。
[完]
※これは昔「龍水晶」という同人誌に寄稿したものをリメイクしました。#創作大賞2026 #ファンタジー小説部門




