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誰も寝てはならぬ悪役令嬢  ~氷の処刑姫は、夜明けまでに破滅を回避したい~  作者: kiyoaki


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第6話 夜明け前の告白

 神瑠シェンルー帝国の天を突く「月蓮塔げつれんとう」。

 その最上階は、地上千尺の風が吹き荒ぶ、神に最も近い聖域だった。


 東の地平が、熟れすぎた柘榴ざくろを割ったような、禍々しくも美しい残照に染まり始めている。

 紫から紅へ、金色へと移ろう空の色は、トゥーランドットの心を苛む、激しい葛藤そのものだった。


 塔の欄干に背を預け、ただ独り夜明けを待つ男がいた。 カラフ。その漆黒のカフタンは夜風を孕んで大きくはためき、胸元に飾られたペルシャ細工の銀の鎖が、朝の微光を跳ね返して冷たく煌めく。

「……来たのだな、我が姫よ」

 振り返った彼のかたちは、もはや野心に満ちた異邦人のものではなかった。そこにあるのは、永い永い冬を越えてようやく最愛の者の元へ辿り着いた、巡礼者の如き静謐な悦びだった。


 トゥーランドットは、乱れる息を整えながら彼に対峙した。彼女の纏う極彩色の長衣は、激しい足取りのために裾が裂け、髪を飾っていた翡翠のかんざしもどこかへ失われていた。

 その乱れこそが、彼女を「完璧な人形」から「生きた女」へと変貌させていた。


「答えは……出たわ。あなたの正体も、あなたがこの国へ来た真の理由も」

 彼女の声は震えていた。それは恐怖からではない。自身の内側で、前世の記憶という「氷」と、この世界で芽生えた情愛という「炎」が、音を立てて激突しているからだ。


「教えてくれ。夜明けの鐘が鳴る前に。私は何者として、あなたの前に果てるべきか」

 カラフは一歩、また一歩と彼女に歩み寄る。彼の身体から立ち上る、渇いた砂と芳醇なスパイスの香りが、トゥーランドットの理性を狂わせていく。

「あなたの名は……カラフ。亡国・亜流砂門(アル・ザハド)の王子。そして、あなたがここへ来たのは……」


 トゥーランドットは言葉を詰まらせた。リューから聞いた真実が、胸の奥で熱い塊となって喉を焼く。

「かつて、雪に閉ざされた離宮で死にかけていた私を、そのマントで包み『いつか夜を終わらせに来る』と誓った……あの時の少年だから。あなたは、私に奪われた心を返しに来たのではなく、私が捨ててしまった『明日を信じる心』を、届けに来たのでしょう?」

 カラフの瞳が、驚愕と深い感嘆に揺れた。 彼は、彼女の白磁の如き頬に、熱を帯びた指先を這わせた。

「……あの日、雪の中で震えていた小さな少女の瞳。そこに宿っていた光を、私は一生、忘れられなかった。神瑠の姫となり、氷を纏って世界を拒絶しても、あなたの魂の奥底では、今もあの日の雪が降り続いていたのだな」

「そうよ……! だから、私はあなたを殺さなければならないの!」

 トゥーランドットは、彼の胸元に隠されていた短剣を奪い取り、その刃を彼に向けた。だが、切っ先は激しく震え、彼を突くことなど到底できそうにない。


「私の名は露呈した。あなたがそれを民衆の前で叫べば、私は亡国の残党として処刑され、あなたは勝利を収める。この物語は、完璧な終わりを迎えるだろう」

 カラフは、刃が自分の喉元に触れるのも厭わず、さらに距離を詰めた。

「だが、それであなたの夜は明けるのか? 誰の愛も受け入れず、誰の死も悼まず、独りきりのいただきで凍え続ける……それが、あなたの望む『台本』なのか!」

「違う……! そんなの、嫌よ……!」


 トゥーランドットの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。ラピスラズリの如き夜が溶け、彼女の視界を朝焼けの情熱が塗り替えていく。

 前世で何度も聴いた「誰も寝てはならぬ」の旋律が、今、彼女の脳裏で壮大なオーケストラとなって鳴り響いていた。勝利の歌ではない。自身の虚飾を捨て、一人の男を愛そうとする、剥き出しの叫びだった。


「私の名は、あなたが望む名だ」

 カラフは、短剣を握る彼女の手を、自らの大きな手で包み込んだ。

「あなたが私を『死』と呼ぶなら、私は喜んで断頭台へ登ろう。もしあなたが私を別の名で呼ぶなら……私はあなたの騎士となり、この帝国の冷たい夜を終わらせてみせる」

 塔の階下から、朝の訪れを告げる第一の鐘が重々しく響いた。帝都の民が、処刑の時を待つ大臣たちが、固唾を呑んで塔の上を見上げている。


 トゥーランドットは、短剣を石畳の上に投げ捨てた。カラン、という虚しい金属音が、朝の静寂に消えていく。

 彼女は、カラフの逞しい首に腕を回し、その胸に顔を埋めた。彼の心音は、砂漠の太鼓のように力強く、彼女を「現在」という奇跡に繋ぎ止めていた。


「……判ったわ。あなたの名は、私が決める」

 彼女は涙を拭い、気高き神瑠の姫としての貌を上げた。その瞳に宿っているのは、他者を拒む氷ではなく、愛する者を守り抜くための、熾烈なまでの炎だった。


「行きましょう、カラフ。……夜明けは、すぐそこよ」

 二人は手を携え、眩いばかりの光が差し込む階段へと歩み出した。

 定められた悲劇の幕を下ろし、自分たちだけの新しい物語を書き始めるための、最初の一歩だった。


 神瑠帝国の空に、太陽がその全貌を現そうとしていた。

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