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「可愛げのない人形」と追放された完璧令嬢、隣国で苺コッペパンの洗礼を受ける。~私を縛った死の家訓は、不器用な親の愛(物理)でした~

掲載日:2025/12/21

 



 人生で唯一許された甘味は、庭の隅に自生する、酸っぱくて硬い野いちごだけだった。


「シャルロッテ! お前のような融通の利かない鉄人形、本日限りで婚約破棄だ!」


 エーデルシュタイン帝国の華やかな夜会会場。

 私は天から一本の糸で吊り下げられているかのように真っ直ぐ背筋を伸ばし、婚約者であった第四王子――ギルバート殿下の罵倒を受け止めていた。


 周囲からは失笑と、憐れみの視線。だが、私の心は凪いでいた。

 瞬き一つせず、完璧な淑女の仮面を崩さない私を見て、殿下はいら立ちを募らせる。


「聞いているのか! 隣にいるミーナを見ろ、彼女は私の贈った菓子をあんなに幸せそうに食べるぞ。お前のような心まで乏しい女、帝国の妃には到底相応しくない!」


 殿下の隣では、男爵令嬢ミーナが勝ち誇ったように笑い、甘ったるいマカロンを口に運んでいる。  

 殿下はご存じないのだ。そのマカロンの予算が、国王陛下の「私的なへそくり」から出ていることも。  

 そして、私がなぜ「甘味」という名の毒を、命がけで避けてきたのかも。


「承知いたしました。ギルバート殿下。その望み、謹んでお引き受けいたしますわ」


 私は完璧な角度でカーテシーを捧げた。その足首の角度が、殿下への最後の「教育」であることにも、彼は気づかない。



 ――両親は、すべてを知っていたのだろう。  その夜、帰宅した私に、父はそっと肩に手を置き、母は背中に手を当てて寄り添ってくれた。




 翌朝には、私の旅支度がすべて整えられていた。


『ロッテ、これを持って行け。中身は銀貨だ。……重くてすまないな』  


 別れ際、父が差し出した袋は、持ち手が食い込むほどに重かった。


 『ロッテ、もう家訓は忘れなさい。これからは、お前が美味しいと思うものを食べなさい。それが、私達の最後の命令だ』


 二人とも、一言も「愛している」とは言わなかった。

 けれど、あの人たちの厳しさは、すべて私をこの日まで生かすためのものだったのだ。


 ガタゴトと揺れる馬車に揺られ、私は隣国・共和国の街角に降り立った。


 鼻先をくすぐる、暴力的なまでに甘い香り。  

 窓越しに見えたのは、白く柔らかな生クリームと、宝石のような苺が並んだパンだった。


「その……苺の挟まったものを、一つ。いただけますか」


 受け取ったパンは、驚くほど柔らかかった。  

 私は覚悟を決め、大きく一口、その禁忌を頬張った。


「――っ!?」


 衝撃が走った。  

 雲のように軽いクリームが舌の上で溶け、濃厚な乳の甘みが広がる。

 追いかけるように、苺の鮮烈な甘酸っぱさが弾けた。  

 それは、庭の野いちごとは似て非なる、福音の美味。


「美味しい。美味しいですわ……っ!」


 涙が止まらなかった。不浄な毒などではない。

 これは、凍てついた心を溶かす救いだ。  


 私は鼻の頭にクリームをつけたまま、母から渡された『庶民の暮らし手引書』を開いた。


《第一条:パンを買う際は銀貨を使いなさい。お釣りで店主が倒れます》


 《第二条:苺コッペパンは、鼻にクリームをつけて食べるのが礼儀です》


「ふふ、ふふふ……っ」


 もう、酸っぱい野いちごで我慢するのはやめだ。

 私は私のために、この甘い世界を歩いていく。






 数カ月後




 この街には、有名な「鉄壁の看板娘・ロッテ」の姿があった。


 彼女が完璧な動作でパンを売る背後では、なぜか「幸福の鳥」が舞い、路地裏ではエリート隠密騎士団が「音感の良い猫」を必死に選別している。


「報告しろ。第十八条、岩塩による清めの準備は!」


「はっ! 不浄なゴミ――もとい、ギルバート元殿下が店に近づき次第、全方位から散布いたします!」


 一方、王都を追放され、泥にまみれて現れたギルバートは、ロッテに縋り付こうとして絶叫した。


「ひぎゃああああっ!? 目が、目がぁ!」


 不意に空から降ってきた大量の岩塩に打たれ、彼は逃げ去っていく。

 ロッテは不思議そうに空を仰いだ。


 「ここは、晴天に塩が降る珍しい気象の国なのですわね。お母様の手引書にあった通りだわ」


 そんな賑やかな午後。パン屋の隣にある大きなお屋敷に、新しい住人が引っ越してきた。


 「……あら? お父様、お母様。どうしてこんなところに?」


 「たまたまだ、ロッテ。散歩のついでに、この家が空いていただけだ」


 父は気まずそうに目を逸らし、母は満足げに手引書を閉じている。  

 ロッテは、彼らが「私を守るために爵位を譲ってまで引っ越してきた」とは一ミリも疑わず、ただ誇らしげに胸を張った。


「いらっしゃいませ! 焼き立てのパンはいかがですか!」


 不器用な愛と、甘いパンの香り。  ロッテの新しい人生は、今、始まったばかりだ。







最後までお読みいただきありがとうございました!

厳しい家訓を守り抜いた令嬢が、隣国で甘いパンの虜になり、不器用すぎる両親の愛(と岩塩)に包まれるお話でした。 ロッテが鼻にクリームをつけながら笑う姿を想像して、ほっこりしていただけたら幸いです。 もし「苺コッペパンが食べたくなった!」と思っていただけたら、評価やブクマで応援いただけると励みになります!

次は水曜日の夜、クリスマスイブに。 冬にぴったりの飲み物と、ベランダに挑む短編を投稿します。ぜひまた遊びに来てください!

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