第四話
少し間があって、屋敷の門から一人の老婆が出てきた。年は80に差し掛かろうとというあたりか。和装に身を包んだ彼女は、背筋がしっかりと伸びており、気品を感じさせた。
どこか近衛の所作を彷彿とさせる。
「お菊さん、彼が涼君です。よろしくお願いします。涼君、彼女は少将の身の回りのお世話をしている方だ。」
涼は年相応の人見知りをしたのか、お菊に会釈をするのみだった。
「いらっしゃい。あなたが涼君ね。坊っちゃんから聞いています。遠いところからいらっしゃったんですってね。身の回りのものは一通りご用意しています。お部屋にご案内しましょう。」
聞き取りやすい、少し低めの声で老婆は涼に話しかける。
「では、私はここで……。」
そういって、佐藤は少し心配そうな顔をしながら、辞するのであった。涼もまた、少しの間とはいえ、見知った相手と離れるのに少し不安な様子である。
お菊に先導されて門をくぐる。
よく手入れされた庭には、石灯籠が品よく配置され、庭を流れる川には2、3の錦鯉が泳いでいる。
玄関は木の無垢材で彩られている。屋敷はよく手入れされているが、確かに年月を積み重ねていた。
「お夕飯は坊っちゃんが、丑松という割烹でとのことだったから、それまでお部屋でゆっくりなさるといいわ。あそこのお料理は本当においしくて、是非楽しみになさって。」
老婆らしからぬ無邪気さが、言葉には含まれていた。その気遣いと優しい声音に、涼はなんとも照れくさく、そしてありがたく感じるのだった。
通された部屋は10畳ほどの和室で、床の間を有していた。お菊が去ったあと、涼は畳にあおむけに寝そべり、部屋の欄間のあたりに目をやった。
普段の涼であったら、ひとさまの家でこのようにくつろぐことはなかっただろう。お菊の優しさに安心したのだろうか、それとも今日一日の出来事に気疲れしたのだろうか。
居心地の良い環境で一人になると、頭の中で考えがふつふつと湧き上がる。
祖父の死と、もとの世界に戻ることができないという、現実。戻れないというのは、本当か未だに信じられないが、登戸はおいておくとして、誠実そうな近衛と佐藤が嘘を付くとも思えない。
鹿威しが小気味よい音を鳴らす。
縁もゆかりも無い地で一人生きることになった不安が、涼を苛む。それと同時に亡き祖父との思い出が思い出される。どうにも考えがまとまらない。
「気楽に生きろ。今はそういう時代になったんだから。」
うんざりするほど聞いた祖父の口癖が脳裏に蘇る。どこか心が気楽になった気がした。思考の渦に巻き込まれた涼は次第に眠りへと落ちていく。
イグサと木の香りが、涼を包みこんでいた。
丑松という、割烹は近衛の邸宅からほど近く、片道5分といったところだった。お菊に連れられ、割烹ののれんをくぐる。
座敷に案内されると、近衛と佐藤が待ち構えていた。付け出しであろう、小鉢とビールが卓に鎮座していた。




