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月を詠む  作者: 都合
32/61

実家

深呼吸。吸って、吐いて。


目の前には重厚な扉。ドアノッカーを叩いて訪問を知らせる。少し時間をおいて、ゆっくりとドアが開いた。


「お、お嬢様…!?」


中から顔を出したのは、もう会うことはないと思っていた、乳母の姿だった。


「急にごめんなさい。その、実は…」


事前に打ち合わせていた事情を話そうとしたが、乳母の顔は曇っていく一方だった。


「急ぎ、中へ」


急かされるように玄関の中へ招かれる。私とツクヨミ様を入れた後、ドアに手をかけて外の様子を伺ってからドアを閉めた。様子がおかしいと思ったが、それを聞く前に焦ったように乳母は話す。


「ここには帰ってきてはいけません。すぐに戻るのです」


まるで何かに追われているように、緊迫した様子で乳母は話す。


「ばあや、どうしたの?何かあったの?」


もしかして、業の関係で何かあったのではないかと思い、聞いてみる。


「違います!帰ってきたことが旦那様に知られてしまったら…」




「これはこれは、お嬢様ではありませんか」




二階から姿を現したのは、執事だった。彼は、乳母に下がるように指示し、乳母は何か言いたげなまま下がっていった。


「急にごめんなさい。その、実は、…旦那様と喧嘩をしてしまって」


事前に打ち合わせていた帰省の理由。ツクヨミ様と喧嘩をして、里から家出したということになっている。


「そうでしたか。それはお辛かったでしょう。ちなみに、そちらの方は?」


そう言って、侍女のツクヨミ様を見る。ツクヨミ様は、私だけでは家出するという判断ができないだろうということで、仲の良い侍女に連れてこられてやってきたという設定だ。この辺も抜かりはない。


「初めまして、侍女のツキと申します。この度は、急に押しかけてしまい申し訳ございません。奥様のお心を思えば、一度ご実家でゆっくり過ごされてはと思い、ご一緒させていただきました」


ツクヨミ様は丁寧にお辞儀をして、挨拶をした。所作が綺麗で、里長の時の威圧感は全くない。これが「化ける」ということかと感心してしまう。


「お嬢様を想ってくださる方とも出会えたのですね。ぜひ、気の済むまでゆっくりしていってくださいませ」


執事の様子を見るに、変に思われてはいないようだ。私は小さく安堵のため息をつく。




元々使用していた部屋に入ると、一気に力が抜けてしまう。近くにあった椅子に座って、心臓を押さえる。ドアを鳴らした時から、緊張のあまりずっと心臓がうるさかったのだ。


「良かったですね、奥様」


「えぇ、安心しました」


ツクヨミ様は、私の真向かいに立っている。もう部屋の中なので、侍女に化ける必要はないと思い、もう一つの空いている椅子に座るように進める。が、ツクヨミ様に制止される。そして、また、綺麗な顔が近づいてきて。


「どこで、誰が見ているか分かりませんので。お嬢様も、私のことはきちんと侍女として扱ってくださいませ」


「え、えぇ。そうね…」


また、緊張してしまう。そうだ、確かに油断はできない。この部屋の会話だって、どこかで聞かれているかもしれない。そう思い、気を引き締めなおす。


一息ついて、部屋を見渡す。私が出て行った時と変わった場所や物はない。部屋に案内されるのも早かったように思える。そこから考えるに、私の後に誰か住んでいるということはなさそうだ。


「変わっていないわ」


「左様でございますか」


この一言で、部屋の変化はないことが伝わったはず。話す内容も気を付けないと、誰が聞いても変に思われないように細心の注意を払う。少し前まで自分が過ごしていた空間だったはずなのに、今ではまるで知らない部屋にいるように感じてしまう。


自分の置かれた状況を知ると、ここまで変わるものなのか。ひしひしと、無知は罪だと思い知る。少し物思いに耽っていると、部屋の外が騒がしくなる。


その騒がしさは、一気に私の部屋に近づいてきて、ドアがノックされる。ツクヨミ様は素早く私の前に立ち、入室を許可する返事をした。


騒がしく入ってきたのは、父ともう一人。「先生」と呼ばれていた男性だった。まさか早々に父に接触できるなんて思っていなかった。なにせ、父は忙しくて家にいないものだったのだ。久しぶりに会う娘に会いに急いできたわけではない。だって、私が嫁いでから今までの期間よりも長く会わなかったことだって、数えきれないほどあったのだから。心の中に靄がかかったような、感じがする。これは、怒りなのか。それとも悲しみなのか。


ねぇ、やはり、私は。検体としての価値しかなかったのでしょうね。




ねぇ、全てを知った今。私は、無垢なものとして、取り繕えているでしょうか。

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