04 王立学院に到着
国王陛下から命じられた教師の仕事は、初秋から始まる。予定では、第一王子が卒業するまでの五年間、僕が見守るという話だったはず。
あるいは、僕が使いものにならなかったら、もっと早くに終わるかもしれないけど、それは宮廷楽師の名を剥奪されるときでもありそう。
「王都勤務を五年も……流石に長い」
思わず弱音をこぼしたら、緑色に光る魚が現れる。
「おまえも、共に学べばいいだろう」
「……あなたはいつも簡単に言ってのけますよね」
気まぐれに現れたのは、ギルベットだった。彼は、天井の近くをぐるぐると泳いでいる。
「人の技術を盗むことは、簡単だろう?」
「ギルベットからしたら、そうかもしれませんが」
彼の基本情報を知らない僕だけど、ただ一つ、実験の末に精霊となってしまったことだけは知っている。
「あなたが後天性の精霊と言ったら、陛下はギルベットのことを研究対象にするのでしょうね」
「おまえが裏切るようなら、俺はおまえの首を噛み千切って逃げるさ」
「……そんなこと絶対にしませんから、怖いことは言わないでください」
寝台から起き上がって言うと、ギルベットは鼻を鳴らした。
現在、僕たちがいるのはゴルトス団長が用意してくれた王宮殿の一室。観葉植物とテーブル、チェア、簡易的なベッドがあるだけの客間だ。
いくら宮廷楽師とはいえ、現在は平民である僕が過大な歓迎を受けるわけがない。ある意味でホッとしながら、橙色の天井を眺める。
「仕事は来週には始まるし。とりあえずは担任教師との顔合わせか。若いからって嘗められないといいけど」
これから、忙しくなるだろう。やりたくないわけではない。僕は音術のことなら、学ぶことも教えることも大好きだ。ただ、不安がないわけではない。
第一王子が目覚めたということが、何よりも気がかりだ。これから荒れる。絶対に荒れるだろう。
「ゴルトス団長の親戚として通すなら、僕にもその設定を通してほしかったな……」
そんな願望を抱いているうちに、僕は眠りに落ちていた。
◆◀
たクラリネットが帰ってきたのと同時に、僕はいつもの旅行鞄を持って、王立学院のあるサパ樹林へ向かう。
王都からはみ出る形で建てられた王立学院は、樹林の中にぽつんと立っている。
そんな危険な場所に、我が子を連れて行けるわけがない! と言う意見も聞くが、宮廷楽師による結界がなされているから、そんなに心配することはない。
野生動物より、生徒同士の熾烈な争いの方が恐ろしいし。
ちなみに、僕は九歳の時に異例の入学をしたけど、その年のうちに退学してしまった。本当は卒業までするつもりでいたんだけど、師匠が亡くなったり、生家の人間に呼び出されたりで、結局通えなくなったのだ。
「そういう意味では、ラッキーかもね」
ギルベットが「おまえも学べばいい」と言っていたが、あながち間違いではないのかもしれない。
「よし。学院生活を満喫するつもりで行こう」
サパ樹林を抜け、見えてきた学院の入り口は、青色の花で飾られていた。季節は初秋。この国にしか咲かないグナという珍しい花が咲いていた。グナは独特な音を奏でるのだったか。考えながら銀色の校門を通り抜けると、目の前に男性が現れた。
「……まだ入学時期ではありませんよ」
やや眉を寄せた彼に、僕はきょとんとした。ああ、僕ってまだ十二歳の子供だから、大きく見積もっても、学生にしか見えないのか。
「すみません。再来週から派遣されることになりました。宮廷楽師のウィス・サンタリアです」
宮廷楽師の敬礼をしてみせると、彼は、とても不愉快そうな顔を浮かべたが、すぐに無表情へ戻る。あまり宮廷楽師のことを良く思っていなさそうな顔だった。少しやりにくさを感じつつ、僕は頬をかいた。
「学長に会う手続きをする場所を探しているのですが」
「……お得意の音術で調べてみては」
挑発するような言葉に、僕はムッと口の形を変える。
「学院内における音術の使用限度は、いくつかの階級に分かれています」
この学院では『部外者』『関係者』『生徒』『教師』『学長』の順番で権限の幅が広がっていくんだ。
「それらの扱いを超えた瞬間、宮廷楽師――白狼の音楽隊に連絡が行くでしょう。そしてこの場合、僕は教師として雇われていないので、せいぜい関係者ほどの関係です」
胸を張って言い切ると、男性の眉間はさらに深くなった。
思わず言い返してしまった。これは、素直に従っておくべきところだったのかもしれない。
少しだけ後悔していると、彼はそっぽを向きながら「手続き用の窓口は、ここから南の入り口にある」と教えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
僕が目を丸くすると、彼は嫌そうな顔をしながら、その場を後にした。
残された僕は、赤砂の建物を見上げる。王宮殿より小さい建物だが、空中庭園や周囲を囲む樹林には多くの熱帯植物が自生している。環境で言えば、僕の暮らしていたヴェリ島に近いのかもしれない。
窓口に行った僕は、あれよという間に、学長室へ辿り着いていた。すっきりとした白の壁に、橙色の床。敷かれた絨毯は毛足の短いリバーニア織のものだった。趣味が良いなと思いつつ、学長に対する挨拶も忘れない。
「お久しぶりです、ロンデ=パロンセオ学院長」
「久しぶりだね。サンタリア」
ロンデ=パロンセオ学長は、ピンと尖った耳に、薄紺色の髪を短く切りそろえた、半精霊の女性だ。存在的に言えばギルベットと近しいのではないか? と考えている。
「島から呼び戻して、悪いね」
「いえ」
「私と国王陛下で意見が一致してしまったのだよ。これも、きみを最後まで学院に置いておけなかった負い目さ」
「では……なぜ、学生ではなく教師に?」
「きみが強すぎるからではないか」
「……そうでしょうか?」
僕より強い人は、腐るほど見てきたからあまり実感が湧かないような。そんなことを言ったら「学生と楽団長たちを比べてどうする」と言われた。それもそうか。
「生徒たちを混乱させないために、きみには教師であってもらいたい」
ロンデ=パロンセオ学長は、そんな僕を手招いた。
「王子の件は伝わっているね」
「……不本意ながら」
「なら、きみのやるべきことは二つ。王子を見守りながら、教師として学びを伝え、教えるのだ」
やっぱり、僕に拒否権はないのですか、なんて苦笑いをこぼしたあと、僕は背筋を伸ばして「おまかせください、学長」と口にしたのだった。