02 宮廷楽師
音術で速度を上げたボートは、一日でロスサンへ到着した。久しぶりに見る街だが、観光客が増えたようにも思える。
ロスサンの街は、活気にあふれた港の街だ。湾に沿って建てられた建物は青色の屋根に、黄色の壁と彩りが豊か。それと、南ソルトーナの人間は、赤毛や栗毛が多い。北ソルトーナはもっと色素が薄い感じなのだが。
「さて、どこから王都に向かおうか……な」
「ウィスさーん!」
僕が辺りを見回していたその時、大きく腕を振る少女が、視界に入った。きれいな赤毛を大きく三つ編みにした少女だ。白のワンピースに、ストライプ柄の青いリボン。肩に担いでいるのは楽器のケース。
「アルフィヤリアさん」
名を呼ばれた彼女は、コツコツとブーツの音を鳴らしながら近づいてくる。アルフィヤリア・サーム。ロスサンの街に仕えている楽団――青の音楽隊の楽団員だ。
身長は僕より頭一つ小さいぐらいで、見上げてくる目は新緑の色。
「ウィスさん、私のことはフィヤと呼んでください!」
腰に手を当てて怒る姿は、愛嬌があると思う。
「じゃあ、フィヤも僕のことは呼び捨てにしてね」
「そ、そんな恐れ多いです……ウィスさんは最年少で宮廷楽師になり、さらに歌怪魚の称号まで頂いた方なのに。片や私は、王立学院の落ちこぼれ」
自分で言っていて悲しくなったのか、アルフィヤリアは目に水をためた。
「そう卑下することはないよ。女性で楽師になるのは珍しいことだし」
「……女性ながら宮廷楽師になったウィスさんはもっと珍しいのですから」
アルフィヤリアは持ち直したのか、握りこぶしを作りながら言う。忘れがちだけど、僕って女の子なんだよね。よく忘れるけど。
「女性って言っても、僕は男所帯で生まれたし、女性らしさはないだろう?」
「そうでしょうか? ウィスさんは身嗜みに気を遣いますし、そこらの男と違って紳士的ですよ」
言われて、自分を見下ろした。紺色の布地に金色のステッチが施された楽団の服。襟は詰めているし、裾もピシッと伸ばしている。気遣っているかと言われたら、確かに気遣っているかもしれない。
アルフィヤリアの力説に押されつつ、褒めてくれたことに感謝を述べた。
「フィヤ、ありがとう」
「いえいえ。そういえば、ウィスさんがロスサンに来るのは珍しいですね?」
ロスサンに来るのが珍しいどころか、大陸に降り立つことすら減っているのだけどね……と心の中で付け加えつつ、仕事で来た旨を伝える。
「実は、王都に行かなければならなくて」
「依頼ですか?」
「うん。王都から招集命令がきた」
「さすが、宮廷楽師ですねぇ」
「まあ……そろそろ向かった方がいいかなとは思っているよ」
「いつもなら観光をしていくのに、今日は性急ですね」
「宮廷楽師なんて、そんなものだよ」
そんな会話をした後、アルフィヤリアと別れた。別れ際に教えてもらった話によると、今日、王都まで最速で行くなら西にある観光馬車を使えばいいらしい。数日前、アルフィヤリアの同僚が馬に『元気』を与える音術を使ったから、力強く走ってくれるだろうとのこと。
「とりあえず、西の停車場を目指そう」
方向転換をした僕は、西へ向けてトランク片手に歩き出すのだった。
街中から香る海鮮の匂いにつられることなく、辿り着いたのは山側の停車場。そこで暫く待っていると、幌馬車が到着した。
「一人、十五ペソタだ」
周りの人が支払うのを眺めながら、僕は懐から手帳と財布を取り出す。これは楽師手帳と言って、楽師の階級と所属によって公共機関が安くなるのだ。
例えばロスサン所属である青の音楽隊ならば、ここで使う馬車や船は半額になる。位によっては半額にならないこともあるけど、基本的には安くなることが多い。宮廷楽師の僕も、王都に行けば一部公共機関が二割引とかになるんだよね。
「これ使えますか?」
「はい、使えますよ。楽師様にはいつもお世話になっております」
「ありがとう。実は〈青の音楽隊〉の子に、良い馬がいると聞いてね」
「ええ、数日前に見てもらったばかりの子がいるんです」
御者は上機嫌に答えると、手渡した銅貨を袋に入れた。後ろがつかえると思って、僕は早々に幌馬車へ乗り込む。席に着いたところで、耳元に囁くような声が聞こえた。
「王都に着いたら、どうする」
「……とりあえずは王宮殿に向かいますよ」
声を掛けてきたのは、小さな魚のギルベットだった。彼の声や姿は、普通の人には見えない。
彼にもまた、複雑な事情があるようだが、僕から詮索したことはない。
「そういえば、おまえが宮廷楽師と知って驚くやつはいないのだな」
ギルベットの疑問に、僕は窓の外を見ながら答える。
「ロスサンの街は、ヴェリ島から近いでしょう。僕の仲間は宮廷を本拠地にすることも多いですが、何人かは島と大陸を行き来しているのです」
僕の住んでいる孤島は、大陸の人間に『ヴェリ島』と呼ばれている。
常夏の音楽隊は、自由な人が多い。
だから宮廷でお役目を全うする人も、僕のようにサボる……在宅で仕事をする人もいる。その結果、ロスサンの街では宮廷楽師を見かける回数が多いのだ。食堂で何気なく隣に座った獣人が宮廷楽師の楽団長だった、とかよくあるし。
「奥さんとか居る人は、王都で暮らしているらしいですよ」
ギルベットに教えたところで、ガタンと馬車が揺れる。どうやら出発のときらしい。
王宮殿に向かったら、どうすればいいのか。担任も生徒も知らないのに。そもそも、まだ十二歳の僕に教師なんて大役、できるのだろうか。
「頭痛がしてきた……」
僕は頭を押さえながら、今後について考えるのだった。
◆◀
馬車を乗り継いでくること二日半。到着した王都は、ロスサンとは、また違う活気に満ちていた。
僕が王都に来ることは滅多にない。僕は王都出身だけど、訳あって王都に居られないからだ。それなのに王立学院の教師をしろと言われてしまった。
「やっぱり、王都で暮らすしかないのか」
「……ふん。俺の力を借りればいいものを」
自慢げに鼻を鳴らしたギルベットに、僕は「怪しい力に頼ることはしませんよ」と答えた。
ギルベットの力は宮廷楽師である僕より遥かに優れており、頼りたくなる気持ちがないわけではない。でも、そんな強大な力を代価なしに仕えるわけがないと、僕は思っている。
「相変わらず、失礼なやつだな」
「お互い様です」
そんな話をしているうちに、王宮殿が見えてきた。国王の暮らす建物は、球根のような形をした緑色のタイル屋根に、クリーム色の壁が特徴的。盆地に建っている王宮殿・王都ダリには、水路が張り巡らされており、涼しげな雰囲気が漂っていた。
この国の人の服装は、布を多分に使ったものが多い。あとはフリルとか、リボンも大人気。土地柄なのか、こちらの地方は様々な色を取り入れている。南ソルトーナにある青の音楽隊や、一葉の音楽隊も、可愛い制服を着ていたはずだ。
常夏の音楽隊の紺色は『地味な方』と言われるぐらい、色とりどりなんだよね。
王宮殿の入り口に向かうと、兵士に止められた。
「身分証を」
「宮廷楽師、常夏の音楽隊の副楽団長だよ」
楽師手帳を見せながら言うと、彼はピシッと手を後ろに持って行きながら「失礼いたしました! 楽師様」と言った。ここに来ると、自分が宮廷楽師であることを思い出させられる。
「通って構わないかな」
「はっ!」
「ありがとう」
僕は手にした旅行鞄を握り直すと、二年振りに来る王宮殿の中を歩き始めた。
王宮殿の中は、あまり変わっていなかった。青いタイルの床はダバリク模様と言って、この地域特有のまじないが掛けられたものだ。
「そういえば、ギルベットは初めてでしたか」
「おまえと出会ってから、あの島を出たことはない」
「退屈な思いをさせましたね」
「……別に」
ギルベットは含むような言葉を発すると「ちょっと探索してくる」と、すいすい泳いで行った。
ちょっぴり不安に思ったけど、今のところ僕以外の人間には見えないようだし。気にしないことにした。
「そろそろ到着するな」
前方に重厚な白い石の扉が見え、僕は深呼吸を繰り返した。団長と顔を合わせるのも久しぶりだなと思いつつ、僕は扉を手の甲で叩く。
「副楽団長、ウィス・サンタリア。ただいま参りました」
『入れ』
聞こえてきたのは重くお腹に響くような声。
まるでチューバみたいだなと思いながら、僕は扉を開いた。