第二話:異能
落ち人の隠れ里に来てから数日が過ぎた。
ボクは拾ってくれた老人、タガさんの家で暮らしている。
里といっても、十軒に満たない粗末な家々が肩を寄せ合うだけの小さな集落だった。
住人たちは皆、ボクを珍しそうに見たが、干渉してくる者はいなかった。
この里の掟なのだろう。"余計な詮索はしない"。
誰も、ボクの過去を問わない。
だから、ボクも彼らの過去を問わない。
朝は炊事や薪割り、畑の手伝い。
昼は草摘みや川での洗濯。
夜は囲炉裏の火を囲んで、タガさんと簡単な食事を取る。
そんな暮らしが、すでに日常になりつつあった。
──けれど。
ある日のことだった。
いつものように川で洗濯をしていたボクの手に、奇妙な違和感が走った。
(……引っかかる?)
水面の下、指先に何かが触れている。
石でも草でもない。
それは、目には見えない何か──
思わず右手を凝視した。
すると、あのときと同じだ。
銀色の糸が、淡く滲み出している。
「これは……」
"編め"
"斬れ"
"紡げ"
頭の中に溢れるそんな言葉。
数日前、自身より倍はありそうな巨岩を軽々と持ち上げて見せたタガさんに腰を抜かしたことを思い出す。
そんなボクを呵呵と笑いながら彼は言った、『これは"異能"だ』と。
――スキル。
前世ではゲームや漫画なんかの二次元でよくでてきた概念。
大抵は生まれながらにしてその身に宿る能力を指していた。
しかしタガさんの話を聞く限り、この世界での"スキル"はボクの知るソレより遥かに現実的で残酷な物のようだ。
持たざる者は持つものから肩身の狭い扱いを受け、持ち過ぎたものは化け物と迫害される。
異能保持者と無能力者の比率はだいたい同じらしい。
しかし人は、いや生物とはかくも愚かなもので、己と違う者を遠ざけたがる。
それはある種の生存本能であり、自己防衛本能なのだろうが、本能よりも理性を求められる人間社会においてもソレを持ち続けるのは些か愚考な面が大きいのではないかと思う。
(……まあ、偉そうなことは言えないけど)
異物を恐れる感情は、ボクにもきっとある。
だからこそ、異物となる覚悟も、必要なのだ。
右手の銀糸に意識を向ける。
するとその糸はボクの意に従うようにうねうねと動き始める。
異能は生まれついての能力、誰に習わずとも基本的な扱い方はその身に宿っているのだと言う。
それは赤子が呼吸の仕方を習うことなどないように。
然しながら極める為には誰かに師事することもあるし、自己鍛錬も必要だという。
それはそうだろう、スポーツや武術ではそれぞれに適した呼吸法があり、それを生まれながらに会得している者などそうそう居ないはずだから。
指から伸びた銀糸で川底をなぞる。
川底にある石に糸が触れると硬い感触がした。
(糸にまで触覚があるのか……!)
石の他にも、苔や水の流れ、温度等を感じ取れる。
髪の毛より更に細い糸から伝わる感触は、指先のソレと変わりない。
むしろ糸の方が鋭敏に感じ取れているようにすら思う程だ。
カナメが発現した異能に感極まっている最中、ジャリジャリと石地を歩く足音が鳴る。
「おい、洗濯終わったか……何してるんだ、お前」
嗄れた声。
振り返ってみればそこには背負子一杯の薪を何事もないように運ぶタガの姿が。
「あ、タガさん……これは、えっと……」
「ん?そいつァ……糸か?」
彼は足元に背負子を下ろすと、カナメの手元を覗き込んだ。
「異能、だな。いつ発現した」
「先程……」
「そうか……」
タガは怒るでも驚くでもなく、ただじっ……っと流れる水面に目を落とす。
しばしの沈黙を破ったのはカナメの方だった。
「……タガさん、異能は鍛えられるんですよね」
「んん?……ああ、そうだな。ただ使うってだけなら必要はねぇが、それを使って仕事してぇとか戦いたいとかなら鍛えねぇとな」
この世界には異能や武術、魔法なんかを使って魔物と呼ばれる生物を相手に戦う、【冒険者】という職業がある。
職の性質上、荒くれ者が多いらしいが子供の将来なりたい職として名が挙がることも多いものだという。
人に頼られる職であり、数々の伝説に語られる仕事だ。
身体こそ女性となっても、やはり心は男。
"冒険"という言葉に心が踊る。
「ねぇ、タガさん。ボクが冒険者になりたいって言ったら、笑いますか」
「あぁ?……いや、嘲笑わねえよ。ガキの夢を嘲笑う大人は総じてクソだろ」
あっけらかんと言い放つ彼に思わず吹き出す。
「好きに生きりゃいい、どうせ落ち人。ここに法も何もありゃしねぇんだ、テメェの身はテメェで守るしかねぇ。弱ぇ奴は勝手にくたばらせとけってのがここでの了解って奴だ。けどな、カナメ。弱ぇままじゃ、くたばる側だ」
「……わかってます」
ボクは糸を指先で弄びながら、静かに答えた。
ここがどういう場所なのか、タガの言葉を借りるまでもなく理解しているつもりだ。
この里に来てから、誰もが干渉を避けるように生きている理由も、薄々わかってきていた。
――この世界は優しくない。
力がなければ、立つことすら許されない。
異能という力を得た以上、無関係ではいられないのだ。
「教えてくれますか、タガさん。ボク、この力を使いこなせるようになりたい」
タガはじっとこちらを見た。
その目には、先ほどまでの気楽さはない。
まるで、こちらの覚悟を測るように、真剣な光が宿っている。
「……いいぜ。ただし覚悟しろよ、鍛えるってのは"死なねえようにする"ための手段だ。甘くはねぇ」
ボクは思わず唾を飲み込む。
けれど、怯むことなく頷いた。
「はい」
「よし。なら、明日から朝と晩に付き合え。まずは糸を自在に操れるようにするのが先決だな。……あと、薪割りは倍だ」
「そこは増やさなくていいでしょ!?」
思わず声を上げるボクを見て、タガは腹の底から笑い声をあげた。
笑いながら、彼は立ち上がり、背負子を再び背負う。
「いいか、カナメ。力を持つってのは、つまり"生きる"ってことだ。テメェの手で編め。斬れ。紡げ。そうすりゃ、どんな場所でもやっていける」
銀糸が夕陽にきらめく中、タガの背はどこか頼もしくも、どこか寂しげだった。
ボクはただ、その後ろ姿を見つめていた。
(……ボクも、編ごう。自分の"生"を)
静かに、けれど確かな決意を胸に刻み込む。
その夜から、ボクの異能訓練は始まるのだった。
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