閑話 遠き想い出
そこは緑生い茂る草原の丘の上。
どこまでも澄み渡った空には小鳥が舞い、暖かな春の風が草木を優しく揺らしていた。
丘の上には周囲よりも一際大きな巨木が枝を広げそびえており、雄大にして神聖とも思えるその姿は、己とうり二つの影を丘の下までも伸ばしていた。
その木陰に立つ2人の人間の姿。
1人は青年。年のころは二十を少し過ぎた頃だろうか。肩のあたりまで伸びた黒髪が風に揺れている。
もう1人はやや幼さの残る少年。身長も青年よりも少し低く、ブロンドの短い髪に青い瞳をしている。
「お前に王位を譲ろうと思う」
少年はそう言った。
「……帰られるのですね」
青年は哀しそうな顔でそう答える。
「今朝神託が下った。明日の朝には、俺は自分の世界に戻ることになる」
「そうですか……。では他のお2人も?」
「ああ、おそらくは」
ついにこの日が来たのだと青年は思った。
幼い頃から聞いていた父の話。
勇者としてこの世界に召喚されてきたという父の話を。
「お前には辛い思いをさせることになる」
青年の顔を少し見上げるような恰好で少年はそう言った。
「覚悟しておりました。自らの使命、必ずや果たして見せましょう」
青年の顔に先ほど見せた哀しみの表情はない。
「すまん……」
「お父上が謝ることではございません。私とてこの国の王位を継ぐ者。そして勇者であるお父上の子供でございます。そう生まれ出た以上、この全てを賭して果たすべき責務がございます。たとえ何百年、何千年かかろうと――この世界の為、お父上と同じように護ってみせます」
青年の言葉は、父である少年に向かって決意宣言するのと同時に、心のどこかで怯えている己自身を逃がさないようにする為の楔でもあった。
自分を縛り付ける呪いのような楔
「――ヒューナード・ボランド・ウルフシュレーゲルスターインハウゼンベルガードルフ・ロマノフ・フィラデルナードが名において命ずる。コノツギ王国王太子マルダガフ、お主の生涯をヴリトラの封印を護ることに捧げ、遠い未来に封印が破れし時は、新たにこの世界に現れるであろう勇者を守護すべく、我らが子孫を女神アルマーノ様の元へと送り届けるのだ。記憶は受け継がれる。争いの記憶も、平和の記憶も。その全ての記憶を受け継がれし子の力をもって、勇者と共に再びヴリトラを打倒しうることを、俺は別の世界から見守っている…。たとえこの身が魂のみとなろうとも、その心は常にお前たちと共にある」
「ハッ!その命、この身命に賭けまして必ずや果たしてみせます!そして……お父上のそのお気持ち、生涯この心に刻みつけて生きましょう……」
「顔も見ぬ子にも重い運命を背負わせてしまうな」
「その時はお父上に変わって、私がその子に殴られておきましょう」
「ではお前が神の下に来た時には、その分も含めて俺を殴るといい。それとも先に今殴ってくれても構わんぞ?」
「ふふ、今の私の力で殴ったとしても、お父上は痛くも痒くもございませんでしょう?ならば、これからの永い時の中で鍛えた力で殴らせていただきますよ」
「何百年、何千年と鍛え上げた力か……。人は魂となっても痛みを感じるものなのだろうか?」
「さあて、そのような神秘については私には測りかねます。ただ、運命を背負って生まれてくる子がどのような子なのかは想像も出来ませんが、小さく可愛らしい女の子であれば良いですね。その上、悲しみをしり、慈愛の心を持ち合わせていればなお良い」
「その分、俺の殴られる痛みが少なくなるということか。アルマーノ様にお願いしてみるかな?」
「お止めください。幼い少女には過酷すぎる運命でしょう」
「分かっている。ただの冗談だ」
軽口でも簡単に口にしてしまうこの人ならば、冗談でそんなことを女神に頼みそうだとマルダガフは心配した。
ロマノフは空を自由に飛ぶ鳥たちを眺めながらそう訊いた。
「何を今更。お父上の子として生まれてきたことを誇りに思うこそすれ、後悔したことなどただの一度もございません!」
「俺は勇者という役目を受け、この世界をヴリトラの手から救った。多くの人たちが俺たちを褒めたたえ、気付けば王などというものに祀り上げられていた。ああ、別にその事が嫌だったわけじゃない。俺たちのもつ元の世界の知識は、ヴリトラによって荒廃したこの世界を復興させるのに必要だった。それには権力をもつ王という立場にいることは重要な意味があったからな」
「はい。お父上様方の叡智なくして、この世界がこれほどの短期間で栄えることはなかったでしょう」
「叡智などと言うな。恥ずかしくなる。元の世界では当たり前の技術を素人の知識で提供したまでだ。まあ、結果としてはそれで良かった。この世界の技術では再現するのには限界があるからな。――そうしてこの世界は元の平和な時代を取り戻した。しかし俺は大事な家族であるお前たち子らの自由を奪ってしまった……」
ロマノフの少年のような顔は、今にも泣きだしそうになっている。
その両手は固く握りしめられ、ぶつけようのない自分への怒りに必死に耐えていた。
「お父上。私は自由でございますよ」
マルダガフの表情はロマノフとは対照的に晴れ晴れとしたものだった。
「それは私とて授かった使命に対して恐れが無いと言えば嘘になります。それでもその気になれば全てを投げ出して逃げることだって出来るのですよ?その時、お父上は私を止めますか?」
「……止めぬ。それがお前の選んだ道であるならば、俺がそれを強制することなど出来るものか。たとえそのせいでこの世界の未来がどうにかなるのだとするなら、俺がアルマーノ様に泣きついてでも叶えさせてやる」
「それは止めてください。お父上が女神様に泣きついている姿など見たくありませんから。私はお父上がそのような方であるということを存じております。ですから、これからの人生を親愛なる国王陛下の命に従い生きていくと決めたのも私の自由なのですよ」
マルダガフはそう言うと、ロマノフに向かって笑いかけた。
「その時がいつになるかは分からないのでしょう?その時が来るまで、私はこの国の未来を見守りながらのんびりと過ごしますよ。それに飽きたら――どこか近くの森の中にでも居を構えて、隠居しながら好きな本でも読んで待ちましょう。なあに、運命というものがあるのでしたら、いずれ私の下に運命の子は現れるでしょう。いつかこの身が朽ちて魂だけになろうとも、私はその時が来るまで待ちましょう」
「俺をぶん殴る為に体を鍛えるのはどうした?」
ロマノフは悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言う。
「ああ、そうでしたね。まあそれは私のスキル「管理栄養士」で何とかなるでしょう」
「……そうだな。それもお前に課せられた運命なのか」
「お父上、笑ってくださいませ。これが父と子として話す最後の時間なのです。最後にお父上の笑った顔を私の心に刻んでおきたいのですから。そしてその笑顔を思い出しながら生きていきたいのです。これからの永い刻の中を――」
そう言ってロマノフの顔を見つめる。
亡くなった母親の面影のある優しい笑みがロマノフに向けられる。
すでに覚悟を決めた息子の表情を見て、ロマノフの心の内にあった暗い霧がすうっと消えていくのを感じた。
そっとマルダガフの身体を引き寄せて抱きしめる。
線は細いがしっかりとした身体がロマノフの腕の中に包まれた。
そのまま時は流れる。
その間2人とも一言も言葉を発することはない。
伝わる体温、鼓動、そして想い。
今生の別れとなる父と子の最後の時間は、まるで柔らかに吹く春風に祝福されているかのようだった。
【スキル】「管理栄養士」
体内に取り込んだものを全て身体を構築、維持するのに必要な栄養素に変換し、過剰分を魂へと蓄積する。
寿命により肉体が滅んだ後も、その蓄積分を消費することにより魂の姿を維持することが出来る。




