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第5章 刻印が開く山脈

 山脈の稜線に沿って切り開かれた旧登山道は、地図上では既に廃道扱いとなっていた。通行禁止の標識は朽ち果て、落石注意の赤文字だけがかろうじて読み取れる。登山者の影はなく、獣道のように荒れた足元を祐輝と晴は黙って歩いていた。

 遠くで雷のような音が響いた。雲は低く、風が冷たい。秋の山は一気に気温を奪っていく。二人の足元には、踏まれた落ち葉と剥がれかけた石畳が交互に現れていた。

 「本当に、こっちで合ってるの?」

 晴の問いに、祐輝はポケットから紙片を取り出した。銀蔦の装置の奥に残されていた文書には、かすかにこう書かれていた。

 ――“刻まれた印は風を越えて揺れ、記憶の門を開く”

 その文言とともに描かれていた地図は、この登山道を指していた。山の稜線を越えた先に、かつて測量記録にさえ記載されなかった“空白地帯”があるらしい。

 「刻印のこと、思い出した気がする。昔、ここで誰かに出会った」

 「それって、私?」

 「違う。君じゃない。……でも、その人が君と似てた気がする。声も、歩き方も、理由も」

 晴はそれ以上は何も聞かなかった。ただ黙って、祐輝の後について登った。

 やがて道が開け、斜面の途中にぽっかりと空いた石のアーチが姿を現した。人の手で削られたような形状のそれは、まるで“門”のようだった。だが表面には、幾何学的な紋様がびっしりと彫られており、自然にできたとは到底思えなかった。

 「これが、門……?」

 「いや、これは“記録媒体”だ。石の中に情報を刻む、古い手法」

 祐輝はアーチの縁に手を当てた。冷たさが指先から神経へと刺さるように伝わり、次の瞬間、視界の端にぼんやりと映像のようなものが流れ込んできた。

 風に揺れる草原。倒れた塔。崩れた時計の針。どれも静止しているが、どこかに確かな“時間の気配”があった。

 「これ、記憶の記録だ……誰かの過去だ」

 彼の声に反応するように、石の模様がゆっくりと光り始めた。その光はアーチ全体を這い、中央部に向かって集まっていく。

 その中心に、小さな窪みが現れた。晴は、以前手に入れた金属片――あの人形の“鍵”とよく似た構造をしたものを取り出した。

 「これ、合うかも」

 ゆっくりと、金属片を窪みに差し込む。すると、低く唸るような音とともに、石のアーチの内部が揺れ始めた。

 光の粒が舞い上がり、空間がひとつ、開かれる。


 石のアーチをくぐった瞬間、空気が変わった。目の前には草に覆われた平原が広がり、その中央に、半ば崩れた円形の石造建築がぽつんと佇んでいた。まるで時間から切り離されたように静かなその場所には、風の音すら届かなかった。

 「ここ……見覚えがある」

 晴がぽつりと呟いた。彼女の視線は建物の中心、黒く焦げたような円形の模様に向けられている。

 「私、ここで何かを“選んだ”。でも、それが何だったか思い出せない」

 「君の記憶の中に、この場所があるなら、ここに何かが残ってる」

 祐輝は、崩れかけた階段を上って建物の中へ入った。石の床には複数の“円”が描かれており、それぞれに違う印が刻まれている。刻印はまるで時計の文字盤のようだった。

 「これは……時の座標だ。時間を場所として記録したもの」

 「記録って、私が誰かだった頃のことも?」

 「……ああ」

 晴は中央の円にそっと足を踏み入れた。すると、彼女の周囲に白い光が立ち上がり、幻のように過去の情景が投影され始める。

 それは、一人の少女が何かを叫んでいる光景だった。倒れた人影。握られた鍵。砕けた文字盤。選ぶしかなかった過去。泣きながら走る後ろ姿が、淡く揺れた。

 「これ……私だ」

 晴の声が震えていた。彼女の表情には恐怖も悲しみもなかった。ただ“受け入れる”決意だけがあった。

 「君は何かを選んで、誰かを助けて、誰かを忘れた。それでも、ここに立っている」

 「……なら、私は、また選べる?」

 「もちろんだ。君が自分の記憶を受け入れるなら、“記されなかった過去”にも価値がある」

 彼の言葉に、晴はゆっくりと頷いた。記録ではなく、記憶として。忘れられていた物語を、自分の中にもう一度刻むために。

 中央の円の一部が音もなく沈み込み、代わりに銀色の小さな欠片が浮かび上がった。歯車のような、それでいて“涙”の形にも見えるその欠片を、晴はそっと掌に乗せた。

 「これは……“刻まれなかった時間の証”なんだって」

 彼女がそう呟いたとき、周囲の光景は音もなく消えた。風が戻り、山の稜線が遠くに霞んで見える。

 「じゃあ、次は“見落とされた記憶”を探しに行こう」

 祐輝の言葉に、晴は静かに頷いた。


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