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第4章 地下礼拝堂の銀蔦

 風祭の旧修道院跡は、地図にも記されていない場所だった。かつては小さな集落の中心にあった礼拝所で、今は廃墟と呼ぶのもためらわれるほど崩れかけている。石の門は半ば土に埋もれ、入口を囲う蔦は季節を問わず青々としていた。

 祐輝はその蔦をかき分け、地下へと続く階段を見つけ出した。コンクリートと石材が混在した古い構造。足元に積もる埃と落ち葉が、長い間誰も通っていないことを物語っている。

 「ここが……」

 背後から声がした。晴だった。彼女は人目を避けるようにフードを深く被っている。

 「……わざわざ来たのか」

 「あなたが“鍵”を持ってきたから、私にも扉が見えた」

 そう言って、晴は小さな金属片――あの人形の中にあった“鍵”を取り出した。

 「この場所には、ずっと前から何かがある。けどそれが見えるのは、鍵を持った人と、もう一つ……“罪を知っている者”だけ」

 彼女の声には、いつもの無機質な穏やかさではない、どこか哀しみに似た震えがあった。

 二人は黙って階段を下りた。壁にはかつて描かれていたであろう聖人画の痕跡が薄く残り、天井からはところどころに剥落した石灰が落ちてくる。歩くたびに響く足音が、やけに大きく感じられた。

 礼拝堂の中心部に辿り着くと、そこには一つの大きな円環状の装置があった。錆びた金属でできたその輪の中には、絡まるように“銀の蔦”が生い茂っていた。それは植物ではなかった。金属とも石とも言えない、なにか異質な“生きている装飾”のように見えた。

 「……これが“銀蔦”?」

 祐輝が問うと、晴はゆっくりと頷いた。

 「これはね、“告解を封じたもの”だと思うの。誰かの罪を、ここに絡めて閉じ込めてあるの」

 「誰の?」

 「分からない。でも、私が感じる。……これ、私の知ってる声がする」

 祐輝は銀蔦に近づき、その中に埋まるようにして固定された石碑を見つけた。表面には、読めない文字が浮かび上がっていた。まるで、誰かが言葉を“消す”ために書いたような、不自然な彫刻だった。

 「読み取れる?」

 「断片的に。……“記す者は裁かれ、記さぬ者は忘れられる”」

 その言葉に、二人の間に静かな沈黙が流れた。


 祐輝はふと、背中に冷たい汗が伝うのを感じた。この場所には、誰かの“選択”が刻まれている。記すか、記さぬか。どちらも正しく、どちらも間違いなのだと、無言の石碑が語っていた。

 「ねえ、祐輝。もし、誰かの罪を記録しないことで、その人が救われるなら――それって、正しいと思う?」

 唐突な問いに、祐輝はすぐには答えられなかった。彼は晴を見つめ、言葉を探した。

 「罪を記録しないことは、忘れることと同じじゃない。……でも、忘れることで、生きていける人もいる」

 「私も、そうだったのかな」

 晴は銀蔦に指を伸ばした。その瞬間、金属のような蔓が静かに動き、彼女の手を包むように触れた。冷たいはずのそれは、不思議とぬくもりを帯びていた。

 「あなたが鍵を持ってきたから、ここは開いた。じゃあ、“開く”ってどういう意味なんだろう」

 「それを……俺たちが決めるんだと思う。“どこまで知って、どこから忘れるか”を」

 その言葉に、晴はわずかに笑った。そして、蔦の中に埋もれていた装置の中心部に、金属片を差し込んだ。

 静かな音がして、銀の蔦が少しだけ開いた。中には、小さな黒い球体が浮いていた。表面には無数の細かな模様が刻まれ、それがかすかに発光している。

 「これが、“記憶の核”?」

 晴がそっと球体に触れると、周囲の空気が揺れた。次の瞬間、祐輝と晴の視界が一気に反転する。

 音のない世界。色のない時間。そこには、祐輝も知らない“別の晴”が立っていた。

 彼女は誰かに背を向け、何かを必死に叫んでいる。けれど、声は聞こえない。足元には割れた鍵のようなものと、崩れた文字盤。それらすべてが、灰色の光の中に溶けていく。

 視界が元に戻ると、銀の蔦はすでに静止していた。球体は消え、装置の中心には、ただ一枚の紙片だけが残されていた。

 「これは……?」

 祐輝が拾い上げると、そこにはこう書かれていた。

 ――“記されなかった罪は、記憶の中に咲く花となる。裁かれず、許されず、ただ在るのみ”

 晴はその言葉を読み、そっと目を閉じた。

 「思い出したよ。……私、この場所で誰かに叫んでた。“忘れないで”って。たぶん、それが、全部の始まりだった」

 その声に、祐輝は何も返さなかった。ただ隣に立ち、静かに銀蔦の装置を見つめた。過去の記憶を背負って立つには、この場所はあまりに静かだった。


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