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第3章 優しい人形は歌う

 午前十一時の鐘が、街の南端にある古道具屋の鉄製の看板を揺らした。かつては“からくり修繕所”と呼ばれたその場所は、いまや客も少ない小さな骨董店に姿を変えている。けれど店内には、今も動くものたちが静かに息づいていた。

 棚の奥から、金属のかすれる音が聞こえる。小さな歯車が規則正しく噛み合い、時計じかけの人形がゆっくりと腕を持ち上げた。まるで生きているかのように。その様子を、晴はじっと見つめていた。

 「直してくれたんだね」

 店主は背後の作業机から顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が光を反射し、白髪交じりの眉がかすかに動いた。

 「ああ。思ったより古い構造だったが、逆にそれが良かった。今の機械より、直す余地がある」

 晴は人形の動きに合わせて自分の指を動かし、そっとその頬をなでた。金属の表面が、彼女の体温をほんのわずかに受け止めた気がした。

 「この子、歌うって言ってたよね」

 「ああ。胸の中に小さなオルゴールが仕込んであってな。ただ、ゼンマイを巻くとき、誰かが傍にいないと作動しない」

 「……それって、誰かと一緒にいるってこと?」

 「そういう風に作った職人がいたんだろうな。昔の人は、そういうのを“心”って呼んでた」

 晴は小さく笑った。

 「そっか。“心”か……」

 店の外から、風がひとすじ吹き込んできた。棚のガラスがわずかに揺れ、人形の口元が震えた。その瞬間、かすかな音が響いた。

 ――ひとつ、ふたつ、みっつ、やっつ――

 音は確かに“歌”だった。けれど、歌詞も旋律も定かではない。それはまるで、“記憶の底に沈んでいた歌”が、ふと浮かび上がったような、そんな音色だった。

 「この歌……聴いたこと、ある気がする」

 「あるんじゃなくて、“思い出した”んだろう」

 店主はそう言ってから、作業台の端にあった紙包みを晴に差し出した。

 「これは?」

 「古い部品と、もう一つ。……その人形の中に仕込まれていた“鍵”のようなものだ」

 晴は包みを開けた。中には、小さな金属片が入っていた。歯車に似ていたが、何かの部品というよりも、装飾に近かった。

 「鍵……?」

 「それが何を開けるのかは分からん。ただ、ここに書かれていた」

 店主が机の上から一枚の古紙を取り上げ、差し出す。紙の端には、こう記されていた。

 ――“歌を想い出す者、心の扉を開ける資格あり”


 晴はしばらく黙って、その金属片を見つめていた。手のひらの上で、それはまるで微かに熱を帯びているかのようだった。確かに冷たいはずのそれが、彼女の掌の中で少しだけ“存在”を主張していた。

 「これって……あの場所と関係ある?」

 「湖のほとりの遺構だろう? 話は聞いている。あそこには、昔から変なもんが集まる」

 店主は窓の外を一瞥し、街の奥に見える丘の先を指した。

 「何かを探してるんだろう。だったら、そういう“音”を覚えておくことだ。音は、記憶を引き寄せる。忘れかけたものを呼び戻す」

 晴はこくりと頷き、もう一度、人形の胸に手を当てた。そこにはオルゴールの小さな鼓動が残っていた。優しく、かすかに、確かに。

 「祐輝も、これを聴けば何か思い出すかな……」

 その名を呟いたとき、不意に扉のベルが鳴った。重たい鉄の音が空気を切り裂くように響き、店の奥へと誰かが入ってくる。振り向くと、そこには祐輝が立っていた。

 「やっぱり、ここにいたんだな」

 晴は驚くこともなく、静かに微笑んだ。

 「会いに来たの?」

 「いや、会う“必要がある”気がした。……多分、これを見たから」

 彼は懐から一枚の紙を取り出した。それは、保管庫で見つけた記録のコピーだった。少女の幻影。声のない存在。消えた足跡。

 「この記録、君のことなんじゃないかって。確認したくて」

 「確認して、どうするの?」

 「……分からない。でも、放っておいたら消える気がした」

 その言葉に、晴は少しだけ目を伏せた。そして、小さな金属片を彼に差し出した。

 「これ、歌う人形の中に入ってた。“鍵”らしいよ」

 「鍵?」

 「うん。“歌を思い出した人”が、扉を開けられるって」

 祐輝はその金属片を手に取り、まじまじと見つめた。どこかで見たことがある気がした。けれど、それがどこだったかは思い出せなかった。

 「音か……」

 彼の視線の先で、人形がもう一度、歌い始めた。

 ――ひとつ、ふたつ、みっつ、やっつ――

 その音は、確かに“昔”に繋がっていた。自分がまだ、彼女に名前を呼ばれていた頃。傘を忘れて走った放課後。夕焼けと、雨音と、古い校舎の匂い。

 すべてが、そこに繋がっていた。

 「鍵は、心の中にある。だから、答えも“記録”じゃなくて、“記憶”にあるんだな」

 祐輝がそう呟いたとき、晴は何も言わずに笑った。その笑みは、祐輝が今朝、封筒を置いてきたあの部屋の光景と、まったく同じものだった。


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