第11章 銀の夜と餃子
祐輝がふと顔を上げると、夜空は一面の銀色だった。雲一つない空に、満月がくっきりと浮かび、街の屋根の上に静かな光を注いでいた。彼が立っていたのは、古びた商店街のはずれにある小さな中華料理店の前だった。店名は「銀楼餃子店」。提灯の灯りがやや傾き、店先にぶら下がった布暖簾が風に揺れている。
「やっぱり、ここだった」
祐輝が呟いたその声に反応して、店のドアがぎぃと音を立てて開いた。中から顔を出したのは晴だった。エプロン姿で、髪を後ろでひとつに結っている。
「いらっしゃいませ。今夜は“記憶と再会”のセットがおすすめです」
その一言に、彼は思わず吹き出した。
「ずいぶんと手の込んだ餃子屋だな」
「そりゃあ、こっちは本気でやってますから」
晴はそう言いながら彼を中へと招いた。店内はカウンターと小さなテーブル席が数席、壁には手書きのメニューが並び、ところどころに貼られた紙には、「本日のひとこと占い」や「忘れていい記憶ランキング」など奇妙な言葉が踊っていた。
祐輝はカウンターに腰を下ろし、湯気の立つおしぼりを受け取った。
「本当に、こんな場所で終わるとは思わなかったよ。……旅の最後が餃子屋なんて」
「終わりじゃないよ。ここからが、私たちの“日常”の始まり」
晴はそう言って、手際よく餃子を包み始めた。カウンターの奥には、冷蔵庫やら調味料棚やら、どう見ても普通の料理店の厨房が広がっていたが、その隅に、あの神殿で見たのとよく似た記憶の装置の名残が、小さな箱になって置かれていた。
「それ、まだ動くのか?」
祐輝が指差すと、晴は手を止めて小さく頷いた。
「動くよ。だけど、もう記憶は記録しない。……これは、誰かが過去を笑って思い出すための“懐かしみマシン”だから」
「そんなの作ったの、君か?」
「うん。記憶って、重たいだけじゃつまらないからさ。ちょっと笑えるようにしておいたの」
鉄板の上で餃子が焼かれる音が心地よく響く。パチパチと油が跳ねるその音は、どこかで聞いた焚き火の音にも似ていて、祐輝の心をじんわりと温めた。
「それで、“記憶と再会のセット”って、どんな味なんだ?」
「うーん、ちょっとしょっぱいけど、あとから優しく甘くなる味。……たぶん、思い出の味ってそんなものでしょ?」
出てきた餃子は、見た目は普通だった。だが一口食べた瞬間、祐輝は目を見開いた。
「……これ、あのときの、夏祭りの味だ」
「正解。あの屋台で食べたやつを、なんとか再現してみた」
「まさか、あれを覚えてたのか……」
「忘れるわけないじゃない。だって、私たち、あの夜のことをもう一度“思い出すため”に旅をしてきたんだよ?」
祐輝は何も言えずに、ただ静かに餃子を口に運んだ。どれもこれも、過去の記憶と直結する味だった。塩味の強い海沿いの屋台風、香辛料の効いた異国風、学校帰りに寄った惣菜店の甘酢だれ――それぞれが彼の胸の奥に触れるものを連れてきた。
「こういうのって、なんだかずるいな」
「ずるいけど、幸せでしょ?」
晴の言葉に、祐輝はゆっくりと頷いた。
「……幸せだ」
夜が更け、客の姿もなくなった店内に、皿と箸の音だけが静かに響く。月明かりが窓から差し込み、銀の夜が店内を包み込んでいた。
「ところで、これからどうする?」
「そうだな。しばらくはここで、餃子を焼きながら記憶を笑いに変えるよ」
「じゃあ、僕は常連ってことで。今日みたいに、時々食べに来る」
晴は笑った。それはどんな記憶の中にもなかった、新しい笑顔だった。




