5.
咄嗟に頭に浮かんだ言葉。だけど、それが何かは分からない。そんな訳の分からない現象に、思わず動揺してしまう。
今、俺……何て言ったんだ?なんだ、どういう事だ?
「なんか、頭が痛い……」
その時、ヨミ子さんに「ヒト平さん」と呼ばれる。俺は一度自分の頭をコツンと叩いて、何事もなかったようにヨミ子さんを見た。そんな俺の目に入ってきたもの。それは――ヨミ子さんが持っている、おびただしい数の食券たち。
「ヒト平さんにつきっきりだったせいで、いつの間にか膨大の数の食券が!」
「俺につきっきりだったせいで!!」
言葉の暴力!と思わないでもなかったけど、ヨミ子さんが「いいですか?」とズイと俺に顔を近づけたものだから、つい閉口してしまう。
「ひとまずヒト平さんの食券問題は置いとくとして。まずは私のお店を手伝ってくれませんか?」
「へ?」
するとヨミ子さんは、両手を合わせて「お願い」のポーズをとる。
「手伝ってくれたら、発券機に吸い込まれたまま戻ってこない一文を、バイト代としてお返ししますから!」
「えぇ!?」
なんかおかしくない!?おかしいよね!?
狐につままれた感じがあるけど、親切丁寧に色々と教えてくれたヨミ子さんの事を、無下にも出来ない。店内を見渡す限り、ヨミ子さんの他にスタッフはいなさそうだし。そんなヨミ子さんの手には、たくさんの食券があるし。今から、この食券を一人で処理するのは、どう考えても無理だ。
「それに、下駄だしな。それで店内を走り回れるわけもないし」
「何か言いましたか?」
カランと音を立てて、更に俺に近づいたヨミ子さん。その音が、俺の溜飲をあっという間に下がらせる。
「わかった。お店を手伝うよ」
「え!本当ですか、ありがとうございます!」
「でも、俺は一人暮らしでちょっと自炊した程度の腕前だよ?いいの?」
「大丈夫です!ヒト平さんには盛り付けとか配膳をお任せしますから!」
「そっか、なら大丈夫そうだ」
俺の言葉にヨミ子さんは「良かった~!」とピョンピョン跳ねて喜んでいた。その時に、また下駄の音がカロンコロンと軽快な音を立てている。
「ではヒト平さん!よろしくお願いしますね!」
そう言って料理に取り掛かろうとするヨミ子さん。彼女の動きに合わせて揺れた着物の袖を、俺はそっと握った。
「だけど、一つだけお願いがあって」
「はい、何でしょう?」
頭をコテンと横に倒したヨミ子さん。そんな彼女を見て、俺は――
「今日の業務が終わったら、一緒に靴屋に行くっていうのはどうかな」
「え」
「あ、この辺にお店があったらの話だけど」
するとヨミ子さんはニコッと笑みを浮かべる。そして「いいですね!」と足を上げて、下駄をカランと鳴らした。その後、大きなフライパンと菜箸を握る。そして真剣な眼差しで、いつの間にか綺麗に並んだ食券たちを見るのだった。