15.
「……」
「……」
彼女が俺を認識してないのだから、会話なんて成り立つ分けない。無言で当たり前――そう思うのに、この女性と何も喋らないまま、ただこうして寄り添っているのが、何故だか妙に落ち着く。そう言えば、頭痛も少し落ち着いてきているな。
「不思議なもんだな……」
俺が呟いた、その時だった。
「ひとひらくん、会いたいな」
女性が、そう言った。
「……え?」
今、この人は何て言った?何て?ひとひらって俺の事?本当に?
一人で狼狽える俺に、当たり前だけど女性は気づかないまま、先を喋る。
「今度お弁当作るって約束したのに、どうして死んじゃうの。約束、果たせなかったじゃん……」
「っ!!」
パタリ、と女性が流した涙を見て、俺はハッとした。今までモヤがかかって見えなかった脳内の景色が、急に開けたようにクリアに見える。昔の事を、全て思い出せる。記憶が、戻ったんだ。
「この人は、そうか……」
そうだ、そうだった。なんで俺、こんな大事な事を忘れていたんだろう。何でこんなに大事な記憶を、下界に残したままにしていたんだろう。彼女は俺の、大切な人なのに。
カラン
「ヒト平さん」
「ヨミ子さん……」
俯いた俺の視界に、下駄が写る。顔を上げると、複雑な顔をしたヨミ子さんが、体の前で両手を重ねて俺を見ていた。
「な、んで……一度はぐれたら、もう二度と見つけられないんじゃ……」
「の、はずでしたが」
言うと、ヨミ子さんは困った顔をして笑った。
「この後ヒト平さんと一緒に、靴屋さんに行く約束をしていましたから」
「そ、そんな事で、俺を探し回ってくれたのか……?」
「ふふ、大事な事ですよ」
柔らかく笑ったヨミ子さんを見る。すると俺は泣きそうになってしまって、咄嗟に顔を下げて涙を隠した。そして「あのさ」と口を開き、全てを話す。どうして俺が「思い出ご飯がない」のか、その理由を話した。
「隣にいる女性は、平真希ちゃん。高校の時に両思いだったんだけど、お互い勇気が出なくて告白しなかった。だけど社会人になって、この公園で再会したんだ」
ヨミ子さんは「そうだったんですね」と、声のトーンも綺麗な姿勢も、何もかも崩さずに返事をした。
「真希ちゃんは毎日お弁当を作ってるって聞いた。外食よりもお弁当の方が好きだと。お弁当を見ると、すごく美味しそうでさ。つい“ 食べたい”って、そう言っちゃったんだ。その公園の帰り道に、俺が事故で死ぬなんて思ってなかったし」
「事故だったんですね」
「脇見運転だよ。しかも、真希ちゃんの目の前で撥ねられた。薄れゆく景色の中、その光景を嫌って言うほど覚えてる」
車に撥ねられ、空中に高く舞い上がった時。地上から真っ青な顔で、俺を見ていた真希ちゃん。彼女の悲鳴を最後に、俺は命を落としたんだ。