母がくれた愛
不意に口の中に違和感を覚えた。
舌で感じるのは紐状の…
人差し指でその異物を取り除けば、先端に向かって茶色に細い、髪の毛。
気が付いた。
…普段、何気なくワックスを付けていた髪の毛は知らぬ間に視界を覆うほど伸びていた。
スマホは、ゲームアプリの画面だった。
古賀さんとの生活が始まる前、やりこんでいたオンラインバトルゲーム。
一生懸命に育成したキャラクターたちが、それぞれポーズをとって並んでいる。
少し前まで、そのキャラクター達を眺めてはドキドキやワクワクしていたのに、今では…現実から逃げているだけでしかなかった。
腰かけた椅子も、僕を拒絶するかのように硬く感じてお尻が痛く、スマホから流れてくるゲーム主題歌にさえ無性に腹が立ってしまう…。
いつもの癖でもないのに、足が細かく震えるように落ち着かない。
そこでスマホの電源を落とした。
どうでもいいことばかりに手を伸ばす。
けれど、…収まらない。
それどころか、そのことにもあって激しさを増す。
ついに、拳を固く握って、思いっきり机に叩き付けようとしたところでとびらのさきでノックの音がした。
…どうせ母さんだと思って無視を決め込んだが…こちらがドアを開けずとも、外側から勝手に開いた。
入ってきたのは…やはり母さんだった。
ドアを半開きにした状態で、何をすることもなく僕を見つめては沈黙が続いた。
先に沈黙を破ったのは母さんだ。
「…真也」
「……」
母さんに直接出て行ってくれだとは言えない。だから、僕は沈黙を通す。
「紅羽ちゃんは今日は帰ってこないそうよ」
ッ!
…いや、知ってた。知っていて…期待していた。
「誰かさんのせいで帰りにくいってね」
…
睨むことはしないけれど、今は母さんの陽気さが僕のイラつきを刺激する。
コツコツと机を打ち付けて鳴らす。
「真也」
今度は落ち着いた声で呼ばれた。一瞬体が反応して部屋に静寂が訪れるが、それも瞬き数回ほどの時間。
「…私は何も聞いてない。けど、言わせてもらうけれど…恋愛ごっこをするためにうちで紅羽ちゃんを受け入れているんじゃないわ。」
わかってるよ
ごっこって…
今の母さんの言い方には僕の怒りの火種を肥大化させた。
コツコツコツコツとさらに早く、部屋に響かせる。
「……」
「ふう、…紅羽ちゃんはアイドルじゃない」
わかってるよ
古賀さんだって人間だよ。そう、見世物じゃない…
「神様でもない」
わかってる…
受け止めてもらえないのは人間だから。
「少し望んだ言葉が聞けなかったからって、それがどうかしたの?」
「紅羽ちゃんは優しい。けど、真也も優しくしないとその思いは空回りするだけよ」
耳が痛いのは図星だからだろうか。
…でも、と僕は思う。
「…優しくする。…だけで、それだけで…、誰かが振り向いてくれるとは思えないけどね…。」
そう、思ってしまうのだ。…どうしても。言葉にしても足りないくらいに。
母さんの目は、一層悲しそうになった。
そりゃあ、我が子の泣き言だし、辛いかもしれない。
苛立ちを母さんに棘のある言葉でぶつけている自覚はあるけれど、今は自分の気持ちを優先した。
それでも、母はもう一度口を開いた。
「…誰かより優れた人になれなくてもいい、それよりも、誰よりも人を大事に出来る人になりなさい」
「悩んでもいい。誰かに嫌われるようなことになったっていい。…でも、大切にする想いが、人を思いやる事なら、あなたはきっと自分が嫌いにならない。」
「私は、そうであって欲しい。そうあれば…いや、あくまで、胸に止めておく程度でいいけれど
…」
…何も言えなくなった。
母さんの言葉が正しいなんてこと以外に、話をするときの表情、重みが心にのしかかってきた。
…母さんは、辛さを共有しているのだろう。そう、じゃなきゃ…こんなにも母さんの暗い表情を見たのは初めてのことだった。
「…」
本当に、…なんだろう。
何でこうなるのだろう。
さっきまでの苛立ちも、虚勢もすべてがはがされ落ちた。
今残るのは罪悪感と虚無感。
どちらも言わずもがな…。
…こんなものは、望んだ答えじゃなかったはずなのに…。
ふふ、バカだなあ、僕は。
何度も繰り返す。
何度も、何度も。
でも、じゃあどうしたら…
母さんはどうして…。
いや、古賀さんもだね…。
僕はどうしたらいいのだろう。
好きでしょうがない人を前に、僕はどうすれば良かったんだろう。
すると、
「じゃあ、思春期なのに勝手に部屋に入ってゴメン」
そう、一言言って母さんは部屋から出て行こうとする。
「待って…」
僕は、そんな母さんを止めた。
本当は止めるつもりもなかったけど、反射的に。
だから、…その後の事をあんまり考えていなかった。
「ちょっと…まってよ……」
ぶっきらぼうな言葉だったけれど、
聞きたいことがあった。確かに。
しかし、それは一つしかないというのに後が続かない。
勇気が…いる。それは、とても。
「…」
「……どうしたの?」
「そ、それは…」
や、やっぱり恥ずかしい。
僕はそういうことを家でいうタイプではなかったから…余計に。
でも、言いたくないけど…
「何もないなら行くよ?」
少し焦った。母さんにしては少し強引だと思ったから。
……もう、…言おう。
どうせ隠しきれていなかったんだ。
…逆に、母さんにしか聞けないことなんだ。
―――ハァ…
僕は、声を必死に絞り出した。
「……お、女の子は…ど、どう、大事にしたらいいの?」
い、言い切った。
…とても恥ずかしかった。後から言うのもなんだけど、告白した時よりは幾分かマシだった。
憤死しそうだけど、まだ大丈夫。
だけど、母さんも人がわるい…。
せっかく人が頑張って聞いたのに、話が分かるとすぐに体をくるっと反転させてニヤリと顔を変えて…それだけで僕の羞恥心を煽ってくる。と、同時に先ほど抱いた母さんへの罪悪感は抹消した。
それを知ってか知らずか得意げになる母さん。
「ふふっ、簡単な事よ」
僕は簡単という単語に固唾を飲む。
「何も変わらない。…逆に、変えない方がいいのかもしれないわね」
そして、「まあ、そのために言ったのだけどね…」と、小さく呟いた。
「好きなんでしょ…紅羽ちゃんのことが」
とっさのことで僕は動揺したが、それも一瞬のことだった。
母さんは僕の目を射抜くかのようにまじまじと見て言い当てるのは確認しただけのように思えたからだ。
それよりも、「私が偉そうに言えることじゃないのだけれど」と前置きをしてから母は言う。
「…一方的に好意を伝えるだけじゃダメ…だとは言えないけれど、それは、相手の迷惑になっていないかしら…」
「少なくとも、…消極的でも、ロマンチェストも私は嫌ね。」
それは、ゴミのように吐き捨てた。
…こ、怖い。
それでも、続きがあった。
「…だって、みんな自分のことを一番に考えているもの…口では何とか愛を叫ばれようと…それが全部透けて見えた」
「…わかる、ものなのよ。そういうのって…」
話しているうちに遠い目になる母さんの言葉は、重みの次に冷たさを帯びる。
いつもなら軽く流していた自慢を含む話にも、今ばかりは言葉を発するのもためらわれた。
それほどなのだ。
先の自分を、古賀さんの目線で聞かされているかのような妙な緊張は…
「…アドバイスをしてあげようか」
「真也の場合、原因を見つけて、自分のその部分無理にでもどうにかしようとしたり、責め立てるように考えるでしょう。…なら、いっそのこと受け入れた方がいいわ。大事なのは…もう分かるわよね?」
僕の顔を覗くように言った。
…頷いたりはしなかった。
母さんにはまるで、手元に僕の事が描かれた本があるのかと疑うほど、すべてがお見通しだったのだ。
ついでに、…僕は少し気が晴れた。
大事なのは思う…、想う気持ち。
相手を思いやること。
なんだか、分かるような分からないような感じだ。
…だけど、どうしてこんなにも胸に響くのか…それだけは分かってしまった思いだ。
「…どうしても耐えられないことがあったら、その時は頼ってね。」
「見てくれがいくつになろうと、私はあなたの母だから」
…こう、なんとも言えない熱いものが、心に波打つかのようにじんわりと広がった。
なんとなくだけど、これが相手を思いやる事なんだと知った。
…この、熱いものが…そう、なんだ。
確かに感じる。
相手が母さんだから?…
多分、そうじゃない。
これが、愛なんだ…。
包み込ように体の輪郭があったまってきて、
…とにかく次の言葉が紡がれるのが待てなくて
…自分も分け与えたくなるようなそんな心地良いもの。
叫ぶ愛の何たるかを僕は勘違いしていることに今、言葉を奏でるかのような愛で理解させられた。
母さんは最後に、とつける。
「まあ、あまり心配はしてないけど、間違っても好意を返してなんて言わないように」
聞こえないような小さな声で、「…つらいもの」と言ったのを聞き逃さなかった。
「…返事は?」
「…言われなんても…」
…僕から母さんに泣きついたわけじゃないのに…少し、恥ずかしい。
「うん、だったらもう大丈夫かな?」
その言葉は、僕に問いかける半分、母さん自信に問いかけるようだった。
…古賀さんの保護者でもある母さんには本当に迷惑をかけた。
だから、口にはしなくても心の中でお礼を言った。
「あらあら、今日の晩御飯はいつになるのかしら?」
そう、楽しそうなのは、夜遅くまで女の子を外で一人にさせている僕への当てつけなのだと受け取った。…それと、僕の中ではすでに家族そろってご飯を食べることが今一番したいことにもなった。
投稿遅れてすみません。(まあ、もし楽しみに待っていた方がいらっしゃれば…)
これからもよろしくお願いします。




