プロローグ
◆ プロローグ ◆
村のそばにある、深くて暗い森。
子供だけで行くことを禁止されている場所のさらに奥。
うっそうと茂る木々が、夜空にあるはずの星々と二つの月を隠している。
母はその小さな背からボクを下ろすと、木のうろへと入れた。
十二歳にしても虚弱で小さなボクの体は、さして大きくもないうろにすっぽりと収まる。
「ここで待っててね」
いつもボクを無視する母の久しぶりに見た笑顔は、しかられた子供のように暗く沈んだものだった。
捨てられたんだ――
村の方へと去って行く母を見送りながら、ボクはそう悟った。
今年は日照り続きで、作物の収穫も、森で獲れる動物も少ない。
労働力になる見込みのないボクが、口減らしの対象に選ばれるのは当然だ。
体がだるく熱っぽい。指を動かすのもおっくうだ。
秋の夜風に少し当たっただけでこれだ。自分の弱い体が本当にイヤになる。
「あたしは食べても美味しくないよ! あっちいって!」
熱でぼんやりした頭に、聞き慣れた声が響いてきた。
薄く目を開けると、松明の灯りが近づいてくる。
「助けにきたよ」
声の主は、村で唯一ボクにやさしくしてくれる女の子。
「シストラ……なんでボクなんかのために……」
「なんか、だなんて言わないで。ディータに助けてもらったこと、忘れてないよ」
「助けた? ボクがシストラを……?」
いくら思い出そうとしても、心当たりはなかった。村のお荷物だったボクなんかに彼女を助けられたはずがない。
「それより、これからどうしようかな。助けに来たのはいいけど、村に帰れないかも……」
あはは、と乾いた笑いを浮かべるシストラの視線の先には、じりじりと間合いをつめてくる狼の群れがいた。その数、十匹以上。
「シストラだけでも逃げて。松明があれば……」
「それじゃ助けにきた意味ないよ」
ああ……せめてボクが食べられることでシストラが助かればいいのに……。 くそっ! こんなときくらいちゃんと動いてくれよ! ボクの体!
そんな願いもむなしく、飛びかかってくる狼達。
覚悟をして目を閉じようとしたその時――
「だめえぇっ!」
悲鳴をあげたシストラの体がぼんやりと光った。
「え……なにこれ……?」
シストラ自身も何がおきているのかわかっていないようだ。彼女が魔法を使えるなんて話も聞いたことがない。
一方の狼達は、群の長にそうするようにシストラへと頭を垂れると、ジリジリとあとずさり始めている。
なんだかわからないが――
「助かっ――」
つぶやきかけたその時。
――ぐちゃっ。
狼のうち一匹が突然、踏みつけられた果実のようにつぶれた。
風に流れてくる血と内蔵の匂い。
それ以上に不快な何かがそこに居た。
闇の中から音も無く現れ、狼の死体とも呼べなくなった汚物の上を歩いてくるのは、この場に不釣り合いな温和な笑みを浮かべた青年だった。
村人より垢抜けていて、街に行けばどこにでもいそうな平民。しかし、彼が普通の人間でないことは、全力で逃げ出した狼達が示している。
「巡回なんかで見つかるわけないと思ってたけど、もしかしてアタリを引いちゃったかな?」
青年は薄ら笑いを浮かべると、まだぼんやとり光っているシストラへと近づいていく。
「あ、アタリって……なに?」
狼にも立ち向かったシストラだが、彼女も本能的におびえているのだろう。青年が近づけば、その分だけ後ずさり、既に背中は木の幹についている。
「んん? 人間なんかに説明する義理はないかな。とりあえず、よっと」
青年が掌をシストラに向けると、浮き上がった彼女の体が木の幹に磔にされた。
さらに首には締められたような跡が浮かび上がっていく。手も触れていないのに。
「く……くるしい……」
「さあ、アタリかどうか見せてごらん?」
なんなのだこの男は。どうしてシストラにこんなひどいことをするんだ。アタリってなんだよ!
人間なんかに、というまるで自分が人間じゃないかのような物言いに、呪文も唱えていないのに魔法を使って……。
「魔族……?」
ボクのつぶやきにちらりとこちらを見た青年は、僅かに口の端を持ち上げた。
そんな……なんでこんな魔族の国との国境から離れた田舎にいるんだ。
無理だ。助かりっこない。
「にげ……て……」
シストラは今にも気を失いそうだ。
「んー? もしかして、こっちの方が効果あるのかな?」
魔族がボクに向けた人差し指が一瞬光ると、肩に焼けるような痛みが走った。
「ぐああぁっ!」
肩がえぐれ、腕が全くあがらない。傷口は焼かれ血は出ていない。
「ディータ! ディータ!」
拘束を解かれたらしいシストラが、ボクを抱き起こす。
「もう一つ」
指の光とともに、今度は右膝がから下の感覚が無くなった。
あ……脚が……。
「きゃああ! ディータ! くっ……なんてことを!」
「次は頭だ。さあを見せてみろ。貴様が本物でなければ、二人とも死ぬだけだ」
「だめ! だめよ!」
魔族の指がボクの頭を狙う。
シストラはそんなボクの頭をかばうように抱きしめた。
「どうせ二人とも死ぬなら、あなたをまもって死にたい。あのとき、あたしがディータをまもるって決めたんだから」
さっきも言ってたけど、あのときってなに?
「やれやれ。人間の三文芝居を見る趣味はないんだ。死ねばハズレ、死ななければアタリってことでいいかな」
殺される。
そう覚悟したが、魔族からの攻撃はいっこうに来る気配がない。
「か、体が動かん……どいうことだ……」
シストラに頭を抱えられているせいで魔族を直接見ることはできないが、助かったのか? そこではじめて、ボクの体も動かないことに気がついた。
そんな中、シストラだけがボクの頭を離し、ゆっくり立ち上がった。
彼女の体を包む輝きが強くなっている。闇になれた目を開けているのがつらい。
「シストラ……?」
体の感覚は全くないが、声だけは出せる。
「ごめんねディータ。まきこんじゃったね」
シストラは今にも泣きそうな顔でボクを見下ろしている。
「数百年見つからなかった『神の心』がこんなところに! これで出世間違いなし……いや、いっそ俺が願いを叶えてしまえば王になることすら……」
シストラはごちゃごちゃとうるさい魔族を一瞥すると、悲しげなほほえみをボクに向けた。
「自分でもよくわからないんだけどね。あたしが死ねば、誰かの願いを一つ叶えられるんだって。だからね、ディータ。願って。あなたが助かるように」
なんだよそれ! 意味わかんないよ!
「その願いは俺が使う! 娘! 俺に最強の力をよこせ! 大魔王ガイム様を超える力を!」
割り込んで叫んだのは魔族だ。魔族がここまで本気になるということは……本当なのか? だめだそんな願い!
「大丈夫。願いを叶えられるのは、あたしが叶えさせたいと思った人の願いだけだから。さあディータ、願って。あの魔族を倒すことも、あなたに国一番の騎士になる力を授けることもできる」
「バカな! 話が違う! 小僧! 何も願うな! そんな条件……くそっ!」
ボクの願いはシストラが助かること。でもそれは叶わない。
なら……それならいっそ。
「わかった。願いを言うよ」
笑顔でゆっくり頷くシストラに、ボクは願った。
――生まれ変わったら、ボクがシストラを幸せにしたい。
この短い人生でキミにもらった優しさ以上に、今度はボクがキミを幸せにするから。
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