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恋が先か身体が先か

作者: 日暮 記

※ゾーニングはしてありますが、今作は少々刺激的な内容が含まれています。苦手な方は気分を害される可能性がございますので、ご注意ください。

 20を超えて5年も経つと、自分が拗らせてきていることをようやく自覚できるようになっていた。周囲の環境に流され、流行に乗るように恋愛をしてきたツケが、いま自分にたたきつけられる。

 僕自身、まともな恋愛をしてこなかった。初めての彼女は大切にするものだという大義名分のもと、僕は彼女を束縛しきってしまった。異常なまでの独占欲。他の誰にも渡したくないほどの愛情。それが彼女を押しつぶしてしまった。結局僕が彼女に残したものは、数個の痣程度の物だった。彼女が僕に残したものは、まともじゃないやつというレッテルだった。女性の噂話というのは光のごとく拡がるもので、しばらく周辺の女性は僕と目も合わせようとしてくれなかった。

 経験を得た僕は、二人目の彼女をとても大切にしていたはずだった。正しいと思ったことが全否定されボロボロになった僕の自尊心は、そもそもこんな僕と付き合ってくれる彼女が非常に尊いものだと結論付けた。とてもありがたく思っていたとともに、自分を醜いものだと思い込み、触れること触れられることすべてを拒んだ。それが彼女のためになると思った。結果としてはあっけなく冷められてしまった。彼女は最後に、「もっと私を見てほしかった」と言った。僕はどうしていいのかわからず、その夜は一晩中泣き叫んだ。

 なにか変化が必要だと思い、僕はその道に詳しい友人と風俗に乗り込んだ。だがそもそもに身体的経験のなかった僕は、まったくもってリードなどできず、あれよあれよといううちに果ててしまった。30分ほど時間を余して黙り込んだ僕を見る、その日の嬢の憐みの目が忘れられない。その瞬間に、『セックスをしたことがある童貞』が生まれてしまった。

 道行くカップルを見ると、彼らの間にセックスがあることを考えずにはいられなくなってしまった。どんなにきれいに着飾っていても、結局はあられもない姿でベッドに二人沈むのだ。以前高校のクラスメイトがバイト先に彼氏を連れてきたことがあった。前までただの友人だったのに、その瞬間ただ一人の女としてしか見られなくなった。想像したくもない映像が、コンマ数秒ほどだが、鮮明に脳裏に浮かんだ。気持ちが悪い。知り合いの穢れた姿が。こんなことしか想像できなくなってしまう自分が。反吐が出そうになった。その夜はそいつに似た女優を見つけるまで寝付けなかった。

 ある友人は、自分に彼女ができないことを嘆いていた。孤独を嘆き、寂しさを吐き出し、いっそ死んだ方が楽なんじゃないかと言い出した。さすがに友人を失うのは心が痛むので、彼に優しい言葉をかけ踏みとどまらせた。その次の日、彼のSNSには新しい彼女とのプリクラ写真が載せられた。なんだか自分が間抜けに見えていっそ死んでやろうかと思った。もっとも、彼にとっての『彼女』というのは、『俺専用のセフレ』のことに他ならないのだが。

 ある友人は、好きな人に愛する人がいることを悔しく思っていた。この場合彼女にとって恋愛の成就の可否は、どちらにせよ不幸でしかない。成功したとしてそれは略奪だ。決して褒められるものではない。そもそも彼女の愛する"彼"の幸せを願うなら、決してとってはいけない方法だ。結果として彼女はその不可能性を理解しなければならない。それはつまり、彼と彼の愛する人の間にセックスがあることを認めなければならないことだ。自分でも反吐が出そうになる論理だが、仕方がない。齢20を超えると、人間関係は性なしに発展しないものだ、結局は。

 恋愛の成就は、互いが身体を重ねあって初めて成るものだと感じることが多くなった。逆説的に考えると、夜の相性が良くないために分かれるカップルも少なくない。またそれに納得がいかないから、浮気だの不倫だのをロマンスと謳い楽しむ輩が出るのだろう。

 まったくもって、悲しく情けない話だ。

 そう思っていた。


 何も変化のない暮らし――主に恋愛面において――に対するどす黒い感情がついに限界に達し、僕は目的もなく家を飛び出した。どうにか吐き出したく、大声を上げて走り回りたかったが、遅い時間だったので奥歯を噛み締めながら散歩をすることにした。

 あてもなくふらついていると、離れにある森林に足が向かっていた。森林といえど、どこかの企業の占有地らしく、管理は行き届いていた。けもの道かのように見えたのは、恐らくショベルカーが通った後だろう。二本の連続した細かい凹凸が森の奥へ続いていた。

 都会の真ん中にこんな所があったのか。そう思いながらふらふらと歩く。どこかの樹海ではないが、この木の栄養になるのは悪くない、そんなことも考えていた。

 足元を見ていたので、土が水分を含みだしたのには早めに気がついた。顔を上げると、開けたところに池があった。池と言おうか湖と言おうか、かなり広い水場だった。

 水の音がした。噴水もなければ何か生き物のいる気配もない。それなのにぱしゃぱしゃと、水の跳ねる音がするのだ。

 音のなる方に目をやると――決して気配などはなかったはずなのに――そこには人間がいた。遠くから見てもわかる。女性だ。髪の長い女性が、池の中心にいた。

 目を凝らしてみてみる。が、その信じられない光景に僕は再び目を伏せた。何も……彼女は何一つ身に纏っていなかった。暗闇の中ではあったが、確かにこの目に映ったのは、肌色と髪の黒色だけだった。

 申し訳程度の罪悪感から、僕は木の陰に隠れ、もう一度彼女に目をやった。やはり、裸だ。彼女の身体の輪郭は何にも歪められることなく、純粋にただ彼女を描いていた。彼女は何に邪魔されるでもなく、池の水を手にすくい、身体に打ち付けた。透明なほとばしりが、月明かりによって輝いた。美しい。そう思った。

 いてもたってもいられなくなり、僕はスマホを取り出した。正常な判断基準などとうに見失っていたのか、そのカメラを彼女に向けようとしたのだ。

 カメラを起動しようと電源を付けたその時、ぱっと、夜にしては明るすぎる光が僕の顔を照らした。部屋を出る前が最後にスマホを触った時間だったので、画面のコントラストが非常に強く設定されていた。

 暗闇に一筋強烈な光がでれば当然目立つ。遠くの女性もこちらに気が付いていた。僕はとっさに身を隠した。終わった――こんなにうまくいくことなんてないよな。そう思った。

 耳を澄ませる。ぱしゃぱしゃと、何かが水面から出る音がした。続いて、ひたひたと、湿った足で乾いた土を踏む音。不思議なことに、それはどんどんこちらに近づいてきた。

「あら、今夜はあなたなのね」

 その声は僕のほんの近くで聞こえた。振り返ると、その女性は僕のことを木の裏からのぞき込んでいた。

「う、うわあぁぁぁぁぁ!!!」

 僕は全力で後退する。腰は抜けてしまったので、座った姿勢のまま必死でずり下がった。

「うわぁってなによ。そんなに驚かなくたっていいじゃない」

 彼女は心外だといわんばかりにその手を腰にやる。

「あ、あの、これは……」

 なにか言い訳をしなくては。そう思っていた矢先、僕の手からスマホが滑り落ちた。

 その衝撃。地面に落ちたスマホは、先ほどの画面の明るさのまま、彼女を照らし出した。

 暗闇に紛れ詳しくはわからなかったが、照らされた彼女は、とても、きれいな人だった。はっきりとした目鼻立ち、すべすべとした若い肌、それぞれ強調されすぎないが存在はたしかという絶妙なバランス……何をとっても完璧だった。そして彼女は、僕が見た通り、一糸まとわぬ姿で僕の前に立っていた。

「あ……あの……」

 完全に言葉を失った僕。まるで芸術品を見ているかのような感覚に、声にならない息は漏れ、抜けたはずの腰には十分な量の血液が集中していた。

「わかってるわよ。どこから聞いたかわからないけど、ここに来たってことは、そういうことなのよね」

 どういうことなんですか。そう聞く前に、僕の唇は彼女の唇によって覆い隠されていた。経験したことのないような、脳のしびれ。僕の口内に何かが侵入してきた。あっけなくそれを受け入れた僕は、キスが終わった後で、それが舌であると理解した。

「どう?気分はよくなった?」

 何を言っているのかわからなかった。僕はあなたを盗撮しようとしたんだぞ。いや、でもその前に彼女が裸で池にいて……全くもって意味が分からない状況に、僕は混乱しきっていた。

「返事くらいしたら?ま、何も言われなくても、さっさと済ませちゃうんですけどね」

 彼女の手が、僕のズボンにかかった。僕ははっと気が付き、即座に立ち上がった。

「な、ななな、なにをするんだ!」

「なにって、セックスじゃないの?」

 何を飄々と!こんな幻覚に騙されてなるものかと必死で足に力を込める。

「そ、そんなこと言ったって、そんなうまい話なんて!」

「うまい話もなにもねぇ。ここに来たってことはそういうことなんじゃないの?」

「だからそういうことってなんなんだ!」

「私とセックスしにきたっていうこと」

 本当にわけがわからない。どういうことなんだ?理解が追い付かない。

 理解が追い付かないものというのは、えてして恐怖に成り代わる。

 次の瞬間僕は、彼女に背を向けて、声にならない叫び声をあげながら、来た道を真逆に走り出した。

「あ、ちょっと」

 呼び止める声がした気がしたが、振り返ることはできなかった。ベルトはもう緩くされていたため何度もズボンが脱げかけたが、なんとか僕は飛び出した我が家まで帰ることができたのだった。


 昨晩は一睡もできなかった。深夜に猛ダッシュという激しい運動をしてしまったせいか、あるいは興奮が冷めやらないのか。いくら布団に入っても、瞼が下りることはなかった。

 窓の外から日の光が入ってきたころ、今の時間を見ようと枕元に手をやる。その手はただ空を切るだけだった。

 しまった、スマホを落としてきたままだ――。そう思い出すとともに、昨日の彼女の顔もフラッシュバックしてきてしまった。そのあとはありとあらゆる記憶がずるずると思い出された。彼女の発した「セックス」という言葉が、やけに耳から離れなかった。

 何回思い出してみても、やはり彼女は美しかった。いつまでたっても、彼女の顔が頭から離れない。あの美しい柔肌が、記憶から消えてくれない。柔らかい唇の感触は、墓に入るまで誰にも言わないでやろう。

 だがやはり不可解だ。彼女はなぜ、僕とセックスをしようとしたのか。なぜ躊躇いもなく僕に身を預けようとしたのか。そもそもなぜ彼女は、あんな森の奥で水浴びをしていたのか。何一つ納得できる理由が想像できなかった。

 今夜はあなたなのね――。その言葉が引っ掛かり、ずっと胃のあたりに重たいものが滞留しているような状態が続いた。

 徹夜による眠気も相まって、今日の仕事はまるで身が入らなかった。まるで一日中、プール終わりの国語の授業を受けているかのように意識がどこか違うところにいた。もちろん定時には間に合わず、2時間残業する羽目になった。

 適当に夕飯を済ませ、帰路につく。一人歩くのも暇なのでポケットに手を伸ばすが、何も入っていないことを思い出す。非常に不便な一日だった。取引先にはとりあえずの電話不可の知らせは出したが、このまま何日もいられないだろう。

 だが、スマホを探すとなると、あの森に入らなくてはならないことは確実だ。今回もあの女性に会ったものなら、こんどこそどうなるかわからない。どうしよう……。考え込んで歩いていると、気づけば家の近所まで来ていた。このまま帰るわけにもいかないので、近くの公園のベンチに座り込む。一日の疲れがどっと来るように、僕の肩は重力に逆らえず、落ちた。頭を上げるには休憩が必要だ。少し休もう。


「これ、あんたのでしょ?」

 

 聞き覚えのある声に、首がとれる勢いで顔を上げる。見覚えがある。ていうか、昨日見た顔だ。僕はその勢いのまま、ベンチの背もたれのその後ろにひっくり返った。

「わ、ちょっと、大丈夫?」

 回り込んで僕の顔を見下ろす。確かに昨日会った彼女だ。

 間違いない。この女だ。昨日、僕を見つけるなり、食い物にしようとしやがったのは。

 強く反発してやろうと心に決めた。しかし、目が合うとすんなりその心は溶けて消えてしまった。

 やはり、きれいだ。そんな薄汚い褒め言葉を飲み込んで、僕は純粋な疑問を投げかけることにした。

「ど、どうしてここが?」

「ケースの中に保険証が入ってたよ。そしたら名前と住所があったから、夕方から待ってた」

 そんなところにしまってたっけな。今日病院に行く予定がなくてよかった。

「夕方からとなると、結構待たせてしまったんじゃないか。すまなかった」

「いいのいいの。この辺来るの久しぶりだから、いろいろ見て回ってたから、暇しなかったよ」

 彼女は楽しそうに微笑んだ。昨日あんな出会い方をしたというのに、友達のように話してくれる。この場合、馴れ馴れしさは自分が言えたことではないが。

 今日の彼女は、昨日おろしていた髪をまとめて結い上げ、少し化粧もしているようだった。そして、身体に目をやり、安心する。ちゃんと服を着ている。濃いデニムに合わせた白いキャミソールは、明かりの少ない午後九時の公園でもはっきり目に映った。ずっと見ているとまるで見惚れているように映りそうで、僕は少し顔を下げて手元のスマホに目をやった。

「じゃ、確かに落し物は届けたよ」

 顔を上げると、彼女はもうこちらに背を向け、門の方へ歩き始めていた。ばいばい、というように背中越しに手を振っていた。

 僕はスマホを取り戻せたし、彼女はそれを届けられた。互いの用事はこれで終わりだ。

 でも。

「なあ」

 僕は呼び止めていた。

「少し、話さないか」



 二人並んで、それぞれブランコに座る。こっちの方が雰囲気があるからと、彼女が提案した。

 名前は、和泉(いずみ)というらしい。そう呼ぶよう言われた。あの場所にいるよう紐づけられた名前のように感じた。

「私ね、あそこで働いてんの」

 少しの沈黙を破り、和泉が話し始めた。

「働く、だって?あそこには店もなければスタッフもいないじゃないか」

「それでもあそこが私の勤め先。人がね、何日かに一回私のところに来るの。違うところで紹介されて」

「その人たちと、君は」

 正直、聞きたくなかった。

「そ、セックスするの」

 昨日の出来事に納得がいってすっきりしたと共に、胸に引っかかるドロドロしたものの正体はつかめないでいた。

「だれがいつ来るかなんてわからないから、とにかく来る人とは全員とセックスしてた。オーナーに紹介されていようと、昨日のあなたみたく迷い込んできた人とも」

 あんな森の奥深く、普通ならだれも入り込みはしない。あそこまでたどり着けるのは、確実な情報がある人だと判断していたようだ。関係のない人と知るのは、いつも行為の後だという。

「逃げられたのは、あなたが初めてよ。他の男はみんな、『ラッキー』って顔して、まんまとなされるがままになっちゃうの。面白いよ」

「僕が普通じゃないヒトだとでも言いたそうだな」

「普通じゃないわよ。男なんてしょせん猿だとばかり思ってた」

 そういった友人も知っているので、否定はしないでおいた。

「――――。」

 僕は言葉に詰まった。なぜ彼女がそんなことをしているのか聞きたかった。でもきっとそれは、複雑な事情を話させてしまう。嫌じゃないのか聞きたかった。嫌に決まってると泣かれたら、それこそどうすることもできない。なぜ僕なんかとしようと思ったのか、聞きたかった。とても情けないのでやめた。

「この仕事、お給料すっごい良くてさ。頑張れば毎月新しい服をフルコーデで買えるんだ」

「へぇ、それはいいな。転職考えようかな」

「あなたたくさんの人のセックスできるの?そもそもに童貞でしょ?」

「ど、どどど、童貞じゃねぇし……」

 嘘は言っていない。

「そうなの?昨日のあれはひどかったけどなー」

 声色からバカにされてるのがわかる。ぎゃふんと言わせてやりたいが、そんなことできる自信もないので、口を尖らすだけにとどめる。

「うるせえやい」

「あ、拗ねっちゃった。ごめんってー」

 和泉は僕の頬を指先でつついてくる。久方ぶりの女性との接触(昨日はノーカンとして)に、少しどぎまぎしてしまう。

「……私ね、夢があるんだ」

 唐突に和泉は前を向いて話し始めた。

 今はこっちで一人暮らししているが、実家が田舎の方にあるそうだ。母親が一人で住んでいて、どうやらいろいろ生活がしづらいらしい。だから、いつか家族みんなを、こっちで生活させたい。そう強く話してくれた。

「もちろん、このお仕事のことはお母さんには内緒だよ。余計な心配かけたくないもの」

 ……心配させるようなら、しなけりゃいいじゃないか。

 そんなこと、言えるはずがなかった。

 彼女の目は、希望で満ち溢れていた。いつか絶対に夢を叶える。決意に満ちていた。


 もしそれが叶うなら。僕は彼女を支えたい。

 きっと僕は、彼女を――。


 ――しかし、それを否定する自分がいた。


 僕が和泉を見たのは、あの泉で、水浴びをしているところだった。

 彼女を見て抱いた感情は、果たして恋心などと呼べるのだろうか。

 彼女の身体が美しかった。

 彼女の髪が、輝いていた。

 彼女の瞳は、潤んでいても光を掴んで離さなかった。

 彼女の唇は、すべてを包み込むように柔らかった。

 その魅力を、なぜ感じたのか。

 僕は、彼女の身体(はだか)に惹かれてしまったんじゃないか。

 所詮僕は、薄汚いサルと同様に、彼女をモノとしか見ない、下衆な、どす黒い、最低な男だ―。

 

 そう結論付けた僕は、もう彼女の顔を見たくもなくなっていた。

 きっと和泉にも、僕の奥底の部分は見透かされているのだろう。

 多くの人間と交わってきた彼女だ。触れるまでもなく感じ取るはずだ。

 そもそもの出会いはあの森なんだ。きっと初めから僕は、彼女とセックスをしに来た客の一人としか映っていなかった。

 

「……はー、久々に話したからすっきりしちゃった」

 呆ける僕は気にも留めず、和泉はもうブランコから立ち上がり、伸びをしていた。腕を上げたせいで少し腹が見えている。

「夏でも夜は冷える。風邪ひくなよ」

 やさしさでも何でもない、社交辞令的に、会話を終わらせる言葉を、無機質に発した。

「今日は話聞いてくれてありがとう。……ねぇ」

 和泉は耳打ちするように僕に近づいた。

「これから、しちゃおっか」

 決定打だった。結局、彼女は好きでこの仕事をしている。夢があろうと何だろうと、この仕事を選んだのは、まぎれもない、彼女の意思だと確信した。

「いやいい。君は金になるセックスだけすればいい」

 言った後に、吐き捨てるように言い過ぎたかと少し反省した。それを気にすることなく、彼女は身を引いた。

「あっそう。ちょっと期待したんだけどなー。ザンネン」

 くるりと背を向け、正門の方に歩き始める。数歩歩いて、またこちらを振り返った。

「ただ静かに話聞いてくれるだけでも、うれしかったよ」

 すこしはにかみながら、和泉は僕にそう言った。

 僕が言いたかったのは、その優しさをやめてくれ、間違えてしまいそうだ、そういったことだった。

「それならよかった」

 口を出たのは、当たり障りのない言葉だけだった。

「またね、ばいばい」

 控えめに手を振って、出口へと向かった。僕もつられて手を振る。また会うことなんて、きっとないだろうけど。

 

 家に帰る途中、壊れてはいないかの確認のため、歩きながらスマホを見た。すると飛び込んできたのは、彼女の自撮りに設定された、僕のスマホの待ち受けだった。

 しまった、面倒だからと言ってロックをかけないでいたからか。こっぱずかしくなって、いつも通り初期設定の壁紙に戻した。

 アルバムアプリを見てみると、何枚もの彼女の写真があった。きっと一番いい写真を残そうとして、消しそびれたんだろう。目に留まる写真があった。和泉の写真と一緒に、何かしらの数字の羅列が書いてあった。それが電話番号であることに気づくのは、そう難しくなかった。

 きっともう、これっきりで関係は終わりなんだ。

 とくに変わったことのない、たまたま出会っただけの男女の話。

 したのは、一回のキスだけ。

 もう終わりなんだ。何も続くことなんかないんだ。

 そう思ったまま、結局僕はどの写真も消すことができないまま、画面を暗くし、家に帰った。

拗れに拗れた男のお話でした。

読んでくださったみなさんはどうでしょう。

恋に関する後悔、性に対する接し方、または不器用な青春……。

ぜひお聞かせ願いたいものです。


ご拝読ありがとうございました。ぜひコメント、評価をよろしくお願いいたします。

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