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英雄村 カンザック

 三人は、今小高い丘の上に立っていた。


「さぁ、つきましたよ。(みつる)さん、真琴(まこと)さん。ここが僕達の村『カンザック』──通称『英雄村』です」


 得意そうに胸を張る敬太(けいた)の言葉に、二人ともあんぐりとしてその『村』を見つめている。

 無理もない。村と聞いてもっと牧歌的なものを想像していたのだが、まるで砦、いや城塞のような作りだった。

 周囲を高さ20m以上の城壁に囲まれ、その巨大さたるや、直径で3㎞ほどはあるのではないだろうか。その中に民家と(おぼ)しき建物が規則正しく建てられている。


「じゃぁ、行きましょう」


 敬太に促されるまま、二人は城門の前に続く。近くによってみると更に巨大感が増した。村人で作ったのだろうか? それにしては古めかしく、材質となる建造物の素材がなんなのか、まるで分らなかった。


 しかも、門がまたでかい。鉄製と思しき、見るからに分厚そうな扉の幅は約5~6m。高さに至っては10数mにも達している。


 敬太はトコトコと門の前まで行って、大声で上の方に叫んだ。


「敬太です! 新しい方々を保護しました! 開門、お願いしますっ!!」


 すると城壁の上から一人の人物の姿が現れ、大きく手を振っている。

 やがて門は大きな軋みを立てて、ゴゥンゴゥンと大音量を放って上に引き上げられていく。

 そして優に人間が通れるくらいまで開口されると、敬太は迷いもなく中に入っていった。

 光達も恐る恐る入ってみて驚いたが、扉の厚さはざっと10cmをくだらない。こんな重量物をどうやって開閉させているのか見当もつかなかった。


「驚いたでしょう?」


 どこか得意げな敬太に、頷くしかなかった。


「なぁ、敬太君。この城壁って村の人たちが作ったのか?」

「あ、光さん。言おう言おうと思ってたんですけど、僕のことは呼び捨てでいいですよ? 年上なんだし、なんか君付けされると距離置かれているみたいで、なんだかくすぐったいです」

「あー……んじゃ、敬太」

「なんですか?」

「さっきの話だけど、この城壁のことなんだが」


 ああ、と。敬太は納得したように頷き、説明してくれた。


「これ、どうも古代の遺跡跡らしいんです」

「古代遺跡?」

世界設定(ワールドガイド)で読んだ記憶ありません?」


 光は再びその異常な記憶力を検索して、一つの設定を思い出した。


「確か、古代カナン文明だったよな? 魔導技術が発達しすぎて、神々を(ないがし)ろにしたから、300年前に滅ぼされたって設定」

「ええ。どうもこの場所って、そのカナン文明の遺跡らしいんですよね」


 ──古代カナン文明。

 今の世界が出来上がる前、その発達した文明によって栄華を極めたという伝説がある。

 魔導と呼ばれる、魔術と機械を組み合わせた魔道具と呼ばれるものを作り出し、高度な文明や文化を築き上げたとされている。

 特に、現存するマジックアイテムのほとんどが、このカナン文明の副産物と言われているのだ。

 ただ、あまりに高度な文明を築き上げたため、神々への敬意を失い、その逆鱗にふれた神々に滅ぼされたという。


「カナン文明の遺跡は、この西方大陸でもあちこちで発見されているらしいです。ここもその一つみたいですよ」

「へぇー」


 真琴が感心したように城壁を見上げる。


「実際ここや、この周辺にカナン文明の遺跡があるらしいですからね。ダンジョンもあるみたいですよ?」

「お、ダンジョンか。ゲームなら定番だな」

「まぁ、ゲームならいいんですけど、実際攻略するとなると大変ですよ。一応ここや周辺の遺跡を探索したことがあるらしいんですけど、使える物は極々一部で、後は壊れているか、何の役に立つのか分からないガラクタばかりだそうです。その割に罠だとなんだのと多いんで、最近はあまり探索してみてないみたいですね」

「へー、この村にもダンジョンってあるんだね」


 相変わらず光に抱かれたままの真琴が、珍しそうにきょろきょろしている。


「それにしても、なんか似たような建物ばかりなんだけど」


 真琴の言う通り、村の建物は全くと言っていいほど同じだ。

 洋瓦や露出した構造木材、漆喰塗に土壁造りの総二階建てと共通している。その隣には、車なら4台は止められるような納屋らしきものがあり、そこを改装しているのか、工房や店舗などが併設されていた。

 また建物の南側にはかなり広い庭があり、洗濯ものが干してあったり、鶏、羊などが放し飼いになっている。菜園もあるようで、数多く色とりどりの野菜が植えられていた。中にはガーデニングの趣味を持つ村人でもいるのか、花やツタで飾られた庭園も少なくない。

 ただ、家屋もそれぞれ改修の跡が見られ、漆喰には染料でも混ぜられているのか、さまざまな色合いの壁がある。露出した木材にも木彫り細工が施され、それに色を付けているのか、なかなかカラフルだった。

 こうしてみると、意外に異国情緒に溢れているかのような、そんな風景だった。


 そうやっておのぼりさんのようにキョロキョロと見回す二人と敬太の前に、幾人かの村人らしい人影が集まってきた。みな二十代かそこらという若い物ばかりで、年配のものは殆どいない。中には少なからず光達と同じ世代の村人もいる。


「ケイ坊。その子たちが新人さんか?」

「あら、珍しい。今度は女の子同士?」


 それを聞いて、光のこめかみがピクリとひきつる。


「あのー。俺、男なんですけど」

「え? うそ。そんなに可愛い顔して?」

「あ、でも声はちゃんと男だな」


 顔は関係ねぇだろ顔はっ!

 という言葉を光はかろうじて飲み込んだ。ここで癇癪起こしても仕方ないし、悪印象を持たれるのも避けたい。その程度分別はあった。


「じゃぁさ、お姫様抱っこしてるのが、君のお嫁さん?」


 嫁と言われて真琴の顔がまた真っ赤になって、せわしなく長い耳をひょこひょこさせている。


「そうっすけど?」


 そんな真琴に構わず、光はしれっと言ってのけた。

 真琴の方はというと「穴があったら入りたい」という顔をしているが、可愛いので問題ない。

 もっとも、そう思っているのは光だけだったが。


「へー。旦那さんに比べると、こっちはボーイッシュな感じだね」

「けど、意外に乙女趣味と見た」


 流石にこの羞恥プレイに耐えられなくなったのか、真琴は光の襟をくいくいと引っ張っている。

 これには敬太も見かねたのか、助け舟を出してくれた。


「あー、実はこちらの女性、けがしてるんですよね。一刻も早く先生に診てもらわないと」

「あ、そうなんだ」

「二人のご紹介はまた改めて、ということで。そこ通していただけます?」


 集まった村人たちは「いいよいいよ」といいながら、三々五々に散っていった。


「なんつーか、フレンドリーなのは良かったんだが」

「動物園のパンダじゃないんだから、あたし達」


 確かに敬太の言う通りみな良い人たちなのだろう。二人を警戒するそぶりも見せなかったし。ただ、しばらくは行動を注目されそうで、なにやら怖い。

 そんな二人を「まぁまぁ」と(なだ)めながら、敬太は先を促すのであった。



「ここが?」

「病院?」


 光と真琴は顔を見合わせた。

 建物の造りは他の家と全く同じだ。ただ全体の色調がどこか安心できるベージュ色一色で、飾り気もなく清潔感がある。

 何より目を引いたのが、屋根に飾られた十字架だ。ご丁寧にステンドグラスで聖母マリアの姿が描かれていた。


「敬太君。ここって教会じゃないの?」


 真琴の問いに、敬太は実に微妙な表情になる。


「あー、そうとも言えますし、そうじゃないとも言えます」

「一体どっちだ」

「まぁ、中に入れば分かります。ほら、そこの看板にもあるでしょう?」


 ん? と二人は敬太の指さした方を向く。

 そこには「カンザック教会天草施療院(あまくさせりょういん)」と書かれている。


 そんな二人をよそに、敬太は施療院の門を開いた。カランカランと来訪を告げるベルが鳴る。


「失礼します。敬太ですけど」


 すると奥からパタパタという足音が聞こえてきた。


「ん? あれ、ケータ君?」


 扉からひょっこり顔を出したのは、二十代前半と思しき女性だった。青みがかった黒くしなやかそうな髪をショートにして、今ではすっかり珍しくなった、スカートタイプのナースウェアを着込んでいる。

 特徴的なのは耳と尻だった。頭の上からは狼とも犬ともつかない耳が生え、引き締まった臀部からは狼の尻尾が揺れていた。

 スッキリ系の美女で、人懐っこい印象をうける。


「どったの?」

「あ、村長さんから連絡来てませんでしたか? (しのぶ)さん」

「あー……」


 忍と呼ばれた女性は、敬太の背後で待っている二人を見て、ようやく理解できたようだった。


「その二人が新人さんね? ケガしてるのは、抱き抱えられてる女の子の方かな?」

「あ、はい。そうです」

「入って」


 誘われるまま、三人は施療院に入った。


「拓也さん。例の患者さんきたわよ」

「拓也?」


 思わずつぶやいた光の言葉に、忍と呼ばれた女性が怪訝そうな顔をする。


「? どうしたの、君」

「いや、俺のゲーム仲間で同じ拓也ってやつがいたもんで」


 そう言えば、あいつもどうだったんだろう。俺が居なくなったら真っ先に大騒ぎしそうなものだろうに。

 そんな事を光は思い出していた。


「どうぞ」


 そんなことを考えていたら、ドア越しに柔らかい男性の声が聞こえてきた。


「失礼します」


 三人がドアをくぐると、そこには一人の男性が何やら書き物をしている。年ごろは20代半ばから後半だろうか。

 中肉中背で、清潔そうに髪を後ろに撫でつけていた、顔立ちは整っているが、目を見張るほどの美形というわけではない。ただ身を包んだ衣装も白衣を思わせる神官服で、「柔和」という言葉が人の形を取っているかのような好青年に見えた。


「いらっしゃい」


 青年は書き物を中断して、三人に向き直った。その胸には銀の十字架のペンダントが光っていた。ファッションだろうか? しかし、見た目にはファッションで十字架のペンダントを身に着けているようには思えない。

 それに気が付いたのか、青年は胸の十字架を掲げてみせた。


「あ、これ? やっぱり珍しいかな。僕は長崎の出身で、代々クリスチャンなんだ」


 そう言って照れ臭そうに微笑んだ。


「自己紹介がまだだったね。僕の名前は『天草(あまくさ) 拓也(たくや)』。元の世界ではしがない研修医をやっていた。そしてこちらは──』

「私は『崎村(さきむら) (しのぶ)』。ここで看護師やってるの」


 忍とよばれた女性は、機嫌よさそうに狼の尻尾を振っていた。


「俺は『日高(ひだか) (みつる)』。光と呼んでください。んで、こっちが女房の」

「ちょっ!? せ、先輩ってば、何言ってるの!」

「いーじゃねぇか。この世界じゃ事実なんだし」


 真琴は「うー」とか唸り声を上げていたが、やがて諦めたようにぼそぼそとつぶやいた。


「あ、あたしは先輩の……つ、妻で、名前は『日向(ひゅうが) 真琴(まこと)』真琴でいいです」


「光君に真琴さんだね? これからよろしく。ところで早速だけど診察してみようか」


 そう言って机にあった木箱を取り出す。そのこには丸いフレームに何枚ものつまみがついたレンズが治められている。ちょうど眼鏡屋でレンズの調整を行う器具に似ていた。


「けがをしたて聞いたけど、場所は?」

「あ、後頭部打ってしばらく気絶していたみたいです。それと左足首も痛めちゃって」


「ふむ」と言って拓也は眼鏡を装着した。


「吐き気や眩暈(めまい)は?」

「最初の時は目がちかちかしてたんですけど、敬太君に治癒(ヒール)かけてもらってからは無くなりました。けど、時間がたったら、なんだか胸がむかむかして」


 まずは打撲跡を確認しはじめた


「裂傷無し、内出血の跡もみられない。血栓(けっせん)も見当たらないね。骨も大丈夫なようだ。なるほど。となると原因はここかな」


 拓也は真琴のうなじをつぶさに観察する。


「やはりか。軽度だけど頸椎(けいつい)が損傷しているね。これが原因だろう」


 そして拓也は患部に人差し指を当てる。


再生(リペア)


 暖かい光が灯り、真琴の首筋に光が吸い込まれていく。


「どうかな?」

「あ、なんだか頭がすっとして、胸のむかかむかが無くなりました」

「よかった。じゃあ今度は足首を診てみようか。そこの寝台に横になって」


 促させるまま、真琴は寝台に横になる。


「これから足首を色々な角度で動かしてみるよ。痛い所があったら言ってくれ」


 そして真琴の足首を伸縮させたり捻りも加えて診てみる。

 するとある角度で真琴の顔が軽く痛みに歪んだ。


「ここが痛むんだね?」

「あ、はい。なんかズキっと鋭い痛みが」


 拓也は再び奇妙な眼鏡をかけて、真琴の足首を診る。


「なるほど。小さいけれど足首の関節にひびが入っているね。ちなみにここまでは自分の足で歩いてきたのかな?」

「あ、それは大事とって、俺が抱いて運んできました」

「それは賢明な判断だったね。このまま歩いていたら、また炎症がぶりかえすところだったよ」


 そらみたことかと、光は真琴に視線を向けるが、真琴は恥ずかしそうにそっぽを向いていた。


「そ、それにしても先生。どうして治癒(ヒール)だけじゃ治らなかったんですか?」


 誤魔化すように真琴が尋ねてくると、拓也は再生(リペア)をかけながら、笑顔で答えてくれた。


治癒(ヒール)って魔法は、ゲーム上だとLP(ライフポイント)を復活させるものだよね? でもこの世界だと不十分なものあるんだ。ケガ程度ならともかく、神経や骨みたいな物の損傷までは十分回復できない。だからなのさ」

「でも俺、再生(リペア)って魔法、初めて見たんですけれど、まさかオリジナル?」

「それこそまさかだよ。僕の職業(ジョブ)は『施術士』なんだ。施術士ってジョブは回復魔法をわずかだが向上させる力がある。ゲームで他のキャラが戦闘不能状態でもLP1点で復帰させるスキルがこれなんだ。どういう理屈かは知らないけれど、このスキルなら細かいところまで修復できる、ってわけなのさ」


 へー、と光と真琴は感心と尊敬の念を込めた視線を送る。


「じゃあ、その妙な眼鏡は?」

「あ、これかい?」


 拓也は眼鏡をかざすと苦笑いしながら言った。


「これは『透視眼鏡パースベクティル・グラス』って言って、レンズの組み合わせや角度で物を透視できるんだ。元々この村の遺跡から発掘されたものでね。本来の用途は……まぁろくでもない物だったんだろうがね。ただ、レントゲンすらないこの世界じゃ医療用として重宝しているんだよ」


 意外と古代文明というのは発達しているんだな、と感心する二人だった。

 その時光はふとよからぬことを想像してしまった。


「んじゃ、それ。レンズの調整次第じゃ、服だけ透視することも可能なんすか?」


 それを聞いて拓也はきょとんとしていたが、やがて朗らかに笑った。


「はは。その発想は無かったな。今度試してみようか」


 そういうや否や、二人は嫁からぶん殴られた。


「先輩っ! 何考えるてんのさっ!!」

「拓也さんも……私だけじゃ足りないっていうの!?」


 そんな二人の危機を見かねたのかどうかは知らないが、それまで黙って様子を見ていた敬太が、拓也に尋ねてきた。


「先生。お願いがあるんですけど」

「うん? なんだい」

「その眼鏡で、光さんと真琴さんの額を診てくれませんか?」

「額を? なにか打撲でも?」

「いえ、実は引っかかることがあって……」

「訳ありのようだね。分かった、診てみよう」


 最初は光からだった。

 拓也は慎重に光の額の中を覗き込む。そして一瞬びっくりしたような顔をすると、レンズを変えて再び観察した。


「……なんだ、これは。腫瘍、じゃないな。あまりにも形が整いている。それにこの構造……まさか眼球?」


 今度はレンズと角度を変えて更に観察する。


「構造は眼球に近いが、これは結晶体か。それに前頭葉と神経が繋がっている。これは一体?」


 続いては真琴の番だった。

 光と様に、慎重かつつぶさに観察をしていた。


「……光君ほど大きなものではないが、真琴さんにもあるね。敬太君、これどういうことなんだい?」

「その前に、僕も診てくれませんか?」


「ふむ」といいながら、今度は敬太を調べ上げていく。だが──


「敬太君はいたって普通だね。なんの問題もない」

「そう、ですか」


 敬太はどこか残念そうに見えながら、その実ほっとしているようだった。


「じゃ、説明を聞こうか」


 光と敬太は目配せしあい、光の身に起こったことを詳しく話した。

 その話を聞いて、拓也は難しい顔をしている。


「第三の眼、そして怒りと破壊の神……か。にわかには信じがたいが、実物を見せられては。二人とも、この世界に転移して来た時、精神状態になにかいつもと違う感じとかなかったかな? 例えば喜怒哀楽が激しくなったとか、好戦的になったとか」


 光と真琴は顔を見合わせるが、特に異常を感じた覚えはない。喧嘩もしたが、いつものじゃれ合い程度だ。


「転移して少しパニック状態になってましたから、正直よくわからないっす」

「あたしも」


 ふむと拓也は腕を組んで考え込む。


「時に光君」

「なんです?」

「君短気とか怒りっぽいとかいう性格してはいないか?」


 ふと自分の事を思い出す。


「子供の頃から『瞬間湯沸かし器』なんて言われたこともありますけど、怒りが持続しないっつーか、馬鹿みたいにあっさりしてました」

「あ、でも。先輩ってば本気で怒らせると手が付けられなくなるんで、そこは要注意です」

「ふむ」


 拓也は一通り治療と診察をおえると、手際よくカルテを作っていく。


「ところでふたりとも、前頭葉の働きついては何か知ってるかい?」


 二人とも顔を合わせるが、あいにく知識はなかった。


「前頭葉というのは、人間の情緒や感受性。乱暴に言えば精神を司る部分なんだ。大昔旧ソ連が実際にやっていたことなんだけど、精神疾患者の前頭葉をまとめて除去して治す、なんて乱暴な方法もあったくらいさ。ロボトミー手術っていうんだけどね。そうなるとロボットみたいに無感情で感受性が無くなってしまうんだよ。今では人権侵害に当たるとして禁止されている」

「だから俺たちの精神状態に異常がないか確認したってわけですか」

「ああ、部位が部位だからね。前例もないし、注意するに越したことはない」


 拓也はカルテを書き終えると、今度は小さな紙になにやら書き込んでいた。


「念のためだ。軽めの安定剤を処方しておこう。二週間分でいいかな。理由も無くイライラしたり、不安になったりした時に頓服として飲むといい。コップ一杯のぬるま湯に溶かしてのむんだ。いいね?」


 安定剤と聞いて二人は複雑な表情を浮かべる。今まで世話になったことがないので抵抗感があるのだ。


「それとしばらく様子を診たいから、2日おきにカウンセリングに来てくれると助かる」


 不安そうな二人を見て、拓也は困ったような表情を浮かべる。


「あー、やっぱり安定剤とかカウンセリングなんていうと抵抗あるよね。でも処方した薬は生薬だし、香りに癖のあるハーブティーとでも考えればいい。カウンセリングも世間話程度で構わないよ。愚痴や悩み事だっていい」


 そして真摯な表情で二人を慰める。


「メディアのせいで、精神疾患というのは特別な病気に思われがちだけど、実はそうじゃないんだ。無論コミュニケーションに重大な障害が認められたり、自傷他害──まぁ自分や他人を傷つけてしまう行為のことだね。こうなると社会生活もままならないから、適切な施設で治療が必要なんだけど、実は人間って大なり小なりそういう側面があるんだよ」


 そうは言われても、やはり抵抗感は拭えなかった。


「社会生活を営む事が出来る人を『普通』なんていうけれど、実は『普通』なんてものは無い。ただそれは『個性』という言葉に置き換えられているに過ぎないんだ。皆誰でも心に傷や闇を持っている。それを忘れないでくれ」


 説得力のある言葉だが、正直受け入れがたいというのが二人の偽わざる本音だった。

 そんな時不意にどんっと背中を叩かれ、光と真琴はつんのめってしまう。

 後ろには困ったような怒ったような顔の、忍の姿が有った。


「ほら、そんな顔しないのっ。気持ちはわかるけどさ、可愛い顔が台無しだよ? よく言うじゃない。『病は気から』って。ここは拓也さん信頼して、まかせてくれないかな?」


 そこまで言われては信頼するほか無い。元々二人は異質な状態なのだ。正直なにが起こるか分からない。頼るべき人がいるなら、それに頼るべきだと考えを改めた。


「ところで話は変わりますけど、お二人のクラスとジョブってなんすか? 先生は多分神官系と思うんですけど。忍さんもやっぱり?」

「僕は確かに『神官(クレリック)』だよ。レベルは78。で、忍さんが」

「私は『魔獣使い(ティマー)』でレベルは75。ジョブが『家政婦』」

「へぇー魔獣使いですか。割と珍しいっすね」


魔獣使い(ティマー)』は基本職の中でも特別なポジションである。簡単に言えば『遠距離近接攻撃型』とでも言えばいいのだろうか。

『魔獣』と呼ばれる召喚獣を武器に、遠距離から操作して白兵攻撃や特殊攻撃を行うというのが基本的なスタイルだ。

 ベースとなる召喚獣のコアに特殊な専用アイテムを与えて育てて戦力とする。この辺りは武器を強化していくのとそう変わりが無い。

 安全圏から攻撃できるし、育成次第では小型のドラゴンまでも使役することが出来る。

 ただ、不遇職とまではいかなくても、実際に活躍するプレイヤーはそう多くは無かった。


「ちなみに、私の相棒はこの子。おいで、ジュン」


 そういうと右手の人差し指にはめた指輪から淡い光が灯る。そしてその光は次第に大きくなっていき、その傍らには成人男子より大きめの狼が出現した

 驚くべきことに、その額から剣のような水晶にも似た角が生えている。


「これが私の相棒のジュン。剣狼(ブレードウルフ)よ」


 ジュンと呼ばれた剣狼は嬉しそうに尻尾を振っている。狼というより犬っぽい。


「はい、ジュン。お座り」


 すると剣狼は素直にすたっと腰を下ろす。


「今度はお手」


 忍の小さな手に、チョコンと前足を乗せた。


「最後に伏せ」


 ガバっと伏せて尻尾を振っている。

 狼の誇りとか尊厳とかをどこかに捨てているかのようだ。


「わー、かわいい! あの、触っても良いですか?」


 そんな剣狼に興味をしめしたのか、真琴がせがんでくる。


「いいよ。基本的にこの子、大人しくて従順だから」


 そして真琴はゆっくり近づき、右手の平を上にして、そっと口元に差し出した。

 剣狼はその手をぺろぺろと舐めてくる。ついにはごろんとあお向けになって尻尾を振る始末である。


「はい、いい子いい子」


 真琴に腹を撫でられて気持ちよさそうに足をバタバタとさせている。本当にこれでは犬だ。

 そんな様子を見て、光も近づいてきた。意外に犬好きなのだ。


「なかなか可愛いじゃねぇか、よしよし」


 そう言って手を伸ばそうとした時、剣狼の様子が急変した。

 突然起き上がると毛を逆立てて、光を威嚇するような態度に変化したのだ。

 ぐるる……とうなり声をあげ、目はらんらんと光っている。犬よりも巨大な犬歯までも剥き出しであった。


「ちょ、ちょっとジュン!? ステイ! ステイ!!」


 だが剣狼は矛先を納めなかった。それどころか光を押し倒し、両肩に爪を食い込ませて、喉笛を噛みちぎるように巨大な顎を開く。生臭い獣臭が光の鼻腔を襲った。


「まずいっ! ジュン! ハウスっ!!」


 忍の言葉にようやく牙を納め、光の粒子となって忍の指輪に戻っていった。


「先輩っ!」

「光さんっ!」


 慌てて二人が駆け寄ってくる。切り裂かれた両肩に鈍い痛みがはしった。


「痛ぇ……一体なんだったんだ。もしかしてあいつ、男嫌いなのか?」

「そ、そんなことないよ? 拓也さんにもよく懐いているし」

「僕もここに来たばかりの頃は、美久(みく)ちゃんと一緒にジュンくんと遊んでもらいましたし……あんなの、戦闘以外初めてです」


 ──一体どう言う事なのだろう。


「その前に傷だ。光君。上着を脱いで」


 拓也の言葉によやく我に返った光は、素直に羽織っていたTシャツを脱いだ。細身だが柔軟そうに引き締まった体が露になる。


「傷はそう深くないようだね。忍さん。消毒用のアルコールを」


 そう言うと拓也はてきぱきと処置を進めていく。消毒用のアルコールが鼻につき、傷口に鋭い痛みを与える。その後治癒呪文をかけられてようやく痛みから解放された。


「それにしても、ジュンが人を攻撃するなんて……」


 可愛そうに、忍は耳と尻尾を伏せて、申し訳なさそうにしている。

 気にするなと言ってやりたがったが、そうもいくまい。

 それより、光は自分自身に戦慄を覚えていた。


 破壊の神。

 怒りの化身。

 脳に埋め込まれた、第三の眼。

 なによりも、剣狼に襲われた時に沸き起こった感情。

 それは驚きでも恐怖でもなかった。


 ──怒りと強烈な破壊衝動。


 牙をへし折り、その顎を引き裂いてやりたい。

 腹に爪を突き立て、その臓腑を抉り出してやりたい。


 ほんの一瞬だが、頭の中が真っ赤に染まり、そんな事を思ってしまったのだ。


 確かに、自分にはキレると手におえない部分がある。それでもどこか冷淡というか冷静なところがあった。

 だが今のは違った。残忍なまでの破壊衝動が恐ろしかった。


 そんな事を思っていたのはほんのわずかな時間だったようだ。


「光君。治療が終わったよ。そろそろシャツを着てくれないかな? でないとほら」


 ん? と拓也が指さす方を見ると、真琴と敬太が後ろを向いている。なぜだか耳まで真っ赤になっていた。


「なにしてんだ、お前ら」

「それよりも先輩。服着た?」

「今からだけど」

「早く着なさいよ! 目のやり場に困るじゃない!」

「俺とお前の仲でなにを今さら」

「誤解を招くようなこと言わないで!?」


 別に二人は深い男女の仲ではない。親との約束があったし、健全な付き合いを心掛けている。

 ただ、去年の夏、市民プールセンターで一緒に泳いだことはある。

 お互い裸身に近い姿でキャッキャウフフしたのに、今更恥ずかしがる理由が分からい。

 分からないと言えば敬太もだ。


「敬太。お前なにやってんだよ」


 シャツを羽織ると、まだに後ろを向いている敬太の肩をつつく。

 振り向いた敬太の顔はまだ真っ赤だ。


「あ、いえ。光さんの体って綺麗だったんで、つい」

「男に綺麗って言われてもなぁ。第一俺達男同士だぞ?」

「そ、それはそうなんですけど、なんか色っぽいっていうか、なんというか」


 褒めているはずなのだろうが、あまりうれしくなかた。


 ──こいつ、彼女がいるくせに、男色(そっち)の気があるんじゃねぇだろうな。


 もっとも、今までその気も無いのに、少なくない同性を魅了してきた光だが、中身は普通の少年と変わらない、いたってノン気であった。

 こういう反応をされると、非常に困る。


 そんな間抜けな会話をしているところに、忍がおずおずと尋ねてきた


「光君てさ、犬とか駄目なの? それともあまり好かれないとか」

「んな事無いですよ。家では三匹の犬飼ってましたし、よく懐いてくれましたから」


 ふーんと忍は言っていたが、怪訝そうな表情を浮かべている。

 無理もない。人懐こさが自慢の愛狼が人を襲ったのだから。


「光君……君一体何者なの?」


 それに答える術を、今の光は持たなかった。




 診察と治療が終わった三人を、拓也と忍が見送ってくれた。


「一応次回は2日後だけど、何か些細でも良い。遠慮なく尋ねてきてくれ」

「わかりました」


 光はあの時、一瞬感じた破壊衝動のことを伝えようかとしたが、なぜか言い躊躇(ためら)って言葉を飲み込んだ。

 そこに真琴がおずおずといった感じで尋ねてくる。


「ところで治療費はどうしたらいいですか? あたし達、今お金無いんですけど」


 拓也はきょとんとした顔で、敬太の方を向いた。


「あれ? 敬太君、説明してなかったのかい?」

「あ、言い忘れていました」


 バツが悪そうに頭をかく敬太に優しい視線を送って、拓也は説明してくれた。


「この施療院は無料なんだよ」

「「無料!?」」


 光と真琴は思わず絶句した。


「それでよく生活できますね?」

「ははっ。その代わり衣食住は保証されているし、治療に必要な器具や薬なんかも手配してもらってるんだ」

「まぁ、24時間年中無休のブラック企業真っ青の生活だけどね。おかげでおちおち夜の生活も愉しめなくなってるし」


 そんな忍のあけすけな言葉に、青少年は一様に顔を真っ赤にしてしまう。


「あ、そうそう。真琴さん」

「はい? なんでしょう、先生」

「治療は済んだけど、今日一日は激しい運動は控えた方がいいかもしれないね。じゃぁ、お大事に」


 そう言うと、二人は仲睦睦まじく施療院へと戻っていいた。


「いい先生だったね。優しそうだったし」

「名医ってのは、ああいう人の事を言うんだろうな。ところで敬太。次はどこに行きゃいいんだ?」

「次は村長さんのお宅ですね。本当なら一番最初にいくはずだったんですけど」

「あ、なんかごめんね? あたしがけがしたばかりに」

「いいですよ。事故だったんですし、それにこれは村長さんの指示でもありましたから」


 さぁ、いきましょうか。という言葉に促されて、二人は施療院を後にするのだった。



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