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主人公になれなかった少年

 ──『勇者(ブレイブ)』。

 3年前に実装された新クラスがこれであった。


 当時のレベル上限は最大75であった。だが勇者だけは上限が80だったのだ。

 同時に公式の事前のアナウンスによって、早速注目を浴びていたクラスでもある。


 そして正式にリリースされると、皆群がるようにチャレンジした。


 無論、たやすいものでは無い。

 他の上級クラスが基本クラス二つを75レベルにして転職の切符を手に入れるのだが、勇者(ブレイブ)は三つだった。

 俗に基本4大クラスと呼ばれるものの内、戦士(ファイター)魔術師(メイジ)、そして神官(プリースト)である。

 これを全て当時の限界までレベルアップさせなければ、勇者への切符は手に入らない。

 だが、逆にこれが好評だった。やり込みタイプのゲーマーが果敢に挑んだのである。

 更に新アイテムとして公表された、勇者専用のエクセレントシリーズがコレクターの人気を呼んだ。

 光の村正(ムラマサ)ほどではないが、仮にもUR(アルティメット・レア)である。入手は困難を極めた。だがそれが余計にプレイヤーを燃え上がらせる。

 こうして順調に滑り出した勇者は、気が付けばあちこちで見られるようになり、最盛期には右を向いても左を向いても勇者だらけというシュールな絵面が出来上がっていた。

 そして80レベルに達したものは、一流プレイヤーとして惜しみない賛辞が贈られるようになっていたのだ。まさに黄金時代である。

 ただ、弊害が無かったわけでもない。エクセレントシリーズは勇者の能力を底上げする優秀なアイテムだったが、剣・鎧・盾の三種類揃わなければ十全に恩恵を受ける事が出来ないのだ。

 一つくらいなら問題ないが、これが二つとなると難易度は更に跳ね上がる。三つ揃えるには確率的に極めて困難。いや、事実上不可能とまで言われていたのだ。

 その足元見るかのように、外部ネットオークションで高額な現金と引き換えに、アイテムを譲渡するという悪質なプレイヤーが現れた。無論規約違反だが、アイテム欲しさに取引を行ったという事例はいくらでもあるのだった。


 そこまで人気のある勇者だったが、盛者必衰のことわざもある。

 その斜陽は一年後に訪れた。

 中規模アップデートで全クラスがレベル80まで解禁されたのである。

 これで勇者のアドバンテージが一つ失われる事になってしまった。

 それまでなら良かった。単に横並びになっただけだ。

 コレクター気質のプレイヤーには変わらず人気があったし、複雑な操作を要求される分、腕に覚えのあるプレイヤーにも好評だった。


 だが、その半年後。状況は一変した。


 公式サイトのアナウンスで、全クラスレベル90解禁が告知されたのだ。

 それに対して、ユーザーは手のひらを反すように豹変した。

 勇者をレベルアップさせるより、既存のクラスをレベルアップさせ、パーティーを組んだ方が効率的だし、なによりMMORPG本来の楽しみ方が出来ることに大勢が気付いてしまったのだ。

 ここに至って、勇者の万能性が仇となってしまった。

 万能であるが故に勇者は突出した能力を持たない。どうスキルを調整しようと特徴が無さすぎるのだ。

 また、万能と言えば聞こえは良いが、裏を返せば単なる器用貧乏にしかならない。

 実際、総合的な戦闘力はともかく、個々の能力をみると専門職に比べて遥かに劣るのだ。

 そんな勇者クラスを、口の悪いプレイヤーは「パーティ枠を埋める邪魔者」呼ばわりした。

 同時にエクセレントシリーズの価値も暴落した。専用装備であるが故、勇者の数が激減した結果、需要と供給が逆転したのである。

 思い出のコレクションとして保管されたり、他人に譲られたりするのはマシな方で、希少なUR級にも関わらず他の武器の素材扱いされる例も多くみられた。中には粗大ごみ扱いするプレイヤーすらいたのだ。


 こうして勇者クラスは絶滅寸前にまで追いつめられることとなった。

 そしてネット上では勇者クラスを「器用貧乏」「ソロ専」「中二(笑)」「ロマン」「苦行」「マゾ職」などと揶揄される、不遇職に貶められる結果になったのである。


 敬太が言いよどむのも、無理もない話だった。


 そんな事を思い出しながら、(みつる)はふと違和感を感じた。

 敬太がこの世界に来て、半年が過ぎたと言っていた。逆に言えばそれまで勇者クラスでプレイしてきた事を意味する。

 話を聞く限り、敬太は効率重視のプレイスタイルのようだが、今でも非効率な勇者をやっている。はっきり言って噛み合わない。


「敬太君。君のレベルはいくつなんだ?」

「……90です」


 真琴(まこと)は「じゃぁ、あたしとおなじだね」と、にこにこしていたが、光は内心驚愕していた。

 光の(サムライ)と、真琴の聖騎士(パラディン)は、上級職の中でも比較的レベルを上げやすい部類に入る。簡単に言えば燃費がいい。

 逆に敬太の勇者(ブレイブ)は、最上位職故に経験値をドカ食いする。燃費が悪い事この上ないのだ。

 光は計算が苦手だが、記憶を頼りに試算してみた。

 同じ90でも真琴と敬太とは、取得経験点の総和に大きな差がある。ざっと見積もっても、1.5倍はくだらない。下手をすると2倍もの経験値の差があるはずだ。


 自分が敬太位の歳で、どうしていたかというと、ようやく侍の入り口に立ったところだ。

 真琴の場合はパワーレベリングしたから、光より短いがそれでも半年以上かかっている。

 理由は簡単で、部活や勉強、他の趣味に時間を割いていたからだ。

 だが、敬太は違う。経験値を考えても、プレイ時間を考えても、光より多くの時間を割いているはずだ。もしかしたら、今社会問題になっている、ゲーム依存症なのかもしれない。

 ただ、問題なのはそこではない。元の世界なら早急にケアが必要だが、ここは死と隣り合わせの異世界だ。

 それは竜頭巨人(ドロウル)に襲われた時、嫌でも思い知った。

 敬太がいなかったら、今頃二人そろってドロウルの胃の中だ。


 だからこそ、光は敬太の危うい歪さが気になって仕方がなかった。

 光が思わず怒鳴ってしまった時、敬太は尋常でないほど怯えていたのを思い出す。

 専門家ではないが、何かしらのトラウマを抱え込んでいるのには違いない。

 ただ、繊細な問題なだけに、対処の方法は慎重にしなければ。


 光は静かに敬太に歩み寄った。

 そして身をかがめ、視線を敬太の下に持ってくる。


「敬太君。勇者は好きか?」

「なんですか、突然」

「好きか嫌いかだけでいい。俺に教えてくれねぇか」

「……嫌いです。大嫌いです」

「あんなに強いのに?」

「こんな力なんて、欲しくなかったです!」


 敬太は青白くなるまでその華奢な手を握り締めた。


「僕が欲しかったのは、ただ、普通の生活を送れる力なんですよ!!」


 敬太の金色の瞳に、大粒の涙が光って見える。


「……光さんも真琴さんも優しいから、もう気づいているでしょうけど、僕小学校の時からいじめられていたんです」


 ──やっぱりか

 光はあの反応に納得した。

 敬太くらいの年ごろだと、多感な感受性を持つ代わりに、自我というものが未発達なため、加減というものが分からない。面白半分いたずら感覚でやっていることが、どれだけ相手を傷つけているのか理解できないのだ。

 そのため、いじめは熾烈極まりないものになる。敬太がどんな仕打ちを受けてきたのか、想像するのは難しい事ではなかった。


「チビでネクラと言われて、毎日笑われながら殴る蹴るされるし、女の子の前でパンツ脱がされたことも一度や二度でじゃありません。それと臭いと言われて、掃除のバケツの水を浴びせられたこともありました」

「そんな……ひどすぎる」


 それまで黙って聞いていた真琴の瞳からも、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 そして「降ろして」と光にアイコンタクトを送ったので、光はそっと敬太のそばに真琴を座らせる。

 真琴もまた、敬太に座るよう促した。それに素直に応え、敬太もまた草生えのする大地に腰を下ろす。


「そして僕は……学校に行くのをやめました。あんな地獄のような毎日に耐えられなくなって」

「不登校……引きこもりか」

「……はい。その時『ヴィクトーニア・サガ』に出会ったんです。これなら理想の僕に近づけるんじゃないかって」


 その気持ちは光にも分かる気がする。

 敬太程深刻ではないが、光もまた小柄で女顔というコンプレックスから、理想の自分を作り出して楽しもうとしたことがあるからだ。


「ギルドも作ったんですよ。『勇者同盟』ってギルドを。賛同者の人も一杯来てくれたんです。そしてたくさんのクエストをこなして、たくさんのアイテムをゲットして、みんなでレベルをあげて」


 そういう敬太の顔は、昔を懐かしむ老人のような、どこか悟ったようでいて夢見るような表情だった。


「この装備もギルド全員で集めたものなんです。僕が一番早く勇者にクラスチェンジできたんで、僕が貰うことになったんです。ギルドの象徴、友情の証として」


 敬太は愛おしそうに自分の青い鎧を撫でる。

 孤独だった敬太にとって、それは何者にも代えがたい思い出の品に違いなかった。


「素敵な話ね」


 真琴の優しい言葉に、敬太も頷く。


「その後も大勢の勇者が生まれました。そして半年も過ぎた頃には僕のいたサーバーでは名の通ったギルドに成長していましたし、あの頃は本当に楽しかった」


 だが、その表情が不意に曇った。


「でも、一年過ぎた辺りから、みんな辞め始めたんです。『ついていけない』とか『プレイスタイルが合わない』とか『効率が悪い』とか言い出して。……僕には引き止めることが出来ませんでした」


 これは光も真琴も覚えが有る。

 プレイスタイルというものは、人の数だけあるものだ。リアルならともかく、交流がどうしても薄くなりがちなネット社会の人間関係程壊れやすい物は無い。

 実際、二人とも様々な理由で(たもと)を分かったプレイヤーがいたことを思いだす。


「そして半年経った頃には、気が付いたら僕一人になったんです。事実上解散です。しょうがないですよね? 勇者なんて結局特徴のない、ただの器用貧乏なんですから。でも心は通じていると信じていました。この装備がある限り」


 ──ちょうどレベル90が解禁された頃か、と光は思い出す。その頃から勇者というクラスは没落していったはずだ。

 ただ、敬太が嫌いと言いながらも、勇者にこだわる理由も何となくだが察しがついた。

 敬太にとって、勇者とは自己表現の形であり、思い出のクラスなのだと。


 ただ、それに続いた言葉には流石に絶句した。


「でも、ある日偶然見てしまったんです。ある掲示板に僕の悪口が書かれていることを。調べてみたら、全員僕の元ギルドメンバーでした」


 光は目を開き、真琴は思わず口元を抑えていた。


可笑(おか)しいでしょう? 僕が信じていた友情なんて、ただの薄っぺらい紙と同じだったんですから」


 そういう敬太の自嘲するかのような顔は、絶望と狂気に濡れていた。

 孤独な敬太が拠り所にしていたものは、まさに砂上の楼閣だったのだ。

 その絶望感は想像するしか出来なかった。


「それから僕は復讐を考えるようになりました。自分が正しい、そう信じて」


 暗い表情で、無理やり笑みを浮かべる敬太の言葉を二人は黙って聞いていた。

 敬太にしてみれば当然だろう。離れるならまだしも、最悪の形で裏切られたのだ。

 見返してやると思うことは、至極当然の事のように思えた。


「お二人も知っての通り、このゲームでは基本的にPK(プレイヤーキル)が出来ません。その代わり闘技場(コロセウム)決闘(デュエル)を申し込みました。お互いの信念をかけて」


 復讐というには、あまりにも真っすぐな方法だった。

 おそらく敬太は陰湿な手段を選ばず、正々堂々と真正面から戦う事を選んだのだろう。

 敬太という少年の人柄がしのばれる


「それで、結果は?」

「結果は……僕の勝ちでした。言ってやりましたよ? 『見たか、これが本当の勇者の力だ。ざまぁ!』って」


 敬太の顔に笑顔が浮かぶ。だがそれは、悲しみと虚無感に彩られていた。


「……でも、後に残ったのは充実感じゃなくて、胸に穴が開いたような感覚でした」


 それは光にも覚えがある。

 憎しみに(こご)った戦いは、何の達成感も得られない。残るのは空虚な虚無感だけだと。


「僕は同じことを繰り返しました。何度も何度も! でも、勝ち続けても全然嬉しくなかったんです。まるで感情が麻痺したみたいになって。最後にはもうどうでもよくなってしまって、僕はただレベルを上げるための機械になったんです」


 黙々とモニターに向かってゲームを続ける敬太の姿が目に浮かぶようだった。

 敬太には、それしか残されていなかったのだろう。リアルでいじめられ、友人と思っていたネット仲間にすら裏切られて。

 敬太が自分自身であり続ける為には、ゲームという小さな世界に閉じこもる他無かったのだ。


「そんな時です。美久ちゃんが携帯ゲーム持ってゲームに誘ってくれたのは。正直に言えば、最初はめんどくさい、と思ってたんですけど……でも、美久ちゃん、あんまり下手くそだったから、いつもの癖でついついアドバイスしたんです。そうしたら……なんて言ったらいいんだろう。ゲームを始めた時みたいに胸があったかくなったんです」


 そういう敬太の表情は、柔らかい物に変わっていた。


「美久ちゃん、飲み込み早かったから、すぐに一緒にプレイしたんです。クエスト行ったり、狩りに行ったり、時々デートしたりして。そしたら、胸が満たされるような感じがしたんです」


 そう。ゲームは苦行ではない。楽しむものだ。

 おそらくだが、美久という少女の存在は、敬太にとって大きな支えだったのだろう。


「僕が立ち直れたのは美久ちゃんのおかげなんです。学校に行こう、嫌な事があっても、美久ちゃんと一緒にゲーム楽しんで嫌な事は忘れようって。そうしたら、美久ちゃん凄く喜んでくれて、僕と結婚しよう、って言ってくれたんです」

「いい彼女なんだね」


 真琴が優しく微笑むと、敬太は恥ずかしそうに頬を染めて頷いた。


「そしてクエストして、二人だけの結婚式を挙げて……その後は、本当なら(ホーム)でのんびりスローライフを楽しむつもりだったんですけど」

「結婚式を挙げたら、この世界に飛ばされたってわけか」

「はい。状況は光さん達と同じです。ただ、その時の事は正直よく覚えてないんです。無我夢中だったんで。でも、とっさに魔法を放った感覚と、ドロウルを倒した感覚は今でも覚えています」


 そう言って、敬太は自分の手のひらをじっと見つめていた。

 おそらくその時の事を反芻(はんすう)しているのだろう。


「その時、僕思ったんです。この世界なら本当の勇者になれるんじゃないかって。この世界は一つの『物語』で、僕はその『主人公』じゃないかって」

「『主人公』……か」


 言いたいことは何となく分かる気がする。

 もし、自分が敬太の年ごろで、同じような境遇になったのなら、きっと少なからず似た思いをしただろう。


「ほら。ライトノベルでよくあるでしょう? 異世界に転移転生して無双するってパターン。それだと思ったんです」


 確かに、こんな状況になったら、自分だってそう思うかもしれない。

 ましてや敬太はリアルでもネットでも居場所が無かった少年だ。そう思い込むのも無理は無いと思えた。人は何かしら居場所を求めるものだからだ。


「その後すぐ村に保護されて、身寄りが無くなった僕たちを、本当の家族のように迎えてくれたんです。皆さん本当に親切で、元の世界の事を忘れるくらい」


 それは、幼い敬太と美久にとってかけがえのない物だと分かる。

 頼る術もない、幼い二人が生きていくのはこの世界は過酷に過ぎる。

 それを証明するかのように、敬太はポツリと暗い表情で語りだした。


「でも、二か月程経った時、村に古代竜(エンシェントドラゴン)が襲い掛かってきたんです。あれは異常でした。ゲームならバランス崩壊するくらいに」


 敬太はその時の事を思い出したのだろう。肩が小さく震えている。


「皆さん勇敢に戦ったんですけど、次々に殺されていって……僕思わず指示を出してしまったんです。奇跡的にそれが上手くいって、生き残った皆さんに被害を最小限に食止めてくれたって感謝してくれました。でも、亡くなった人も少なくなかったんです」


 古代竜はゲームの中ではボスキャラとして君臨しているエネミーだ。通常なら複数のパーティで攻略するしかない程の。

 それを『異常』とまで言わしめる様な敵など、完全に想像の埒外であった。


「幸いほとんどの人が蘇生できたんですけど、失敗した人もいて……。お葬式の時、僕思い知りました。この世界はゲームでも『物語』でもない、現実なんだって。そして僕は勇者でも『主人公』でもない、ただの子供だって」


 それは夢を見る少年に、過酷な現実を突きつけられたに等しい。

 なによりも、親しい人間が虐殺されていくのを、この幼い少年は見てきたのだ。

 ただ、蘇生が出来るという事は幸いであっただろう。だが、それも確実とは言えないらしい。敬太が言っていたではないか。「死ぬ人は死ぬ」……と。


「恥ずかしい話ですけど、その後、僕また自分の家に引きこもってしまって。そんな時、村長さんからお願いがあったんです。『村に自警団を結成するから、その団長になってくれ』って」

「もしかして、敬太君の言っていたお仕事って?」


 真琴の問いに、敬太はうつむくように頷いた。


「最初は断りました。だって、そうでしょう? 僕みたいな子供に、一体なにが出来るんですか」


 光自身が敬太と同じ立場に立たされたら、同じことを言うだろう。

 少なくとも、大勢の命を預かるには敬太はまだ幼すぎた。

 だが。


「でも、大勢の村の人や、美久ちゃんが応援してくれて、僕ようやく決心することが出来たんです。勇者にも『主人公』にもなれなくても、自分に出来ることがあるならやってみようって」


 正直言って意外だった。これからの言動から察するにそれほど芯が強い性格には見えなかったからだ。

 だが、元々ギルドマスターとしてギルドの運営を担ってきたためか、責任感は強そうだと、光は密かに敬太の評価を上げた。


「それから必死になって勉強しました。この世界の事や、皆さんのクラスやスキルを覚えて、戦術を練ったり、訓練メニューを考えたり、連絡網を整備したりして。そして、僕はようやく村の一員になれた気がします」


 光や真琴の事について随分熱心に聞いていたが、これで腑に落ちた。

 単にゲーマー根性だけでなく、新しい戦力として組み込むことを計算していたのだ。意外にしたたかな面がある。

 だが、自分に出来ることがあるという事は良い事だ。少なくともそれは自信に繋がるし、存在価値を見出せるという意味でもある。

 この繊細な少年が、皮肉にも異世界で自分の居場所を見つけ出した事は救いのように思えた。


 だが、そこまで語って、敬太の拳がぎりっと音を立てて握り締められる


「──でも、光さんのお話し聞いて、僕の中で何かが壊れる音が聞こえました」

「俺の?」


 どういう事だろうと、真琴と顔を合わせて首を捻る。


「だってそうでしょう!? なんの権利があって神様は僕達をこんな世界に放り込んだんですか!! 勝手に改造されて、勝手に異世界に送り込まれてっ、挙句には殺し合いですか!?」


 激情に駆られるままに、敬太は拳を地面に叩きつける。


「僕ただの中学生なんですよ!? 美久ちゃんなんて、まだ小学生なんだ!! ほかのみんなだってそうだ! 本当なら、普通に結婚して、普通に家庭を持って、普通の幸せを手に入れられたはずなんだ!!」


 敬太は何度も何度も地面を殴りつける。殴りすぎて、拳からは血がにじんでいた。


「それがゲームをやっていたってだけで……っ! ひどいですっ ひど過ぎます!!」

「もうやめて!」


 ついに真琴が止めに入った。なおも拳を叩きつける敬太を、そっと抱きしめる。


「だめだよ……自分をいじめちゃ。いじめ、嫌いでしょ?」


 そうして真琴は、優しく敬太の頭を撫でてスカートのふちを破り、簡単に敬太の血にまみれた拳を手当てしてやる。

 敬太は金色の瞳に大粒の涙を()め、唇を痛いほど噛んで、やがて真琴の胸にすがって(せき)を切ったように大声で泣き始めた。

 無理もない。まだ両親が恋しい年ごろだろうに。

 この頃は反抗期真っ盛りで、両親の愛情が疎ましく感じる年代でもあるが、まだ親離れしているとは言い難い。

 いきなり訳も分からず異世界に転移させれて、修羅場をくぐり抜けたとあっては無理からぬことだった。

 そんな敬太の頭を優しく胸に抱きしめて、聖母のような表情で頭を撫でていた真琴の姿は、まるで一枚の宗教画のようだ。

 ただ、光はこの世界の過酷さを目の当たりにしたようで、正直陰鬱(いんうつ)な気分になるのだった。



「取り乱して、ごめんなさい」


 どれだけ時間が経ったのか、敬太はようやく落ち着いていた。ただ、まだしきりに目尻をこすり、鼻をぐすぐす言わせている。

 そんな敬太に、真琴は優しく微笑んでこつんとその頭をつついた。


「はい、またごめんなさいしたね? これゲンコツ」


 そんな真琴に、敬太は顔を真っ赤にして頭を押さえた。そして言いつくろう様に慌てて立ち上がる。


「も、もうすぐ村ですから、そろそろ行きましょう、か?」


 無論否や応もない。

 敬太の話を聞いてるうちに、結構時間も経っていることだし、二人に異存は無かった。


「あの、光さん」

「? なんだ?」


 唐突に話しかけられて、光は怪訝そうな顔になる。


「もしも、もしもですよ? この世界が一つの『物語』だとして、光さんはその『主人公』、なんて言ったら、怒ります?」


 思わぬ問いかけに、きょとんとなってしまった。

 大体、この世界が『物語』などではなく、現実だと言ったのは敬太自身ではないか。


「別に、怒りゃしねぇけどよ。俺が『主人公』? 正直ピンとこねぇな。第一、俺がこの世界で何が出来て、どう生き延びられるのかも分からねぇんだぜ?」

「それは……そうかもしれません。けど、何となくですけど思ったんです。光さん達なら、『物語』の『主人公』になれるかも、って」

「買いかぶりだ」


 実際、光は特異なケースらしいが、だからと言って特別何かが出来るという実感はない。

 まだ、この世界に転移してきたばかりなので、それは無理からぬことであった。


「あと、それと……」


 敬太はチラリと真琴の方を見て、こっそり光に耳打ちした。


「真琴さんのおっぱい。柔らかくていい匂いがしました」


 光は有無を言わさず、敬太にデコピンを食らわせる。結構威力があったらしく、敬太はのけぞってよろめいた。そして真っ赤になった額を押さえ、照れ臭そうに笑うのだった。


「じゃ、行きましょう!」


 そう言って敬太はトコトコと走り出した。その表情に、もはや曇りはない、晴れ晴れとしたものだった。

 そして少し離れた所から「もうすぐですよー!」と元気に手を振っている。


「良かった。元気になったみたいで」


 そんな敬太を見て、真琴が優しく微笑んでいた。


「ところで、先輩」

「なんだよ?」

「さっき敬太君、先輩に何言ってたのさ?」


 さて、どう説明したものかと悩んだのは一瞬だった。


「お前の胸が柔らかくて、いい匂いがしたんだと」

「んな!?」


 真琴が慌てて胸を隠す。


「そう言えば、直に触った事無かったな。なんか悔しいから、俺も揉んでいいか?」

「いいわけ、ないでしょっ!」


 思いっきり、はたかれた。


「もぅっ、バカな事言ってないで行くよ」


 そう言ってずかずかと歩き出す真琴の細い肩を掴む。

 そして今度は腰に手をまわして再びお姫様抱っこした。


「ちょっ! せ、先輩!? もう一人で大丈夫だからっ!!」


 またジタバタするがもう遅い。


「いーから、けが人は大人しく黙ってろっつーの。俺の可愛い嫁さんになにかあったら、困るじゃねぇか」

「よ、嫁……っ」


 再び真琴の顔が朱に染まるが、気にもしない。むしろご褒美だ。


 そうして二人は敬太の後を追った。


 優しい日差しが降り注ぐ、そんな昼前の出来事だった。



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