小さな勇者
電光石火とはこういう事をいうのだろうか。
瞬く間に三匹もの竜頭巨人を倒した小柄な少年は後詰を警戒するように立っている。
「う……ん」
その時気絶していた真琴が目を覚ました。
「おい真琴! 無事か!? どこか具合の悪い所は!?」
光は真琴の近くに駆け付け、心配そうに声を掛ける。
「先輩……? !っ ドロウルは!?」
「安心しろ。あの子が助けてくれた」
「あの子?」
光はまだ周囲を警戒している青い鎧の少年を指さした。
「あんな小さな子が?」
真琴も驚きを隠せなかったようで目を丸くしている。
「ああ、凄かったぜ? ドロウルをたった二発で殲滅しちまうんだからな」
光は頼もしげにその背を改めて見つめた。
だが、様子がおかしい。
その小さな肩が小刻みに震え、足に至っては生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えている。
ついにはへちょんとその場にへたり込んでしまった。
これには二人も何事かとびっくりして、光は真琴を抱きかかえると少年の方へ駆け寄った。
「お、おい! 君!?」
「大丈夫!?」
声をかけられた少年はビクッと肩を震わせて二人を見上げる。
光より3つは年下だろうか。髪の毛も黒みがかった栗毛だし、やや白い肌と言いどうも色素が薄い体質らしい。顔立ちも愛らしかった。光ほど女顔では無いが、整った顔立ちをしている。瞳の色は驚くべきことに金色だった。
少年は「あはは……」と申し訳なさそうに笑うと、ようやくよろよろと立ち上がった。
「あ、あの。お二人とも大丈夫ですか?」
先ほどの凛々しい姿とは全く逆に、何か悪い事でもしでかしたかのようにおどおどしている。
身長も160cmにはやや届かないという小柄なので小学生か中学生くらいだろうか。ただでさえ小柄なのに申し訳なさそうに猫背になっているので余計に小柄に見える。
「いや、俺は無事なんだが……」
「君の方こそ大丈夫?」
「あはは……せ、戦闘の時は平気なんですけど、気が抜けると腰が抜けちゃって」
その時になってようやく気が付いた。
この少年は日本語を話しているのだ。少なくともそう聞こえる。
「君、日本人なのか?」
「はい。『小野田 敬太』といいます。多分ですけど、今中学二年です」
「多分?」
「現実世界とこっちの世界じゃ時間の流れが同じか分かりませんから……だから多分なんです」
「なるほどな……。あ、言い忘れてた。俺の名前は『日高 光』。光と書いてミツルって読むんだ。で、こっちは」
「ちょ、ちょっと。先輩おろしてよ恥ずかしい」
「だって、お前けがしてるじゃねぇか。頭も打ったみたいだし、気のせいか顔色悪いぞ?」
「え? 頭を打ったんですか? 吐き気や眩暈とかは?」
「あー、吐き気は無いけど、目がちかちかする」
「脳震盪かな……? ちょっと降りていただけますか? ゆっくりでいいですから」
小野田と名乗る少年の指示に従い、光はゆっくりと真琴を降ろして寝かせる。
少年は頭を慎重に診て顔色までチェックしていく。
「専門的な知識は有りませんけど……コブができてますね。腫れは……大したことないようです。一応治癒かけておきますね」
そういうと小野田少年の手から暖かい光が灯った。それを真琴のコブに当てる。
優しい光が真琴のコブを見る間に癒していった。
「これで大丈夫ですか? 他に痛むところは? ええと……」
「あ。あたしの名前は『日向 真琴』真琴でいいよ。後は……そういえば左足挫いちゃったんだっけ」
「これですね。うわ、結構腫れてますよ。骨に痛みとか有りませんか?」
「どうかな? 足首が動かしにくい感じはあるけど」
「じゃぁ、今度は少し強めに治癒かけておきますね」
再び優しい光が真琴の左足を癒す。すると見る間に腫れが引いていき元の綺麗な足へと戻った。
「へぇー魔法って便利なんだね。あたしにも使えるのかな?」
身体の調子を見るために、軽くスキップしていた真琴が感心したように言う。
「クラスとスキル次第では使えますよ。もっとも使えるのと使いこなせるのとは違うそうですが」
「名言だな。それ経験からくる持論か? 小野田君」
「あ、僕の事は敬太で良いですよ、日高さん」
「じゃ、俺も光と呼んでくれ。ところでさっきの質問だけど」
「ああ、これ師匠の受け売りなんです。もっとも、あの人は『俺は弟子を取ったつもりはない』って言ってますけど」
そういって敬太は渇いた笑いを浮かべた。
なんか敬太のいう『師匠』という人物は、昭和の頑固オヤジのイメージしか思いつかない。気難しい人そうだなぁと他人事のように思う二人だった。
しかし『師匠』という人物が居るということは、敬太以外にもこの世界に来ている人物が居るのだろうか? そもそもこの世界はゲームの中なのか? 色々と疑問があったので聞いてみることにした。
「なぁ、敬太君。君以外にもこの世界に来てる人がいるのか? そもそもこの世界って、ゲームの中なのか?」
敬太はうーんと腕を組んで、何から話したものかと考え込んでいる。
そしてややあって、おずおずと逆に尋ねてきた。
「あのう、その前に確認させてもらっていいですか? お二人とも『ヴィクトーニア・サガ』のプレイヤーさんだった、で間違いないですか?」
光と真琴はお互いの顔を見合わせて答えた。
「うん。そうだけど?」
「で、結婚機能で結婚式を挙げて、この世界に転移してきた……ですよね?」
「……間違いねぇ」
「すみません。お二人とも、左手見せていただいてもいいですか?」
「「左手?」」
再び光と真琴は顔を見合わせて首を傾げた。とはいえ断わる理由も無い。黙って敬太に左手を差し出す。
「やっぱり。間違いないですね」
敬太の視線を受けて、二人はようやくあるものに気が付いた。
「あれ? これって……」
「結婚指輪?」
二人の左薬指に、シンプルだが精密な彫金が施された指輪がはめられていた。
「いつの間に?」
「っていうか、あたし全然気が付かなかった……」
まるで長年付けているような感じで、違和感というか装着感がまるで無い。
光は試しに外してみようかと、引き抜こうとしてみたり回そうとしたが、どういう訳か貼りついてでもいるかのように、ピクリとも動かなかった。
「どうなってんだ? これ」
「石鹸でも使えば取れるんじゃない?」
真琴もそう言いながら外そうとしていたようだったが、早々に諦めていた。
そんな二人を敬太は、なぜだか申し訳なさそうな視線を送っている。
そしておずおずといった風に、驚くべきことを言った。
「あ……あの、ですね。それ外れません。っていうか、外れたらある意味死んじゃいます」
なんだか思わせぶりな口調だった。
流石に聞き過ごせなかったので、光は事情の説明を求める。
「事実上って、どういう意味だ?」
「えと。その指輪の機能について、なんですけれど……ゲームでの効果はご存じですよね?」
「同じパーティーにいるか、フィールドにいると、強力な戦闘力向上が乗るんだよな?」
「で、です。それ以外にも効果があって、まず僕たちが持つゲーム上の能力の源が、その指輪みたいなんです」
真琴は感心したように指輪を見つめる。
「へー、そういう事なんだ」
しかし、それに続く敬太の言葉は更に深刻なものだった。
「ただ、ですね。それが外れるとなると、その恩恵は丸ごと失われます。普通の人間に逆戻りするんです」
「そりゃ、確かに勿体ねぇけど、死ぬって穏やかじゃねぇな。他にもリスクがあるんだろ?」
「それが、そのぅ……この世界の人たちとの会話が出来なくなるんです」
「ってことはさ、この指輪って翻訳機能もついてるんだ?」
真琴の言葉に、敬太はうなずいて正解を告げる。
「そうなると、この世界じゃ生き残れません。だから、事実上死んだも同然、なんです」
それだけ過酷な世界ということなのだろうか。確かにそれは深刻な問題である。
例えるなら言葉も風習も違う外国に、無一文で放り出されるようなものだ。生きていくなら残飯でもあさるか、最悪奴隷のような扱いを受ける事なるだろう。
となると、この世界の住人はやはりレベルが高いのだろうか?
その事を光が尋ねてみるとこんな返事が返ってきた。
「なぁ、敬太君。この世界の住人って、強いのか?」
「強いか弱いかと尋ねられると、返事に困りますけど、本来の僕たちの基準からすると強いです」
「えと、なんレベルくらいなの?」
「僕らと違ってレベルという概念はありません。けど、単純に戦士クラスで換算したら、町の人たちがレベル5。農村で生活してる人達ならレベル10から15。専業兵士がレベル25くらい。達人と呼ばれている人が40。英雄として名を残している人で50、ってところでしょうか」
いまいちピンとこない。
光と真琴は顔を見合わせた。
ゲームでレベル50と言えば、そこそこやり込めば半年やそこらでたどり着ける境地である。 もっともそこから先が徐々にレベル上げしにくくなっていくのだが。
「ちなみにさ、普通のあたし達のレベルだとどのくらいになるの?」
「あー……なにか武道系のスポーツなんかやってる人はまた違うと思うんですけど、大体2から3がせいぜいでしょうか」
殆どモブ扱いである。
「しかし、農家の人間がレベル高いのは、どういうことなんだ?」
「あの、単純な話です。過酷な力仕事の上、自衛までしなければなりませんから。あと非常時には民兵として駆り出される事があるからなんです」
「なるほどな……」
光は歴史の知識を紐解いてみた。確かに洋の東西を問わず、過去農閑期に農民兵が徴収されたという事例は結構ある。
むしろ騎士階級の準貴族や小さな地方領主などは、平時には畑仕事に勤しんでいるという事例もあるほどだ。
「あのぅ、ここで立ち話もなんですから、そのとりあえず村まで行きませんか? その方が落ち着いてお話しできると思うので」
「そだね。あたし、もう色々ありすぎてパニックになりそう」
真琴も同意見のようだし、けがの具合も心配だ。ここは素直に甘えておくのがいいだろう。
それにしても村? やはり同じように転移してきた者が他にも居るのだろうか。
「なぁ敬太君。方向はあっちでいいのかな?」
光は煙が立ち上っている方角を指さして尋ねた。
それを聞いて敬太は目を丸くする。
「そ、そうですけど。なんでわかったんです?」
「いや、煙が見えたから」
「煙?」
敬太は光が指さした方角と光を見比べる。
「み、見えるんですか?」
「だから見えるっつたじゃねーか」
「あぅ……す、すみません」
なんだか敬太をいじめるような展開になってしまった。
助け舟を出そうと真琴が光を窘めるように小突く。
「あ、心配しないでいいからね? 敬太君。先輩のやることなす事にいちいち驚いてたら身が持たないから。なんだかんだで異常だし、先輩って」
「おいこら、真琴。お前、自分の彼氏捕まえて、化け物呼ばわりするのはどういう了見だ」
「十分化け物じゃないさ。普通あんな距離の煙なんて、見えないってば」
夫婦漫才を始めた二人に、敬太もようやく安堵のため息をついて苦笑を浮かべてくれた。
「じゃぁ、僕、村長さんに連絡いれときますね」
そう言うと、腰につけたポシェットから、あるロボットアニメの部隊マークのついた、赤いカバーのスマートフォンを取り出し、どこかへ連絡を入れる。
「あ、もしもし? 敬太です。はい、例の新しい転移者の方を僕の方で保護しました。場所は……クワランの森とヤソン平原の境目です。え? 年齢、ですか。お二人とも高校生くらいですかね」
そう言って敬太は視線を二人に向ける。光と真琴は顔を見合わせて、首肯した。
「確認しました。間違いないようです。あ、それと。竜頭巨人を三体仕留めましたので。はい、そちらはよろしくお願いします。時間は……そうですね。女性の方がけがをしていたので、多分40分くらいかかるんじゃないかな。はい、そうですね。それではあとで」
ふぅ、と。なにかやり遂げたような表情で、敬太は再び二人に向き直った。
「お待たせしました。じゃぁ行きましょうか」
「ああ」
そう答えると、光はヒョイと真琴を抱え上げる。
真琴は恥ずかしいのかジタバタして、耳まで真っ赤になっていた。
「ちょっ! せ、先輩っ。もう一人で歩けるからっ!!」
「阿保。頭と足けがしたんだぞ。距離あるみたいだし、しばらく安静にしとけ」
「で、でも……」
そう言ってふと敬太の方に視線を送る。多分だが敬太からどう見られるのか気になるのだろう。
そうなると、恥ずかしがる様が逆に可愛らしく思えて、嗜虐心がむくむくと湧いてくる。
「いいから、ほれ。黙って抱かれてろ」
「だっ! 抱かれてって、先輩!?」
真琴はしばらく「あー」だの「うー」だの唸っていたが、ようやく覚悟がついたのか、黙って片腕を首に廻して、頭をそっと光の肩に預けた。
その顔はと言えば、熟したトマトのように更に真っ赤になっている。
光にとってはこれ以上愛おしいものは無い。どんな真琴も魅力的だが、恥ずかしがっている姿や、泣いている姿が一番下半身にくる。
──って、あれ? 俺ってもしかしてSっ気でもあんのか??
いやいや、それは無い。これは保護欲だ、うん。
そう自分を納得させて、村の方へと歩みを進めようとした。
のだが
。
「ん? 敬太君?」
先頭に立って案内するはずの敬太が、しっかり目をつぶって耳まで抑えている。その顔は真琴以上に真っ赤だ。ほとんど茹蛸状態である。
「おーい。敬太君?」
「あ、あのぅ……もう、目を開いて、い、良いですか?」
おずおずとそんな事を尋ねてくる。
中学生には刺激が強すぎたかな? と反省はしてはみるが後悔は無い。
ただ、真琴から無言のヘッドバッドを食らいはしたが。
「あー……。すまんかったな。もういいぞ」
「は、はい……」
敬太は恐る恐るといった感じで目を開くが、二人の睦まじい姿を見てくるりと背を向けた。
「さ、さぁ! い、行きましょうっ!!」
心なしか声が上ずっている。しかもあろうことか、右手と右足を同時に出して歩く始末である。
二人は少年の初心な反応に、苦笑するしかないのだった。
平原を渡る風が心地よかった。
「しかし、こうして見ると、とてもゲームの中とは思えねぇな」
頬をくすぐる風を浴びながら、光はそんな事をつぶやいた。
「ゲームじゃありませんよ」
それに答える敬太の口調は、やや硬いものだった。
「ゲームと違って、死んでも神殿で自動的に復活できる訳じゃありません。死ぬ人は……死にま、す」
敬太のその話ぶりからすると、どうやら想像していたより、事態は生易しいものでは無いことが、二人にも理解できる。
「……す、すみません。これ以上は、村に行ってからで、いいです、か?」
これ以上、この繊細そうな少年を傷つける事は本意では無い。ここは話題を変えるべきだ。
「ああ、悪ぃ。でも、あの時よく俺の前に聖盾張ってくれたな? まさか出待ちしてたわけじゃねぇだろうに」
「ああ。あれはタイミングが良かったんですよ。間に合ってよかったです」
「でも、俺達がすでに転移するのが分かってたみてぇだな? 電話の話から想像すると」
すると敬太はどう説明したものかと考え込んでいるようだった。神経質に、親指の爪を噛んでいる。
「……お二人とも、結婚機能については、ご存じですよね?」
「あれだよね? 結婚したキャラ同士がパーティー組むと、戦闘力がグンって上がる奴」
「それと──倉庫付きの家が貰えるんだっけか」
「あ、それそれ。スローライフも楽しめるんだよね? あたし、楽しみにしてたんだー」
「それですよ!」
いきなり敬太が叫んで、二人をビシッと指さしてきた。あまりの豹変ぶりに二人は目を白黒させてしまう。
「どういう理屈か未だ分からないんですけど、新しい転移者が来るといつの間にか家が建っているんです!」
ふんすっ、と鼻息も荒く力説する敬太に、呆れかえってしまう。
どうもこの少年、見かけによらず感情の起伏が激しいようだ。
「それで、今までの統計から出現ポイント割り出して、手分けして探してたんですっ。僕があそこにいたのは、僕達もあの場所で転移したからなんですよ!」
ついには、どや顔で胸を張っている。何が嬉しいのか光にはさっぱりだったが、敬太は説明出来ることがあると、ついつい興奮してしまう気質のようだ。多感な少年らしいと言えばらしいが、ちょっと度が過ぎている気がしないでもない。
「あー、その点については分かった。でもタイミングは? 偶然っていうにゃ、意外と良いタイミングだったじゃねぇか」
「あっ、それもですねっ、統計的に転移する時間帯が分かっているからなんです!」
それを聞くと、真琴は相変わらず光に抱きかかえられたまま、くるりと周囲を見渡す。
「えと、今が10時57分だから……じゃ、10時位?」
真琴の答えを聞いて、敬太の顔が面白いようにぽかんとしていた。そしてポーチからスマフォを取り出すとしげしげと見つめ、絶句したように尋ねてくる。
「あのぅ、真琴さん? なんで時計も見ずに時間分かるんです??」
「え? そんなの、空気の色見れば分かるじゃない」
「く、空気の……色??」
敬太もきょろきょろと周囲を見渡すが、そんなことで時間が分かるはずもない。
真琴の持つ異能は、方向感覚に留まらなかった。
確かに人間は体内時計があるから、ある程度は時間が分かる。ただ真琴の場合、分刻みに正確な時間が分かるらしいのだ。
実際、光も真琴と付き合い始めてから思い知ったのだが、真琴が今まで時計を使っている所を見たことが無かった。それどころか、部屋に時計すら置いていないのだ。
こうなってくると、時間感覚が鋭いどころの話ではない。ほとんど先祖返りである。
光の事を異常扱いしていたが、実は似た者夫婦なのだ。
「どうしたの? 敬太君。変な顔して。あたし、間違ってた?」
「あのぅ、いえ、せ、正解……です。はい」
台詞を取られて拍子抜けしたのか、真琴の異能ぶりに呆れたのか、先ほどまでの勢いがすっかり鎮火していた。
「ところでさ、敬太君、あなた真っ先にあたし達の指輪気にしてたよね? 何か関係あるの?」
真琴の問いに、敬太は現金にも再起動した。
「あ、それはですねっ、この世界に転移する人達には一定の法則があるんです! ほら、聞いた事ありませんか? 『ゲームで結婚したリア充は神隠しにあう』って」
「あー、あるある。ね? 先輩」
「俺も聞いた事があるな。単なる都市伝説かと思っていたんだけどよ。まさか自分たちがそうなるとはなぁ」
「はい。条件としては、リアルで男女である事。そしてお互い好意以上の感情を持っていることなんです」
まさに光と真琴の状況と合致している。
「ってことはさ、敬太君もお嫁さん貰ってるんだ?」
「は、はい。僕の幼馴染で美久ちゃん、っていうんですけど。……写真、見ます?」
「あ、お願い。見せて見せて」
他人の恋バナには、年ごろの少女らしく興味を示した真琴がさっそくせがんだ。
敬太はというと、いそいそとスマフォをいじって写真をセレクトしている。ややあって、良い写真でも見つかったのか、両手がふさがっている二人の前にスマフォをかざして見せてくれた。
そこには小学生くらいだろうか、明るい髪をツーサイドアップにして、両手で可愛らしくハートマークを作って見せている、愛らしい少女の姿がある。
「へー。可愛いじゃない」
「こりゃ、将来有望だな」
「えへへ。そうですか?」
褒められて満更でもないのか、敬太は照れ臭そうに頬を染めていた。実に初々しい。
「そう言えば敬太君。他にも転移してきた人達がいる訳だよな? 何人くらいいるんだ?」
「そうですね……正確な人数は村長の奥さんが把握してますけど、僕が覚えている限り、100世帯、つまり200人以上いるんじゃないでしょうか?」
この数字には流石に仰天した。
「にっ!?」
「200人っ!?」
『ヴィクトーニア・サガ』の総プレイ人口が1500万人を超えているとはいえ、これは異常な数字だ。どう考えても事件になっていない方がおかしい。
あの場に居た光の姉、命ならなにか分かるかもしれないが、あいにく現実世界と連絡を取る術はなかった。
何者かが意図的に隠ぺいしようとしている、と考える方がしっくりくる。一体どういう手段を使ったのかは想像もつかないが。
その時、光の脳裏にふとある情景が浮かんできた。
「なぁ、敬太君。君が転移してきたのはいつだった?」
「え? 半年ほど前です。お二人が来るまでは、僕達が一番の新入りでした」
「転移した時の事は覚えてるか?」
「はい。でも、多分お二人と同じだと思いますよ? まず式を挙げて、指輪を交換して……そ、そして、えと、き、キスを」
「で、その後、モニターがピカーって光って、気が付いたら美久ちゃんとこの世界に来てたのね?」
「は、はい」
「一番古株の人は、何年前だった?」
「3年前と聞いています。詳しい事は僕も知らないですけど……それが何か?」
「いや……」
3年前と言えば、光と真琴が一緒にプレイし始めた頃だ。しかも、当時は大型アップデートが行われ、一つの新クラスが発表された時期でもあった。
偶然だろうか? 根拠は無いが、何か意図的なものを感じる。
「ちなみに、転移した間の事を覚えている人はいねぇか?」
「はい? 転移の間??」
「先輩、なにそれ?」
敬太と真琴は、不思議そうな顔で見つめ合い、再び視線を光に送った。
「そっか、真琴はあの時意識が無かったみてぇだったしな。俺だけなのかな?」
「光さん……一体何が?」
「そうだな。説明しておいた方がいいか。なにかヒントになるかもしれねぇし」
そして光は持ち前の異常な記憶力を駆使して、虚無と曼陀羅の空間で起きたことを、一言一句、微に入り細をいって細かく説明した。
真琴とリンクしたこと。
ゲームのアバターと融合したこと。
黒い巨神に改造されたことなどを。
敬太はその話を驚愕の表情で聞いていたが、話し終えると、今度は親指の爪を噛みながら、真剣な表情でなにやらぶつぶつと独り言を言っている。
ややあって、敬太は得心したように頷いた。
「なるほど……なんだか納得したというか、パズルのピースが埋まった感じです。ただそれが全員なのか、光さんだけなのかは正直断言できません。言えるのは僕なりの仮設です」
「聞かせてくれねぇか?」
光の言葉に促されるように、敬太は情報を整理しながら説明をはじめた。
「まず言えることは、光さんが聞いた単語って、ヒンドゥー神話やヒンドゥー教の言葉なんです」
「ヒンドゥーって、インドの?」
「はい。詳しい事は村でまた説明しますけれど、そもそも『ブラフマン』っていうのが、ヒンドゥー教の主神の一柱なんですよ。その役割は色々ありますが、最大の役割は苦行、まぁ修行ですね。それで徳をつんだ相手に大きな『力』、言い換えれば『恩恵』を与える役割を持っているんです。それが例え敵対する神々であろうが、魔物であろうが同様です」
へぇーと感心したように、真琴は優しい笑みを浮かべる。
「もしかして敬太君。神話とか好きなの?」
「はいっ! 僕、ファンタジーとか大好きで、世界の神話や伝承読むのが趣味なんです!」
眼をキラキラと輝かせて、少年は熱く語り続けた。
「それとタンスラっていうのが、修行の果てに神と一体化する、仏教でいう『悟り』に近いんじゃないかな? そんな境地の事です」
「じゃ、俺が見た三つ目の巨神は?」
「合致するのは、有名なシヴァですね。それも千の姿を持つ一つの姿、憤怒相パイラーヴァ・シヴァだと思います。密教や仏教なんかでは不動明王や大黒天とも呼ばれています」
「ねぇ。なんだか怖い神様みたいだけど?」
「無理もないです。元々シヴァは破壊と再生を司る神で、パイラーヴァはその破壊と怒りをもって、敵対するものを滅ぼす存在ですから」
どうやら何か物騒な神に見込まれたらしい。光は自分がどうなっているかと、不安になってきた。
「まぁもう少し説明したいところですけど……もうすぐ村かな? それより光さん」
「あ、うん。なんだ?」
「気になっていたんですけど、足は大丈夫ですか?」
真琴を抱えて歩いて、結構な時間がたつ。疲れているのかと心配してくれたのだろうと光は思った。
「ん? 特に疲れてねぇよ。今は真琴も軽く感じるしな。それに足腰には自信がある」
「いや、そうじゃなくて。あれからずっと裸足じゃないですか。痛くないんですか?」
そう言えば、光の足の裏は度重なる過酷な鍛錬によって、靴底みたいな状態になっている。感覚が鈍麻しているため、まるで気にしていなかった。
「ああ、それなら大丈夫。ほれ」
光はこけないように、上手くバランスを取りながら、片方の足の裏を見せてみる。すると敬太は目を剥かんばかりに驚き、口をあんぐりと開けている。
「なんですかっ!? この足の裏っ!! まるで靴底じゃないですかっ!」
部活のチームメイトと同じか、それ以上のリアクションを返してきた。
「俺、子供の頃から剣道やっててよ。ただ、チビだったから、負けるのが悔しくてさ。足の裏の皮が剥がれるまで鍛錬した結果がこれだよ」
敬太は「はー……」と称賛とも呆れともとれるため息をついている。まぁ、無理もない。
「ところで敬太君。君、俺達に何か聞きたいことはあるか? 情報は共有しねぇと、な」
「え? いいんですか!? じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
しばらくうつむいていたが、敬太は意を決したようにガバっと顔を上げて、キラキラした目で二人に質問攻めしてきた。
「お二人のクラスはなんですかっ!? レベルはっ!? あと、装備も教えてくださいっ!!」
思わず後ずさるような勢いだった。まるでリードを目の前にした、お散歩前の子犬だ。尻尾があれば、ちぎれるほど振っていたに違いない。
その表情に光は妙な既視感を持ったが、すぐ気が付いた。
──あ、これ。完全にゲーマーの顔だわ
「お、おう。俺は『侍』で、レベルは92。主装備は『村正』だ」
「あたしは『聖騎士』で、レベルは90。自慢なのは『ヴァルキリーメイル』と『アークフィールドシールド』、かな?』
うわぁっと、敬太は英雄でも見るような、そんなつぶらな瞳で二人を見つめている。
真琴も見かけに反して犬っぽい所があるが、敬太の場合文字通りの子犬だ。
その視線が痛いやら、心地いいやら、くすぐったいやらで、なんだかヒーローショーのアクターにでもなった気分だ。
「お二人とも上位クラスじゃないですか! それに光さんっ、レベル92って、もうレベル上限引き上げあったんですか!?」
「おう。3月の春休みに大型アップデートがあってな。レベルが95まで解禁された」
「で、で? 村にも侍の方何名かいらっしゃいますけどっ、『村正』持ってる人初めてですっ! あれURの中でも、ドロップ率1%ってLR並みのレアアイテムじゃないですか!」
『ヴィクトーニア・サガ』のアイテムには、それぞれランク付けがある。
初期装備のN。
それに毛が生えた程度のR。
この辺は使うものが殆ど無く、せいぜい強化素材の足しになる程度である。
事実上標準装備となるのがSR。
これなら強化次第では上位のアイテムに匹敵する能力を持つし、職業技能次第では一から造り出すことも可能だ。フリマ機能で出品したら結構な稼ぎにもなる
そしてUR。上位プレイヤーなら最低一つや二つは持っている、事実上の最高装備だ。強化は可能だがフリマには出品不可能というから、その貴重性が分かる。
最後に存在するのがLRであるが、これは持つものは殆どいない、文字通り伝説級のアイテムである。
一応公式サイトやwikiでデータは発表されているが、その存在自体が疑問視されているほどのレア中のレアだ。持っているだけでネットに名が知れ渡るというから、超一流のプレイヤーのステータスともなっている。
ただその希少性のためか、強化できるのかすら分からない、謎に包まれたアイテムであるのだった。
ちなみに、光の持つ『村正』は、敬太の言う通りUR中でもドロップ率が1%に満たないという、侍にとっては垂涎のアイテムだ。
入手したのは光が丁度敬太と同じくらいの歳だった。鑑定料が妙に高かったので、大枚はたいて鑑定したのだが、これが大当たりでゲットしたその夜は興奮して眠れなかったのを覚えている。
今では最大限まで強化されており、光のいたサーバーではちょっとした有名人にもなっていた。
他にもUR系の刀は持っているが、愛着もあってもっぱら『村正』を使用している。
「ところで、真琴さん」
「ん? なに?」
敬太は怪訝そうな表情で真琴に視線を送っていた。
「真琴さんエルフでしょう? 聖騎士ってことは神官経由してると思うんですけど、なんで攻撃魔法も使える賢者か、遠距離攻撃できる野伏選択しなかったんです?」
そして敬太は爪を噛みながら思案するようにつぶやいた。
「聖騎士って基本的に壁役ですから、種族特性を天秤にかけても、筋力や耐久力に不利なエルフには向かないと思うんだけどなぁ」
どうやら敬太は効率重視のプレイスタイルらしい。他人のプレイスタイルに文句付けるなと言ってやりたかったが、そこは個人の趣味である。とやかく言う義理も権利もない。
真琴はそんな敬太に苦笑いしながら答えた。
「あ、それ。ギルドの先輩にも言われたんだけどさ、半分は仕方無い部分もあったんだよね」
「というと?」
「先輩のせいかな?」
「俺の? なんで俺が原因なんだよ」
「だって、侍って攻撃特化系で紙装甲じゃん。なのに先輩後先考えずに突っ込んでいくんだから、フォローするには聖騎士の方がいいかなって」
「いわゆる内助の功ってやつ?」などと頬を染めながら、真琴は可愛らしく舌を出した。
確かに息が合うはずだ。何のことは無い、真琴の方でフォローしてくれていたので、連携も上手くいくのが当然だった。
「まぁ、それは分かりましたけど。他に理由がなにかあるんですか?」
「え? だって、ヴァルキリーメイルって、綺麗で可愛いじゃない。あれって、女性戦士専用の防具でしょ? それに、物理防御も魔法防御も高いし」
「それはまぁ、そうですけど。もしかして真琴さんのプレイスタイルって、ビジュアル系なんですか?」
「そだよ。だって、グラフィックにあれだけ凝ったゲームだもん。ゲームだってオシャレしたくなるのが当然でしょ?」
「……はぁ。ウチの美久ちゃんもそうですけど、やっぱり女性ってビジュアルを重視するんですね」
効率重視の敬太には、少々理解しがたい考え方のようだ。元々ゲーマー気質のようだし、年齢的に考えても女性心理には疎いのかもしれない。
「あとは……やっぱ、アクションゲームなんだから、ぶん殴ってスカっとしたいじゃない」
真琴の最後の言葉には、さすがに呆れ果てたようだ。敬太の顔に大きく「脳筋」の二文字がでかでかと書かれていた。
「えーと、分かりました。後でパラメーターとスキル確認させてもらっていいですか? 僕の仕事柄、把握しておきたいので」
「それはいいけど……仕事って?」
その問いに、敬太は困ったような照れ臭いような微妙な表情を浮かべる。
「あ──。僕の口から言うのも照れ臭いので、それも村についてからで勘弁してください。すみません」
「訳ありみたいだね。うん、分かった」
真琴の優しい口調に、敬太は胸をなでおろした。
「光さんの方はどうです? 真琴さんのお話だと、近接特化タイプのビルドみたいでしたけど」
「戦士の基本は一応抑えてるぜ。まず生存能力系のスキルは一通り習得してるし、LPも底上げしてる。敵意を上げる戦士の咆哮もちゃんと取ってるしな」
「壁役としての機能は持ってるんですね? でも防御はどうしてます?」
「最初から侍狙いだったからな。機動力と返しに技能点ほぼぶっこんでるよ」
「回避壁っていうやつですか、なるほど。射撃の方はどうですか? 純戦士系じゃ侍は弓を持てる唯一のクラスですけど」
「一応取ってる。余った1ポイントだけだけどな」
「たったの1ポイント!?」
敬太が驚くのも無理はない。侍と聞けば刀や太刀を連想しがちだが、実際の歴史を紐解けば、槍や弓の名手である武将の方が多いのだ。
有名どころで言えば、大百足を退治した、那須与一が挙げられるだろう。それほどまで、弓というものは侍、武士の基本武芸なのだ。
実際ゲームでもそれは反映されていて、定石としては三分の一を射撃に充てるのが理想とされている。どうしても近接戦では対応出来ない大型エネミーや飛行型エネミーにも対応出来るからだ。
侍は防御に不安があるが、その分基本ダメージとクリティカル率は極めて高い。それを活かして遠距離から攻め、近接戦に流れるスタイルが侍の標準的な戦いだ。
中にはあえて射撃を伸ばし、弓手として活躍する侍も多い。そうなると、遠距離から中ボスクラスのエネミーなら、一撃で仕留める破壊力を持つ。
光のように近接特化の方が、実はセオリー破りなのだ。いっそ、清々しいまでの脳筋ぶりだった。
同じことを思ったのか、敬太はしみじみとため息交じりにつぶやいた。
「覚悟はしてましたけど、光さんって、顔の割に清々しいほど脳筋なんですね」
それを聞いて、光の口元とこめかみがひくりと引きつった。敬太も「しまった」とばかり、慌てて口を押えるがもう遅い。
「顔は関係ねぇだろ! 顔はっ!!」
身長以上にコンプレックスを持っているのは、美少女と見紛うばかりの女顔だった。
なにせ、この女顔で得をした記憶などほとんどない。
まずもって、異性として見られる事が無かった。真琴を含め異性として見てくれるのは、極々少数だ。『年上殺し』の異名を持ってはいるが、どちらかというと愛玩動物やマスコット扱いされていた気がする。ましてや同性からの愛の告白なぞ、謹んでお断りしたい。
普段の口調が荒っぽいのも、実はコンプレックスの裏返しなのだ。
「大体さっきから聞いてりゃなんだ! こっちの世界はどうか知らねぇが、ゲームくらい好きに遊んでいいじゃねぇかっ!! ああっ!?」
ついに敬太は頭を抱えてうずくまり、がたがたと震えだした。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!生意気言ってごめんなさいごめんなさいっ!!だから殴らないで蹴らないでっお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますっ!!」
尋常な怯え方では無い。どこか神経質で気弱そうな少年だとは思っていたが、これははっきり言って異常だ。
なにか過去にあったのだろうか? 光はその姿にすっかり毒気を抜かれてしまった。
「こらっ!」
そう言うや否や、真琴がまた強めのヘッドバッドをかましてくる。
「ダメじゃない。先輩年上なんだから、もっと優しくしてあげないと。大人げないよ?」
そして真琴は、敬太に優しく語りかけた。
「大丈夫だよ、敬太君。先輩本気で怒っているわけじゃないからさ」
「ほ、本当、です、か?」
顔を上げた敬太の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
「本当だよ? 大体、先輩が本気で怒ったら、顔から表情がストンと落ちて無表情になるんだから」
「そ、そうなったら?」
「えとね? 死んだ方がましってくらいやられちゃう」
「ひっ」っと小さい悲鳴を上げて、敬太は今度こそ腰を抜かしていた。失禁していないのが奇跡のようだ。
「おい、真琴。お前がとどめさしてどうすんだ」
「あ、ごめん。今の無しで」
真琴は光の首に廻した右手を離して、「おいでおいで」と手招きする。そして敬太がおずおずと近づいてくると、今度はスカートの端で丁寧に涙と鼻水を拭ってやった。
「スカートでごめんね? けど、そんなに泣かれたら、あたし達が敬太君いじめたと思われちゃうからさ。もう泣き止んで? お願い」
「ぼ、僕のほうこそごめんなさい……スカート汚しちゃって」
「もう一杯ごめんなさいしたでしょ? ごめんなさいは、これで終わり。ね?」
真琴は優しく敬太の髪を撫でて、かるくコツンと小突く。
「今度ごめんなさいしたら、またゲンコツだよ?」
「じゃ、じゃあ最後に……」
敬太は最敬礼して謝った。
「怒らせて、本当に、ごめんなさいっ!!」
「だから、もぅ良いてば。ね? 先輩?」
「ああ。こっちこそ、怒鳴って悪かった」
確かに光はキレると手におえない部分が有るが、本質的には温厚な性格だ。
粗野な言動でよく誤解されがちだが、これは単純にコンプレックスの裏返しであり、いつまでもネチネチと怒りを持続させるタイプでは無いのだ。むしろ単純といっていいほどあっさりしている。
真琴にしても同様で、ボーイッシュな外見と男勝りな言動で隠れがちだが、根っこは繊細で母性溢れる性格をしている。
つまるところ、二人とも優し過ぎるほど優しい性格なのである。
ただ、未だバツが悪いのか。敬太は肩を落としうなだれながら、とぼとぼと先頭を歩いていく。ただでさえ小柄な身体が更に小さく見えた。
このままではマズイ。
光と真琴は、素早くアイコンタクトを交わし、話題を変える方針を決めた。
「そう言えば、敬太君のクラスを聞いて無かったな」
「そ、そうだね。神聖魔法が使えるって事は、あたしと同じ聖騎士なのかな?」
「…………違います」
さんさんと輝かく太陽の光に押しつぶされるように、更に背を丸める。
「竜頭巨人一体、魔法で仕留めたよな? もしかして魔法剣士か?」
「…………それも、違います」
ますます背を丸めてしまった。もはや、猿にでも先祖返りしそうな有様だ。哀愁の二文字が背中に大きく描かれている。
「えと……これから一緒の村で暮らすんだしさ。おねーさん、知っておきたいなぁ、なんて」
「そだな、うん。俺も敬太君と仲良くなりてぇし。なにより俺たちの先輩じゃねぇか。なぁ?」
「そうだよそうだよっ。やっぱりさ、友達の事って、気になるじゃない。ねぇ?」
なんとか持ち上げようと、二人は懸命に気を引こうとしたが、同時に話題のチョイスを間違ったかとも思って後悔しきりだった。
それでも敬太はようやく反応してくれた。背中を丸めたまま、ゆらりと首を向ける。
しかし、その表情を見てぎょっと絶句してしまった。
死人のような顔だった。
顔には縦線入っているかのように見えるし、背後にはどす黒いオーラが漂っている。
そして『どんより』の文字が浮かんでいる始末である。
何よりその目が問題だった。完全に死んでいる。
死んだ魚のような目という比喩があるが、鮮魚店に並んでいる魚の方がよほど活きていた。
「……呆れたり、馬鹿にしないって、約束、して、くれますか?」
二人は思わず顔を見合わせたが、是非もない。
「そんなこと、絶対しないよ?」
「そうだ。俺は人を馬鹿にする奴が、大嫌いだ。そんな人間になりたくもねぇ」
その言葉に、敬太はぼそりと答えた。
「僕のクラスは────です……」
小さすぎて聞こえなかった。
「すまねぇ。もう一回、いいか?」
「ごめんね。よく聞こえなかった」
「だからっ! 僕のクラスはっ! 勇者なんです!!」
血吐くような言葉に、二人は声を失った。