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光という名の少年

 令和某年6月12日金曜日。


 初夏の日差しとしっとりした空気がまとわりつくような季節。

 とある地方の高校にある練武場では、今日も武道に励む若者たちの威勢のいい掛け声が木霊こだましていた。

 その一角にある剣道部のスペースでは、今模擬戦形式の稽古が行われている。

 一人は180cmを超える立派な体格の剣士。それに対しているのは身長が170cmにも届かないとおぼしき小兵こひょうの剣士だった。

 双方共に裂帛れっぱくの気合を乗せて竹刀をぶつけ合う、一進一退の攻防と激しい鍔迫つばぜり合いが繰り広げられる。

 序盤は体格差を活かした剣士が優位に立っていたが、小兵の剣士もまた手数と正確な太刀筋で着実に相手を追い込んでいく。

 そして小兵の剣士が何度目かの鍔迫り合い競り負けたと思ったのか,一旦距離を取った。そして──


「突きぃいいい!!」


 ()()()()()()()()()()()()()踏み込んで突き技を繰り出した。それが大柄な剣士の喉元をとらえ、勢い余ってその巨躯を吹き飛ばす。


「赤っ 突き有り一本! それまで!!」


 審判役の指導教諭が小兵の剣士の勝ちを宣言した。大柄な剣士はよろよろと立ち上がり、中央で互いに礼を交わす。


「よし、今日の稽古はこれまでとする。正面に礼!」


 ありがとうございました!と部員一同が元気よく正面に礼をし、三々五々に解放感に浸っていたその時だった。


「ああ、いかん。つい大事なことを言うのを忘れるとこだった」


 帰り際になって指導教諭が思い出したように出口で振り返り、部員を見渡して笑顔で言った。


「来月下旬の玉竜旗ぎょくりゅうき。ウチも参加が決まったぞ」


 部員が一瞬シンとなって、それが次第にどよめきに変わっていく。

 玉竜旗高校剣道大会と言えば、高校剣士の誰もが憧れるひのき舞台の一つである。

 九州福岡県で行われるこの大会は地区予選の無いオープントーナメント方式を取っているが、地理的要因からか九州各県や山口県等からの参加の方が多かった。

 しかし90年代に入って近畿や関東圏の強豪も参加するようになり、高校総体インターハイ並みにハイレベルな大会となっている。

 その一方でいくら参加がオープンとは言え、場所が場所なだけによほど剣道に力を入れ潤沢な部費を確保している有名校ならともかく、一般の高校がほいほいと気安く行ける場所ではない。案の定というか疑問の声が上がった。


「でも先生。よく予算が取れましたね?」


 先ほど突きを食らって首でも痛めたのか、しきりに首をさすっている大柄な男子生徒がたずねてくる。

 その質問に、指導教諭はにやりと笑って小柄な生徒に目を向けた。


「そこは、日高ひだかのおかげだぁな」

「へ? 俺の??」


 その一言に、先ほど見事な突きを見せた男子生徒に対して部員の視線が一気に集まる。


 声こそトーンが高いもののかろうじて男子と分かるが、顔立ちがそれを見事に裏切っていた。

 汗で濡れているせいもあるかもしれないが、墨を流した様な滑らかな髪で、眉も線を引いたように細い。

 何よりくりっとした瞳と細い顎のせいか、リップでもぬっていたら女生徒と見間違えるような美少年だった。

 凛々しさもあるが愛らしさと天秤にかけたら微妙に愛らしさの方に針が傾くような容貌をしている。


「おう。お前、去年のIHインターハイん時に夏・冬共に個人戦優勝しただろ?その実績がモノをいったってぇわけよ。いや、おかげで説得にそう手間がかからずに済んだぜ」


 そう言って大笑いする指導教諭を、美少年剣士はうんざりしたように見つめ返した。


「あ、ちなみに。玉竜旗じゃお前、大将やってもらうからそのつもりでな」

「はぁ? 俺まだ二年ですよ、先生。先輩たちもいるってのに、いつも通り先鋒でいいじゃないですか」


 それを聞いて、指導教諭の顔があきれ顔になる。


「もう二年だろうが。大体お前、玉竜旗は勝ち抜き戦だぞ? ウチの最終兵器リーサルウェポンたるお前が先鋒じゃ、他の連中の出番無くなるじゃねぇか。せっかく全国レベルの大会なんだ。ちっとは上級生にも全国の味分からせてやれや。勿体ねぇ」

「いやでも……し、主将からもなんか言ってくださいよ」


 ようやく首の痛みから解放されたのか、主将と呼ばれた大柄な男子生徒は首を鳴らしつつ鷹揚おうようにそれに答えた。


「いや? 先生の論は俺も正しいと思う。実際さっきの模擬戦じゃお前から一本しかとれなかったしな。それに正直言えば、俺たちの腕じゃ地区予選もおぼつかんし、俺達の事を思ってくれるのなら、むしろ大将を引き受けてもらいたんだが。全国レベルの剣を味わうというのも、三年の俺達にとっては絶好の機会だ。どうだろう?引き受けてはくれんか」


 上級生にこうも男気溢れた答えを出されては、下級生として嫌とはいいがたい。


「すげぇな、みつる! 二年で大将だってよ!!」

「いよっ!流石さすが『王子』。次期主将!!」


日高ひだか みつる」 それがこの美少年剣士の氏名だ。


『王子』と呼ばれた光は、絡んでくる同級生嫌そうに追い払う。


「その『王子』はやめれ。黒歴史なんだから。それと俺が次期主将なんて、気が早いだろ。ったく」

「いや? 時期主将はお前しかないと思ってるんだが」


 ──すでに内定済みだった。


 現主将から言われれば、もはや退路は無い。ガクリとうなだれて降伏した姿に、チームメイトからどっと笑い声という名の祝福が浴びせられる。


「ま、そういうわけだ。頼んだぞ『王子』」


 指導教諭はそう言って手を振りながら、今度こそ立ち去ったのだった。


「ったくもう、先生まで……」


 ぶつくさと文句をたれる光の肩をなだめるようにぽんぽんと叩いて、主将は「俺達も帰るか」と言ってくれる。


「じゃぁ一年。俺たちは帰るから、あとの掃除はよろしく頼む。さぼるんじゃないぞ?」


 はい!という初々しくもはつらつとした返事を受けて、二年以上の生徒は練武場を後にした。


 その中で光は一人の女生徒にそれとなく視線を向ける。そこには、光とは対照的な少女の姿が映っていた。


 緩くウェーブのかかった黒髪をバッサリとショートカットにした髪型にややつり目がちな大きな瞳。

 身長も女生徒にしては高く、小柄な光と並べば小指一本位の差しかない。もし男女の道着が同じだったら、美男子といっても通用するような美貌の少女だった。


 少女の方でも光の視線を感じたのか、ちらりと視線を返してきた。そしてお互いそれと気づかれないようにうなずき合う。


 それだけで十分だった。光も練武場を後にし、少女も掃除の輪に戻っていくのだった。




「しかし光。お前本当に男だったんだな」


 更衣室で待っていたのはそんな同級生の台詞だ。


「当たり前だろ。俺は生まれた時から男だっつーの」


 何を今さらと思いつつ、光はボクサーブリーフ一枚で道着の臭いを嗅いでいた。

 嗅いでみると道着特有の臭いと、自分の汗と体臭が混ざり初夏の湿気と合わさって、まるで雑巾のような臭いがする。

 このままだとカビでも生えそうなので、洗濯かクリーニングにでも出そうとバッグの中に詰め込んだ。


「いやさ、意外にお前筋肉付いてるじゃねぇか」


 確かに光は細身だが、裸になってみると貧弱な印象は無くむしろ引き締まった体つきをしている。

 胸は薄いが無駄な肉が付いておらず、腹筋もうっすらとではあるが割れていた。


「俺としちゃ、もっと筋肉が欲しいとこなだがなぁ」


 実際稽古の他、日課として走り込みや筋トレは毎日欠かさずやっているが、一向に筋肉の量が増える事はなかった。

 食事だって人並み以上に食べてはいる。

 母が作った弁当は2時限の時にすでに食い尽くしているし、昼食は購買の総菜パンや他の女子が差し入れてくれる弁当をペロリと平らげていた。

 夕食にしたってそうだ。丼飯どんぶりめしを平気で二杯もお替りして、両親達から呆れられている。

 痩せの大食いとは言うが、正に光のためにあるような格言だ。

 それなのに、一向に筋肉の量が増える気配は無かった。試しに牛乳にプロテインを混ぜて飲んではいるが、それでも効果は殆ど無い。

 こうなるともはやそういう体質なのだと半ばあきらめている始末だった。


 そんな光の台詞に上級生はこんなことを言い始めた。


「いやお前、その女顔かおで細マッチョとかさぁ」

「ギャップ萌え通り越して、むしろホラーだわ」

「いや、ギャップ萌えって……みんな俺の事なんだと思ってるんすか」


 しばしチームメイトは首を捻っていたが、どうやら意見の一致をみたようだ。


「「「「「……男の?」」」」」


 ぞわりと光の背中を悪寒が走り、身の危険を感じて思わず女の子のように胸と股間を隠してしまった。


「なんでそうなる!? 俺はノン気の健全な男子だ!!」

「つってもお前、『フリル王子』の異名取ってんだろ?」

「だからそれがどうした。それはメディアが勝手につけたあだ名だ!」

「じゃあ、略して『フリル』とか」

「余計に酷いわ!?」

「後『ミスタープリンセス』ってのも有ったよな?」

「それは黒歴史!!」

「他には……『メイドキラー』ってのも有ったっけ」

「……もういい加減勘弁してくださいよ」


 そこにとどめとばかりに主将がこんな事を言った。


「『捕ゲイ船』てのも有った気がするが……あれどういう意味なんだ?」


 悪意もなく素で聞いてくる辺り、余計にタチが悪い。


「……もぅいいです」


 こうなったら白旗を挙げるしか手段は残されていなかった。ガクリとうなだれてシャツを羽織る。これ以上ネタにされるのはご免こうむりたいというのが光の本音だった。


 これらの不本意な異名は、すべて一年の時に獲得したものだ。


 そもそもの始まりが、夏のIHインターハイで優勝した時にまで遡る。

 去年の夏、激戦の中辛くも優勝をつかんだIHではあったが、その後がいけなかった。

 光自身記憶力は良い、というより見聞きしたもの全てを完全に記憶してしまうという異能じみた記憶力の持ち主なのだが、それでも優勝インタビューの時緊張のあまり自分が何を言ったのかろくすっぽ覚えていない。

 ただ緊張のあまり、嫌な冷や汗が流れていたことはよく覚えている。その汗を拭おうとハンカチで汗を拭ったまではよかったのだが、問題はそのハンカチだった。


 なぜかその日に限って自分のハンカチでは無く、姉が愛用していた女物のそれもフリルのレースが付いたハンカチだったのだ。


 剣道専門誌や地方メディアがそれに食いついて、挙句付けられたのが『フリル王子』という異名なのだった。

 そのおかげで地元でも妙に有名になってしまい、IH優勝という偉業よりも道を歩けば『フリル君』だの『王子様』だのと指を刺される羽目におちいった。

 後になってから知ったのだが、二つ年上でいたずら好きな姉がいつの間にかこっそりと自分と光のハンカチをすり替えていたのが原因だったのだ。その結果日高家ではちょっとした家庭内裁判が行われたが後の祭りである。

 まぁ、それくらいなら良しとすべきだったのだろう。メディアにしろ大衆にしろ熱しやすく冷めやすいモノだと光は割り切っていた。そう思わなければやっていけないと思ったからだ。


 だが、本当の黒歴史あくむは秋の文化祭の時に手ぐすねを引いて待っていた。


 当時、光のクラスの出し物は『姫喫茶』というものだった。

 コンセプトとしてはロリータ系の衣装に身をつつしんだウエイトレスがお客様をおもてなしするという、所謂いわゆる『メイド喫茶』の亜種みたいなものだ。

 当初はメイド喫茶が候補の筆頭に上がっていたのだが、二年生のとあるクラスがメイド喫茶をやるというので上級生から圧力がかかってしまい、やむなく路線変更となったのだ。

 ただ結果的にそれが功を奏した。まず衣装だが大半の女子が私服でまかなえるということだったので予算が浮いた。その分メニューの方に力を入れる事が出来たのだ。

 後は役割分担なのだが、女子が接客ウエイトレス、男子が飾り付けや厨房を担当する事となった。これはコンセプトからして妥当な配置と言える。


 ただし光に対しては意外というか至極当たり前のように接客側に回される事となった。


 自他共に認める女顔の光ではあるが、あいにく女装趣味などという性癖は欠片も持っていない。一応姉から衣装を借りることも考えたが、姉が光に輪かけて小柄だった為サイズ自体が合わなかった。

 そういう事でと辞退しようとしたが、そうは問屋が卸さなかった。

 浮いた予算の一部とクラスメイトのカンパによって、光専用服一式が用意されたのである。

 この時初めて知ったのだが、世の中には女装や男の娘専用の下着インナーやコスチュームが存在するらしい。流石に価格が気になって、大出通販サイトで検索してみたら思いのほか安くて驚いた記憶がある。

 そうして準備された衣類を試着してみる事となったのだが、まず驚いたのが下着の下に着用するバンドだった。

 股間の隆起を抑えると共に、女性器をあしらったようなスリットまで施されていたのだ。それを装着し下着を穿くとまるっきり女性のそれと変わりがなかった。

 ブラジャーにしてもそうだった。胸パットに医療用のシリコンが注入されており、実に自然な形を見せていた。

 これに北欧民族衣装的な衣類を羽織り、百均で買ったカチューシャを付け、リップクリームを塗るとそこにはスッキリ顔系の美少女が完成していた。

 あまりの違和感のなさに本人を含めたクラス全員が絶句してしまい、姿見に映った自分を指さして「誰だ、こいつは」などとのたまったので、クラスを爆笑の渦に誘ったのは言うまでもない。


 こうして始まった文化祭だが、滑り出しまずまず好調だった。初々しいウエイトレスのおもてなしに豊富なメニューとあってそれなりの人気を得たのだ。

 誤算だったのが、当時三年生だった姉の存在だった。

 いらぬ気をきかせて方々に根回しをした結果、上級生に部活のチームメイト。他校に進学した光のゲーム仲間に中学の後輩たちが殺到してきたのだ。

 おかげで店は黄色い悲鳴や爆笑の渦などが轟く、光にとっては阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまった。

 更に口コミやLINEで話題が広がってしまい、光とは面識の無い他校の生徒や父兄までもが殺到。

 おまけに姉が軽い気持ちでインスタに投稿したものだから、地方在住にも関わらずメディアやゴシップ誌までもがやってきて対応しきれなくなってしまったのだ。これに関しては学校側に直訴して対応してもらう事となった。このまま取材を受けていたらどうなっていたやらと未だに冷や汗が止まらない。

 こうした紆余曲折を経て、光のクラスは全校の売り上げトップを更新し続けた。

 面白くないのが他のクラスで、特にくだんのメイド喫茶は閑古鳥が鳴いていた。予算の大半をメイド服につぎ込んで、肝心のメニューまでに配慮が行き届かなかったのだ。

 見積もりが甘かったとか、自業自得と言ってしまえばそれまでだが、そこは人間感情で動く生き物である。気の強いメイド女生徒の一人が殴り込みをかけてきたのだ。

 だが、可憐な光の姿に一発で尊死してしまい、謎の敗北感につつまれながらすごすごと引き返してしまった。こうして後世まで光の破壊力の凄まじさは伝説として語り継がれる事になったのだった。


 こうして盛況の内に材料が尽きてしまい、光達のクラスは早々に店じまいをすることと相成った。後は楽しい自由時間となるはずだったのだが、光の受難はまだ続くのだった。

 姉と中学の後輩一人が面白がって光を女装させたまま校内を引きずりまわしたのだ。その結果、光は上級生の女生徒ことごとくを尊死させ、一部健全な男子生徒を魔道へと堕とし込む羽目になった。

 こうやって光とって悪夢のような文化祭は終わりを告げた。後に残されたのが数々の伝説と異名だった。従来の『年上殺し』『フリル王子』に加え『ミスタープリンセス』『メイドキラー』そして一部男子を禁断の道に走らせたとして『捕ゲイ船』である。


 振り返ってみると光の黒歴史の陰には姉の姿がちらほら見える、というよりほぼ元凶と言って差し支えない。

 思い出すたび、けたけたと馬鹿笑いする姉の姿が浮かび上がって、頭痛と眩暈めまいを起こしそうだった


 ボケっとそんな事を思い出していたら、一人の男子が股間をまじまじと見つめているのに気が付いた。


「うほっ ミツルきゅんてば、相変わらず良いモノ持ってるねぇ」


 問答無用とばかりにその頭を張り倒してやる。


「阿呆。俺チビだから相対的にそう見えるだけだろ。普通だよフツー」


 少なくとも光はそう信じて疑ってはいない。短小ということはないだろうし、目を見張るほどの巨根とも思えない。比べてみた事はないがこの点に関してはいたって普通と思っている。

 それに光は自分の身長にコンプレックスを持ってはいるが、実のところ極端に低身長というわけでもなかった。平均より下回っているだろうが、167cmはあるのだ。これに比肩する女子生徒など、校内数えても10人といないだろう。

 ただ正直に言えば170cmは欲しかったのも事実だ。しかし去年と比べても全く変化が無かった事から考えると、残念だが身長の成長はこれで打ち止めという事になる。


 ネタされ続ける光を見かねてか、主将が助け舟を出してくれた。つくづく男気溢れる好漢である。


「そう言えば日高。今日の模擬戦の時も思ったんだが……お前の足腰ってどうなってるんだ?」

「というと?」


 自覚が無いのか、首を捻って考え込んでしまった。

 そこにすかさず別の先輩からフォローが入る。


「いや、お前の場合まずあり得ねぇって間合いから技を打ち込んでくるじゃねぇか」

「そうそう。いったいどこのサイボーグだよ、お前」


 そこまで言われてようやく理解できた。


「ああ。それなら多分この足ですかね」


 そう言って光は足の裏を見せてみる。

 それを覗き込んだ一同は目を剥かんばかりに驚いていた。


「な、なんだぁ!? この足の裏はっ!!」

「これが俺の必殺技の秘密ってわけですよ」


 一同が見たものは信じられないものだった。

 まず厚みが尋常では無かった。スリッパやサンダルどころか、ちょっとした靴底みたいになっている。加重がかかる部分には硬質化したコブのようなモノまで出来ている始末だ。


 小柄な光はリーチで負けるし、鍔迫り合いになったら今度は力負けをする。

 太刀筋の速さ鋭さには自信が有ったが、全国レベルともなると使いこなす剣士はごまんと居た。

 子供の頃からそうだった。

 ではどうすれば勝てるか?子供心に悩んだ末見つけたのは実に子供らしい単純な手段だった。


 ──相手の攻撃範囲の外から攻撃する。


 ただそれだけだった。

 だが言うは易し行うは難しという格言もある。

 生半可な瞬発力と機動力では到底実現不可能だ。


 思いたったが吉日とばかり、光は神様に喧嘩を売るような稽古を重ねてきた。

 走り込みに反復横跳びと、それこそ足の皮が剥けるまで練習し、泣いて帰っては治ったら治ったでまた同じことを繰り返す。


 そうやっている内に、ついに神様は降参し、光にご褒美をくれた。


 それは人間離れした瞬発力と機動力。そしてそれを支える強靭な足腰であった。


 まず小柄な光が距離を取ると、相手は間合いを見失う。そこにまるで瞬間移動したかのような攻撃がくるのだから、食らった相手はたまったものではない。まるで悪夢のようだ。

 光は高校に進学すると更に磨きをかけた。

 高校剣道で解禁となる突き技である。これなら多少のリーチ差は埋められるし、持ち前の瞬発力を十分発揮することが出来るようなる。

 光は周囲が呆れかえるほどに突きの稽古に没頭していた。

 その結果がIHインターハイ優勝という偉業を成し遂げたのだった。


 ただ、支払った代償も小さなものでは無かった。

 光の場合、足の裏の感覚が完全に鈍麻していたのだ。

 なにせ、画びょうを踏んでも痛いとは感じない程なのだから。

 画びょう程度で済むのであれば、ただの笑い話で済んだだろうが、もしこれが錆びた釘だったとすれば問題だ。

 傷が化膿する程度ならいいだろうが、最悪の場合アスリートの命とも言うべき足を切断しかねない事態に陥る可能性は少なからずあるのだ。


 もし光の人知を超えた瞬発力を与えたのが神でないとすれば、それは悪魔の所業に他ならないのかもしれない。



「さてと、じゃ俺先にあがりますね」


 さんざん話のネタにされて辟易へきえきしたのか、光はさっさと帰る準備を始めた。賢明な判断である。


「じゃぁ来週また」

「あ、光。最後にちょっといいか?」

「なんです?」


 今度は何を言われるのかと、うんざりする光を無視して興味深々とばかりに聞いてくる。


「お前、マコちんと付き合ってるって本当か?」

「マコちん?」


 誰の事だろうと本気で首を捻っていたら,皆ニヤニヤと下衆っぽい顔つきで問い詰めてきた。


とぼけんなよ。一年の真琴まことだよ。『日向ひゅうが 真琴まこと』」

「お前達、中学の頃からの付き合いなんだって?」

「怒んないから白状しちまえ。うりうり」


 光はそれを聞いて、ぷいっとそっぽを向いた。


「別に? 日向とは中学以来の先輩後輩ってだけで、それ以上でもそれ以下でもないっす」

「またまた。ウソついちゃって」


 ため息一つついて振り返った時には、光の表情から感情というものがすっかり抜け落ちていた。


「んで?要件はそれだけですかね」


 その返事を聞いて、皆一同に光の虎の尾を踏んだことに気が付く。

 無表情に低いトーン。これは光がキレて暴れだす前兆だったからだ。


 普段は快活で温厚な光だが、その反動か一旦キレると手が付けられなくなる傾向にある。

 特にいじめに対しては過剰な反応を示す事が多々あった。


 まず度を越したシゴキに対しては、上級生であろうが遠慮なく噛みついてくるし、他の部活でも同様の事が起きていると知るや否や、平気な顔で怒鳴り込んでいく。

 校内でもいじめの現場には必ずと言っていいほど光の姿が有った。それも上下男女お構いなしにだ。

 それだけなら単なる正義漢で済ませられただろうが、これが教諭に対してもとなると話は代わってくる。

 過剰な体罰を加える教諭に対して、その現場を見るや否やいきなりドロップキックを浴びせて乱闘になった話は今でも有名だし、生活指導と称してネチネチと陰湿ないじめを行う教諭に対しても、職員室まで怒鳴り込み胸倉をつかんで説教した話は伝説となっている。

 今社会問題になっている教諭間のいじめに対しても遠慮なく首を突っ込み、いい年をして恥ずかしくないのかと、滾々(こんこん)と説諭する始末である。


 何が光をそこまで駆り立てるのか、知るものは誰も居ない。もし居るとするならば、去年卒業した光の姉くらいだろうが、当時の姉は「ほっといてあげなさいよ」と苦笑いするだけであった。



「あー、なんかすまんかった。もう帰っていいぞ」


 光がキレる前にと、上級生の一人がしっしとばかり手を振ってくる。


「あ、そうっすか」


 現金にも、その言葉一つで光の表情がコロリと変わる。


「じゃぁ、お先に失礼します。お疲れ様でした」


 お疲れ様でしたー、というチームメイトの返事を背に、今度こそ光は帰宅の途へと向かうのだった。

 そんな光の背をこっそり確認しながら、残ったチームメイト達はほっと安堵のため息をつく。


「しかし、誰だよ。光の逆鱗に触れたヤツ」

「先輩じゃないですか?」

「俺はマコちんとの仲を聞いただけだぞ」

「そういや、あいつ日向には妙によそよそしいっすよね?」

「でも、登下校の時は一緒のとこしょっちゅう見かけるぜ?」

「この間なんか、光のヤツ真琴から弁当貰ってたしな」


 うーんと首をいくら捻っても答えは出てこない。明らかに二人の関係は見え見えなのだが、なぜキレる寸前まで隠したがるのか理解できないためだ。


「しかし、光とマコちんがねぇ」

「美女と野獣だな」

「どっちが美女でどっちが野獣だよ」


 その言葉に、更衣室がどっと笑いに包まれる。


「美女と美女でビショビショってか?」

「それなんて濡れ場だよ」

「いやいや。男と女はベッドの上じゃ野獣になるもんだって」


 そんな下品な言葉の応酬にとどめを刺したのは、やはりこの男だった。


「まぁ、そう言うな。日高の奴はあれできちんと公私を使い分けているんだろう。それを見守ってやるのがチームメイトってものじゃないか?」


 主将は最後の最後まで男前であった。


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