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赤目の殺人鬼

「とりあえず、どうしようか?」


 美久に見送られ敬太の家を後にした二人は、「お裾分け」という名目でもらった試供品の手作りクッキーを頬張りながら、この先の事を考えていた。


「そだねー 敬太君の言ってたことも気になるけど、今のあたし達に出来ることってそうそうないよね」


 未だこの世界に来て半日にも経っていない身としては、出来ることなど限られている。

 美久手作りのクッキーはサクリとした食感が心地よく、シンプルだが小麦と蜂蜜の甘さが舌の上に溶けるように広がっていき絶品だった。


「となると、村の見学がてら必要なモノ買ったり、村の人に挨拶回りをするくらいなもんか。幸い軍資金はあるわけだし」

「無駄遣いしちゃだめだからね」

「誰が」


 そして二人は敬太の家を後にし、村を散策に向かうのであった。




 ハァ ハァ ハァ


 息づかいも荒く、ただひたすらに駆けて行く。

 全身に無数の切り傷が口を開き、利き腕たる右腕はもう ──無い。


 今はただ、──そう。ただひたすら、己の命を守るために駆けるしかないのだ。


 楽に勝てるはずの相手に敗れた。


 助けを呼ぼうにも通信手段を失った。


 そして、右腕を失った。


 どうしてこんな事になった?


 後ろを振り返って見ても追跡者の姿は無い。

 だがしかし、まるでなぶるように音だけが追いかけて来る。

 近づきもせず、離れもせず。距離を一定に保ちながら。


 まだだ。まだ助かる見込みはある──


『ト、オモッタダロウ?』


「ひっ」


 そこには紅の眼窩と額に金色の瞳を宿した漆黒の影が走っていた。


 漆黒の影の中で紅に輝く目と思しき部分が更に血のように赤さを増したその時、影が翼を羽ばたかせた鷹のように左右の腕が高々と閃き、風が走っていく。


 その直後、身体が否景色がくるくると回転し奇妙な浮遊感を感じた。


 斬られたのだ。そうさとった時には視界が大地を転がり、そして暗闇に包まれた。


 後には、森を駆け抜けて行く首無しの死体があるだけだった。




 カンザックでは20代前後の村人が多い。

 ゲームを通じてこの世界に転移してきた人間ばかりだから当然だが、所謂いわゆる長老格である村長が20代半ばから後半であることからその平均年齢の若さがうかがえる。

 専門知識を持つ者は希少な存在で、俗に「手に職をつけている」者は重宝されている。一方でスーパーだのコンビニだのといった代物は当然無く、分業化や専業化が進められているようだ、とは一年ほど前に転移してきたと言うとあるハーフオークの青年が語ってくれたことだ。

 無論、生産系を始めとしたジョブの補正は有るものの、やはり実際に手を動かすとなると勝手が違うらしい。アイコンクリックして一発完成! などという便利な機能は実装されていなかった。

 となると、実際にまず手を動かして、どこまで通用するのか確かめる必要がある。

 一応店舗を経営している人物達から聞くと、最初はどこかに弟子入りしたり、パートで働いて腕を磨いたりというのが基本だと異口同音にアドバイスしてくれた。

 無論中には村を飛び出してこの世界で活躍している肝の太いものも居るようだが、苦労は絶えないし、何より死を間近に感じているような状況だ。ゲームのアバターの能力が与えられているとは言え元が平和な日本でゲームを楽しんでいたような連中ばかりである。パニックにもならず、村の運営が良好なのも、一重に村長の人徳によるものだと理解するのにそう時間はかからなかった。


「にしても、元々ゲーマー気質の人が多いせいか、考え方がゲーム的な人たちが多い気がするな」

「ちょっと先輩っ。誰が聞いているのか分からないんだから、迂闊な事言わないのっ」


 とは言ったが実際には逆のような気がしていた。

 この世界をゲーム的なものと考える事で、いつ降り掛かるかしれない厄災に皆対処しているのだ。この世界を現実のものとして捉えたとき、その殆どの人間が耐えられないだろう。

 皆それなりに平穏な生活を送ってきていたのだ。無理も無いことと言えた。だがこの世界をを一種のゲーム的なものとしたら? そう考えると恐怖が緩和される。

 出会った人殆どがそういう考え方をしているのは、恐らくはそういう理由だろうと光は考えていた。

 文字通り岩をも砕く豪腕を持っていても、死者すら蘇らせる奇跡の魔法を持っていても、精神だけは変わることは無い。

 光が冷静に見えるのはただ単に実感が無い、というより現実を見る事を拒否しているからではないかと自分では思っている。真琴にしても、内心は不安なはずだ。

 幸い出会った村人は皆好意的な人が多かったし、仲間意識も強いのか先方から交流を求めてきてくれている。これは二人が高レベルの上級職であることに大きな期待が寄せられているからだと、皆言っていた。

 正直言えば迷惑ではあった。無論自分に出来ることはしたいとも思うのだが、自分自身中に破壊神シヴァなどと言うものを飼っているのだ。そんな異物である自分になんの価値も見出せない光であった。

 ただ、下手なことをしなければ少なくとも害は加えられまい。例えば村の掟を守り、先達を立ててやれば良い。そんな打算もある。

 ただそれが、自分自身の生き方に誇れる物かどうかは別として。


 そんなこんなで、情報収集と買い物を済ませると時刻はもう四時過ぎになっていた。


「結構おまけしてくれたね♪ みんないい人達で良かった~」

「そうだな。うん」

「どしたの? 先輩。浮かない顔しちゃってさ」

「別に」


 ご機嫌な真琴に対して、光の表情は曇っていた。


 ──嘘くさい。


 殆どの村人と出会って、少なからず抱いた村人に対する印象がそれだった。

 無論少なくない人間が好意的なのだが、それ以上に値踏みをするような笑みを浮かべている人間が多かった為だ。

 歓迎されて無いとは言わない。だからと言って安心して背中を預けられるような人物が、どれほど居ただろうかと自問する。


 ──考えすぎだろうか?


 村長と天草医師夫婦は信頼して良い。敬太も信用にたる人物だろう。村の重鎮である彼らなら使われても構わない。

 だが、それ以外の人間に対してはどうかと言うと、今の答えは正直否である。

 自分自身と恋人である真琴を守る為なら、他の人間の面倒まで見ることなぞ出来はしない。

 それが光の気を重くさせている最大の理由だ。

 そして真琴も無邪気に振る舞っているが、内心怖がっているのが手に取るように分かる。この少女はいつもそうなのだ。不安な事があると自分の意思とは裏腹な言動を取る事があるのを短くない付き合いから知っている。

 今だって益体やくたいもないことを話しかけているが、目が笑っていない。どこか遠くを見つめていた。

 それが分かっていながら、慰めや勇気付ける言葉の一つも出てこない自分が情け無かった。だから、そっと手を握る。


 握り返してきた手は、冷たく、そして小さく震えていた。

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