罪と罰
「とりあえず一息つくか」
沈黙を破ったのは、村長のそんな言葉だった。
「喉が渇いちまったな。英麻、なんか冷たいモン頼むわ」
「はいはい」
そう言って英麻が飲み物と取りに行こうとした矢先の事だった。
急に真琴がもじもじして、そっと手を挙げている。心なしか顔が赤い。
「あ、あのぅ……お、お手洗いお借りしても良いですか?」
「なんでぇ便所か? 便所なガラヴァア!?」
後頭部から煙を噴出して、テーブルに顔をめり込ませている亭主を横目に、英麻がにこにこと真琴に案内を申し出た。
「お手洗いは1階よ。案内してあげるから、一緒にいきましょう。使い方も教えてあげる」
『お手洗い』をやたら強調しながら、英麻は真琴を連れ出していった。
「それにしても、真琴さん大丈夫ですかね?」
敬太が妙な事を言い出した。
「あー、確かに。ありゃ、女の子には敷居が高ぇかもなぁ」
「村長、それってどういう……」
二人の会話に、光が不安に駆られた、その時──
「にぎゃぁあああああ!?」
絹を裂くような、というより車に尻尾を轢かれた猫のような悲鳴が階下から轟いてきた。
「真琴っ!?」
光は何事かと部屋を飛び出し、1階へと向かう。
残った二人は「あー……やっぱり」などとつぶやき、ため息をついた。
「どうしたっ! 真琴!?」
1階に降りた光が見たものは、パンツの前だけを右手で引き上げて、トイレと思しきドアの前で尻餅をついている、あられもない真琴の姿だった。
「あっ、せ、先輩っ! お、おトイレの、おトイレの中になんか居る!!」
「……その前に真琴。まずパンツをちゃんと履け。尻が丸見えじゃねぇか」
「きゃっ」
真琴は光の前だと言うのに、慌ててパンツを引きあげた。そしてそそくさとスカートを整える。
光はそんな真琴をよそに、トイレを覗き込んだ。
そこには白い陶磁器製の洋式便器と水を張った桶、そして二の腕ほどに切られた麦わらが置いてあるだけだった。
「なんだ、何も居ねぇじゃねぇか」
「そうじゃなくて、便器の中だよっ」
「ん?」
光は便器の中を覗き込む。外から採光でもしているのか、うっすらとではあったが便槽の底が見えた。
確かに何かうごめくものがいる。
光は手近にあった麦わらを一掴み手に取った。叩いて繊維をほぐしてあるのか、意外に柔らかい。
それを便槽の中に放り込んでみた。
するとそれは音を立てて咀嚼している。それを見て、光はその正体に気が付いた。
「こいつは、豚か」
「ぶ、豚?」
「いわゆる『豚便所』ってやつだな。排泄物を餌にしている方法だ」
「そんなの餌になんのっ!?」
「どうしても食ったもんは完全に消化出来ねぇから、それを養分にしてるんだよ。有名どころだと、インド、ベトナム、中国、韓国。日本じゃ奄美大島にも有ったって話だ」
「あら、光君。詳しいのね」
その言葉に二人が振り向くと、英麻がクスクス笑いながら手に盆を持って立っていた。
「奥さん……まさかわざと黙ってたんじゃないでしょうね?」
「あら? 言って無かったかしら」
「あたしっ、聞いてませんけどっ!?」
真琴ががうがうと吠えるが、英麻はころころと笑って「そうだったかしらね?」などと躱している。はっきり言って役者が違った
──あー、この女性確信犯だわ。
光自身結構ないじられ体質だが、真琴も意外といじられやすい。
素直で感情が顔に出やすいから、言ってはなんだがからかいやすいのだ。
ここに来るまで、光もさんざん真琴にプチ羞恥プレイをしてきたので何となく分かる。
思わずシンパシーを覚えそうになったが、同時にいい歳をした大人がと思わないでも無かった。
「さ、お花摘みが終わったのなら戻りましょうか」
そう言い残すと、英麻はトコトコと応接室に戻っていった。
真琴は「うー」とかしばらく唸っていたが、光が「あきらめろ」とばかりにぽんぽんと肩を叩くと、敗北したようにうなだれるのであった。
「なんだかもぅ……お騒がせしました」
恥ずかしそうにしょぼんとなっている真琴を、男二人が必死に慰めている。
「僕も最初はびっくりしましたからね。美久ちゃんなんか、大声で泣いてましたし」
「大体英麻。お前ぇ、毎度毎度新入りからかって、面白ぇのか」
「ごめんね。真琴ちゃんって、可愛くて素直そうだから、ついいぢわるしたくなっちゃって」
そう英麻は謝ってはいたものの、相変わらずころころと笑って反省している素振りはない。
「さ、これでも飲んで、一息入れましょう」
英麻は結露した金属製の水差しから、なにやらコップに注いでめいめいに配っていく。
「なんすか? これ」
光はくんくんとコップに満たされた液体の匂いを嗅いでみた。甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。
飲んでみると、爽やかな酸味と果物の甘味が口腔に広がっていった。
「わっ、これ美味しい」
真琴もまた、コクコクとその液体を口に含んだ。
「なんだろう、これ。イチゴのジュースかな? それにしては、酸味が強くてさっぱりしてるけど」
「ふふっ。美味しい? それ、実はお酢なの」
「「お酢?」」
英麻の回答に、二人は驚いてコップを見やった。
「そ。果実酢っていってね。果物に砂糖と、あと西洋酢を加えて発酵させたものよ。こうやって冷水や天然の炭酸水で割っても美味しいし、もちろんドレッシングやお料理に使ってもいいわ」
そう言えば、ばあちゃんがよく梅酢のお湯割り飲んでいたな、と光は思い出していた。なんでも気分がリラックス出来て、よく眠れるとか言って。
「あたしにも、作れますか?」
「もちろん。作り方自体は簡単だし、お手洗いで驚かせたお詫びに教えてあげる」
「やったーっ。ありがとうございますっ!」
現金にも、いぢわるされた事も忘れたように真琴は喜び、残りを飲み干した。
この辺の切り替えの早さは光も見習いたい。光自身もネチネチと後を引くタイプではないが、いかんせん今は自分の中に宿る破壊神と、あの破壊衝動の事がどうしても気になって仕方がないのだ。
──そう言えばあの剣狼、真琴のやつには平気で懐いていたな。
あの黒い巨神、敬太の話ではシヴァらしいが、それに身体を改造された後の事を光は知らない。天草医師の話では、真琴の前頭葉にも光より小さいというが、同じものが埋め込まれているという。
真琴の方には影響が少ないのか。それとも別の何かなのかまでは光にも分からなかった。
「あー、飲みながらでいい。聞いてくれ」
おかわりを注ぎ渡している妻を横目に、村長が改めて口火を切った。
「まず、お前ぇらの処遇だが、お前ぇらが神様だか仏様だかはともかく、待遇は他の新入りと変わらねぇ。そこんとこは承知してもらう」
光にとってはありがたい話だった。特別扱いされたら逆に居心地が悪くなってしまう。その点、真琴も異存は無いようだった。神妙な顔で村長の言葉に耳を傾けている。
「まずは二週間だ」
「「二週間?」」
「ああ。その間に村で生活していくか、それとも村を出て『外』で生活するかを選んでもらう。無論、その間の生活は村で不便の無いように援助させてもらうから安心しな」
ふむ、と光はこめかみをつついて考えこんだ。正直村を拠点に活動しているものとばかり思い込んでいたから、その他にも選択肢があるなど考えてもみなかったからだ。
「ちなみに、他の村の人達はどうやって生活してるんすか? 途中、店舗や工房なんか見かけましたけど」
「ん? 手に職持ってる奴ぁそれで商売やってるよ。鍛冶師や服飾屋やってるやつも多いし、メシ屋やパン職人なんてやつも居る。猟に出てるやつも居るし、畑や畜産やって自給自足の生活を送っているやつも、まぁ珍しくないわな」
光はその説明にふと疑問を覚えた。
「村長。敬太から聞いたんですが、この村の人口って200人くらいなんでしょう? 食料品関係はともかく、工芸系は供給と需要が見合ってないんじゃないっすか?」
工芸系のジョブはゲームなら鉄板だが、狭い村でそれほど需要が多いとは思えない。もしこの世界に、ゲームで得たアイテムや金銭がそのまま持ち込まれていると仮定した場合、需要がさして有るとは思えないのだ。
敬太がゲームで得た装備をこの世界でも装備している事から、少なくともアイテムは一緒に転移していると考えるのが自然だ。
村長も「おっ」と軽く驚いたように目をみはり、英麻は我が意を得たりとばかりにこりと微笑んだ。
「なかなか良い着眼点ね。確かに村の中だけならそんなに需要は無いわ。主なのは輸出向けね」
「輸出? どこと取引してるんっすか」
「大体は『町』ね。ここから南に馬車で半日ばかりの所に『ガゾーム』ってここの領主様直轄の大きな町があるのよ。そこと取引してるの」
「ちなみに、この世界の連中はR級を持ってりゃ一流の証、ってことになるらしい。俺らが使ってるSR級なんざ、ほとんど宝剣だの聖剣扱いよ。質もいいってことで美術品としての価値も高ぇ」
「それと衣装なんかもそうね。私たちの服飾センスって、この世界の人には異国情緒溢れたものらしいから、それなりに人気があるのよ」
ふむ、と光は再び考え込んだ。
自分のジョブである『刀剣鍛冶師』が実際使えるかどうかはまだ分からないが、真琴はリアルでも自作の衣装──まぁコスプレ衣装なのだが──それを作っていた。
実際、この春に真琴の卒業と入学祝いを兼ねて、どこかにデートしようかと誘った時、県庁所在地で開かれたコミケでコスプレがしたいとせがまれたので、一緒に参加した記憶がある。その時、光の分も作ってくれたのだが──それはあまり思い出したくない代物であった。
だが、これで生活の見通しは立った気がする。ただ、妙に引っかかるものがあった。
それが何かとまたこめかみをつついて考え込んでいたら、その正体に気が付いた。
「村長、奥さん。この村の流通、つまり取引っすね。一体どうやっているんです?」
「てぇと?」
「いや」
そう言って光は、自分のスマートフォンからパラメーターアプリを起動させて確認してみた。
「俺、所持金が7千5百万通貨ばかりあるんですよ。真琴、お前はどうだ?」
「あたし? ちょっと待って。ええと……大体6千7百万くらいかな」
「お前ぇら、結構荒稼ぎしてやがんな」
村長は呆れたように言うが、クラフト系のジョブ持ちなら、フリマ機能でこの程度は稼げるものだ。
そこまで言って、光は本題に切り込んだ。
「もしかして、この通貨。村の中じゃそのまま使えないんじゃないですか?」
「あら、どうしてそう思うの?」
英麻は相変わらずにこにこしていたが、その表情は疑問を投げかけるというより、出来の良い生徒の回答を待つ教師のものだった。
「他のみんながどれだけ持ってるかは知りませんけど、結構な額を持ってるワケでしょう? そうしたら通貨の価値が下がって、インフレ起こすんじゃないかって思ったんすけど……合ってます?」
その答えに英麻は満足そうに頷くと、ぱちぱちと小さな拍手を送った。村長と敬太に至っては目を真ん丸に広げて、顎が外れんばかりに驚いている。
「大正解っ。その通り、この村の中じゃ残念だけど使えないわ。でも光君、あれだけの情報で、よくそこまで気が付いたわね。それに気が付いた人って、数えるほどしか居なかったわよ? 光君、もしかして経済に詳しいの?」
「いや、社会科関係は子供の頃から得意だったもんで。ちなみに実際取引関係はどうなってるんですか?」
「基本的には等価交換。単純に言えば物々交換ね。自分が売りたいものと相手が売りたいものを交換し合うの。でも、それだけじゃ成り立たない場合もあるから、こういうものが有るわ」
ちょっと待ってて。と言いながら、英麻は何やら鍵のようなものを取り出して、隣部屋へと向かった。
ややあって、戻ってきたその手には、片手で持てるくらいの袋がある。
英麻はそれを二人の前にとすんと置いた。
「なんですか? これ」
真琴が興味深々とばかり袋の中を覗き込み、その中にあるものを手に取った。
それは奇妙な金属片だった。小指くらいで、短冊状の形をしている。その片側には輪が形作られていた。
「アクセサリー……じゃないですよね? アクセサリーにするには、そのぅ……材質が安っぽいっていうか」
「こりゃ青銅の鋳物だな。それにしても、この形どっかで……」
光は膨大な記憶力の中から該当するものを検索する。すると一つの物が該当した。
「これ、もしかして、古代中国の布貨がモデルですか? 取引に使えるってことは、まさか」
英麻は「ピンポーン」と言いながら、光の頭をよしよしと犬を愛でるように撫でつけた。
「光君は察しが良くて助かるわ。そう、これがこの村だけで通用する貨幣。通称『カンザック貨』よ。それ一枚につき、100メゼル相当で取引出来るわよ。2万5千メゼル入れといたから二週間は十分生活できるはず。ちなみに5千は謎に気が付いたご褒美ね」
「でも光さん。それ布貨って言うんですか? 僕が見た時には、お金かどうかすら分からなかったのに」
不思議そうな、尊敬するような敬太の言葉に、光は照れ臭そうに笑ってみせた。
「親戚に古銭のマニアが居るんだよ。流石に現物は国宝扱いだから、俺も写真でしか見た事ないんだがな。でも、奥さん。どうして布貨の形に? 持ち運びとか、耐久性なら普通の円形貨の方が良かったでしょうに」
「それはね、『外』の人にこれがお金って気付かれないようにするためなの」
そう言って英麻は、襟元を緩めて、豊かな双丘の谷間からペンダントにしたカンザック貨を取り出した。
「これなら、ちょっとしたアクセサリーか、お守りにしか見えないでしょ?」
「じゃぁ、『外』の世界の人と、なにかあったって事ですか?」
真琴の疑問には村長が答えてくれた。
「2年ほど前かな。この世界の人間と、一悶着あったんだよ。まぁ、そいつについては、後で説明すらぁ」
「で、『外』からかの贋金流入を防ぐために、みんなと知恵を絞った結果がこの貨幣ってわけなの」
光はしばし、カンザック貨を眺めていたが、やがてそれを袋に戻し、その袋をそっと真琴の方に押しやる。
「先輩、いいの?」
「俺じゃ生活必需品に何が必要か分からん。それに、女のお前の方が物入りだろ? だから管理は任せる」
「光君、分かってるわね。そうそう、財布の紐は奥さんに任せておくのが家庭円満の秘訣よ。ねぇ、強さん?」
「お、おう」
村長夫婦の力関係が、この一言でよく分かるやり取りだった。村長の眼が完全にあさっての方に向いて泳いでいる。
一方、真琴の方を見れば、なにやらスマフォと貨幣の詰まった袋を交互に比べながら、なぜか残念そうにため息をついていた。
「真琴ちゃん、どうしたの? ため息なんかついちゃって。もしかして、足りなかった?」
「あ、いえっ。ただ、ゲームで稼いだ分のお金が使えない、って聞いて……ちょっと残念かなぁ、って」
「あら。使えるわよ?」
「そうですよね、使え……え? 奥さん、今なんて」
「だから、確かに村の中じゃインフレ起こすから使えないけど、『外』なら十分使えるの」
そう言って、英麻は部屋の奥にある机からタブレットを手に取り、なにやら操作し始めた。
「二人合わせて1億以上の資産があるわけでしょう? それなら、ガゾームの町の2等地辺りにちょっとした家買っても、2~3年は遊んで暮らせるわね」
「そんなにっ!?」
耳をピョコンと上げて驚く真琴とは別に、光は考え込んでいた。
確かに魅力的だが、この先何年この異世界で暮らしていくのか、見当がつかなかったためだ。下手をすると、一生この世界で暮らしていかなければならない。そうなると外貨を稼ぐ必要がある。
いっそ、この膨大な資産を元に、なにか商売でも始めてみても良いかもしれない。
そんな事を考えていた矢先の事だった。
「言っておくが、商売ぇだけは手を出さねぇほうが身のためだぜ」
まるで、考えを見透かされたような村長のアドバイスが、耳に飛び込んできた。
「どういう事です? 村長」
「単純な話よ。読み書きが出来なけりゃ、商売ぇにならんだろ?」
「え? でも、指輪のおかげで会話には不自由しないって、敬太から聞きましたけど」
「それとこれとは話が別だわな。以前、お前ぇらみたいに大金持ち込んで、町で一旗あげようってやつがいたんだが、読み書きが出来ねぇのをいいことに、言ってることと書いてあること、まるででたらめな契約書突きつけてきた悪質な取引先に引っかかってしまってな、ひと月もかからず無一文になったばかりか、借金までこさえてよ。泣きながら帰ってきたっけ」
ふむ、と光は再び考えた。
確かに読み書きが出来ないというのは致命的だ。村長が語ってくれた例も、当然あるだろう。
現代でも物事に契約というものは必要だし、無料であれ有料であれ、サイト利用の同意書などというものがある。これが読めないというのは、致命的以外何者でもない。
だが、妙に引っかかるものがある。
「でも、それならどうやって外部と取引出来るんです?」
「そこは伝手よ」
「伝手?」
「おう。『外』に出て行った連中がいるって話はしたっけか。そいつらは貴族の召し抱えになったり、傭兵になったり、探索行に出ているやつもいるな。大抵は冒険者なんてやってる。まぁ、荒事全般だな」
その点は理解できる。確かに、この世界で英雄以上の能力と装備を備えた自分達なら、戦力や荒事稼業としては垂涎ものの存在だろう。
だが、それがどう商売に繋がるかまでは思いつかない。
「荒事稼業ってのはな、意外と商人との繋がりがでかいんだよ。金銭や物資のやりとりなんかを通じてな。あと情報だな。情報ってのは、俺らの世界でもこの世界でも重要なのは変わりねぇ。荒事なんてやってると自然と情報が集まるもんなんだよ。その伝手で、一番信用できる商会と取引してるってぇわけよ」
それに、英麻が補足を加える。
「ちなみに、カンザックでは『サガン商会』って大手の商会と独占取引してるの。西方大陸全土の主要都市に支店を置いている、有名な所よ」
「このガゾーム支店の支店長って御仁がな、商売人らしく利には聡く、目端も利く人なんだが、信用と信頼を重視してて、安心して取引出来ている」
「私もお会いしたけれど、信用に足りる人だと思ったわ。取り扱ってる商品も多いし、この村じゃなかなか手に入らないものも扱ってるから、随分助かってるのよ」
へぇーと、間抜け面を晒しながら、光と真琴は感心したように村長夫妻を見つめた。
二人にここまで言わせるのだから、余程信頼できる人物なのだろう。もっとも、生き馬の眼を抉り出すのが商人というものだから、もろ手を挙げて信用する気は起らなかったが。
「そう言えば、英麻。次の取引はいつだったっけか」
「えーと、来週。ちょうど一週間後ね」
「そりゃいいタイミングだな。お前ぇらも、その頃には村に馴染んでるだろうから、一緒に付いて行け。なに、社会見学か物見遊山の気分で構わん」
そうは言われても、一週間やそこらで馴染めるものだろうか? 確かに出会った人々はみなフレンドリーだったし、敬太の言葉を信じるなら、親切な人々のだろう。同じ境遇同士、仲間意識が強いのかもしれない。
光も真琴も社交的な性格なので、問題はなさそうに思える。
ただ、二人はかなり特殊だ。それも光自身、怒りと破壊を司る神を抱え込んでいる。
実際、剣狼に襲われた時はわずか一瞬だったが、強烈な破壊衝動が起きた。
敬太はまるで救いの神扱いしていたが、これでは禍の神ではないのか。
もし、怒りに支配されて破壊衝動に飲み込まれた時、自分はどうなるのだろう。そう考えると、思わず震えがきそうだった。
そんな時、握り締められた光の拳を、冷たくも柔らかいものが包み込む。
真琴がまるで「大丈夫」とでも言いたげな顔で、光の眼を優しく見つめていた。
「あーと。二人で雰囲気作ってるところ悪ぃが、話し進めてもいいか?」
わざとらしく咳払いする村長の言葉に、二人は慌て手を離し、バツが悪そうに顔を染めてうつむく。
それを見て、英麻はにこにことし、敬太に至っては何が嬉しいのか満面の笑顔だった。
「まず、村で暮らすにしろ、『外』で暮らすにしろ、やっちゃあならねぇ事がある」
二人は神妙な顔で聞き入った。
「……それは?」
「罪になる事、なんでしょうか?」
真琴の言葉に村長は深く頷いた。
「まず、俺達の間で一番罪になることってのはなんだと思う?」
それに対して、真琴はおずおずと手を挙げた。
「それはやっぱり、人殺し……殺人じゃないんですか?」
「死が絶対とは言えねぇのに?」
「あっ」と言って、真琴は口元を押さえた。
そう。この世界は元の世界と違って、死は絶対的なものでは無い。
なにしろ『蘇生』という、奇跡のような手段があるのだから。
初期の状態ならかなりの高確率で蘇ることが出来る。仮に失敗しても、再蘇生の可能性は0ではないのだ。
「一番罪なのは殺しじゃねぇ。お前ぇら、敬太から『結婚指輪』の力について、どれくらい聞いてる?」
光は思い出しながら、指を折りつつ数えてみた。
「まず、この世界の人間との会話が可能になる。それとゲームでのアバターの能力の源がこの指輪でしたっけ」
「あとは……ゲームと同じように、結婚相手がそばにいると力が増幅される。だったかな?」
「ただ、指輪を失うと、そいつらは失われて、この世界じゃ並みの人間以下の存在になっちまう。そうしたら死んだも同然……」
そこまで言って、光の脳裏に閃くものがあった。
「まさか、村長の言う罪って、この指輪と関係があるんすか?」
「お前ぇ、銭金のからくりに気付いた事といい、察しがいいな。その通りでぇ」
村長は、壁に飾ってあった大ぶりの短刀を手にすると、テーブルの上に指輪のついた左薬指を乗せる。
そしてなんと、その指に短刀を突き刺した。
「そ、村長さんっ!?」
「一体何を!」
「まぁ、いいから、黙って、見てろ、い。ふんっ!」
更に力を入れると、ゴリッという音という嫌な音と共に薬指が切り落とされた。
そして村長は「痛てて」などと言いながら、あろうことか窓を開いて切り取った薬指を放り投げ捨てる。
その行動に絶句している二人に、村長は切り取られた指の跡を見せた。
「驚くのはこっからだ。ほれ」
するとどうだろう。切り跡周辺にリング状の輝きが灯ったと思ったら、指ごと指輪が再生していく。
「な? どうやってもこの指輪外れねぇんだよ。ちなみに、叩こうが切ろうが削ろうが、指輪自体傷一つ付きやしねぇ。こうなると、ほとんど呪いのアイテムだな」
村長は再生した指の感触を確認するように、左手を開いたり閉じたりしながらそう言った。
「でも、指輪が外れた人もいるんでしょう? でなけりゃ、前例なんて出てくるはずもねぇ」
「その通り。本題はそいつだ。切っても壊すのも無理。じゃどうやったら外れると思う?」
光と真琴は顔を見合わせて首を捻った。どう考えても分からない。それも罪に関係することだと言うが、それがどう結びつくのか見当も付かなかった。
「答えはな、指輪持った者同士がお互いのパートナーとは別の奴と深い男女の仲。まぁスケベェだわな。それをヤっちまうと、指輪が壊れて効力を失うってワケよ」
真実というにはあまりにも生々しく俗っぽい理由だった。
どういう顔をして良いのか分からない、という二人をよそに、村長は更に言葉を繋げる。
「二年前、地元の人間と一悶着起こしたってしたよな? ほれ、俺達の髪の色黒いだろ? この大陸じゃ黒い髪の民族は居ねぇ。いるとしたら、そいつは魔族ってことらしい」
「じゃぁ、あたし達が魔族と思われて?」
「当たらずともいえど遠からずってとこだ。その辺の事情はまた改めて説明してやる。で、話しを戻すぞ。二年前、ここの領主と教会が軍勢率いてやってきて、戦争状態になったんだが、天草先生が敵味方なく治療したり、単身敵陣に乗り込んで教会を説得したしてくれてよ。なんとか双方被害は最小限にとどまったんだが……」
そこまで言って喉でも渇いたのか、村長は水差しから果実酢を注ぎ一口飲んだ。
「その中で二人ばかり『灰化』した奴がいてな、残された奴は最初お互い励まし合っていたんだが……情が移ったというか魔が差したんだろうな。男と女の関係になっちまった。それで指輪が崩壊。残ったのはただの人間ってぇワケよ」
そこまで言われて、光はようやく合点がいった。
「つまり、俺達の間では強姦罪、レイプが一番の重罪ってわけですか」
その言葉に、村長が「おっ」と軽く目をみはる。
「本当に察しがいいな、お前ぇ。その通りだ。自分だけならまだしも、他の三人まで巻き込むことになるからな。その罪は重ぇ」
「ちなみにその場合、男女の別なく財産没収の上、村から永久追放よ。ま、事実上の死罪ね」
英麻がさらりと怖い事を口にするが、事がこの世界での生死に関わる問題だ。妥当な線と言える。
「じゃぁ、その理屈で言うと、二番目に罪が大きいのは浮気?」
「そうよ、真琴ちゃん。姦通罪って言ってね、この場合は財産の三分の一を持たせての追放刑ね」
「ふーん」と言いながら、なぜか真琴は半眼になって光を睨んできた。
「なんだ、真琴。その目は。お前、まさか俺が浮気するとでも思ってるんじゃねぇだろうな」
「思ってないけどさー。先輩って結構女の子に甘いから、誘われたら断われないんじゃないかって」
「それとこれとは話が別だ。大体俺は一穴主義だよ」
「なに? そのイッケツ主義って?」
「惚れた女、お前しか抱くつもりはねぇってこと」
あまりに露骨な光の台詞に驚いたのか、真琴は長い耳をピョコンと上に立て、みるみる内に真っ赤になっていく。
──まったく、こんなこと言わせんなよ。
リンゴのように顔を赤く染めて、そっぽを向いている真琴だが、機嫌が良いのかしきりに耳をぴょこぴょこさせていた。
その様子を見て英麻は「若いって良いわねぇ」などとおばさんみたいなことを言ってるし、村長と敬太に至っては「ごちそうさま」と言わんばかりの表情だった。
「あ、ちなみに。何事にも例外ってヤツがあってな。野郎同士、女同士ならノーカンだ」
村長の言葉に、光は照れ隠しに口に含んでいた果実酢を、思わず吹き出してしまった。
「ヤった人、いるんすか!?」
「おう。男も女もイケる、両刀使いが何人かいるぞ? 特にお前ぇ、女みてぇなツラしてやがるから、せいぜいケツの穴には注意するんだな」
光は思わず尻を押さえて叫んだ。
「やめてくれませんっ!? 確かに俺、こんな女顔してますけど、中身はいたってノーマルなんすからっ!!」
もっとも、光を知る人間に言わせれば「どの口で言うのか」と口を揃えるだろう。なにせ、当人がその気がなくとも、そこらの少女顔負けの美貌で少なくない同性を禁断の道にはしらせたのだから。
「あとは……そうそう。この世界の人間とヤるのもノーカンだ。どこのどいつだったかな。どこぞの領主の召し抱えになったはいいが、女従者だか女給だかに手をつけて、挙句に孕ませたって野郎が」
うへぇ、と光は内心辟易を通り越してあきれ返えった。恋人なり女房なりがいるにも関わらず、他の女に手を出すその神経が理解出来ない。
真琴にしても同様のようで、眉をひそめ不愉快そうな顔をしている。ただ、同時に不思議そうな顔もしていた。
「そう言えば、お二人ともこっちにきてから、三年近くいらっしゃるんですよね?」
「そうね、もうそのくらいになるかしらね」
「お子さんは居ないんですか?」
真琴の質問に、村長夫妻は顔を合わせるがその表情はどこか冴えないものだった。
「いや、俺らも欲しいとは思っちゃいるんだが、どういう訳か子供には恵まれなくてな」
「やっぱり、種族が違うから?」
「いや、それは関係なさそうだ。この世界なら混血可能な種族の取り合わせはおろか、同族同士でも子供が出来ねぇんだよ」
言われてみれば、ここに来るまでの間子供の姿はおろか、妊婦の一人も見られなかった。
施療院の二人にしても、どうやら深い男女の仲のようだったが、子供の泣き声一つ聞こえなかったし、妊娠している様子でもなかったのだ。
にもかかわらず、この世界の人間との間には子供を設けることが出来るという。
そう言えば、ゲームで結婚しても育児イベントは無かったなと思い出す。それと関係があるのだろうか。
そこまで考えて、光は思考を放棄した。考えても分からないものは分からないのだし、第一自分が人の親になるなど早すぎると思ったからだ。
ただ、真琴の方はなぜか残念そうな表情だった。長い耳が垂れてしょぼんとしている。
「どうした? 真琴」
「え? ううん。なんでもない……」
はてなと、心の中で首を捻ってみるが、答えは出ない。
妙なところで察しの良い光ではあったが、こと女心に関しては極めて鈍感であった。
まさか、真琴が自分との子供を欲しがってる、などとは露ほどにも思っていなかったのだ。
「だから安心していいぞ。お前ぇらもヤりたい盛りだろうし、遠慮なく中だシゲべラッ!?」
何度目かの轟音が室内に轟き渡る。
しかも今度は鉄拳では無い。全体重を乗せた、見事な肘打ちであった。
「だ、か、らっ。強さん? いい加減下ネタはやめてくれないかしら。ケータ君も居ることだし、青少年の情操教育に悪いわよ。ねぇ?」
同意を求められても困る。
ただこの短時間で、光も真琴も二人の過激な夫婦漫才にすっかり適応してしまっていた。
むしろあれだけ衝撃を受け続けて、ひび一つ入っていないテーブルの耐久性を褒めてやりたい。
「お前ぇもっ! 肘打ちだけはやめろっつてるだろがっ! 首の骨が折れたらどうする気でぇっ!!」
なんだか村長が可哀そうになってきたし、またぞろ下ネタに走られたら、もう聞くに耐えなかったので話題を変えることにした。
「ところで村長。肝心の殺人罪に関してはどうなんです?」
「ん? そいつは三番目だな。ただまぁ、一口に殺人つっても元の世界と同じで、過失や事故、情状酌量が認められるケースもある。正当防衛なんかそのさいたるモンだわな」
「明日になれば分かりますけど、僕達毎朝実践形式の訓練を行ってるんですよ。僕が知る限り死者や重傷者は出てませんけど、万が一ってこともありますから」
ふむ、と光は考え込んだ。思いのほか殺人に対しては強姦や姦通に比べて緩い印象を受ける。これは蘇生が出来るが故のことだろう。
「ちなみに殺人の罪に問われたとして、その判断はどうやってるんすか? 裁判制でもあるとか」
「近ぇな。俺の独断で決められる事じゃねぇから、村のモン総がかりで検討するんだよ。その中から俺が音頭とって判決を下す、ってぇ形を取ってる」
先ほどの肘打ちで首でも痛めたのか、村長はしきりに首をさすっていた。
「ただ、お前は真面目そうだから大丈夫とは思うが、明らかに道義や道徳に反するような殺しに対しては、『埋葬刑』って重い罰が下されるから、そこんところは覚悟しておけ」
「『埋葬刑』? なんすか、それ」
「罪人をブチ殺して蘇生困難なまでに遺体を損傷させた後、それを棺桶にぶち込み、文字通り埋葬するって、一番重い刑罰だ。まぁ、刑罰ってより、見せしめの意味合いが強いがな。別名『封印刑』とも言われている」
予想以上に重く残忍な刑罰だった。これでは文字通り死刑と同じである。
「ま、俺たちの刑罰に関しちゃこんなモンか。特に強姦と姦通だけはご法度だって点だけは覚えておけば問題ねぇ」
なるほどと光は納得した。現状を鑑みればみな妥当な線だと言える。むしろシンプルな分覚えやすく普及しやすいのが高評価だった。
──それにしても、浮気が重罪とはなぁ。
まぁ、真琴一筋の自分には縁がないか、などと軽く考えていた。
だがそう遠くない未来、光は思い知ることになる。
自分がその当事者になるなど、神ならぬ身としては知る由もない。
最後に飲み干した果実酢は、なぜだかちょっとだけ甘酢ぱかった。




