『自然に対する畏怖についての無神論的一考察』
『自然に対する畏怖についての無神論的一考察』
㈠ 遥か昔から、人間がその存在を形成する前の氷河期に、(氷河期は仮定の話だが)、恐らくは地球に隕石が衝突して破壊された時から、既に自然に対する人間の無力は始まっていただろう。
㈡ しかしその後、人間は幾つもの自然災害(これに人間の自同律的戦争)を含めたものに、生命を奪われてきた訳だが、同時に自然に対する畏怖の念を抱く様になったと思われる。
㈢ それでは、何をもって自然に対抗しようとしたかと言われれば、神を偶像として創造し、そして祈りを捧げるという行為で、自然の驚異によって無力であることを否定してきた。
㈣ ただし、日本には神格化された偶像がないため、無神論の時代が続き、自然と神は自然界に宿っているという形の、一種の宗教観を成立させた。
㈤ 当たり前のことだが、確かに何かのせいにしないと、自然災害によって家族が死んだら、怒りをどこにぶつけていいかわからないからだろうと思われる。
㈥ 自然に対する畏怖は、現代でも大きな課題だが、無神論である日本は、確かにそれを味方にもしてきたし、戦争がなくとも多くの犠牲が自然災害で出る訳だから、結果として、日本は自然によって存在し、やがて自然によって消滅するだろうという考察結果を得た。