表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

『自然に対する畏怖についての無神論的一考察』

『自然に対する畏怖についての無神論的一考察』


㈠ 遥か昔から、人間がその存在を形成する前の氷河期に、(氷河期は仮定の話だが)、恐らくは地球に隕石が衝突して破壊された時から、既に自然に対する人間の無力は始まっていただろう。


㈡ しかしその後、人間は幾つもの自然災害(これに人間の自同律的戦争)を含めたものに、生命を奪われてきた訳だが、同時に自然に対する畏怖の念を抱く様になったと思われる。


㈢ それでは、何をもって自然に対抗しようとしたかと言われれば、神を偶像として創造し、そして祈りを捧げるという行為で、自然の驚異によって無力であることを否定してきた。


㈣ ただし、日本には神格化された偶像がないため、無神論の時代が続き、自然と神は自然界に宿っているという形の、一種の宗教観を成立させた。


㈤ 当たり前のことだが、確かに何かのせいにしないと、自然災害によって家族が死んだら、怒りをどこにぶつけていいかわからないからだろうと思われる。


㈥ 自然に対する畏怖は、現代でも大きな課題だが、無神論である日本は、確かにそれを味方にもしてきたし、戦争がなくとも多くの犠牲が自然災害で出る訳だから、結果として、日本は自然によって存在し、やがて自然によって消滅するだろうという考察結果を得た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ