第八話 大竜舎
「それはだいぶ難しいでしょうな」
リーゲル殿は難しい顔で俺の質問に答えた。
俺が元帥として召集をかけることはできるかと尋ねたのだ。
まず、任命の儀を終えるまでは勇者殿はまだ元帥ではありません、と前置きして彼はつづけた。
「任命の儀の後であれば、召集令を発することはできます。
しかし、それに応じる領主は少ないでしょう。
おそらく、先の会戦の四分の一も集まればよい方かと」
「それだけですか……」
「あれやこれやといって、軍勢を出さぬものが多くおりましてな。
そもそも、前回あれだけ集めることができたのも、姫殿下のご人徳あればこそのこと。
その上、王家に忠誠が篤かった者の多くをあの戦で失いました。
後に残った者達も失った軍勢の立て直しで精いっぱいの上、足元も不安定となればおいそれとは兵は出せますまい」
なるほど。
「では諸侯の力はあてにできないわけですね」
「さようでございます」
「他に戦力はありますか?」
リーゲル殿は思案顔でうーんとうなった後、一つずつ挙げていく。
「まずは吾輩の竜騎士団ですな。
しかし、竜たちが戻ってくるまでは十分な働きはできかねます。
今しばらくお待ち願いたい。
近衛兵団は、陛下をお守りするのが本分故、元帥といえど指図することはできません。
〈竜の顎門〉の守備兵も同様です。彼らはいかなる者の命令でもあの要塞からは動きませぬ」
「神殿騎士団はどうです?」
「恐らく、勇者殿のご命令とあれば、すぐに馳せ参じてまいりましょうが、彼らは文字通り全滅しましたゆえ……。
魔法の素質の持ち主はさほど多くありませぬ。
若輩共を急ぎ騎士に叙任して立て直しを図っておるようですが、本当に使い物になるのやら。
かつての精強さを取り戻すには、最低でも十年はかかるでしょうな」
リアナ姫もそういってたな。
「あとは……傭兵や自由騎士であれば多少は集められましょう。
しかし、費用はご自身で支払っていただかなければなりません。
雇うには限度があります」
要するに、リーゲル殿の竜騎士団以外にはあてにはできる戦力はなしか。
それとてすぐには動かせない。
彼は俺に説明を終えると大きなため息をついた。
「せっかく神が勇者殿をお遣わし下さったというのに、肝心の我ら自身がこの体たらく。まったく情けないことです」
「仕方ないですよ。
あなた方の力でどうにかなるなら、そもそも私はこの世界には呼ばれませんし」
そういってリーゲル殿を慰めたものの、あてにできる戦力の少なさにはやはり落胆せざるを得なかった。
「それで、竜たちはあとどれぐらいで戻るんですか?」
「そうですな……後十日もあれば戻ってくるでしょう」
十日。俺の唯一の手駒が使えるようになるまでにかかる時間。
さて、その間何をしておくべきか。
*
翌日、俺はリーゲル殿の案内で〈大竜舎〉に来ていた。
地図を見たいと言ったら、なぜかここに連れてこられたのだ。
〈大竜舎〉は王都から馬で一時間ほど離れた高台に作られた竜の飼育場で、竜騎士団の根拠地でもある。
高台は野球場ほどの広さの平地になっており、南北の縁には簡易な城壁が設けられていた。
城壁の上には奇妙な怪物を模った石像が並んでいて、どうやら鋸壁の代わりになっているらしい。
東側は王都と同じく〈竜山〉を背にしており、切り立った岩肌に信じられないぐらい巨大な竜の石像が石仏のように掘り込まれていた。
「あれに見えますのが竜の飛翔台にございます。竜が離陸するための場所です」
リーゲル殿は西側を指していった。
そこは芝が植えられた広場になっており、西端は囲いもなくそのまま虚空へ続いていた。
この高台の西側は切り立った崖になっているらしかった。
「この高地には常に安定した西風が吹いておりましてな。
竜を飛び立たせるのに大変都合がよいのです」
北西角に建つ簡素な見張り台には、竜騎士団の紋章が織り込まれた旗がリーゲル殿の言葉通り西風をうけてはためいていた。
「さて、目的のものはこちらです」
そういって、リーゲル殿は巨竜像へ足を向けた。
その足元には綺麗な半円形の大きな横穴がぽっかりと口を開けていた。
中はさらに一回り大きなトンネルになっていた。
半楕円形で、入口同様整った形状をしている。
横幅は20m、奥行きは五百メートルといったところか。両脇の壁には左右四十個ずつ、合計八十個の不格好な横穴が開けられており、その奥にはそれぞれ小部屋がこれまた不恰好に掘り抜かれていた。
小部屋といっても、小さな家一軒ほどの大きさがある。
「ここが竜たちのねぐらになります。もっとも、今は空ですがな」
広い洞窟の中では、竜の飼育係と思われる人たちが所在なさげに掃除などをしており、どことなく気の抜けた雰囲気だ。
そのせいか、余計にこの空洞が広く感じる。
それにしても、入口の巨竜像と言い、これだけの空間を掘り抜くのにどれほどの人と時間が必要だったのだろうか?
「随分大きいですね。ここも古代魔術の産物ですか?」
「いえ、違います。
この大洞窟は我らの祖先がこの地に住み始めた時には既に存在していたと伝わっております。
伝承によれば、かつては髭を生やした小人たちがここを棲家にしていたそうです」
髭の生えた小人……ドワーフだろうか。
「その小人たちはまだいるんですか?」
「今となっては昔話に登場するだけですな」
ドワーフは絶滅済みか。夢のない世界だ。
「ともあれ、現在は我々が竜の飼育場として利用しております。野生の竜は岩の洞穴をねぐらとしますからな」
そういって、彼は例の不格好な小部屋を指差した。あの部分だけは人の手で掘ったらしい。
「現在飼育している竜は72頭。
今年は繁殖の年でしたから、来年の今頃には何頭かの幼竜を加えられるかもしれませぬ。
もっとも、戦力になるまで育つには十年は待たねばなりませんがな」
リーゲル殿の説明を聞きつつ奥へ進むと、他より一回り大きな部屋が目に留まった。
中には藁のようなものがぎっしり詰め込まれている。
飼葉だろうか。だけど厩舎は崖下にある。馬が竜を怖がるせいで上には作れなかったそうだ。
おかげでここまで徒歩で登ってきたのだ。その馬の餌をこんなところに保管するわけがない。
とすると竜に食わせる? 草食の竜なんて他の異世界では見たことがないが、いたとしてもおかしくはない。
「それは鍛冶屋草です」
俺の視線に気が付いたらしいリーゲル殿が解説してくれた。
「鉄を溶かすほどの高温で燃える草でしてな。
王都の鍛冶師は皆この草で鉄を鍛えます。
竜はこの草を食べて火を吹くのです。
古来『竜山を制する者が王国を制す』と言われるのも、鍛冶屋草がここ〈竜山〉にしか生えぬためです。
火を吹けぬ竜などさしたる脅威ではありませんからな」
それはどうだろうと思ったが、口を挟めば長くなりそうなのでスルーする。
この老騎士にとって、竜騎士の一番の価値とはなにをおいても火炎をもって敵戦列を粉砕することなのだろうし、それはそれでもっともだ。
洞窟の一番奥についた。
そこには二体の不気味な怪物の石像に守られた石の扉があった。
扉にはそれぞれ色も形も違う9個の宝石が埋め込まれている。
リーゲル殿に促され、扉を押してみたがびくともしない。
もう一度、勇者の力を使って全力で押してみる。
やはりびくともしない。
念のために引いたりずらしたりしてみたが結果は同じだ。
「この宝石を決められた順序で触ると開くのです」
そういってリーゲル殿が実演して見せた。
先程までびくともしなかった扉が音もなく開いた。
「これも髭の小人の仕業ですか?」
「さように伝わっております。神殿の学僧たちも、この扉の仕組みは分からぬようですな」
扉の先は、先ほどの洞窟ほどではないがそこそこの広さの通路になっていた。両側には扉が一定の間隔で並んでいる。
「この遺跡にはこういった仕掛けが山ほどありましてな。
我々も広大な遺跡のごく一部を利用しているにすぎません。
昔は暇な若い衆が探索を行うこともありました。
この銀の剣も迷宮の奥深くで吾輩が見つけたものです。
しかし道に迷ったのか、帰ってこなくなる者もおりまして――さて、この部屋です」
そういって、彼は通路の突き当たりにある両開きの大きな扉を押しあけた。
そこはドーム状の広間になっていた。
壁には入り口とは別に十一個の扉が同じ間隔で設けられている。
中央は腰ほどの高さで直径10m程の大きな円形の台が占めていた。
その台の上のものに俺は目を奪われた。
「これは……地図ですか?」
「さようでございます」
地図というより、模型と言った方が正確かもしれない。
そこには海岸線や山、河、それから海上の島等が立体的に彫刻されていた。
地図を見たいといっただけなのに、どうしてこんなところまで連れてきたのかといぶかしんでいたのだが、これを見せたかったためらしい。
確かにそれだけのことはある。
「よほど古い時代に作られたようで、河川については現状と一致しない部分が多々あります。
ですが、それ以外についてはほとんど実際の地形と一致します」
「方角もですか?」
「はい、そうです」
そういいながら、彼は時計回りに四分の一程 ――入口が西側だったから、つまり北側へ――移動する。
「これが〈竜骨山脈〉です。その内側が、我々人類の領域になります」
リーゲル殿は台の上に置かれていた長い棒を手に取ると、手前にある円形の山脈を指した。
山脈に囲われた、クレーターのようにも見える円形の土地の西側の一部が、これまた丸く欠けて内海を形成している。
三日月みたいだ。
大陸の北端に位置しているようだが、大陸そのものは円台の南縁でぶっつり途切れていた。
この地図に描かれているのは全世界の一部でしかないらしい。
そして悲しいことに、人類の領域を守る〈竜骨山脈〉は直径にしてわずか3メートル程。
円台の十分の一を占めるに過ぎない。
「〈竜骨山脈〉はかつて世界を脅かしていた大龍の亡骸が山に変わったものと言われています」
なるほど、言われてみればそう見えなくもない。
「そして、こちらが〈竜山〉。その麓にある城が王都となります」
そういって竜骨山脈の南東部にあるひときわ大きな山を指す。
その麓には小さな城の模型が置かれていた。
よく見ると、他にも何ヶ所か城や街の模型が置かれている。
主要な街や城の位置を示しているらしい。
人間が後から追加したものらしく、地図の精緻さに比べると仕上がりが荒い。
山脈の南の縁に〈竜の顎門〉と思われる模型もみつけた。
今度は山脈の切れ目の北側の突端、山脈が作る円の中では王都のちょうど反対側に位置する城を指した。
「ここがシェザリス城。王都から最も遠い城です。気象条件にもよりますが、最低でも竜を駆って丸二日かかります」
竜で丸二日と言われても、この世界ではまだ竜に乗ったことがない俺にはどのぐらいの距離なのかピンとこない。
「馬だとどれぐらいかかるんですか?」
「う~む……馬でですか。さて、馬となるといかほどですかのう……」
リーゲル殿は首をひねって考え込んだ。
多分、彼自身は馬で訪問した経験がないんだろう。
「そういえば城主のガルオムは、王都と所領を行き来するのに二十日かかると申しておりましたな。
船でゴルカラの港につくまで六日。
そこから王都までが陸路で十四日。徒歩の者も含めての話ですが」
「なるほど」
移動にかかった期間から距離を大雑把に計算してみようとしたが、頭が痛くなりそうなのでやめた。
船の速度もよくわからないし、そもそも一日が24時間である保証もない。
体感的にはそう違いはないとは思うけど。
まぁ実際の距離はともかく、「端から端まで移動して二十日」というのがこの世界の人間の身体感覚としての「世界の広さ」というわけだ。
確か、あの弥次喜多道中こと東海道中膝栗毛でおっさん二人が江戸から大阪までかかった日数が徒歩で十三日間だったはずだ。
そう考えると「世界」の広さとしては大分狭いな。
もちろん、実際にはもっとこの世界は広いんだろう。
だけど、山の外側は人間の世界ではないのだ。
リーゲル殿が地図上の模型を一つずつ指して説明してくれるが、一度だけでは覚えられそうにない。
帰ったらもっと手頃な大きさの地図を借りて復習させてもらおう。
ふと、地図の反対側の縁にもポツンと模型が置かれているのが目に入った。
「あれはなんですか?」
「あぁ、あれですか。
あれは〈古の都〉です。かつては人類の都であったと言われております。
〈竜の顎門〉から伸びる街道はあそこへ続いておるのです」
「昔は山の向こうも人間の領域だったんですか」
「はい、古い言い伝えでは。もっとも、どれほど昔のことであったかすらわからぬほどの大昔のことです」
「伝説上の存在ってことですか?」
「いえ、遺跡その物は確かに存在します。吾輩も若い時分に、〈古の都〉まで遠征をしたことがございます」
古代人の遺跡か。面白そうだな。
「私も行ってみたいですね」
「今はもう難しいですな」
「どうしてですか?」
「〈古の都〉までは竜を飛ばしても何日もかかりますからな。
どうしても途中で地上に降りて休む必要が出てきます。
あの頃はオークはまだずっと南におり、北に住む者の密度もずっと低かったのです。
だから奴らに見つからずにある程度南下することもできましたが、今となってはそれも不可能です。
今や、竜骨山脈から数日の場所にすら奴らが村落を構えておりますからな。
十中八九、地上で寝こみを襲われるでしょう。
あの頃ですら、〈古の都〉へ至る最後の二日は休むことなく飛び続けねばなりませんでした。
勇者殿であれば返り討つこともできやもしれませぬが、奇襲で竜の翼を傷つけられてしまえばそれまでです」
ここ一世代程の間に急速にオークの進出が進んでいると。本当に、どうしたものかなあ。
次回は7/11に投稿予定です