第五十八話 共闘
森に飛び込むと同時に、〈黒犬〉の愛鷲はその場にぐったりとへたり込んでしまった。
そこには何やら鋭い棘の生えた植物が密生していたが、まるで気にする様子がない。
ただ大きく開けたクチバシから舌をだらんと伸ばし、荒い息を吐き続けている。
(無理をさせ過ぎたか……)
追う者と追われる者とではやはり後者の方が消耗が激しい。
少し離れた両側でも二騎の狼鷲が同じようにぐったりと座り込んでいる。
一騎少ない。竜が出現する直前までは自分も合わせて四騎いたはずだ。
〈黒犬〉は腰から水筒を外して一口飲むと、残りを愛鷲の舌にかけてやった。
黒い狼鷲は気持ちよさげに喉を鳴らした。
さてどうしたものか。
〈黒犬〉は森の縁へ行き、藪に身をひそめながら外の様子を窺った。
竜の襲撃によって〈赤鷲〉どもが大混乱に陥っているのが見えた。
逃げ出すなら今の内だろうが、あいにくこちらも一息つかねば動けそうにない。
真っ白な竜が恐ろしい咆哮を上げながら降下し、そしてそのまま何もせずに上昇していく。
(竜はもう弾切れか)
〈赤鷲〉の連中もすぐに気付くだろう。残された時間は少ない。
十騎程の狼鷲兵がこちらに向かってくるのが見えた。
その立て直しの早さに〈黒犬〉は鼻をすぼめた。やはり歴史ある傭兵隊は練度が高い。
〈黒犬〉は弾帯から薬包を一つ外すと、その先端を噛み千切った。
空いた手で短銃を取り出すと、手早く装填を済ます。
勝ち目は薄いが、ただで殺されてやるのも癪だ。先頭の奴ぐらいは道連れにしてやる。
白い竜が彼らに向かって急降下し、先ほどと同じように吼えた。
だが今度は威嚇が通じず、それどころか反撃を受けて白竜はすごすごと上昇していく。
森の周囲では、〈赤鷲〉の兵が正気と秩序を取り戻しつつあった。
もとより奇襲を受けて混乱していただけで、大した被害は出ていない。
〈黒犬〉は大木に半身を隠し、射撃のタイミングを待つ。
二人の部下もそれに倣い、〈黒犬〉の左右で銃を構えていた。
狼鷲はまだ出さない。
アイツらを暴れさせるのは、敵を森の中に引き込んだ後だ。
その時、あの白い竜が再び高度を下げるのが見えた。
今更、何をする気だろう?
地面スレスレまで高度を下げた白竜に向けて、〈赤鷲〉の兵たちが次々と発砲した。
白竜はまるで意に介することなく、この森めがけて一直線に飛んでくる。
そのまま森のすぐ近くまで来ていた〈赤鷲〉兵を追い越すと同時に、その背から何かが飛び出した。
それはゴロゴロと地面を転がった後、こちらに背を向けて立ち上がった。
禍々しい気配を放ちながら、光る槍と盾を出現させたそいつはたった一人で狼鷲兵の前に立ちふさがる。
それが何者であるか、〈黒犬〉にはすぐ分かった。
確かめるまでもない。あいつは、あの怪物は今、嗤っているに違いなかった。
*
正面に十騎。クチバシ犬に乗ったオークどもが二列の縦隊を組み、俺めがけて突っ込んでくる。
先頭の二騎が短銃を放つ。
構えた〈光の盾〉が難なく銃弾を弾いた。
お返しに〈光の槍〉を投げつける。
敵は慌てることなくさっと左右に分かれたが、先頭の一騎はかわしきれずに脱落。
残りは九騎。
両側からの銃撃に備え、俺は空いた右手にも〈光の盾〉を出現させる。
短銃の五発や十発なら余裕で防げるはずだ。
だがそれは見込み違いだった。
左右に分かれたはずの敵縦列はしかし、完全には二つに分かれていなかった。
その最後尾の二騎のみ進路をそのままに突進してきたのである。
おまけにその手には銃ではなく騎兵槍を手にしている。
〈光の盾〉は飛び道具しか防いでくれない。槍を相手にするには素手も同じだ。
ギリギリまで引き付けた上で、横っ飛びに転がって二本の穂先をかわす。
頭のすぐ脇にクチバシ犬の鋭い鉤爪が突き刺さり、駆け抜けてゆく。
反撃のために右手の盾を消したその瞬間、銃声が響き足元の土が弾けた。
おっと危ない。俺は反撃を諦め、再び右手に盾を出す。
背後の足音に槍のオーク騎兵の存在を思い出し、そちらに向き直る。
奴らは既に方向転換を終えており、俺を挟み込むように突進してきた。
俺は〈光の盾〉を出したまま、腰の短剣を抜いて構える。
まず右側のオーク騎兵の槍をかわし、ほんのわずかに遅れた左のオークの槍を短剣でいなす。
ところが思った以上に槍に勢いが乗っていて、俺はその場で無様に尻もちをついてしまった。
クソ! こっちにも馬がいればもっとましな戦いができるのに!
俺が立ち上がるよりも先に、周囲で一斉に銃声が響いた。
左右の〈光の盾〉が次々と銃弾を弾く。
盾が受けた弾は五発。奴らの持つ短銃が相手なら、この程度の数どうということはない。
だが、それより重要なのは眼前の敵が銃を撃ちきったということだ。
さあ、いよいよ反撃だ。
俺は両手の盾を消して、〈光の槍〉に持ち替えると再びこちらに突進を仕掛けようとしていた槍騎兵二騎に向かって投げつけた。
狙いは過たず、二本の槍はそれぞれクチバシ犬の頭ごとオーク騎兵の胴体を貫く。
どうと倒れるクチバシ犬の死体をかわしながら、俺は次の獲物を探す。
確か、先の斉射の前に発砲した奴がいたはずだ。
再装填が済む前にそいつを仕留めておかなくては。
その瞬間、視界の隅で何かが光るのを捉えた。
発砲の閃光だ。
銃声が届く前にその場に身を伏せ、銃弾をやり過ごす。
馬鹿な。早すぎる。
撃たれたほうに振り向くと新手だった。
慌てて周囲を確認する。そいつ以外にも続々とオーク騎兵がこちらに集結しつつあった。
もうタイムアップだ。こうなる前にもう二三匹は減らしておきたかったんだが。
俺は敵に背を向け、森に向かって駆けた。
背後に銃声を聞きながら一番手近にあった藪の中に飛び込む。
森の中なら少なくとも槍騎兵の突進は受けずに済む。
藪の中で身を起こし一息つこうとした瞬間。
目の前に〈黒犬〉がいた。
視線が交錯する。銃口が真っ直ぐ俺を捉えている。
つきかけていた息を飲み込む。
〈黒犬〉が発砲した。
銃弾は俺の耳をかすめて飛び、すぐ背後まで迫っていたクチバシ犬の左脚を撃ち抜いた。
撃たれたクチバシ犬はバランスを崩し、俺のすぐ脇を背中のオーク兵もろとも転がっていく。
〈黒犬〉は、俺を睨み付けながら薬包の先端を噛み千切った。
火皿に火薬を流し込みながら、『ぼんやりするな』とでも言いたげに俺の背後を鼻先で指す。
なるほど。理解が早くて助かる。
俺は〈黒犬〉に背を向けて立ち上がると、〈光の盾〉を構えてオークの群れに対峙した。
森の外には既に四、五十のオーク騎兵が集まっていた。
一部はクチバシ犬を降りて、膝立ちに銃を構えている。
斉射の閃光。
アッと思う間もなく〈光の盾〉の片方が粉砕された。
慌てて手近な木の陰に転がり込む。
〈黒犬〉が込め矢で銃口をつきながら『何してるんだ』とでも言いたげにこちらを見ている。
ごめんよ、ちょっとカッコつけてみたかっただけなんだ。
それにしても、今の射撃は一発が重かった。おそらく歩兵用の銃が混ざっている。
クチバシ犬を降りていた奴らがそうだろう。乗馬歩兵とかいうやつか。
飛行中にあれで撃たれていたらやばかったな。
〈黒犬〉の部下たちが応射し、突進しようとしていた数騎の槍騎兵を牽制した。
その向こうに十騎程が二列の横隊を組んでいるのが見えた。
前列が槍、後列が銃。もう一度こちらに突っ込むつもりらしい。
今度こそ俺の出番だ。散発的な銃撃を木の陰に潜んでかわしながら彼らの突撃を待つ。
先ほどの歩兵銃らしき斉射の轟音。
銃弾が木の幹を抉り、唸りを上げながら俺の顔をかすめていく。
直後に突撃が開始された。
タイミングを見計らって、俺はクチバシ犬共の正面に飛び出した。
敵は〈光の槍〉の間合いの内にある。これだけ近ければ斉射をもらう心配もないはずだ。
俺が飛び出ると同時に〈黒犬〉が発砲する。
見事命中。隊列の端にいた槍持ちのオーク騎兵がクチバシ犬から転がり落ちた。
敵に動揺が走るのを俺は見逃さなかった。
右手に出した〈光の槍〉で、手近のオークをクチバシ犬ごと貫く。
二列目の短銃騎兵が、崩れ落ちた仲間を避けようと針路をずらす。ずらした先には俺がいた。
その二匹目のオークを始末し、素早く槍を消す。
両手に盾を出し直すと同時に、左右から銃弾が襲い掛かってきた。
難なく弾く。銃騎兵は発砲と同時に反転した。
森から銃声が響き、こちらに進路を変えようとしていた槍騎兵が倒れた。
クチバシ犬が撃たれたらしい。
残る二騎の槍騎兵はそれを見て退却に移った。
その背に槍を投げつけようとして思いとどまる。
既に乗馬歩兵たちが装填を終えているのが見えたからだ。
慌てて木の陰に転がり込む。一瞬遅れて銃声が響いた。
何発かの銃弾が木の幹をえぐっていった。
とりあえず第一波は撃退だ。だが次はどうだろう?
ひょいと木の陰から覗いてみると、敵はその数をさらに増やしていた。
多分七、八十はいる。
これ以上突っ込んでくる敵が増えれば、さすがに奴らの突撃は防ぎきれまい。
森への突入を許せば後はもう乱戦だ。
俺自身は何とでもなるだろうが、〈黒犬〉を守り切るのは難しい。
自分の身は自分で守ってもらうほかはない。
乗馬歩兵たちがテキパキと装填作業を続けるその後ろで、騎兵たちが隊列を整えているのが見えた。
今度は三十騎程。
ちらと〈黒犬〉の様子を確認する。
奴は焦るでもなく、かといって諦めるでもなく、ただじっと敵が準備する様を見つめていた。
やがて俺の視線に気づいたらしく、こちらに視線を向けてきた。
その目は『どうする?』と言っているように見えた。
そんなのはこっちが聞きたい。
こちらの意図は言葉にせずとも伝わったようだった。
奴は『そうだろうな』と言わんばかりに鼻を鳴らして敵に向き直った。
空を見上げる。
木々の梢の隙間から、ヴェラルゴンが上空を旋回しているのが見えた。
こちらを手伝ってくれる気はないらしい。
まあ、それでいい。降りてきたところで大して役には立たないのだ。
ピイィィィイイ!という甲高い音が背後から聞こえてきた。
こんなところで笛を吹いて遊ぶ奴がいるわけがない。
オークどもは、俺たちが逃げ出した場合に備えて森の反対側にも兵を配置していたんだろう。
背後か、畜生め。
そいつらが何か合図を送っている。
だが、森向こうからの合図に敵が動揺し始めたのを見て、俺はその意味を悟った。
思ったより早かったな。もうしばらくかかると思っていたのに。
笛の音を追うようにして、惚れ惚れするような力強い角笛の音が響く。
もう何が起きたかなんて見なくてもわかる。間もなく蹄の轟きも聞こえてくるはずだ。
メグたちが追い付いてきたのだ。
敵の判断は早かった。彼らは角笛を聞くや否や退却に移った。
奇襲からの立ち直りの早さといい、指揮を引き継いだ奴も中々できる人物であるらしい。
ともかく、戦いは終わった。
逃げていくオーク達の背中を見送っていると、隣から視線を感じた。
目を向けると〈黒犬〉がじっとこちらを見ていた。
すぐに黒いクチバシ犬が俺たちの間に割って入ってきて、低い声で唸った。
〈黒犬〉が頭を撫でて落ち着かせると、クチバシ犬はブンとその鋭い嘴を震わせた。
不満げな眼で俺を睨みつつも、そいつはおとなしくその場に伏せた。
〈黒犬〉が一歩前に出て俺の前に片膝をつく。
なに、礼はいらない。無事でいてさえくれればそれで十分だ。
俺はシッシと手を振って、〈黒犬〉にさっさと逃げるよう促した。
こいつのために言っているのだ。
もうじきメグがくる。彼女に絡まれたらきっと面倒なことになる。
ところが〈黒犬〉は微動だにしない。
こいつに限って状況が呑み込めていないなんてことはあるまい。
どうやら俺に用事があるらしかった。
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