第四話 王都への帰還
王都までの道のりはいたって平穏だった。
途中いくつかの村を通過したものの、どの村でも歓迎を受けることはなかった。
住民たちは戸口を閉ざして家の中に引きこもり、窓や扉の隙間から恐る恐るこちらをうかがっていただけだった。
軍勢を見て怯えている、というのとはどうも少し様子が違う。
どうやら、敗戦の噂は俺達が進むよりもずっと早く広がっているらしい。
退屈な道すがら、リーゲル殿に以前から一人で転がしていた考えを話してみた。
「オークと和睦することは可能でしょうか?」
リーゲル殿は理解不能な物体を見るような目で俺の顔を見つめていたが、ややあって疲れた顔で答えた。
「お戯れを。異界のユーモアは老体には難しゅうございます」
どうやら彼はこれを冗談と解釈したようだ。
「真面目な話です」
リーゲル殿の目つきが、こちらを気遣うものにかわった。
「勇者殿、王都まであと一息です。王都につきましたら存分にお休みいただけますので、どうか今しばらくのご辛抱を」
「疲れているわけでもありません」
いよいよリーゲル殿の表情に疑念が浮かび始めた。
こちらの目をじっと覗き込み、その色を窺おうとしている。
多分、彼が疑っているのは俺の正気だ。
どうやら、あいつらと和睦を結ぼうというのは、こちらの世界ではよほど奇異な考えらしい。
「……勇者殿、あれは邪神によって生み出された邪悪な生き物です。
和睦など到底結べますまい。
そもそも、そのような知性があるかどうかも疑わしい」
「奴らの知能を甘く見るなと警告してくれたのはあなたでしょう。
それに、今回の戦の様子を見る限りかなりの知能がありそうです。
交渉は可能かもしれませんよ」
「それはあくまで戦についてのこと。
狼どもとて、狩りにおいては連携し統率された動きを見せますが、それを以って狼に知性があるとは言えますまい。
ましてや、獣と交渉するなどあり得ましょうか」
いやいや、オーク達のあれはそういうレベルじゃなかったぞ。
反論しようと口を開きかけた俺を遮り、リーゲル殿はさらに続ける。
「無論、奴らを見くびり、その能力を過小評価するのは愚かなことです。
だが、それはあくまで戦場でのこと。
戦に強いからと言って、我ら人類と同等の存在などと考えるのはまったくの誤りです。
なにより、あの汚らわしい邪悪な生き物の存在を許すなど、考えるだけでもおぞましい。
あれを討ち滅ぼすことこそ、神から与えられた我ら騎士の使命なのですからな!」
目が本気だ。
オークについて他より冷静な評価をしている人物だと思っていたが、本人も言うようにそれはあくまで「戦場での話」でしかないらしい。
いずれにせよ、この話を続けてもいいことはなさそうだ。
「なるほど。それも確かにそうですね」
俺は納得した風にしてこの話を終わらせたが、しばらく気まずい沈黙が流れた。
ややあってリーゲル殿は周囲を見回し、少し離れたところを歩いている神官たちに目をとめた。
そして、彼らがこちらに注意を向けていないことを確認してから、その髭もじゃの口を俺に耳元に寄せ、小声でささやいた。
「勇者殿のお考えには、吾輩は到底賛成できませぬ。
ですが、それはそれとして一つだけご忠告申し上げたいことがございます」
「なんでしょう?」
「今のようなお話、むやみに人に話してはなりませぬぞ。
特に、神官どもの前では。たとえ勇者殿であっても、異端とみなされる恐れがありますゆえ」
その目は真剣だったが、同時にいつもの親切な老騎士の目だった。
彼は考えの違いはさておいて、それでも俺を心配してくれる。
俺はこの老人がますます好きになった。
*
王都についた。
王都は竜骨山脈の中にひときわ高くそびえたつ〈竜山〉を背にした丘に築かれた王宮と、その麓に広がる城下町からなる。
街を囲む城壁は真っ白な石で組上げられていた。
それは大きく立派で美しかったが、あの〈竜の顎門〉を見た後では少々頼りなく見えた。
まあ、古代魔法の遺物と比較するのが間違いなんだろう。
到着してからの三日間は礼儀作法の習得に費やされた。
というのも、国王陛下へ先の戦の顛末を報告する〈奏上の儀〉に俺も参加するよう求められたからだ。
ただ報告するだけでも、国王陛下の公式行事となれば大仰な儀式へと変わる。
どこの世界でもそんなものだ。
奏上の儀に関わる部分だけとはいえ、覚えることは多かった。
儀式の大まかな流れに始まり、大広間への入リ方、名を呼ばれるまでどんな姿勢で待てばいいか、儀官との受け答えの仕方、様々なことが細々と決められていた。
宮廷は俺のために宮廷付の礼法の師範まで派遣してくれた。
もちろん、ただ親切だけでよこしてくれたわけじゃない。
師範殿――頬に刀傷のある筋骨隆々の巨漢で、礼儀作法よりは剣術を教える方が似合いそうな男だった――は、はっきりとこういってくれたものだ。
「勇者殿におかれましては、"完璧な勇者"としてふるまってもらわねばなりません。
これは国王陛下のご要望です」
どうやら俺のこの国での立場が決まりつつあるらしい。
面倒なことばかりだが、こういうことはうまくこなしておくに越したことはない。
それは最初の頃に送り込まれたいくつかの異世界で身に染みていた。
そういう場での振る舞いを知らなかったために、貴人たちに軽んじられ協力を受け損ねたこともあったし、怒らせて死にかけたことすらあったのだ。
そうして、〈奏上の儀〉の当日になった。
衣装はリーゲル殿が用意してくれた。
着替えを終えた俺を見て、リーゲル殿はなぜか懐かしげに眼を細めた。
戦場で苦労して兜の中に押し込まれていた彼のもじゃもじゃの髭も、今日は綺麗に梳かれ二つに束ねられていた。
「竜騎士の礼装です。よくお似合いですぞ。これであれば国王陛下の前に出ても失礼には当たりますまい」
「ありがとうございます」
俺は礼を言ってから、改めて自分の格好を確認した。
濃い灰色の一見地味な服だったが、よく見れば上等な生地に丁寧な装飾が施されている。
仕立てもしっかりとしており、随分と高価なものであるのは明らかだ。
それにしてもこの服は一体どうしたものだろうか。
俺のために急いで仕立ててくれたわけじゃなさそうだ。
ほんのかすかだが、既に誰かが袖を通した形跡がある。
リーゲル殿のお古とも思えない。あの老人は俺よりもだいぶ小柄だ。
竜騎士の正装を身に着けた少年が部屋に入ってきた。
どことなくリーゲル殿に似ている気がする。そいつは俺の格好を見て妙な顔をした。
「どうした、カイル」
リーゲル殿が少年に声をかける。
「はい、出発の準備が整ったことをお知らせに参りました」
「分かった。こちらも用意ができたところだ。すぐにいく」
それから、こちらに向き直っていった。
「では勇者殿、参りましょうぞ」
王宮へ向かう道は人でごった返していた。
俺達を先導する竜騎士たちは大声を張り上げ、馬で群集を押しのけるようにして道を空けさせている。
「にぎやかな街ですね」
「一番賑やかなのは、西門から聖堂へ向かう大通りになります。この辺りは普段はもっと静かなのですが」
「なにかあったんでしょうか?」
「……我らを救う救世主が現れた、という噂が王都に広がっておりましてな」
つまり俺を見に来たのか。
「噂というのは随分早く広まるものですね」
「まことに。皆、よい知らせを求めておるのでしょう。
……救世主が現れたとなれば敗戦の不安を打ち消すことも期待できましょうな」
なるほど、そういうことか。
「……手でも振ったほうがいいですか?」
「堂々としていてくだされば十分です」
俺達はわざわざ回り道をして大通りに入り、大勢の野次馬に見守られながら王宮へと進んでいった。
次回は6/13を予定しています