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第三話 竜の顎門

 毛なし猿(にんげん)どもから〈黒犬〉と呼ばれているオークは、狼鷲から飛び降りると大きくよろめいた。

 周囲にいた部下達がすかさず支えてくれたおかげでどうにか倒れこまずに済んだ。


 どうやら思っていた以上に血を失っていたらしい。脇腹に走る鈍い痛みに顔をしかめる。

 鋼鉄製の胸甲の脇が綺麗な半円形に削り取られていた。


 急所を外すことができたのは全くの幸運だった。

 もし、落馬した部下を確認するために体を捻っていなければ、あの光る槍に心臓を撃ち抜かれていただろう。


 正直なところ彼は油断していた。

 なにしろ先の大会戦では敵に致命的な打撃を与えたのだ。


 もはや、敵に戦意など残されていないと思い込んでいた。

 確かに微かな違和感はあった。

 もっと早く気が付くべきだったのだ。


 なぜあいつらはあれほどの敗北の後、これほど迅速に撤退できたのか。

 あの〈毛なし猿〉が単騎で切り込んできたのも、死にたがりが破れかぶれになったのだろうとしか思わなかった。


 ところがどうだろう。〈黒犬〉も部下達も、あんな戦い方をする〈毛なし猿〉に遭遇したのは初めてだった。

 光る盾や槍を出す奴らにはこれまでも何度か遭遇していたし、先の大会戦でも多くを討ち取ってやった。


 だがアイツは、あの白い鎧の〈毛なし猿〉どもとは比べ物にならないぐらい強かった。

 こちらの斉射は跳ね返された。

 距離をとっても槍を投げつけてくる。

 その上、あの盾や槍を瞬時に出し入れまでしてきたのだ。化け物という他ない。


 だが、部下の何人かは最後の斉射で奴の盾が砕けたのを見たという。

 さらに戦闘を続行すれば、あるいは仕留められたかもしれなかった。


 〈黒犬〉はかぶりを振ってその考えを追い払う。


 奴の背後では既に敵の装甲騎兵どもが戦意を盛り返し、態勢を整えつつあった。

 あれと正面からぶつかり合えば、部下達に少なくない被害が出ていただろう。


 確かに可能性はあったかもしれないが、部下達の命を賭けるにはあまりに不確実だった。

 狼鷲兵は貴重だ。狼鷲は卵から孵って最初に見た者にしか懐かない。

 その上、この獣は野生でしか卵を産まない。

 その貴重な卵を巣から持ち帰り、孵し、飼い馴らす技術は、彼の部族の戦士たちだけに伝わる秘伝なのだ。

 そしてなにより、彼は部下達を愛していた。


 自分が無傷であればまた違った判断を下していただろう。

 だが自身が負傷し、十分な指揮をとれない状況で、部下たちを未知の脅威に晒すなど彼にとって論外だった。

 あるいは歩兵が一個中隊もいれば違っていたかもしれない。


(辺境伯のドラ息子が余計な口出しをして来なければ歩兵隊も帯同できていたものを……)


 〈黒犬〉は内心で呪ったが、今となってはどうにもならないことだった。


 ほどなくして、偵察に出ていた一隊が先程の戦闘で戦死したオークを連れ帰ってきた。


 死んだのは、〈黒犬〉の妹婿だった。

 立派な青年で、村でも一二を争う乗り手だった。

 夫婦仲もよく、今度の遠征に出る直前に初めての子供を授かっていた。


 妹へ出す手紙のことを考え、〈黒犬〉の心はさらに沈んだ。

 何としてでも仇を取らねばなるまい。〈黒犬〉は改めて決意する。


 いかに奴とて不死身ではないはずだ。十分な備えさえあれば必ず討ち取れるだろう。

 なにより、アイツが彼の野望の最大の障壁になるであろうことは明らかだった。


 いや、むしろ格好の足掛かりというべきか。

 いずれにせよ、次には討ち取って見せる。


 彼が仲間を率いて戦場へ身を投じるのも、その野望のためなのだから。


 *


 大きな森を抜けたところで歓声が上がった。誰もがこれまでの疲れを忘れたかのように喜び、はしゃいでいる。

 目の前には巨大な山脈が壁のようにそそり立っていた。


 まだ随分と距離があるはずなのに、見上げるようにしなければその頂を見ることができない。

 この山を徒歩で越えることはまず不可能だろう。


 もちろん、彼らはそんな大絶壁を見て喜んでいるわけではない。

 皆が指差すその先にあるのは、山脈が折れ曲がり、重なってできた僅かな谷間、そこに築かれた門。


 通称〈竜の顎門〉。


 人類世界とオークを隔てる天然の境界線である〈竜骨山脈〉に空けられた唯一の通り道だ。

 俺達はとうとうゴールを目にしたというわけだ。


「皆の者! 気を抜くな! 犬どもはまだわしらの臭いをかぎまわっておるのだぞ!」


 リーゲル殿が皆を引き締めにかかったが、その声にも隠しようのない安堵の響きがにじんでいた。

 幸いにも、奴の再襲撃を受けることはなく、俺達は無事に〈竜の顎門〉の門をくぐることができた。


 〈竜の顎門〉は、城塞というよりは巨大なダムだった。

 遠目にはそれほど大規模な城塞には見えないが、それは背景の〈竜骨山脈〉があまりに大きいために起きる錯覚だ。


 間近にみると、先の印象とは逆に、その高く分厚い城壁のもつ質量に圧倒される。

 出陣の際にリーゲル殿に聞いたところによれば、谷を塞ぐ防壁の幅は約一.ニ㎞、厚さは最大で四十m、高さは最も高いところで二百mにも及ぶという。


 まるでコンクリートか一枚岩から作られているように見えるが、実際は石を積み上げて作られているらしい。

 そのつなぎ目は顔を近づけて目を凝らさないと分からない。


 この大防壁の向こう側には山脈から流れ込む雪解け水を溜めこんでおり、いざとなれば水門――巨大な水龍の彫刻が施されていて、〈竜の顎門〉の名の由来にもなっている――を解放して狭い谷間に展開する攻囲軍をまとめて押し流すことまでできるのだそうだ。


 伝説によれば、まだ人類が世界の大部分を支配していた時代に偉大な魔導師が巨人を使役して作らせたという。

 真偽は不明だが、魔法の介在なしにこんなものを作り上げるのは困難だろう。


 もしかしたら、そいつも俺のような異世界人だったのかもしれない。

 俺にはこんな物作れないけど。


 この要塞を最強の要塞足らしめているものはその地下に存在している。

 それは件の大魔導師によって埋め込まれたという巨大な魔法陣だ。


 こいつは地を流れる魔力を利用して防壁全体を魔法障壁で覆い、あらゆる飛び道具を防ぐという。

 ちなみに俺が喚び出されたのもその巨大な魔方陣の上だ。


 オークにあれだけ差をつけられながらも、この世界の人類の危機感がいまいち薄いのは、たぶんこの〈竜の顎門〉があるせいだろう。

 こちらには無敵の要塞があるんだから、外で多少負けたところで直ちに危険はないというわけだ。


 だが、こうして俺が呼び出されている以上、この世界の人類は滅びの危機にさらされているはずだ。

 見かけほど安心できる状況じゃないのは間違いない。


---


 〈竜の顎門〉の守備隊長が門まで出迎えてくれた。


 名は確かエベルトといったはずだ。

 貧農から武功を上げて今の地位まで上り詰めた立志伝中の人物で、守備兵からの信頼も篤いという。

 召喚されたときにも一度顔を合わせているが、快活に笑う気さくな老人だった。


 そのエベルトの表情がすっかり固くなっていた。


「お早いご帰還ですな。……殿下はいずこにおられるのでしょうか?」


 俺達一行をぐるりと見回した後、彼は恐る恐る尋ねてきた。


 彼はリアナ姫がまだ幼かった頃に、リーゲル殿とともに守役をしていたといっていた。

 そして今でもリアナ姫の熱烈な信奉者の一人だった。


 出陣のときも、俺の手を取ってどうか姫を守っていただきたいと―― (殿下は確かに類稀なる軍才をお持ちだが、どうも危険に無頓着なところがありましてな。いかにも、将たるものが勇気を示せば兵は奮い立ちましょうがそれにしても限度というものが……勇者殿!殿下をお守りください!神はそのために勇者殿をお遣わしになったのでありましょう? どうか殿下を……云々)――頼み込んできたのを覚えている。


 リーゲル殿は黙り込んでしまった。

 もっとも、答えを聞かずとも、あまりに数の少ない騎士、負傷者ばかりを乗せた荷車、疲れ切った神官たち、なによりリーゲル殿の表情を見れば、何が起きたかはすぐに察したはずだ。


 それでも、確認せずにはいられなかったのだろう。

 彼は努めて陽気な声で続けた。


「さては、殿下は神官たちだけ送り返して、追撃の指揮を執っておるのですな?

 神官どもを連れていては迅速に動けませんからな! それでももうじきお戻りになるのでしょう。

 門を開けたままにしておいてもよろしいですかな?

 何しろこの大門は一度閉じると、再び開くには一苦労……」


 リーゲル殿が、絞り出すような声でそれを遮る。


「殿下はお戻りになりません。間もなく奴らが追いついてきましょう。門は閉じられよ」


「では、姫殿下は……」


「……まことに、面目ない」


 それきり、二人の老人はうなだれたまま沈黙した。


 *


 俺達は丸一日〈竜の顎門〉に留まり、体力を回復させてから王都に向かうことになった。

 この三日間にわたる不眠不休の行軍は神官たちや従者たちはもちろん、王国の精兵たる竜騎士たちにとっても、厳しいものだったからだ。

 屋根と壁がある部屋、そして温かい食事!

 いずれも質素なものだったが、それでも至高の贅沢のように感じられた。


 翌朝、兵舎の中を守備兵たちが慌ただしく走り回る音で目が覚めた。


 手近の一人を捕まえて尋ねてみると、オークの軍勢が出現し非常呼集がかかったとのことだった。

 俺はその兵士に礼を言うと、簡単に身支度を整え守備隊長らがいるという見張塔に向かった。


 見張塔には既にリーゲル殿がおり、オーク軍を睨みつつエベルトと話し込んでいた。

 エベルトは、俺の到着に気付くとこちらに丁寧に一礼した後、すぐに敵に視線を戻した。

 その鋭い目つきは、昨日の悲嘆にくれた老人と同一人物とは思えなかった。


「この城壁にオーク共が押し寄せるのを、この目で見ることになろうとは」


 エベルトが呻くようにつぶやいた。


「面目ござらん」


「リーゲル殿を責めているわけではござらん。

 しかし、これほどの数とは……貴卿らの報告を疑っていたわけではないのですが、この目で見るまではにわかに信じられませなんだ」


 オークの大軍が、谷の出口にほど近い森の中から続々と湧き出ていた。

 先頭は谷の出口に布陣しつつあり、それ以上先に進む様子はなさそうだった。


「谷を塞ぐつもりか。攻め寄せてきたなら、押し流してやったものを」


 エベルトはオーク達を睨みながら言った。


「これでは、残りの討伐隊の帰還は難しいでしょうな」


「ふん、殿下の召集に応じず、私腹を肥やさんとした不忠者どもには相応しい末路じゃわい」


「しかし、これでは今年の収穫はかなり厳しいものとなりましょうな。民が飢えることは殿下も御望みにはならんでしょう」


 リーゲル殿がなだめるように言う。

 しかし、他にも討伐軍がいたのか。

 それに、収穫とは何のことか……大体想像はつくけど、一応聞いてみるか。


「リーゲル殿、我々の他にも討伐軍がいたんですか?あと、収穫ってなんです?」


「勇者殿はご存じありませんでしたか。それでは私から説明いたしましょう」


「よろしくお願いします」


「そもそも、オークというのは、世界創世の折に悪神によって産みだされた邪悪な存在です。

 ですから、それを討伐するは全ての騎士の義務であるとされております。

 領主たちは徳を積み名誉を得るため、各々の領地で討伐隊を結成し、オーク討伐に向かうのです」


「なるほど。さっき言っていた残りの討伐隊は、そういう個別の部隊のことですか。」


「さようでございます。

 かつてはオーク共も荒野のはるか南にしかおりませんでした。

 しかし、ここ百年で奴らは大きく北上し、いまや山脈から数日の位置に集落を構える奴らも現れております。

 オーク共の生存圏を南へ押し下げる必要があります。

 いまや討伐は騎士にとって最も重要な義務といっても過言ではありますまい」


「それで、収穫とは?」


「実際の所、名誉や徳のなんぞの為だけなら誰も動かんわけです。軍勢を集めるだけでも金がかかりますからな」


 エベルトが口をはさんできた。


「領主共の目当てはその収穫の方でしてな。

 オーク共を討伐するついでに、奴らが集落にため込んでいる食料やら何やらを奪ってくるのですよ。

 そしてこの収入が馬鹿にならないほど大きい。

 かくいう私も、それで身を立てたものでしてな」


 まぁ、そうなるよな。

 リーゲル殿の説明が続く。


「無論、オーク共もただで我々に差し出してはきません。

 数を集めて抵抗してくることがございます。

 そのような場合に、討伐隊を束ね打破するのが王家の役割です。

 此度も、我らの侵入に対しオークが軍勢を集めておるとの知らせを受け、既に門をくぐっていた各討伐隊に召集をかけたのですが……」


 ここでリーゲル殿はため息をついた。


「結局集まったのは半分ほど。その間に我らの竜は竜山に飛び去ってしまいました」


 余談だが、俺が召喚されたのはこの部隊集結の最中だったらしい。

 つまりこの世界の奴ら、略奪の手伝いをさせるつもりで俺を呼び出したってことか。


 まぁ、もっとくだらない理由で召喚されたことだってある。


 あれは確か四番目の異世界だったか。

 あの時は、なくしものを探すために〈お手伝い魔神〉を召喚しようとしたら俺が出てきたとか言ってたな。


 だが、召喚者の意図がどうであれ、俺が呼び出されるところには必ず世界の危機が潜んでいる。

 そして、その召喚者が目的を達しようがしまいが、世界の危機をどうにかするまで俺は帰れない。

 あいつらのなくしものも結局見つからなかった。


 なるべく早く片付けて元の世界に帰りたいところだ。

 今度で十三度目の失踪だ。いまさら母も心配はしないだろうが、あまり長くかかると色々不都合があるのだ。


 母がとうとう俺に愛想をつかして、俺の自室を空っぽにしてしまわないとも限らない。

 あの部屋を片付けられてしまえば、俺は居場所がなくなってしまう。

 それは大変困るのだ。


 さて、話がそれた。


「それで、殿下の招集に応じなかった討伐隊が、あの軍勢の向こうに取り残されているわけですか」


「さようです。まぁ、当然の報いと言っていいでしょうな。

 奴らが殿下のもとにはせ参じておれば、戦の結末も変わっておったでしょう」


 エベルトは憎々しげに言った。

 だが、それはどうだったろうか。たとえこちら側の数が倍になっていたとしても、あの状況で勝てたとは思えない。


 谷の出口の方から、小さな銃声が響いてきた。

 目を凝らしてみたが発砲地点は分からなかった。

 おそらく、ここからは死角になっているんだろう。


 取り残された討伐隊が、何も知らずに帰還してきてオーク軍と遭遇したんだろうか。

 あるいは、強行突破を試みているのかもしれない。


「我らにできることは何もありますまい。一刻も早く王都に帰還し、事の次第を報告しましょう」


 リーゲル殿に促され、俺は出発の準備をするために階段へ足を向けた。


連続投稿はここまでです。

次回は6/6を予定しています。

筆が遅いので、一週間間隔を目安にのんびり投稿して行くつもりです。

気長にお付き合いいただければ幸いです

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