二人の社長
北関東物産は東北自動車道のインターを降りて小一時間の市街地の只中にあった。途中情報収集のために調査に協力してもらった栃木県の西部環境事務所に挨拶に立ち寄った。そこからなんと五分という近さだった。浅見社長は事務所の前で検査チームの到着を待っていた。電話の声でイメージしたとおり初老にさしかかった頭のはげた小男だった。隣に営業協力者だと名乗る中国人の陳が立っていた。陳は四十代、武道をやっているのか胸板が厚く、一見してレディメードとわかる高級スーツを着こなし、日本語を完璧に操り、憎めない笑みを浮かべている人物だった。
「どれが処理施設なんですか」伊刈は開口一番に聞いた。中間処理施設らしい設備がどこにも見当たらなかった。
「ああ、あれだけど」浅見は小型のユンボに取りつけた恐竜の頭骨みたいな形のカッターを指差した。
「あれが破砕機ってことですか」
「そうだよ」
どう見てもそんなものでたいした処理はできそうになかった。狭い敷地の八割はストックヤードになっていて、入口近くにはコンクリートの叩きを四角く切った不法投棄現場とそっくりのジャンプ台があった。ヤードに積み上げた産廃の上に中古の大型ブルドーザが乗っていて、それで終日廃棄物を踏み潰しているようだった。
「重機破砕してるんですね」伊刈はクローラ(キャタピラ)の下の廃棄物を手に取りながら言った。泥まみれで灰色になったぼろぼろの木くずと廃プラスチックだった。
「よく揉んでるだろう。だけどまだこれでも十分じゃないな。もっとよくやるよ」浅見は笑いながら答えた。
「現場から出た東照カンパニーの証拠は未破砕でしたよ」
「そうなの?」
「犬咬で不法投棄されたのはここのゴミではないですね」伊刈はストレートに言った。
「ほう、あんたもうわかっちゃうんだ。だけどいいじゃないの。今回はうちが片すって言ってんだからさ」
「ここのはレーベルに似てますね」
「レーベルを知ってんだ」
「万年さんとは何度か会ってます」
「レーベルのも出てるのね」
「それは言えませんよ」
今回の調査でもレーベルの名前は浮上していた。都内の家具店の廃棄物がレーベルに委託された可能性が出ていた。しかし、今回も証拠の点数が少なく関与を確定するまでにはいたっていなかった。
「あんたおもしろいなあ。せっかく来たんだからさ、茶でも飲んでいきな」
プレハブながら鉄骨のしっかりした事務所に入ると、もう一人頬の痩せこけた男が待っていた。年恰好は浅見と似ており、人を食ったような笑みを伊刈に向けてきた。
「ビーエムの窪内さんだよ。この人はさ、うちの前の社長なんだよ。うちは社長がたびたび交代しているんだけどさ、オーナーはこの人なんだよ」浅見がそう紹介した窪内は事務所で待っていたところを見ると浅見よりも格上らしかった。ビーエムという社名はなぜかアウトロー業者に好まれていた。大和環境の子会社もビーエムだった。
「それじゃ決算書から見せてもらっていいですか」伊刈はいつものように切り出した。
「ないよ」
「えっ、税務申告はしてないですか」
「やったことない」浅見は耳を疑うことをあっさり言った。
「そうですか。じゃあ何か帳簿は」
「帳簿なんてものはないよ」
「でもお金の出し入れをしている帳簿があるでしょう」
「必要ないから。そのために毎年社長を交代してるんだよ。前の社長のことはわかんないって言えるでしょう。
「それじゃあマニフェスト(産業廃棄物管理票)を点検させてもらっていいですか」
「それもないよ」
「どこか別の事務所においてあるんですか」
「いやうちは作ってないんだ」浅見の返答を窪内が笑って聞いていた。陳は苦笑しているように見えた。
「だってここは許可のある業者ですよね」
「そうだよ。だけどないものはないから」
「契約書は」
「それもないよ」聞きしに勝るアウトローだった。
「どうやって処分料を請求してるんですか」
「現金だから。でも待って、何か控えがあるかもね」浅見は散らかった机の上から一冊の汚れたノートを取り出した。「これでどう」
ノートを受け取ってページをめくってみると搬入したダンプの記録のようだった。日付と車番がメモされているだけで、品目も数量も金額もわからなかった。もちろん搬入した会社もわからない。
「帳簿的なものはこれだけですか」
「うちはこれで十分だから」
「どういう会社なんですか」
「だから見たとおりの会社だよね」
「ここの産廃はどこに出してるんですか」
「愛光だよ」
「えっ」浅見はまた耳を疑うことを言った。あきるの環境システムが根津商会の大杉と名乗る運転手に騙されたという愛光である。
「でも愛光はもう閉鎖されたでしょう」
「そうだよ。だけど出してるから」
「閉鎖されたのに入るんですか」
「入るんだよね。穴(最終処分場)は閉鎖されたけど隣に窯(焼却炉)をこさえてあるんだ。そこで燃やしてるんだ」
「そんなことできるんですか。燃やさずに埋めてませんか」
「できるから出してるんだよ」
「マニフェストはないんですよね」
「そりゃあないに決まってるよ。あっちは許可がもうないんだからさ」浅見は窪内と顔を見合わせて笑い出した。法律なんかまるで気にしていない二人が寒山と拾得のように見えた。伊刈は悟りを開いた高僧に娑婆の身分を名乗って笑われた小役人の心境だった。
それでもなお伊刈はあきらめずに新旧二人の社長に詰め寄った。「今回の調査では東北清掃運搬を介して愛光に出したという会社もあったんですよ。営業に行ったのは根津商会です。これは大久保さんか一松さんの会社らしいですね」
「大久保の荷は愛光には入ってないね」浅見は事情通のように言った。
「どうしてわかるんです」
「だって愛光はうちが仕切ってるんだから。うちは五億円貸してるんだ。だからうちの荷は断れないよ。大久保のは入らないけどうちのは入る。間違いないよ」
「でも愛光のスタンプを押されたマニフェストがありました」
「ありえないなあ。愛光のスタンプはうちで預かってる」
「そうなんですか」
「嘘じゃないよ。ほかにはなにか聴くことない。なんでも教えてあげるよ」
「円の安座間さんはご存知ですか」
「知ってるよ。いい女だねえ。レーベルからエコユニバーサルへの運搬をやってたな」
「レーベルはエコに出してたんですか」
「一度出したけどすぐにやめたよ。レーベルは円を疑っていたんでね」
「円ってどういう会社ですか」
「穴屋だよ」
「捨て場を開いてたんですか」
「茨城でな」
「収運じゃないんですか」
「あとから許可をとったんだ。もともと穴屋だよ」
「大和環境はどうです。レーベルと関係が深いようですが」
「あんたよその県の役人にしちゃあよく知ってるなあ。レーベルは大和環境の穴(最終処分場)に出せたおかげで大きくなったんだよ。だから大和の評判が悪くなってもレーベルだけは大和を信用してたんだ。工場から出たダンプが新潟と反対に曲がってるのに万年さんは気付かなかったんだ。みんな知ってたのになあ」
「北関東物産から愛光への運搬は韮崎物流がやってるんですか」
「ほうよくわかったね」
「つまり北関東物産は愛光に出しているから不法投棄はやっていないけどマニフェストがないから証明はできないということですね」
「そういうこと。あんた飲み込みがいい。だけど小窪さんのはうちが片すからそれで勘弁してよ」
「恩を売っておこうってことですか」
「まあそうでもないけどああいう人は面倒くさいからさ」
「小窪さん、大久保さん、薊さんはみんな親しいんですか」
「そうねえ知らない仲じゃないだろうね」
「薊さんのダンプを買ったのはどなたですか?」
「大久保が買ったんじゃないか。それから一松のダンプは円に譲ったんだよ」
「そうですか、それで見えてきましたよ」
「おもしろくなってきたか」
「愛光は大丈夫なんですか。閉鎖されたのにいつまでも入らないでしょう」
「だめだろうな。そのうちでっかい問題になるよ。許可の五倍くらいは埋めちゃったんじゃないの」
「五倍といったら五十万リュウベですか」
「それくらいはやったろうなあ。あっちの県庁は甘いんだよ。奥に広げてるのに見やしないんだ。今に慌てることになるさ」
「栃木のヤクザが犬咬の不法投棄を仕切ってたってほんとですか」
「まあそんなところだな」
「大久保のボスは英善環境の植田さんってほんとなんですか」
「ああそうだよ。だいたい不法投棄ってのはね、ちゃんとした穴(最終処分場)がバックにないとできないんだよ。自分とこの穴にどんどん入れちゃったらすぐに終わっちゃうでしょう。だから入れたことにしてよその穴に持っていかせるんだよ。世間じゃ最終がないから不法投棄になっちゃうって言うでしょう。逆なんだよ。最終があるから不法投棄ができるんだよ」
「最終処分場は丁と半とどっちの目が出ても儲かる胴元ってことですか」
「あんたうまいことを言うね。役人にしとくのは惜しいな。ばくちの元締めってのはそういうもんだろう。最終ってのはゴミがどこの穴に行こうと儲かることになってんだよ。だからみんな穴を持ちたがるんだ。だけどもう厳しいと思うよ。もう新しい穴をやるのはなんやかや面倒でしょう。愛光みたいなとこがこれからどんどん増えるよ。左翼が悪いんだよ。反対運動をやるから穴が足らなくなって結局不法投棄が増える。まあそれで左翼も右翼も儲かるんだけどな」
「鯉川さんはどうですか」
「ああそりゃ一番上の上だわな。小窪くらいならまだいいけどさ、あんたそこには触らんほうがいいよ。二度とその名前は口にせんことだな。どうせパクれやしないだろう」窪内と浅見は顔を見合わせてまた笑った。
「撤去の件は調査がすっかり終わったらご連絡します」
「うちはなんでもするから穏便に頼むよ」
マニフェストも帳簿も何もなくては検査にならなかった。それでも期待以上の収穫を得て伊刈は北関東物産を後にした。こんなデタラメな許可業者もあるんだなと立ち合った全員がカルチャーショックを受けた。
「お土産が何もないからちょっと寄り道して葡萄でも買って帰ろう」伊刈は思いつきのように言った。実は最初から帰りには葡萄を買うことに決めていた。
「えっ葡萄っすか」ハンドルを握る長嶋がバックミラーの中の伊刈を見た。
「葡萄と言ったら山梨と思うだろうけど栃木にもある。桜平町に入ったら右に折れて。そうすると葡萄園があるはず。まだシーズンじゃないけどハウス物の巨峰があるよ思うよ」
「なんでも詳しいっすね」
「たまたまね。こっちに実家がある知り合いがいて何度か送ってもらったことがある。勝沼に比べると樹が若いんで甘さは足らないけど大粒で瑞々しい葡萄だよ」
「果物にも樹の年齢とか関係あるんですね」遠鐘が感心したように言った。
「なんでもそうだよね」喜多が相槌を打った。
「班長、知人てのは女っすね。男はあんまりそこまで考えて葡萄食べないっすからねえ」長嶋が勘鋭く言った。伊刈は答えなかった。
長嶋は桜平町の町道へとハンドルを切った。そのとたん左右に葡萄園が次々と現れた。
「いっぱりありますねえ。どこにしますか」
「早稲の葡萄を売ってるとこがあったらどこでもいいよ」
開店している即売所を適当に選んで立ち寄った。試食コーナーで巨砲を食べてみると確かに水分をたっぷり含んだ美味しい葡萄だった。四人はそれぞれに自宅用のお土産を買い、伊刈は事務所用のお土産も買い込んだ。